5話_side_Cl_アシュタルテ別邸
~"御傍付"クラリス~
私がこのアシュタルテ侯爵家のメイドとして働きだして、早いものでもう十年が経った。
初めてお会いした時には六歳だったプリムローズお嬢様も、今年で十六歳になられる。
今年は、栄えある『王立エンディミオン魔法学院』にお嬢様がご入学される、記念すべき年だ。
そして本日は、まさにその入学式典が執り行われる日であった。
「クラリス様!おはようございますっ!」
「ええ、おはよう」
廊下ですれ違った年下のメイドに挨拶を交わしながら、私は一路、お嬢様の私室を目指す。
この屋敷に初めて来たときには目も当てられないザコメイドだった私も、なんだかんだで勤続年数十年目ともなれば、立派な中堅メイドの仲間入りである。メイドの年代構成としてはちょうど私が中間値くらいで、現状先輩と後輩が同じくらいの割合で務めていることになる。過去にベテランのメイドがごっそり辞職した時期があったので、相対的に若いメイドが多いのが当家の特徴なのだ。
メイドとしての私の立場は少々特殊だ。
一口にメイドと言っても様々な役割があって、私の役職は『御傍付』と呼ばれる。
文字通り、お仕えする主人の傍に常に控え、目となり手となり、時に剣や盾になることを求められる。
同じような役割に『傍役』と呼ばれるものがあるが、これは役職ではなく、文字通り主人の傍でお世話をする職務そのものを指す。御傍付はそれとは異なり、主人からの無上の信頼が無ければ任じられることのない、大変名誉な役職なのだそうな。
つまり、私はプリムローズお嬢様からの無上の信頼を得て、御傍付の栄誉を与えられたわけだ。
正直に言えば、私が何故お嬢様の御傍に侍ることを許されたのか、未だによくわからない。
お嬢様は初めて出会った時から何故か私を気に掛けて下さっていたのだけど、その理由もわからず仕舞いだ。
「おはようございます。執事長」
向かいから歩いてきた執事長に、立ち止まって挨拶をする。
鷹揚に返してくれた執事長のオーレンス様は、私がこの屋敷に来たあの日には既に今の役職に就いており、それから十年間現役を続けている歴戦の使用人だ。流石に外見は十年で随分と老け込んでしまわれたが、それでも今尚背筋には真っすぐな芯が通っており、まだまだ衰えとは縁遠い御仁である。
本人はお嬢様が嫁いだら引退すると常々嘯いているようだ。
ちなみにここはアシュタルテ領の侯爵家本邸ではなく、王都の一角に存在する別邸である。王国最北端に本拠を構えるアシュタルテ家の人間が王都で活動する際の拠点であり、後進に本邸の管理を任せたオーレンス様はこちらで羽を伸ばしているというわけだ。
学院への入学を控えたお嬢様はしばらく前からこちらに活動拠点を移しておられ、当然御傍付の私もそれに倣った。なお、現在王宮で役職を得て勤務している長男様と次男様は普段からこの別邸で生活しておられるが、激務故かあまりお戻りになられない。入学式典の当日である本日だけは兄君方も戻られ、普段本邸で生活しておられる侯爵夫妻もこちらに駆け付けており、侯爵家の方々が全員別邸に揃い踏みという珍しい事態となっているのだ。
「プリムローズ様も、とうとう学院に通われる日が来ましたなぁ」
「喜ばしいことです」
「いやまったくですな。お前もそうだが、あの幼かった少女がこうも成長するのが早いと、私も老いを実感するものだ」
窓の外の景色を見てるようで、どこか遠くに想いを馳せるような執事長の姿に、私はふと思い立ったことを問うてみる。
「もう時効だと思うので訊きますけど」
「うん?」
「六年前。お嬢様が急に振舞いを改められたのは、何か理由があったのですか?」
遠回しに言ったが、ようは十歳のお嬢様が急にわがままを言わなくなったのは何故か、という疑問である。
私なりになんとなく答えはわかっていて、だからこれはただの答え合わせのようなものだ。
「必要がなくなったからでしょうな」
こともなげに執事長が答えた言葉に、私は「やっぱり」と確信を強める。
あの頃、わがまま放題だったお嬢様の理不尽に晒され、多くのメイドが職を辞した。というか解雇されたのだが。
実態はその逆で、お嬢様はむしろ、それらのメイドを辞めさせるためにわがままを演じておられたのだ。
私がそれに思い至ったのは、すっかりメイドの数が減った屋敷の中が、それまでよりずっと過ごしやすいことに気付いたからだった。
「当時のお嬢様はどうやら、メイドの職場環境の劣悪さを大層気に病んでおられた様子でな」
執事長は意味ありげに口角を上げて見せた。
「特に、ご自身と年齢の近しいメイドのことを気にしておられたのだなぁ」
余談だが、お嬢様のわがままな振舞いが鳴りを潜める直前に辞めさせられた一人のメイド。
彼女は、かつて私をいじめていたメイド達の中で、屋敷に残っていた最後の一人だったのだ。
「お嬢様、朝ですよ~」
お嬢様の私室のカーテンを開けながら、天蓋付きの豪奢なベッドに声を掛ける。
窓から朝の陽ざしが差し込み、にわかに明るくなった室内で、小さな影がむくりと起き上がった。
「おはようございます。お嬢様」
私の挨拶に「ん」と返しながらベッドから這い出てきたのは、我が最愛の主であるプリムローズ・フラム・アシュタルテ様である。
のたのたと歩んで化粧台の前の椅子に腰掛けたお嬢様の、その華奢な腕にお馴染みのクマのぬいぐるみを抱かせる。
クマさんをひしと抱き締めてむにむにと欠伸を噛み殺すお嬢様の御姿にももう慣れたものである。
十年の歳月が経ってもクマさんとの友情が続いていることからわかるように、我が主であるプリムローズお嬢様は幼い。
精神的な話ではなく、むしろ精神は十年前から年齢不相応に成熟された一面を垣間見せておられたのだが、ともかくお嬢様はとにかく外見が幼いのだ。
なにせ、私が初めてそのお姿を拝見したその時から、私との身長差が殆ど変わっておられない。
初対面の時13歳であった私は、それから五年もすれば肉体的な成長はほぼ頭打ちになっていたのだが、何故か、七つも年下であるお嬢様の成長も同じタイミングで止まってしまったのである。成長期真っ只中であられたはずだというのに。
勿論、初対面の頃からすれば確実に女性らしくなられたが、それでも実年齢相応とはとても申し上げられない幼気な容姿である。
「本日は学院の入学式典ですね~」
「ん……」
「お嬢様の記念すべき日に立ち会うことができて、このクラリス、感無量にございます」
淡雪色の御髪に櫛を通しながら語りかけると、お嬢様は「ん~」と間延びしたお言葉を返して下さる。
見ての通り、お嬢様は朝に弱いのだ。
常から年齢不相応に、外見にはもっと不相応に超然とした存在感を示されるお嬢様が睡眠時以外で唯一無防備になる時間が、この寝起きの時なのだ。この状態のお嬢様に触れることを許されているのは、畏れ多いことに私だけなのだ。
「くらりすぅ」
「はい?」
「くらりすちゃん、すきぃ」
「はい。私も、お嬢様をお慕いしております」
本当に、何故私などがこれほどまでにお嬢様の御心を頂けているのか、理由はさっぱりなのだけど。
にへにへと令嬢にあるまじき緩み切った笑顔を浮かべるお嬢様を姿見越しに眺めつつ、私は今日も至福の一時を噛みしめるのである。
ところで私、お嬢様の心の中では『クラリスちゃん』と呼ばれているのだろうか?
2021/5 細部の描写を修正。




