50話_side_Rit_学生区
~"騎士の卵"マルグリット~
王立エンディミオン魔法学院は、王都において王宮の次に広大な敷地面積を有する施設だ。
その内部は大きく四つの区画にわかれている。
あたし達が通う高等部の学院施設が存在する『学究区』
寮施設や商業施設が存在する『学生区』
大学部や研究施設が存在する『大学区』
それらすべてを統括する管理施設と、夜会等の特別なイベント用の施設が存在する『中央区』
学院の敷地を上空から見ると、中心に『中央区』が存在し、その周囲を三等分するみたいに他の区画が取り巻いていると思えば大差ない。学院の正門は『学生区』と『学究区』の間、黒い森に隣接しているのは『学究区』と『大学区』で、居住区画である『学生区』と黒い森の間を隔てているとも言える。ついでに、対黒い森の戦力である常駐騎士団等が駐屯しているのは厳密には学院の敷地外で、学院と黒い森の間に設けられた緩衝エリアである。
エンディミオンは全寮制であり、大学部生や教員も基本的には寮で生活する。『学生区』の商業地区にはあらゆる商業施設が揃っていて、余程特殊な需要でなければ専門の店舗で取り寄せもできるので、学院の敷地内だけで生活が完結できるように設計されている。
学院の敷地外へ出る場合は、在学生は申請と許可が必要で、使用人は無申請で出入りできるが、フリーパスでは勿論なくて必ず確認され記録は残される。これは多くの貴族子女や王族までもが通う学院であるが故の防犯上の都合である。なお在学生の外出許可であるが、申請から承認までに若干の時間を要するものの基本的には通る。
まあ、あたしを含む大半の学生は長期休暇に帰省するとき以外は敢えて学院から出ることもないとは思う。元々王都を行動範囲にしていた貴族学生の人達とかは週末ごとに王都に繰り出してたりもするみたいだけど。学院の商業地区では大抵のものが買えるけど、例えば観劇とかアクティビティとか娯楽のためだけの施設というのは少ないので、そういうのを求めるならば外に行かざるを得ないのだ。
あたしは今のところ学生区と学究区を往復するだけの生活で、あとは仕事の時だけ黒い森に向かう程度の行動範囲である。
「だからあたし、学生区も寮の周り以外は良く知らないんだ」
あたしが言うと、隣を歩くミアベルが驚いた顔をする。
「え?普段のお買い物とかどうしてるの?」
「忘れてるかもだけど、あたし一応貴族だから。そーゆーの全部使用人任せ」
「あそっか」
「でも、趣味の物とかもあるでしょう?それも使用人さんが?」
控えめなノエルの問いに、あたしは首を横に振った。ノエルが言うのはアレだ、例えば趣味の香水とか、コスメとか、私服とか、娯楽の小説とか、そういう人任せにせずに自分の手で選びたいものもあるでしょうってこと。
だけど甘いな。あたしにそんな趣味などない。
「リタの趣味は?」
「鍛錬」
「お前はロイか」
やっぱりレックスってそうなんだ。そんな気するわ。
そんなことを話しながらあたし達が歩いているのは学生区の一角、女性向けの店舗が立ち並ぶ通りのレンガ敷きのプロムナードである。今日の目的は女子会というやつらしい。なんでも、新たにお友達になったあたしの歓迎――という体でスイーツとか食べちゃおうっていう。ミアベル発案。
ミアベルは平民階級の出身で、実家も然程裕福ではないというかぶっちゃけ貧乏なので、普段から倹約生活を心がけているらしいのだが、だからこそこうしてスイーツを食べに行くような名目を欲していたのだろう。
ちなみにあたしは甘いもの大好きだ。
余談だが、同じく平民階級のノエルの実家はわりと成功している商家なので、普通に裕福だ。爵位を持った平民とでも言うべきあたしの実家よりも余程お金持ってると思う。
てくてくと淀みなく歩くミアベルに引っ張られる形であたしとノエルは歩いてきたのだが、それなりの数の店舗を通り過ぎたあたりでノエルが「ところで」と声を上げる。
「ミアベル。どこのお店に入るの?」
「え?」
え?ってなに。
思わずあたし達の脚が止まる。
「わたし、ノエルがお店知ってるとばかり」
「ええ!?だってミアベルがスイーツ食べに行こうって言うからついてきたのに」
「やだなぁ。わたしがそんなお店知ってるわけないじゃん」
「わ、私だって知らないよ!」
えぇ。まさかのノープランかよ。
というか、てことはあたしも含めて誰もそういう店舗に詳しくないくせにこんなところまで繰り出しちゃったのか。これは無理を言ってでもミリティアとレックスを引っ張ってくるべきだった。ミリティアはもしかしたらこちら側かもしれないけど、レックスは絶対そういうお店も知ってる。アイツはあたしと同じ鍛錬馬鹿だけど、あたしと違って社交もそつなくこなすから、意外なくらいに情報通なのだ。
「かくなる上は、適当に入ってみる!」
ミアベルの方針は妥当というか、それしかない気はするけど。
「でもそれで、滅茶苦茶高いお店だったらどうすんの。言っとくけどあたしそんなにお金無いからね」
「あー……」
ただでさえ高位の貴族令嬢とかも訪れる場所なのだ。そういう上流階級向けの店舗だってそれなりに多い。そして罷り間違ってそんなところに入ってしまったら、今のあたし達の所持金ではケーキ一個食べるために借金をする羽目になりかねない。
ノエルは案外大丈夫かもしれないけど、少なくともあたしとミアベルは即死だ。
「じゃあ誰かに訊いてみようか」
物怖じしないミアベルは本気で通行人に尋ねるつもりみたいで、きょろきょろと周囲を見回し始める。都合よく知り合いが、それも平民向けの店舗を知ってそうな人が歩いていればいいのだが、まあそんな都合のいい展開はあるまい。
知り合いでなくても、平民階級の学生に訊けば少なくとも今のあたし達よりかは有益な情報を持っているだろうとは思うけど。
半ばなげやりムードであたしも一応周囲を探してみると、ふと、やたらと目を惹く人物に気付いた。
買い物用の鞄を片手に歩く、一人のメイドだった。
濃紺基調のメイド服はタイトなデザインで、魅せる用のコルセットが美しいボディラインを強調している。女性らしい張りのあるヒップと、豊満なバスト、それを繋ぐ見事なウエストのくびれ。ただ歩いているだけなのにすごく姿勢が良くて、武芸者のそれではないけれど、職業従者の洗練された趣がある。
なにより目を惹くのは陽光のもと白銀に輝く艶やかな長髪と、空色の瞳が特徴的な類稀な美貌だ。
「うわぁー……超美人」
正直、そんじょそこらの令嬢なんて目じゃないくらいに綺麗な人だ。従者らしくほんとに最低限のメイクしかしてないだろうに、それがむしろ素の美しさを引き立てている。
大概素で美人なミアベルとも良い勝負が出来そうだ。
あたしが歩いていくそのメイドをぼーっと見送っていると、同じほうに目を向けたミアベルが、その顔面を輝かせた。常から明るいミアベルの笑顔が更に三割増しで、まるで花が咲いたみたいな変わりようだった。
「あ!クラリスさぁーん!!」
片手を大きく振りながら呼ばわったミアベルの声に、何故か件のメイドが振り向く。
え?知り合い?
いきなり大声で呼び止められたことに気分を害するでも驚くでもなく、メイドはミアベルの姿を認めると柔らかな微笑みを浮かべた。そのままミアベルがジェスチャーで『こっちきて!』と伝え始めると、まるで妹を見守る姉のような表情で歩み寄ってきた。
その表情が大好きな姉とそっくりで、あたしは根拠もなく『このヒト良い人だ!』と悟る。
「ごきげんよう。ミアベルさん」
「はい!ごきげんよう!」
「お二方はお初にお目に掛かります。アシュタルテ侯爵家がメイドのクラリスと申します」
優雅に礼をされてあたしはちょっと圧倒される。
あたしが学院に連れてきた実家のメイドとは、それこそ貴族と平民くらいオーラが違う。尤も、音に聞こえるアシュタルテ侯爵家のメイドと、爵位持ちの平民であるベリエ男爵家のメイドを比べるのがそもそもナンセンスかもしれないし、侯爵家のメイドって本当に貴族出身者である可能性も無くはないけど。特に、ご令嬢の専属やっているような人は。
一応言っておくと、うちのメイドには一切文句などない。ただ、従者の世界にもやっぱり格の違いがあるんだなと悟っただけである。
ていうかちょっと待って。圧倒されてスルーしちゃうところだったけど、アシュタルテって言ったよねこの人。
その名を聞いてあたしの脳裏に過るのは同級生のちっこいあの人である。
「ノエル・クライエインです。初めまして。ミアベルがいつもお世話になってます」
「マルグリット・ル・ベリエよ、です」
どうやらクラリスさんはミアベルの個人的な知り合いみたいだけど、なんで?
あたしの知る限り、ミアベルとアシュタルテ侯爵令嬢に接点なんて無かったと思うけど。
「ええっと、ミアベルとクラリスさん、どういう関係?」
「どうって、お友達だよ!ねー?」
にっこりと笑ったミアベルに合わせて、クラリスさんも笑顔で「ねー?」と言ってくれている。
美貌のせいでちょっと冷たい印象を受ける人だけど、なんかすごく面倒見がいいっぽい。
「クラリスさんはお買い物?」
「ええ。オイルを少々……ミアベルさん達は」
「今日はですね!リタとお友達になれた記念で、スイーツ女子会!」
「まあ。よいですね」
「……の、つもりだったんだけどなぁ」
一転、ずーんとテンションが落ち込んだミアベルに、クラリスさんは瞳を丸くした。
そのままミアベルが、意気揚々と繰り出したはいいものの、実は誰もそういう店舗について詳しくなかったという間抜けな状況であることを語る。するとクラリスさんは控えめにくすくすと笑った。
「笑い事じゃないよぅ。ねえクラリスさんはそーゆーお店知らない?」
「そうですね……」
侯爵家のメイドなんかに訊いたら、それこそ目玉が飛び出るような場所を教えられるんじゃないかと思うのだが。
クラリスさんは殆ど考えるでもなく。
「あちらに見えている『ラ・ベール』、ピンクの看板のお店です。リーズナブルなお値段で平民階級の学生さんに人気だとか。看板商品はドーナツです。ただ混み合うのでこの時間は座れないかもしれません」
「へ?」
「一つ向こうの通りですが『スノウキャップ』という店舗もお薦めですよ。ちょっと入り口がわかり難いですが、隠れた名店風ですね。焼き菓子メインで単価はちょっと割高ですけどその分ボリューミィなのでコスパは悪くないかと」
「あ、はい」
「それから少し戻ったところにある『旅猫屋』という店舗。ここはお茶のお店ですけど、お茶請けの菓子類も多彩で、色んな味を楽しみたいならお薦めできます。メイン層は学院勤めの使用人みたいですけど、平民の学生さんもわりと見かけますよ」
「へー」
あまりにも滑らかな情報提供にあたしとミアベルはぽかーんと口を開けて聞いていたのだが、ノエルはちゃんとメモを取っていた。たぶんこういうところで成績の差が出るんだろうな。いやまだ知り合ったばっかりで彼女らの成績なんて知らんけども。
ていうかクラリスさんすげぇ。ものすごい詳しいじゃん。まさか侯爵家のお嬢様がそういうお手軽なお店を好むわけもないから、たぶんクラリスさん自身がスイーツとか好きなのかな。
「詳しいんだ……ですね」
「お嬢様にお出しするお菓子の研究のために通っていたら、自然と」
なんでも、彼女が仕えるアシュタルテ侯爵令嬢――つまりちっこいプリムローズさんだけど、あの人は高級なお菓子よりもクラリスさんの手作りを好むらしい。でも主人に下手なものは出せないから、クラリスさんは日夜お菓子研究に余念がないらしい。
大変ですね、とあたしが言うと、クラリスさんはやんわりと微笑んで「お嬢様の笑顔の為ならば」とだけ言った。
あんまり満ち足りた表情をするものだから、ミアベルが苦笑気味に「クラリスさんはご主人様好き過ぎだから」と教えてくれた。
なんかいいなぁ。ウチの従者に文句はないとは言ったけど、やっぱり羨ましくなってしまう。
でも思うに、それって従者側だけの問題じゃなくて、半分はあたしの問題なんだろうな。要はプリムローズさんがあたしなどより余程敬意に値する素晴らしい主だから、従者から相応の敬意を向けられているというだけのことなんだろう。
「そしたら、どうする?」
「私は『旅猫屋』が気になるな」
「あたしもそこがいい」
「じゃあ決定!クラリスさん、どーもありがとう!」
「お役に立てたならば良かったです」
穏やかに笑って別れ際、クラリスさんはふと思い出したように。
「ミアベルさん。もしフォノンがサボってるのを見かけたら、程々にするように伝えておいて下さい」
「あはは。りょーかい」
では、と一礼して去り際まで優雅にクラリスさんは歩いて行った。
あたし達も、少し戻ったところにあるという『旅猫屋』を目指して、元来た道を歩く。
「ねえミアベル、フォノンさんって誰?」
「アシュタルテさんのもう一人のメイドさん」
「へぇー……ミアベルってさ、アシュタルテさんとは知り合いじゃない、んだよね?」
「うん。あくまでも、クラリスさんとの個人的なお友達だよ」
あのメイドさんに会えたことがそんなに嬉しいのか、三割増し軽やかな足取りで歩くミアベル。
確かに、素敵な人だったけど、それこそあんたクラリスさん好き過ぎない?
「アシュタルテさんとは喋ったこともないなぁ。なんか避けられてるっぽい?」
「そうなの?」
「うーん……むしろ、ティアが避けてるっぽい、かな?」
おそらく断言する程の接点もないのが正直なところなのだろうが、それでもミアベルはミリティアの振舞いに若干の違和感を覚えているようだ。私はと言うと腐っても貴族なので、ミリティアの危惧もわからなくはない。
「貴族社会で言えば、アシュタルテ侯爵家ってものすごく評判悪いっぽいから」
「え!そーなの!?」
驚いたようなミアベルとは対照的に、ノエルは少し腑に落ちないような顔だ。
「でもアシュタルテ侯爵家って四大貴族だよね?それなのにあからさまに悪評ばかりっていうのは不思議だなぁ」
「たぶん逆に四大貴族だから、他の貴族も悪口言うことぐらいしかできないんじゃない?」
「悪い評判は本当のことなの?」
「さぁ。ウチみたいな木っ端貴族はそもそも関わり合いになることもないから、良く知らない。ミリティアに訊けばよく知ってると思うけど。ああでも、使用人に対して非人道的な扱いをする、みたいのは聞いたことあるな」
従者階級の人間をモノ扱いするとか酷使するとか、そういう貴族って全然珍しくないし、ある程度は当然の行いですらある。その中で敢えて噂が立つということは、それだけアシュタルテ侯爵家のそれは常軌を逸しているということだ。プリムローズさんに関しても確かにそういう良くない噂はあって、なんでも、拉致同然の手段で平民を無理やりメイドに仕立て、理不尽な命令を下して苦しむ姿を楽しむだけ楽しんで、飽きたら遊び半分に解雇するのだとか。実際、その被害に遭ったと証言する平民女性は結構多いみたいだ。
尤も、最近はあまり聞かないから、昔のことと言えばそれまでだけど。
「えぇ~!絶対ウソだよそれ。そんな人だったらクラリスさんが好きになるわけないもん!」
「だから、昔の話だってば」
「むぅ~……ノエルはどう思う?アシュタルテさんのこと!」
どうにも納得しがたい様子のミアベルに話を振られ、ノエルは思い出すように言う。
「噂の真偽はわからないけど、アシュタルテ様は入学早々トラブルがあった上級生の男子を一人、学院から追放してるよ」
「え!?そうなの!?」
その話ならあたしも少し知っている。
「つっても、その追放されたほうが普通にゴミ屑ヤロウだったみたいだから、そこまで大事にもなってない感じ。たぶんアシュタルテさんじゃなくてもそうなってたし、ソイツが追放されて悲しむより喜ぶ人のほうが多いって言われてたくらいだし」
「うわぁ……そうなんだ」
「まあ、子爵家のアホなボンボンがアシュタルテ侯爵令嬢に喧嘩売って、順当に叩き潰されただけよね」
「ただ、アシュタルテ様は敵対する相手には容赦しないし、家の力を使って排除することを厭わない人格であるのは確かだと思うよ」
ノエルはそこで一旦区切り、少し考えてから神妙に告げる。
「だから私は……ミアベルは、アシュタルテ様に関わるべきじゃないと思う」
「…………そっか」
なんだか、新参者のあたしにはわからない意思疎通があったように見えた。
ノエルの言わんとするところはわかる。プリムローズさんがそうやって他者を排除することに抵抗を持たない人間であるならば、最も賢明な対処法はそもそも目をつけられないように関わり合いにならないことだ。
ただ、ノエルの言葉はそういう普遍的な意味合いではなくて、『ミアベルだから』というニュアンスを含んでいるようにも感じられた。
ミアベルはノエルの言葉に納得したように静かに頷くと、からりとした笑顔を見せた。
「じゃあ、そうする!よし、そんなことよりスイーツだぁ!」
・2021/7 細部の描写を修正。




