497話_side_Sumeragi_幽家
~"小さいほうの闇の巫女"スメラギ~
意識が覚醒し、目を開けると、最初に飛び込んでくるのは木目調の天井。
そして独特の空気感。
すぐにわかる。『幽世』の空気だ。
視線を巡らせると、私が寝かされている布団の枕元に、母様が座っていた。私は、視線を天井へと戻し、溜息のように呟いた。
「裏で糸を引いていたのは、叔父様だった……」
あの日。私が死んだ日。
父様の魂を濁らせていた黒い靄は、叔父様の魔法によるものだった。
実のところ、私はあの黒い靄について、父様と叔父様に共通点を見出していた。父様の魂が濁っていたように、叔父様の魂もまた同じように濁っていたからだ。私はそれが、彼等が兄弟であるが故、魂に近しい変調が現れているだけだと考えた。いや、思い込もうとしたのだ。
だって、もしそれを告げて、お婆様の葬儀の時のように、また私の周りの人達が変わってしまうのが怖かったから。
どうしようもない。
どうしようもなく愚かだった。
二人の魂は同じように濁っていたが、その性質は真逆だった。
つまり、叔父様は術者。父様は被術者。叔父様が自身の魂を媒介に、近しい魂を有するであろう父様を呪っていたのだ。それが、二人に共通する黒い靄の正体だった。
私の独白に、母様が応じる。
「彼等兄弟の関係性は歪だった。兄は優秀な弟に対して劣等感を抱き、弟はそんな兄に対して優越感を抱いていた」
叔父様は、兄である父様よりもあらゆる面で優秀だった。事実はどうあれ、誰もがそのように評価したし、本人達もそのように認識していた。
そんな叔父様にとって、父様と母様の結婚は面白い話ではなかった。母様はスメラギ家の直系だから、つまりその伴侶はスメラギ家の当主となる。あらゆる面で自分よりも劣っているにもかかわらず、ただ先に生まれたからというだけの理由で、なにもかもを手に入れることが出来た。
ちなみに、私はまったくそうは思わない。父様には父様の秀でている点が勿論あった。能力の優秀さだけで人間の価値は決まらないし、父様の価値はその人間性そのものであったと思う。いかに外面を取り繕っても本質的には超重たくてめんどくさい女である母様と円満な家庭を築けていたのがその証左だ。叔父様に同じことが出来たとはとても思えない。
しかし、叔父様とてなにも最初からよからぬことを考えていたわけではなかった。彼は彼なりに折り合いをつけて、兄夫婦の暮らしを応援してくれていたし、度々訪ねてきて私を甘やかしてくれるのも、単純に彼の好意だったのだと思う。
全てのきっかけ、ターニングポイントはお婆様の葬儀だ。
より正確に言えば、そこで私が不用意に示してしまった異常な才覚が原因だった。
今でこそ、魔法の才能は必ずしも親から子供に受け継がれるものではないという認識が広く知られているが、あの当時、子供の才能は親の才能であった。子供が優秀ならば親も称賛されたし、子供が出来損ないならば親も失望された。
つまり、私の存在が叔父様のプライドの、最後の砦を崩してしまったのだ。
今更言うまでもないことであるが、私の母様は不貞を働いてなどいないし、私は正真正銘父様の娘である。叔父様だってそんなことはわかっていて、だからこそ許せなかった。
劣っているはずの兄が、兄という生まれの境遇だけで恵まれた立場に居るのはまだ許せる。仕方のないことだ。言い方は悪いが、叔父様は父様の非才さを見下すことで心の均衡を保っていたのだろう。だというのに、その父様から私という異才が生まれてしまった。母方の血筋から受け継がれたものだと考えるには些か、私は異常過ぎた。
何故って、当時の母様と比較してもなお、私の魔法的才覚は異常としか言いようがなかったからだ。現代の常識に照らし合わせて考えれば、別におかしなことではない。珍しくはあるが、あり得なくはないのだ。
「彼の目的は、兄を破滅させることだけだった。そうなれば後釜に収まるのは彼だからね」
「でも、父様は私を殺してしまった」
「どうだろうね。彼にとっては、願ったりだったかもしれない」
私は、私が死んだ後のことはわからないので、母様が少しだけ教えてくれた。
父様は私を絞め殺した後に自害したらしい。その当時の父様の様子から精神が不安定になっていたというのは周囲の誰もが気付いていたことだし、錯乱の末の痛ましい事件として片付けられる運びとなった。不幸中の幸いとして、スメラギ直系である母様が健在だったので、後継者を育てるために母様には新しい相手があてがわれた。つまり叔父様である。
裏で糸を引いていたことなどおくびにも出さず、叔父様は兄と姪の死を悼む顔をしながら、まんまと当主の座に収まったのである。
「しかし、彼にとって一つ、明確な誤算があった」
叔父様は私や母様と同じ『暁月の巫眼』の遣い手であった。だから自分自身の巫眼を基準にして能力を量っていたために、見誤ったのだ。
「彼の巫眼はキミはおろか、当時の私と比しても遥かに劣る性能でしかなかった」
故に気付かなかった。というより、まさか考えもしなかったのだろう。
母様の巫眼が、叔父様の魂に残留した呪殺の痕跡を看破してしまうなどという可能性を。母様は巫眼を長く維持することが出来ないから、基本的には必要に迫られない限りは使わない。もし父様が叔父様の呪詛に操られている時に巫眼で魂を見ていれば、もしかすると事態に気付けていたのかもしれない。私ほどはっきりは見えなくとも、異常を察することくらいは出来たはずだから。
そして、おそらく叔父様の巫眼では魂の異常を見て取ることは出来ないのだ。だから叔父様はそこから事が露呈するだなんて思わなかった。
「きっかけはもう忘れたが、なにかの折に巫眼で彼の魂を見て、私は全てを悟り、この世を呪った」
あれは一種の権力闘争――つまり後継者争いでもあった。そこにはスメラギ家の宗家と分家と、あるいは分家同士の微妙なパワーバランスの鬩ぎあいも関係してくるのだが、要は父様ではなく叔父様が当主となったほうが都合がいい者達の存在があったのだ。
父様を呪ったのは叔父様であるが、父様をあそこまで追い詰めたのは叔父様一人の力で出来ることではない。周囲の者達が虚言妄言を吹聴して徒に父様の不安や劣等感を煽り立てたのだ。
だからこそ、絶望した母様は宗家も分家も区別なく一切を滅ぼそうとしたのだろう。
そこからだ。母様が肉体を捨て、術理の怨霊と成り果てながら私を蘇らせる手段を模索し始めたのは。
結局それも、あらゆる意味で私が原因である。
私は母様に可能性を見せてしまったからだ。あの日、お婆様の葬儀において、死者が蘇るかもしれないという可能性を。
語り終え、母様は少し間を置いた後、再び口を開いた。
「キミの魂の中に、やはりミヤは居たんだね」
「はい」
私が過去の記憶を語り出しても、母様は驚いた素振りを見せなかった。たぶん、予想していたのだろう。私の身に何が起こっているのかを。
私が唐突に過去の記憶を取り戻した原因なんて、一つしか考えられなかった。
ミアベルだ。
昨夜の戦いの最終局面で、彼女の時間魔法が暴走した異時間領域に取り込まれたことが、私の魂に何らかの変容を齎したのだろう。今の私はミヤの記憶を持っているが、ここで目覚めてからの自分――チビラギとしての自分も覚えている。だからたぶん、魂が時間魔法で過去に逆行したというよりは、進化を司るミアベルの魔法が、私の魂をより正しい、あるべき姿へと進ませたのだ。
驚くべきことだが、驚くことはない。
だって、そもそも母様がミアベルの魂を手に入れてやろうとしていたことが、まさにこれであったのだから。
私はまたミアベルに救われてしまった。
救い。そう、これは救いだ。間違いなく。
例えその結果、私の仮初の命が風前の灯と成り果てたのだとしても。
「聞きなさい、ミヤ」
「はい、母様」
徐に母様が切り出し、私は布団から身を起こして正座し、彼女と向き合う。
「キミの魂はあらゆる不純物を削ぎ落すことでかつての輝きを取り戻した。その結果が今のキミだ。しかし、削ぎ落されたものは不純であれど不要ではない。そこには今のキミが存続するために必要不可欠なリソースが多く含まれていたはずだ」
「はい。理解しています」
「キミの身体は、何もしなくとももう長くはもたないだろう。魔力を使えば、猶予はより短くなる。しかし対処法が無いわけではない。私が――」
「母様」
私は彼女の言葉を敢えて遮った。
母様が何を言わんとしているかはわかっている。
だから、私は言わねばならない。かつて、彼女に教わったことを。
「それは、なりません」
私が言うと、母様は小さく「だめか」と呟く。
「人の死は、摂理です。決して覆ることはなく、覆してはなりません」
「…………」
「私も――――そして、貴女も」
私は父様の手で殺され、母様は罪人として処刑された。
共に、既に死した身であり、過去の亡霊。
今この瞬間は泡沫の夢に過ぎない。
「私がただのチビラギならばよかった。だけど私はミヤを思い出してしまった」
思い出したのだ。
夢とは覚めるものだという、ごく当然のことを。
思い出さなければよかった、などとは少しも思わない。きっかけとなったミアベルにも、そして母様にも、感謝こそすれ恨むべくもない。
今、私は満ち足りている。
だって、
「また、貴女を『かあさま』と呼べた」
「!」
「だから、もう良いのです」
ただそれだけのことが、本当は叶うべくもない奇跡の産物なのだ。
故に、私に思い残すことがあるとすれば、それはあと一つだけ。
私の言葉を聞き届けた母様は目を閉じてゆっくりと呼吸し、そして緩く首を振った。
「一つ、白状をするとね」
静かに、呟く。
「私はミヤを取り戻すために邁進してきたつもりだが、実はミヤに会うことが怖くて仕方がなかった」
「こわい、ですか?」
「わからなかったから」
母様は膝の上に置いた手を固く握りしめ、俯きがちに語る。
「私は妄執に囚われたまま少々長く存在し過ぎた。記憶は摩耗し、感情は掠れ、心は擦り切れた。拠り所だったはずのミヤとの思い出さえも、気付けば遠くぼやけてしまう。私は怖かった。もし、もう一度ミヤと会うことが出来たその時、果たして私は何を思うのだろうか」
それでも。
凍り付いてしまった情動が、融けることがなかったとしたら。
忘れてしまった感動が、二度と戻ることがなかったら。
ミヤと会ったその時に、なんの感情すらも動くことがなかったならば。
そして今、私を眼前にした母様は、いつもよりも小さく見える姿で、微かに肩を震わせていた。
ほろり、と言葉が零れる。
「杞憂だった……!」
俯かせていた顔を上げた母様は、その双眸からはらはらと光る雫を落としていた。
その赤らんだ顔は、かつてのミヤが知っているもので、チビラギが知らないものだった。
「私は今、こんなにも……こんなにも」
言葉にならない様子で声を詰まらせつつ、母様は手で涙を拭う。
なんだか私も感情が極まって、気付けば同じように涙を流していた。
「そうね……私が貴女に教えたのだものね」
母様はそう言って、涙に濡れた顔で、
「私も、これでいい。…………旅の終わりは、ここでいい」
微かに、だけど確かに、柔らかな笑みを浮かべてみせた。
◇◇◇
思い残すことは、一つだけ。
私の今は母様がくれた奇跡だけれど、その本来あり得なかったはずの時間で出会えた人が居る。
だから私は彼女にちゃんと別れを告げなければならない。私の時間を動かし、間接的に母様の凍り付いた心までも動かしてくれた、返し切れない大恩の相手。絶対に不義理なんて出来ないし、したくない。
本当に大好きだから、ありったけの愛と感謝を籠めて――
「ミアベル。今、とてもキミに会いたい」
そして、ちゃんと決着を付けよう。
一度目の勝負は、私の無様でうやむやになり。
二度目の勝負はミアベルの魔力暴走で中断を余儀なくされ。
三度目。
三度目の正直だ。
だから母様、私の最後の晴れ舞台を、どうか見ていてください。
「――――?」
決意を新たに出陣しようと屋敷の玄関に向かった私は、外の門扉のところに人影を認る。
一人は見間違えようもない見慣れた姿。屈強な黒い影はフェンリスのものだ。
そして彼の傍には二人の女性が居るのだが、スコールとハーティではなかった。一人はメイド服を着ているがスコール達のそれとはデザインが異なるし、もう一人は鴉みたいな濡羽色のロングコートを纏っている。
コートの女性は、ポケットに両手を突っ込んだままの立ち姿で、ぼんやりと『幽世』の空とも呼べない空を見上げていた。
私はなんとなく見覚えがあるその人影を気にしながら近付いて、
「あ、やっぱりミリティアだ」
「ん?」
以前に一度だけ、ギルド支部でミアベルと一緒に居た彼女と私は会っている。ついでに傍らのメイドの少女――リゼルもだ。
私に名を呼ばれたミリティアは意外そうに目を丸くして振り向く。
「あれ、会ったことあるかしら?」
「うん。以前にギルドで。ミアベルと、リゼルも一緒だったね」
「……うぅん。トーリさんのとこよね。そう言われれば誰かに会ったような気が…………リゼルは? 覚えてる?」
眉根を寄せたミリティアが傍らのメイドへと水を向けると、リゼルは首を横に振って「いえ」とだけ答えた。
ミリティアが申し訳なさそうな顔をするので、私は少し慌てつつも説明する。
「えっとあの、たぶん私、その時迷彩使ってたから、たぶんミリティア達が認識できなかったのは、そのせい」
「そっか。便利ね」
「ミリティア、私は貴女に謝らないといけない、かもしれない気がする」
なんでミリティアとリゼルが今この場に居るのかはよくわからないけど、最初のきっかけは私である。
だってミリティアが『有格者』であることをフェンリスに教えたのは私なのだから。
怪訝そうにしているミリティアにその辺りの事情を説明すると、彼女は得心したような雰囲気で、ちょっと変わった笑みを見せた。片側の口角だけを少しだけ吊り上げたみたいな、どことなくニヒルな笑みだった。
「そういうことなら別に気にしないでいいわよ。貴女を恨むつもりはないもの。感謝もしないけどね」
「そう、なの?」
「ええ。なるようにしてこうなった、としか思ってない」
などと宣うミリティアが本当に全然気にもしていない風なので、私は一先ず納得するしかなかった。
そんな私の様子を眺めつつ、ミリティアはポケットに入れていた片手を出して、隣に立っていたフェンリスを親指でぞんざいに指し示した。
「それに、そういう理由で謝るならまずこっちの男でしょうに」
「悪かったと思っている。反省してるしめっちゃ落ち込んでる」
誠意の欠片もない棒読みフェンリスに、ミリティアは「どうもありがとう」と皮肉気に言って笑った。
私はそんな二人を見比べて首を傾げざるを得ない。
なんていうか、なんか仲良し?……とはちょっと違うかもだけど、不思議と気安い感じだ。
「ところで、なんでフェンリスとミリティアが一緒に居るの?」
ミリティアがこの『幽家』に滞在していること自体は、それってつまり母様が許可しているってことだから気にしないとして、だからといってなんで敵対関係にあるはずの二人が、リゼルも入れれば三人で仲良く門扉で私を待っていたのか。
するとミリティアは何でもないことのように、
「行く方向が同じだから、どうせなら一緒に行こうかなって」
「え?」
「えって、なに貴女達黒い森に戻るんでしょ。私達もそっちだから」
いやそんなたまたま帰り道が一緒だったからみたいな。
でもミリティアの雰囲気は本当にそんなノリだ。
私が目を丸くしていると、ミリティアは少し苦笑して、傍らのリゼルの手を引いて門扉の向こうへと歩き出す。
「じゃあ、私達外で待ってるから」
ひらひらと手を振る彼女の意図が、たぶん気を遣って私とフェンリスを二人にしてくれたのだと遅蒔きながらに気付く。
なんだか困惑させられっぱなしの憤りを籠めてフェンリスを見上げると、彼は呆れたような顔で溜息を吐いていた。
彼は私の視線に気付くと、気を取り直して表情を改めた。
「チビラギ。いいのか? お前の身体は――」
「いいんです」
きっと母様から聞いて知っていたのだろう。フェンリスが案じてくれることは嬉しく思うが、それは既に決めたことだった。
「そうか。まあ、永らえることを選ばねえっつうのも一つの選択だろうが……だとしたら、これ以上戦う必要はないんじゃねえか? 残りの時間をサヤと一緒にゆっくり過ごすっつう選択肢もあるはずだ」
サヤはそうして欲しいんじゃねえか? と言外に問うてくるフェンリスの言うことは尤もだし、私だってそうしたい気持ちは確かにあった。
それに、そもそもの話をすれば私がミヤの記憶を取り戻した時点で、私がミアベルと戦う理由は無くなってしまったのだ。
だというのに、私がミアベルと戦うことに拘る理由は二つある。
「だってまだ、決着がついていません」
「意味あるのか?」
「あります。私はミアベルにちゃんとお別れを言いたい。でも決着をうやむやにしたままではモヤってしまう。だからまずは、そこをハッキリさせてからです」
「もやる……?」
そして、もう一つ。
ミアベルという少女の今後を憂いている。
彼女の魂はあまりにも特異で、その技能もまた然り。特異な点には特異な事象が集まりやすい。きっと、ほぼ間違いなく、ミアベルはこれから過酷な運命に曝されるだろう。
死に往く私が、そんな彼女にせめて何かを残せるとしたら。
彼女がこの先、少しでも傷付かずに済むように。
気高く美しい、私が愛した彼女で在り続けられるように。
――私が、彼女の礎となる。
「……んなこと言って、負けたら未練ができちまうんじゃねえのか?」
それこそモヤっちまうぞ、と覚えたての現代語を駆使してくるフェンリスに、私は首を横に振る。
「勿論私は勝つつもりで、勝ちに行きます。でももし万が一負けてしまったとしても、それはそれでいい」
何故なら、
「どちらにせよ、ミアベルの心には私という存在が刻み付けられると思うから」
「…………」
私の想いが、きっとミアベルを強くしてくれる……!
などと思いを馳せていると、フェンリスが形容し難い奇妙な目でこちらを見ていることに気付く。
「なんですか?」
「いや……お前、やっぱりちゃんとサヤの娘だわ」
それはそう。
どうだ激重だろう。えっへん。




