501話_sideout_決戦-1
・というわけで決戦です!(戦うとは言ってない)
黒い森というものは、朝の訪れと共に閉じ、夜の訪れと共に開く。
そのタイミングが厳密にどのように決まっているのかは、未だ解明されていない。黒い森は世界中どこにでも存在し得るものだが、昼夜の区別というのは当然のことながら場所によって変わってくる。定義の話ではなく、物理的に、西方のリヒティナリア王国と東方の大峰では夜が訪れるタイミングは明確に違うし、もっと言えば同じリヒティナリア国内においても西のリヒトベルガー公爵領と東のフレンネル辺境伯領では微妙なズレがあるだろうし、同じ場所ですら季節によって夜の長さは違うのだ。
つまり、黒い森は時計を見て活動を開始しているわけではなく、あくまでも夜明けと日暮れという主観的かつアバウトな基準で活動している。黒い森そのものが一個の魔物であるとすれば、それほど不思議な話ではないのかもしれない。それは社会人が毎日決まった時間に自然と目覚めるようなものであると言われれば、成程そうかもしれない。
ブラッドフォード伯爵領における『オンスロート』の二夜目。
時間が許す限りの迎撃態勢を作り上げた王宮騎士団及び討伐者混成軍は、高まる緊張感の中で息を潜めつつ、その時を待っていた。
既に日は傾き、山間にその姿を隠している。地面に長く伸びていた影は、徐々に降りてきた暗がりに溶け込むように同化し、黄昏の残り香が空の高いところで少しずつ夜の闇に変わっていく。
もはや、いつ森が開いてもおかしくない。
そもそも、黒い森が開いたことをどのようにして確認するのかだが、定量的に判断するためには森の魔力を観測することになる。黒い森が閉じている間はその場所はただの森だ。魔界と繋がっている黒い森とただの森では含有する魔力の密度が桁違いなので、黒い森が開いた瞬間に計器の数字は跳ね上がることになる。
しかしながら、こうして布陣している者達がそれを判断するのは、もっと簡単だ。
本能でわかる。
人類の絶対的敵性存在である魔物を、根本的に忌避する能力が人間には備わっている。だとすれば、黒い森という巨大な魔物の現出を感じ取れないはずがない。黒い森を外側から眺めていて、木立の姿がなにも変わっていないにもかかわらず、それがただの森なのか黒い森なのかは、誰にだってわかるのだ。
尤も、ここブラッドフォードの黒い森においては、見た目にもその変化はわかりやすい。ここでは特有のオブジェクトである『溶岩流』が森の開きと共に現れるので、黒い森が開いた瞬間に溶岩の輝きで空がぼんやりと赤く染まるのである。
「…………きたか」
騎士団の前線司令部において、プリムローズが小さく呟いた。親愛するメイドであるクラリスがデザインしたバトルドレスに身を包み、鞘に納められた魔剣を携えた戦化粧。幼気な体躯には魔剣が身の丈に合わず、腰に佩くことが出来ないので腕に抱えるようになってしまっているのには場違いな愛嬌が感じられた。
彼女の瑠璃色の視線の先で、遠くに見える森の上空が赤く染まっていく。
前線司令部と銘打ってはいるが、本質的には総司令部であり、同じ場には総大将のレオンヒルトを始め、ガルム主従やイオ、実質的な司令官であるエーベルヴァイン侯爵以下、司令部の人員が存在していた。
戦場の布陣はシンプルで、最も後方には討伐者ギルド支部。昨夜の戦闘で損傷した外郭に最低限の補修を施し、砲撃支援用の後方陣地として機能させる。
昨夜の戦闘で『剣の誓い』を主体とした討伐者が布陣していた境界域戦域には、騎士団の工作部隊が突貫工事で造り上げた前線砦が存在している。魔法大国が誇る正規軍の面目躍如といったところか、ゴーレムを始めとした魔法リソースを惜しみなく注いで建造された前線砦は、とても急造とは思えない鋼鉄の牙城と化していた。その最も高い部分に構えているのが、前線司令部だ。
そしてその前方には戦闘に従事する騎士団の人員が展開し、更に前方の最前線には主力兵装であるゴーレム部隊が展開している。
共同戦線を張る討伐者勢力の布陣としては基本的に昨夜と変わらないが、異なるのは戦闘の主体が騎士団に移っていることだ。謂わば、討伐者は傭兵のような立場となるので、戦闘を組み立て支えるのは騎士団に任せ、とにかく飯の種を狩り取りに行く。
黒い森が開き魔物達が活動を開始したため、にわかに慌ただしくなる司令部の様子を後ろで眺めながら、プリムローズは変わらず佇んでいた。彼女の立場は第二王子の傍付であり、騎士団司令部にとってはお客様だ。司令部でドンと構えているのが総大将であるレオンヒルトの仕事であるならば、その彼の近くで粛粛と控えているのがプリムローズの仕事である。
要するに、なにかが起きるまでは何もせずに戦況を見守るだけになる。
前線砦の最上部に位置する司令部には屋根はなく、魔物からの遠距離攻撃を防ぐための武骨な遮蔽物が乱立しているのみだ。戦場の情報は魔法具から投影された映像にて示されているが、肉眼で眺めることも出来る。
「プリムローズ様」
同じ立場のイオが、声を潜めて呼び掛けてきた。
たおやかな微笑みがよく似合うそのかんばせは、隠しきれない緊張感によってやや強張って見える。いかにイオが同年代の中では抜きん出た才媛とはいえ、流石にこのような大規模戦闘に参加するのは初めての経験だろう。その点ではプリムローズも然程変わらないが、生憎とプリムローズは荒事の経験だけは充分過ぎるくらいに積んできている。
彼女は何かを喋ろうとしたイオを制し、その小さな手で『ちょいちょい』とジェスチャーをする。
「?」
よくわからないが、とりあえず言う通りにしてみたという面持ちのイオが膝を折ってその場に屈むと、プリムローズは彼女の頭を撫でる。
目を丸くするイオに、揶揄うような笑みを見せつつ、
「貴様の出番はしばらく後だ。今からそんな顔をしていては堪らんぞ」
「……もっと撫でてください」
「今回だけだぞ」
実のところ、大人しくレオンヒルトの傍付に徹するつもりなど更々ないプリムローズとは違って、イオはこの戦場においてはレオンヒルトの傍を片時も離れないだろう。それは彼女の忠義と使命感の現れであり、同時にプリムローズへの信頼でもある。要は、プリムローズの戦場がここではないことを察していて、彼女が憂いなく飛び立てるように、後ろのことは請け負うと示しているのだ。
プリムローズもそれがわかっているので、イオという少女のいじらしい我儘を苦笑がちに叶えてやった。
ちなみに、イオが剣を振るう時は来る。騎士団が敗走した時は言うに及ばず、勝利するならばそれはそれでレオンヒルトが前線に出る機会が必ず来るからだ。彼は総大将だが、そうであるが故に戦果が必要だった。それは王侯貴族の特権に伴う義務の話であり、そのための初陣なのだ。
気持ちよさそうに目を細めて一頻り堪能したイオは、幾分和らいだ顔つきになって立ち上がると、先程口に出そうとしていた疑問を改めて告げた。
「わたくしは軍事には詳しくないのですが、魔物どもがこの砦を迂回して後背を襲うということはないのでしょうか」
騎士団が突貫で仕上げた前線砦は成程立派でさぞかし堅牢だろうが、しかし広大な戦域においてはほんの一部分でしかない。当たり前だが砦を移動することは出来ないので、そもそも魔物がここを避けて進軍すれば意味がないのではないか。
そのイオの疑問に、プリムローズは即答した。
「ないとは言い切れないが、考えなくてもよい」
「そうなのですか?」
「昨夜の戦闘で魔物勢力を主導しているのが『サラマンデル』であり、その根拠地が『竜の巣』であることを確認した。だからこの砦は『竜の巣』と討伐者ギルド支部ひいてはロイエンタールの街を直線に結んだ上に存在している」
プリムローズが指で示したのは遠くに見える黒い森の更に向こう、黒々としたシルエットでしかわからない山岳の姿であった。ここブラッドフォードの黒い森は火山地帯をまるまる内包していることで知られるが、その中で最も巨大な火山の中腹ほどに存在する溶岩溜まりの地形こそが『竜の巣』である。
「魔物勢力が大規模かつ戦域が広大なので、否が応にも広範な戦闘が発生することになるだろうが、敵の主力は間違いなく一直線にここを目指してくる」
「魔物が高魔力体を捕食する習性を有するからですか?」
「無論それもあるが、どちらかというと魔物勢力における戦略上の制約と言ったほうが正しいな」
制約、と繰り返したイオに、プリムローズは常通りの仏頂面で説明を続ける。
「つまりだ、魔物の侵攻とは必ず黒い森の伸展を伴わなくてはならない。何故かはわかるか?」
「黒い森が、夜明けと共に閉じてしまうからですね」
「そうだ。魔物というのは朝日を浴びたからとて即座に灰になったりはしないが、明確に弱体化する。故に魔物勢力は長躯できない。必ず、夜明け前に黒い森に帰還できる距離までしか進行できないのだ」
昨夜の戦闘で魔物達が眼前の獲物も放り出して一目散に退却したのもそれが理由だ。夜明けが早まるという特異な事象は想定外に違いなかっただろうが、それならそれでとにかく黒い森に帰らなければ、締め出されることは即ち死を意味してしまう。
魔物というのは門限を遵守する種族なのだ。
「なので魔物が我々を無視して迂回して街を襲うという選択をとることはないだろう。退路を塞がれて森に戻れなくなれば容易く殲滅されてしまうからな。同じ理由で、このロイエンタール方面以外の方角へと侵攻することも考え難い」
「時間制限内に往復できる距離に規模の大きな人間のコミュニティが存在しないからですね」
「まあ侵攻された方面のギルド施設くらいは壊滅するだろうが、逆に言えば襲える範囲にそのくらいしかないので、奴等としても旨味が少ないのだ」
魔物の考えることなどわからないので必ずとは言い切れないが、そこから先はどこを優先して守るかというリスクヘッジの話でしかない。
「とはいえ、黒い森とはそうそう簡単に伸展しない。森だからな。故に奴等は敵を――つまり我々を殲滅しながら侵攻するしかないのだ。周囲に敵性体が存在しないのであれば森に戻らずとも、日の出ている間はその場で活動を休止して夜になったら再侵攻するという手管も取れる。ちなみにそれを実際にやられて未曽有の被害が生じたのが悪名高い『オークトバーン・オンスロート』である」
夜以外の時間には魔物が弱体化するとはいえ、その性質が変わるわけではない。術理の存在である魔物には物理攻撃が通用しないので、弱体化していようが結局非魔法使いの一般人ではどうしようもない脅威には違いないのである。十年前のオークトバーン領で発生した『オンスロート』においては、愚かな領主の采配で迎撃戦力が壊滅的な損害を受けて敗走し、溢れ出した魔物勢力が隣接する他領にまで被害を齎す事態となった。
たった十年前。その記憶は王国民にとって未だ色濃い。プリムローズやイオの周囲で言えば、ミアベル・アトリーなどはまさに件の事変の直接的な被害者である。
神妙に頷いたイオは、プリムローズの説明を反芻するように思索し、それから思案気に口を開く。
「……では、わたくし共は最初から魔物の侵攻距離内に街を作らなければよいだけなのでは?」
「それができれば話は早いが、現実的にはそうもいかない。魔界資源の採掘は立派なビジネスと化しているし、我々は常に魔物を間引き続けねばならない。つまり討伐者の根拠地となるコミュニティが必ず近場に必要なのだ。毎日遠征してくるわけにもいかないからな」
考えてみれば当たり前のことを説かれ、イオは小さく「あっ」と声を零した後に、恥ずかしそうに赤面して俯いた。
プリムローズはそんな彼女を見て微笑ましそうに目を細め、しかしすぐに元通りの仏頂面に戻る。
「結局、根拠地をどこか一つに絞って魔物の侵攻方向を誘導し、有事にはそこを全力で防衛するという形が最も合理的なわけだ」
「なるほど……勉強になります」
イオは片手を自らの頬に当て、小さく感嘆の息を吐いた。
「プリムローズ様は本当に博識ですわね。軍事にも通じておられるとは……この身の浅学を恥じるばかりです」
素直な称賛と憧憬が籠められたイオの言葉に、プリムローズは鼻を鳴らす。
それから、こころなしか余計ぶっきら棒な口調になりつつ、やや早口に言葉を並べる。
「私は自らが勤勉であることを否定するつもりはないが、知っていることしか知らん。当たり前だがな。お役目の都合上こういった分野に詳しくならざるを得なかっただけだ」
「貴女にも苦手な分野がおありなのですか?」
「そりゃああるさ。例えば、茶道や華道のことなど微塵もわからん」
プリムローズの言葉にイオはきょとんと目を丸くした。その二つはイオにとっては基礎教養とでも言うべきものであり、幼少の頃から当たり前に身につけていたものであった。
「これは個人的な感想だが」
「はい」
「貴様は、血と剣戟で着飾るよりも、茶を嗜み花を愛でているほうがよく似合う」
「わたくしは、力不足ですか?」
「いや、そういうわけではなく……」
無理に戦場に出ることなく安全な後方に居ろと、言外にそう告げられた気がしてイオが悲し気に目を伏せると、プリムローズはなんとなく気まずそうな顔になり、露骨に視線を逸らして変なほうを見つつ、小さい声で言う。
「単純に、その、なんだ、私は貴様のそういう姿が好きなのだ……」
「すき」
「う、うん……」
ぱちくりと瞬きしたイオはもう一度「すき」と呟き、それから遅れて理解がやってきて、その白い頬がぽぽぽ、と染まる。
「本日のプリムローズ様は本当にお優しゅうございます。こんなにイオを喜ばせて如何なさるおつもりですか?」
「いや、やっぱなし。今のなし。口が滑った」
「わたくしも貴女様をお慕いしておりますので、これはもう相思相愛と申し上げても過言ではありませんね?」
「過言だな!」
「この戦いが終わったら早速結婚式を挙げましょうね?」
「雑な死亡フラグやめろ」
一頻り、じゃれ合うような応酬を経て、降って湧いた沈黙に、プリムローズが呟く。
「戦場だからな」
何が起きるかはわからないし、互いが無事である保証もない。
もしかしたら、これが最後の会話になるかもしれない。
無論プリムローズは死ぬつもりも死なせるつもりも毛頭ないが、意気込みだけですべてが思い通りに進むのであれば誰も苦労はしないのだ。
だからこそ、今この瞬間くらいは、いつもより少しだけ素直になってみても、いいだろう。
「ではっ」
「結婚はしない」
それとこれとは話が別! とプリムローズが耳を塞ぐジェスチャーをすると、イオは小さく笑った。




