500話_side_Primrose_回想
・おかげさまで500話です。まことにありがとうございます。
・なお通算話数だとあとちょっとで600話になりますね。
・相変わらず好き勝手に書いておりますが、今後ともよろしくお願いします。
~"支配人格"杏珠~
――あなたは、輪廻転生を信じますか。
信じるという言葉には二つの意味がある。
存在を問うものであるか、信用を問うものであるかだ。
例えば、私は宇宙人を信じているといえば、それは宇宙人という存在の実在の是非を表明するものだ。対して、私は母親を信じているといえば、それは母親に対する信用性の程度を表明するものになるだろう。
先日、ロイエンタールの温泉宿でノエルちゃんから上記の問いを投げ掛けられた時、私は即答した。
信じない、と。
あの時、ノエルちゃんはおそらく前者の意味で、輪廻転生という現象の実在是非を問うたのだと思う。しかし私は敢えて後者の意味で受け取り、答えた。輪廻という概念はさて置くとしても、少なくとも転生は私自身が経験していることなのだから、そこを疑う余地はない。疑う余地のないものに対して実在の是非を問う意味はない。故に私にとってあの質問は、必ず後者の意味合いを帯びてしまうのである。
だから、私は信じない。
断固として、信じてなどやるものか。
信じるという言葉は、往々にして期待を意味することがある。何故ならば人はなんの期待もしていない事物を信じたりはしないからだ。それは須らく時間の無駄。リソースの無駄。人生の無駄である。
友達が来てくれることを信じているのは、友達が来ることを期待しているからだし、明日が訪れることを信じているのは、明日が訪れることを期待しているからだ。
では輪廻転生を信じているということは、死後に生まれ変わることを期待しているということだ。
第二の人生が始まることを。その自己が死によって終焉を迎えないことを。
実際に、私は私以外にいくらか同じ境遇の者を見知っているが、彼等はこの世界に生れ落ちて、第二の人生が始まったことを理解した時、果たしてどんな感慨を抱いたのだろうか。
例えばタナカくんは。ジークリンデ先輩は。そしてミリティア嬢は。
困惑しただろうか。
それとも淡々と受け入れただろうか。
あるいは、歓喜でもしたのだろうか。
きっとそこに、その一瞬の感情の発露に、その者のかつての人生が詰まっているのだと私は思う。どのように生まれ、どのように過ごし、どのように死んだか。人生の旅路を経て培われた自己こそが、二度目の人生に対するスタンスを決定付ける。
生まれながらにして確固たるアイデンティティを有しているというのはそういうことだ。
私?
ああ、私か。
それはもう、絶望以外にあるわけがない。
そう。私は私が終わっていないことに気付いた時、深く深く絶望したのだ。
だってそうだろう。始まりがあれば終わりがある。それは物理でも術理でもなく、摂理なのだ。ならば、生まれたからには必ず死が訪れるのだ。逆崎杏珠が終わり、プリムローズ・フラム・アシュタルテが始まった時、私は生まれた感動などそっちのけで、いつか必ず訪れる死を想って絶望したのである。
終わりであり、救済であるはずだった死が、もう一度訪れるのだ。
思い返すだに悍ましい、あの苦痛、悲嘆、諦念、屈辱、ありとあらゆる不快と不解を煮詰めたようなアレを。
死を。
私にもう一度、やれというのか。
一度では飽き足らず、私にもう一度死ねというのか。
冗談ではない。なんでこんな酷いことをするんだ。私が何をしたというのだ。許して欲しい。勘弁してほしい。ふざけるな。
まあ、そういうわけで、その瞬間に、生まれながらにして私の今生のスタンスは決定付けられたわけだ。
即ち、死なないこと。生きること。
私は二度と死にたくないし、二度も死にたくないのだ。
私は常に、ありとあらゆる瞬間、場所に、私が生きるための布石を打ち続けることを強いられた。徹底的に死を排撃し、死に至る可能性を病的に撃滅し続ける必要に駆られた。
ん?
それ生きてて楽しいのかって?
貴様は馬鹿なことを訊くなぁ。
楽しいわけがないだろう。
地獄だよ。
この世は地獄だ。
生き続けるから苦しみが続くのに、その果てに待ち受ける最悪の苦しみを避けるためには、生き続けるしかないのだ。
私が救われる術はない。何故なら私にとっての救いとは過去にしかないからだ。この私の無間地獄を終わらせる方法は存在せず、ならばそもそも原因を排除するしかない。
死の記憶が私を捕らえて離さないのだ。
だが、時間魔法でも自分自身の過去を改竄することは出来ない。ましてや前世に介入することなど出来るはずもない。
わかるか? 袋小路なんだ。悲しいことにな。
ああ、だがそうだな。
もしそれが出来ればどんなに良かったことかと、考えることはある。
私の前世の終わりが、あのような陰惨で苦痛に満ちたものではなく、もっと真っ当な、あるいは突発的で突拍子もない死に様であったならば、きっと死した事実を悔やむことは在れど、前世に未練は残せども、それでも死そのものを忌避するようにはならなかっただろう。
いずれ来る終わりを理解しながらも、しかし今を見据えて、二度目の人生を有意義に謳歌することが出来たのだろう。
生きることそのものを生きる目的としてしまった、憐れなゾンビが生まれることもなかっただろう。
もし、私が死への絶望ではなく、生への希望を持って転生していたら、どうなっていただろう。
きっと私は主人公ちゃんのことをちゃんと名前で呼んでいて、仲良くなる努力を惜しまなかったことだろう。もしかしたら、彼女の仲良しグループの一員にすらなっていたかもしれない。
ミリティア嬢を避けたりはしなかっただろうし、キノコちゃんやデリンガー嬢といった『三羽烏』の面子とも、もっと早くに知り合って仲を深めていたかもしれない。ミリティア嬢と原作や前世の話題で意気投合していたかもしれないし、『花告祭』の時のように冷酷な対立をすることなんてなくて、むしろ彼女の目指したベターエンドに向けて手を取り合い、私も共に邁進していたかもしれない。
家族ともっと打ち解けようと頑張ったかもしれないし、侯爵家の悪評をどうにか改善しようと試みたかもしれない。ヴェルメリオ達にだって首輪を付けたりせず、彼等の思うようにさせてあげられたかもしれない。
所詮は夢幻、妄想でしかない。
そうであれば良かった。
だが、そうではなかった。
それだけのことなのだ。
◇◇◇
私は私の情報が記録された本を閉じ、棚に戻す。
本と棚は瞬く間に形体を失い、光と信号の集合体の一部となって流れていった。
奇怪な空間であった。幻想的な世界でもあった。ここでは物理的意味での大きさという概念が通用せず、空間は密度で表現される。
円盤状をした高密度な情報の世界。それがこの空間を表す全てだ。
コンパクトディスクのような記録媒体の内部には一個の世界があるとすれば、それを内側から眺めればきっとこのような光景になるのだろう。
「くだらん自語りに付き合ってくれてありがとう」
私がそう言うと、男は穏やかに微笑んだ。
優しげな風貌をした、金髪の若い男である。
たまたま出会っただけの相手であり、勿論私は彼の名前も知らないので、ここでは仮に『X氏』としておこう。
ところで私はX氏が何者であるのかは全く以て知らないのだが、彼の顔には非常に見覚えがある。
「最近、貴様とまったく同じ顔をした男を見掛けたよ」
「ははぁ。それはどうも、ご迷惑をお掛けしたことでしょう」
「私には然程も」
X氏は申し訳なさそうに詫びた。
とはいえ、私自身は大した迷惑も被っていないのは言葉通りだし、ここでX氏を責めても仕方がないことである。
「貴女ほどではありませんが、私にも少々特殊な力がありましてね」
X氏の語りを、今度は私が聞く側になる。
「なまじ、並列した事象なんてものが観測できてしまったせいで、隣を見ることに夢中になり過ぎまして。所謂、若気の至りというやつでしょうか」
「誰でも経験することだ」
「ふふ。そうですね。しかし深入りし過ぎた私は、見るべきでないものまで垣間見てしまった。まあ、ここのことですが」
「そして、間抜けにも貴様をここに置き忘れたということか」
「困ったことに」
私は摂理の扉を開くことで自力でここに辿り着いたが、X氏は違う。
彼は不慮の事故でここに至り、そして二度と戻ることは出来ない。こうして私が観測している間だけは自我を再生することが出来ているが、私がここを去れば情報の渦に還ることになる。
私がこの場に居る期間限定の話し相手というわけだ。
「貴女は、私とは逆のことをしているのですね」
「逆?」
「ええ。私は『正気』を隔離することで狂気に堕ちた」
「私は『狂気』を隔離することで正気に戻った、か」
プリムローズ・フラム・アシュタルテという個人には、二つの人格がある。
元々の人格である『アンジュ』と、闘争のために後から意図的に作成された『プリムローズ』の二つだ。つまり『アンジュ』が基本的な人格であり、必要に応じて交代するのが『プリムローズ』である。
……と、双方の人格が認識しているが、実は違う。
本当はもう一つ、支配的な人格が存在している。つまり私だ。
普段、表立って活動している二つの人格は、その双方ともが作りものでしかない。私は今生が始まって相当早期の段階で表に出ることを止めていた。理由は至極単純で、私の人格は前世の死という経験を経て壊滅的に毀れ尽くしてしまっていたので、肉体が生まれ変わったところで日常生活など送れるわけがなかったからだ。
死を遠ざけ、生き残るという至上命題を遂行するためには、毀れた私の人格はあまりにも不都合だった。
故に私は、日常生活を送るに足る人格を作り上げ、それを以て今生を始めたのである。
つまり、私という『狂気』を魂の奥底に封印したのだ。
支配人格の『私』、第二人格の『アンジュ』、第三人格の『プリムローズ』。
アンジュは自らの意思で別人格のプリムローズを創り出したと思っているが、本来それは不可能なことなのだ。何が無理なのかというと、意図的に創り出した別人格に主人格と同等の権限を持たせることが、である。いつかのシューベル氏のゴーレム問題ではないが、一つの肉体に対して二つの人格が同等の権限を有してしまうと、人格同士が対立した際にエラーが起きて行動不能に陥る可能性が非常に高い。
生物としてのバグに等しいのだ。
しかしそれが実現出来てしまったのは、偏にアンジュもまた、人格自身が気付いていないだけで、意図的に創られた後付けの人格に過ぎなかったからである。つまりアンジュとプリムローズが対立した場合は私が優先順位を決定するので、エラーは起きない。
「貴女の在り方は非常に興味深いですね。まるで機械のようだ」
「物理的に機械になっていた奴には言われたくないな」
「えぇ……私そんなことになってるんです?」
そんなことになってるんだなこれが。X氏には気の毒だが。
だがまあ、生物としての異常さ、悍ましさという観点では私も彼と然程変わりはしないだろう。生来のあるべき姿を自ずから歪めているという点においては、同じ穴の狢だ。
「ところで、貴女は何故、創り出した人格に自身の名を冠したのですか?」
「うん? 何故とは?」
「本来であれば、支配人格である貴女こそが『アンジュ』であるはずでしょう?」
成程確かに、それはその通りだ。名前なんて各人格を識別するための符号でしかないのだから、なんでもいいといえばいいのだが、だとすれば別に私がアンジュで、第二人格をプリム、第三人格をローズとでもしておけばいいのだ。あるいはゲスロリでも可。
そうしなかったことに大した理由があるわけではないのだが、強いて言えば。
「役割と名前を関連付けたかったから、かな」
「役割ですか」
「日常を過ごす人格、闘争を担う人格……――日常を過ごすのは『アンジュ』であってほしかった、というくだらない感傷だよ」
私の答えに、X氏は思案気な表情になって問いを重ねてきた。
「では、貴女は?」
アンジュを譲ってしまった私は、一体誰なのか。
役割に名を与えると自ら規定した以上、日常を過ごすことが致命的に出来ない私は、アンジュではない。
さて、と私は考えた。
そう言えばキノコちゃんが初めて『魂の部屋』を訪れた時、私は彼女に『私こそがアシュタルテだ』と告げた。深い意味を持って発した言葉ではなかったが、だからこそそこには私の本音だけがあった。
即ち、私こそが『アシュタルテ』なのだ。
何故、プリムローズ・フラム・アシュタルテは原作と違って『ゲスロリ』にならなかったのか。それは彼女というキャラクターをゲスロリたらしめるのに必要不可欠なファクターの大部分が存在していなかったからだ。もっと正確に言えば、そのファクターの大部分を持ったまま引き籠った人格が居たせいなのだ。
『狂気』である。
ゲスロリがゲスロリであるために必要不可欠な狂気というファクターを司るのが支配人格である私だとすれば、間違いなく、疑いようもなく、まさしく私こそがアシュタルテだ。
故に、私という人格に役割としての名称を与えるとすれば。
「性質が形態に影響を与える、か……」
それは『転神』という技能の基本原理である。魔法使いのアヴァターは、その人物の本質を反映した姿となる。だからアンジュのアヴァターは原作とは異なったし、プリムローズに人格交代すればアヴァターも相応に変化した。
更に言えば、現在アヴァターに不具合を抱えていて変化が出来なくなっているのは、おそらく、私という支配人格の存在と無関係ではないはずだ。魂の奥底に引き籠っていた狂気の人格が、様々な要因によって徐々に表出しつつある。ベルフェルテとの戦いや、キノコちゃんとの交流も影響しているだろう。
ならば。
第二人格が『天使』としての姿を有し、第三人格が『堕天使』という中庸の姿を有するならば。
「私はさしずめ――――
――『悪魔』とでも名乗ろうか」




