499話_side_Herger_魂の部屋
~"ソウルジャック"ヘルガー~
あたしがやりたかったことってゆうのは。
久し振りに会えたアシュタルテに、再会を祝してハグとかしちゃったりなんかしたかったので。あたしのくそ魔法こと『ソウルジャック』が発動してしまうと色々と台無しなので、それを防ぐために目を閉じて。実のところ魔法の発動を防ぐためだけなら目を閉じる必要ってなくて、要は視線を合わせなければいいだけなのだから、目を見なければいいという話。だけれどあたしが敢えて両目を瞑ったのは、一つはアピールのためであって、あたしは例え見えていなくてもアシュタルテの元に辿り着けるんだぞーっていう、ぶっちゃけ自己満足。でもう一つはちょっとした作戦であって、つまり両目を閉じていれば見えていないのだからちょっと勢い余っちゃって抱き付いちゃったりなんかしても不可抗力で許されるよねっていう。まあ、あたしのクソザコメンタルがそうでもしないとアシュタルテに抱き付くなんていう行動を起こせないという事情もある。
悪くない作戦だったと思う。アイリスも太鼓判を押してくれたし、協力も申し出てくれた。
アシュタルテには事前に伝えていないけど、きっと彼女のことだからちゃんとあたしを待っていてくれると思う。
となれば、後は突き進むのみ……!
で、ここで最大の誤算ね。
「くっ……! まさかお嬢様の運動神経がここまで終わっているとはっ、このアイリスの目を以てしても見抜けませんでした!」
アイリスが嘆く声が聞こえてくるけど、うん。あたしも自分で驚いている。
目を閉じる前に確かめたアシュタルテの位置を目指して、細かい誘導はアイリスの声を頼りに、いざ行かんと歩を進めたあたしだけど、目を閉じたまままっすぐ進むのって思ってた十倍くらい難しい。
アイリスがそのまままっすぐって言うから、あたしはまっすぐ歩いてるつもりなのに、なんか右とか左とかに逸れてるらしい。
おかしいな。アシュタルテは結構近くに居たはずなのに、全然辿り着く気がしないや。
「なぁ、私がそっち行こうか?」
そ こ か !
軌道修正軌道修正。
いいの、アシュタルテはそこで待っていてくれればいいの。だって彼女のほうから近付いてもらっちゃったら、勢い余って抱き付いちゃったりするっていうあたしの有能な作戦が頓挫してしまう。なお、同じ理由でアシュタルテのほうに目を閉じていてもらうという選択肢もナシだ。
既に作戦は頓挫している、というのは言ってはいけないことだ。
「かくなる上は……――アシュタルテ様! どうかお嬢様を呼んであげてください!」
「えぇ……?」
「貴女様の声がお嬢様を導くのです! さぁハリーハリー!」
アイリスの非常にウザいノリに促されてアシュタルテは渋々ながら、非常に面倒くさそうにあたしの名前を呼んでくれた。
それはまさしく暗闇に射す一筋の光。
あたしの先程までの迷走っぷりが嘘のよう(当社比)に、迷いない足取り(当社比)で声のほうへと向かう。
アシュタルテが近い。もうすぐそこだ。
「さぁアシュタルテ様、お嬢様を迎えてあげてください」
「どうしろと」
「愚図で鈍間なお嬢様がこんなに頑張っているのですから、それはもう抱き留めるくらいの男気を見せてくださってもいいのでは!?」
「当方女子だが。というか自分で難度上げて感動演出するのやめてもらっていいか」
「後でお叱りは受けますので。私が。主に私がァ!!」
アイリスがなんか喧しいけど、もうあたしにはアシュタルテの声しか聞こえていない。アイリスの世迷言は自動的にシャットアウトするようにあたしは訓練されているのだ。
「まったく……ほらシュヴァルツ、こっちだ」
み え た !
あたしには見える。アシュタルテが両腕を広げてあたしを待っているその姿が。心の目てきなヤツで!
ここまで来たらもう、あとは飛び込むだけだ。
ラストスパート。そう思ってあたしは勢いよく足を踏み出し――――それが良くなかった。
こけっ
愚図で鈍間なあたしのクソザコ運動神経が牙を剥く。
たぶん足元に段差とかあったのだろう。もしくは躓きやすい感じの地面。雰囲気が。
勢いよく踏み出したあたしは勢いよく躓き、勢いよく倒れ込んだ。
その拍子にあたしは思わず目を開いてしまって、綺麗な瑠璃色とばっちり視線が交錯した。
「「「あ、」」」
さらば現実のアシュタルテ。
あまりにも慣れ親しんだ感覚があたしを襲う。
一名様、ご案内である。
◇◇◇
「――っていう」
「ではなにか、貴様ここから出た瞬間に地面と熱烈キスをする羽目になるのか」
呆れを隠さないのはアシュタルテの魂の中の人ことアンジュだ。黒いドレスの上から武骨なコートを纏った異国風美人。現実のアシュタルテとは独立した思考を有する魂の案内人だ。
「たぶん、そうなる」
「まあ、その辺は外の私がなんとかするだろう」
起きたことをいつまでも悔やんでいてもしょうがないので、気持ちを切り替えてあたしはアンジュと交流することにする。彼女だってアシュタルテの一部には違いないのだから、あたしはアンジュとも仲良くしたい。
あたしがアシュタルテの魂の中に入った時に、『魂の部屋』のどこで目覚めるのかは一定しない。アシュタルテの魂は強靭過ぎるので、あたしは完全に異物でお客様であり、こちらの意思は一切反映されないと言ってもいい。一番最初の時のように裸で野晒しにされることこそないが、基本的にはアンジュが居る場所の近くで目覚めることが多いので、たぶんアンジュがそのようにあたしを誘導してくれているのだろう。
というわけで今回あたしが目覚めたのは、これまでにも何度か目にしているアシュタルテの魔法工房だ。小さなマウス達が描いた魔法モデルを組み上げているファクトリーである。
「なんか、ネズミさん達の数がいつもより多くない?」
「ああ。現在全力稼働中だからな」
「戦いがあるから?」
「というよりも、新しいエサを与えられたから、かな」
こうしてあたしが目にしている光景は、プリムローズ・フラム・アシュタルテという魔法使いが新たな魔法を創造するプロセスに他ならない。
アシュタルテは独自の魔法論を持っていて、その創作魔法は独創的というか、現行の魔法学会の常識にまるで倣う気がない。普通、一つの魔法に対して魔法モデルは一つである。複数の魔法モデルを同時に構築して組み合わせる技法を複合魔法と呼ぶが、これは魔法モデルを合体させて新たな魔法を生み出しているわけではなくて、あくまでも複数の魔法モデルから現出する魔法効果を組み合わせているのだ。
その『~ではなく』をやっちゃっているのがアシュタルテの魔法である。マウス達が持ち寄る魔法モデルはそれぞれが単体で完結した魔法モデルであるが、アシュタルテはそれを魔法モデルの段階で組み合わせて魔法を唱えている。それがあたしの目の前で組み上げられていくモノの正体だ。
これ自体はそこまでおかしなことではなくて、ちょっと腕の立つ魔法使いならば誰でも出来るし、あたしでもやれば出来ると思う。だけど、普通はやらない。例えば炎属性の魔法と光属性の魔法を組み合わせて複合属性魔法を唱えるとして、その魔法モデルを合体させて唱える場合と、個々の魔法を唱えて効果を合体させる場合では、基本的に結果に差が出ない。だとすれば前者を選ぶ利点が乏しいことがわかるだろうか。何故って、元になった個々の魔法モデルと、合体させた後の魔法モデル、それぞれを別個に覚えなくてはならないので、単純に術者の覚えることが増えるのだ。
じゃあアシュタルテは何故それをするのか。答えは、彼女の場合は複合させる魔法の数が尋常ではないからだ。一つや二つといった単位ではなく、平気で百とか千とかの単位で魔法モデルを組み合わせる。当然それだけの魔法を同時に唱えることは出来ないのだが、予め複合魔法モデルを構築しておけば唱えるのは一回で済む。そう聞くと複合魔法モデルが画期的に思えるかもしれないが、気のせいである。いや、勿論場合によっては有効であることはあるのだけど、その分というか、明らかに効率に見合わないレベルで難度が跳ねあがるのである。
アシュタルテの魔法運用はまさしく怪物である。彼女はその百とか千とかっていう魔法モデルを全て記憶していて、尚且つそれらを組み合わせて構築される異次元難度の複合魔法モデルも記憶している。それは魔法を唱えるたびに逐一分厚い辞典規模の情報量を諳んじろと言っているのと同じようなものであり、一体どういう記憶力というか思考速度をしていればそんな真似が出来るのかという話だ。
ちなみに、アシュタルテのその魔法運用が効率的かと言われれば、全くそんなことはない。
やってることは超凄いけど、賢いかと言われればアホの所業であると言わざるを得ない。
だって、確かにアシュタルテの魔法は強力だけど、そんな狂気じみた構築難度に見合ったアドバンテージがあるかと言われれば、全然そんなことはないからだ。アシュタルテがその気になれば、もっと遥かに簡単に同等程度の効果を得ることが出来るだろう。というか、彼女の場合は一つの魔法に無駄に機能を盛り込み過ぎなのだ。
なんでそんなことをするのかと目の前のアンジュに問えば、十中八九『ただの趣味だ』と返ってくるのだろうが。
「新しいエサって?」
「あれだ」
アンジュが指差した先には、マウスが四匹がかりで恭しくえっちらおっちらと運んでいる魔法モデルがあった。なんだか、見た感じそこまで複雑なモデルには見えないが、一目見てそれが特別なのだとわかる特徴がある。
なんか、全体的に碧く輝いているのだ。
ファクトリーの中央に設置されたワークスペースには今まさに組み立てられている新たな複合魔法モデルの姿があって、碧い魔法モデルはそこに運び込まれていく。新たな魔法モデルの姿は、アシュタルテが以前より使っている自律型の魔法端末を二回りほど大袈裟にしたような感じで、それが並列に二基並べられていた。
あたしにしてみれば、あの空飛ぶ刃みたいな魔法端末――百以上の魔法モデルの集積体――を平気な顔して普段使いしているアシュタルテがまず恐ろしいのだけど、今度の魔法はどうやらあれすらを遥かに上回る難解さのようだ。
「今の『ChU2W』は便利だが、出力不足が否めないシーンが散見されるのでな。この機に上位端末をこしらえることにしたのだ」
「今度のは二基だけなんだね」
「ああ。というか前のも七基は要らなかったな」
「なんで七基だったの?」
「セブンソードって言いたいから」
なるほど。アシュタルテ特有の謎の美学か。
「じゃあ、上位端末が二基追加だから、今までのは五基になるの?」
「そういうことだな」
「やっぱり七にこだわるんだ?」
「そこは譲れない」
まあ、あたしとしてはアシュタルテが楽しそうならば何でもいい。それにカッコイイし。
「ところで――」
実はこの『魂の部屋』で目覚めた時から気になっていたことがある。変な違和感ではなかったし、気のせいかもしれないと思って言わなかったのだが、今の碧い魔法モデルを見て確信に変わった。
「なんかここ、ちょっと雰囲気かわった?」
あたしが問うと、アンジュは「ああ、」と答えようとして、それから少し考えるように黙った。
ややあって、
「実際に見たほうが早かろう」
「え?」
「ついて来るといい」
そう言ってファクトリーを後にするアンジュの背中を、あたしは慌てて追いかけた。もう何度もこの魂の中に入っているあたしであるが、未だに単独行動はしたことがない。というかたぶん、しないほうがいい。
広大かつ茫漠な魂において、アンジュという案内人が居ることには意味があるのだ。
彼女に連れられてアシュタルテ城の内部を歩いていると、あたしは早くも異変に気付く。あ、『アシュタルテ城』ってのは彼女の魂の部屋が城塞の形状をしているのであたしが勝手にそう呼んでいるだけの名称である。
「ねえ、この時計、まえは動いてなかった?」
時計。
それはこの場においてマウスと同じくらいにはよく登場するオブジェクトだ。共にアシュタルテという人間を象徴するものであると言えよう。
普通に時間を刻むものではなくて、アシュタルテの時計は針が動いているのに進まないという、変な時計だ。その変な時計達が、例外なく止まってしまっている。元々時間は進んでいなかったが、遂に動いている振りすら諦めたのだろうか。
「ああ、それか。昨夜一斉に止まったよ」
「なにそれこわい」
アンジュはどうでも良さそうに言うが、あたしの内心は穏やかではない。
だってこれはアシュタルテを象徴するオブジェクトのはずなのだ。それに、誰がどう見ても明らかな変調が現れている。そのことに意味がないはずがない。……のだが、正直それが正負どちらの方向での変化なのかはわからない。
良い変化の可能性もあるし、逆もある。
とりあえず判断を保留して、あたしはアンジュを追い掛けた。
そうして辿り着いたのは城塞上部のバルコニーだった。そこからはアシュタルテの魂の部屋の全景が見渡せる。といっても目に入るのは奈落を思わせる黒一色の空と、無限遠に広がる凪の海。そして静かな水面に半ば沈むようにして乱立する無数の墓標。
相変わらず、あまりにも静謐で、寒々しい景色だ。
アンジュがあたしに見せたかったものは、すぐにわかった。
もう一つ、アシュタルテの魂を象徴するものとして外せないオブジェクトがあって、それは『雪』だ。彼女の頭髪を思わせる白い淡雪が、ここでは常に降り続いていた。
これまでは。
「なに……碧い、雪?」
先程目にした魔法モデルと同じ色彩だ。
降り注ぐ雪片が、碧い光を帯びているのだ。眩いほどではなく、ほんのりと闇を照らす程度の細やかな光芒。それが無数に、はらはらと降り注ぐ光景は得も言われぬほどに美しいのに、どこか恐ろしいのは何故だろう。
「これも、やっぱり昨夜から?」
アンジュは頷く。
たぶん因果関係としてはこれが大元だ。この碧い雪を齎すなんらかの変容がアシュタルテに起きていて、それが彼女の時計を止め、そして新たな魔法モデルという発想を与えたのだろう。
「もう一つ、見せておこうか」
呆然と雪を浴びるあたしを他所に、アンジュはさっさと踵を返して室内へと戻っていく。
まだ何か見せたいものがあるらしいけど、ここまでであたしはわりとお腹いっぱいである。
一体この『碧』の正体がなんなのかわからないし、アシュタルテに何が起きてるのかもわからない。一つだけ確かなことは、この魂から出た時にあたしは案の定意識がぶっ飛ぶであろうということくらいだ。
最後にアンジュが案内してくれるのは、どうやらあたしが初めてここに来た時に見せてくれたギャラリーのようだった。
人の魂にはつきものといっても過言ではないのが絵画というオブジェクトで、まあ最近は写真というパターンも多いが、要するに印象深いもの、光景、思い出、記憶などを表すためのオブジェクトだ。
傾向的には記憶力に優れた人の魂であるほどにギャラリーは充実していることが多い。前回の時点でアシュタルテのギャラリーはあたしが知る限りで最も大きかったのだが、あれからまた絵画や写真が増えているのだろうか。欲を言えば、あたしの写真とかあったりすると非常に嬉しいのだが。
若干邪な思いも抱きつつ見覚えのある扉を潜ったあたしは、
「は?」
絶句した。
そこには以前見たギャラリーは存在していなかった。
というか、一瞬また城の外に出てしまったのかと思ったくらいだ。そのくらいに広大で、黒い奈落を思わせる空間が広がっている。部屋の入り口だけが以前の通りで、室内がまるっきり消失してしまったかのようだ。
いや、よく見れば、床や壁は消えてしまっているが、ここに飾られていたはずの絵画類は残っている。それこそ外の海上の漂流物の如く、広大な闇の中に点々と浮かんで漂っているのだ。
なお床がないので室内に入ったあたしやアンジュも同じように空中に浮いて漂ってしまっている。
「これ、なにが起きたの……?」
「わからんが、例によって昨夜、ここに大量の情報が流入した」
「大量の情報……」
「それで部屋が耐えかねて吹っ飛んだようだな。元通りに直すのも億劫なので放置している」
「外のアシュタルテには影響ないの?」
「ないとは言えないが、少なくともここに元々あったものが消えたわけではないので、その点の影響は少ないだろう」
飾っておく壁や天井が吹っ飛んだのでオブジェクトが漂流しているだけで、なにかが無くなったわけではないということか。アンジュの言葉によれば、むしろ大量の情報が流れ込んでオブジェクトが増える方向だったはずだ。
そして魂の案内人であるアンジュが詳細を把握していないということは、その殆どは未だアシュタルテ自身にも把握しきれていない情報であるということだ。
その時、あたしはたまたま近くに流れてきたオブジェクトを手に取る。
どうやら額縁に入れられた写真のようだったが、何気なく目をやったあたしは、そこに写されたモノに目を見開いた。
「あ、アンジュ、これ!」
「ん?」
近くに浮いていたアンジュに見せるようにして、同時にあたしは写真と彼女を見比べた。
その写真に写っているのは、間違いなくアンジュであったのだ。
でも、目の前に居る彼女よりは一回りくらい若く見える。エンディミオン魔法学院のそれとは意匠が異なるが、似たような学生服らしきものを纏った姿で、もしかしてアンジュの学生時代とかなのだろうかと思わなくもないが、なんでアシュタルテの魂の中の人に学生時代があるのか。
あたしが額縁ごと写真を差し出すと、受け取ったアンジュは苦笑気味に目を細めて眺める。
「懐かしい写真だな」
「やっぱり、アンジュの写真なんだ」
「ああ、高校の入学式だな。まだ能天気な顔をしていられた時代だ」
何故か自嘲気味に呟いたアンジュは、写真の表面を片手で撫ぜる。
「『逆崎 杏珠』……前世の私だよ」




