496話_sideout_幽家
『竜の巣』を後にしたフェンリスはその足で『幽家』に向かった。昨夜の戦いで、最後に気を失ったスメラギを回収して家に送り届けたのはフェンリスであったが、その後の様子が気になったのだ。フェンリスが見たところ、単に魔力と体力を消耗し過ぎて眠りについているだけのように思えたが。
小さいほうのスメラギ略してチビラギと絡むようになってから、この家を訪れる機会が格段に増えたな――などと思いつつ、最早勝手知ったる玄関を潜り、フェンリスはとりあえずサヤの居室を目指した。
「チビラギはまだ起きねえのか?」
部屋に入るなり、フェンリスはサヤの背中に声を掛けた。
布団に寝かされているチビラギと、その傍らにはサヤが正座している。彼女は微動だにしないまま、背中越しにフェンリスへと答える。
「見ての通りだ」
「どういう状態なんだ? 寝てるだけじゃねえのか?」
「状態としては眠っているだけだ。じきに目覚めるだろう」
そう告げたサヤに、安堵ではなくどことない不穏さを感じたフェンリスは顔を顰めた。
「含みがありそうだな」
「……この子の肉体を設計したのは私だ。その成り立ちは通常の人間のそれとは相当に異なる。この身体は、老いることがない」
「だろうな」
昨夜の最終局面にて、夜明けを早めたあの事象。チビラギと戦っていたミアベルという少女がその原因であったのは間違いないが、彼女が生み出した異常な空間――時間の流れが狂った異時間領域とでも言うべきものの影響を最も至近で受けたのがチビラギだ。異時間領域はフェンリスを以てしても容易には侵入出来ない危険地帯であり、ローズと名乗った昇格者の少女が内部に侵入出来たのは、偏に彼女が同質の力をより強固に発現させた存在だったからに過ぎない。
チビラギが身に纏っていた装備は、全てあの空間内で朽ち錆び、風化してしまった。金属製の装身具までもが風化する程の異常な時間経過があの中では荒れ狂っていたということだ。当然、普通ならば装備が朽ちるよりも先にチビラギ自身の肉体が朽ち果てて然るべきだろう。
だが、そうはならなかった。
逆説的にチビラギは老化しないということだ。
「だが、老いることはできる。この子自身の意思で、魂のリソース配分を変更し、肉体を調律することができる。そのように設計した。だがそのリソースは有限だ。魂のリソースの消耗こそがこの子にとっての老いであるとも言える」
「つまり?」
「この子には、もう殆どリソースが残っていない」
静かに事実だけを語るサヤに、フェンリスは押し黙る。
チビラギは異時間領域の影響を受けていなかったわけではなく、加速された時間が齎す不可避の消耗は、目に見えない部分で表れていたというだけのことだったのだ。
「対処はできるのか?」
「容易くはないが、できる。私ならば…………そして、この子が望むならば」
「成程な。なんにせよ、チビラギが目覚めねえ限りは話が進まねえってことか」
「そうなる」
差し当たりそれがわかれば充分だ、とフェンリスは部屋を去ろうとする。ここでサヤと二人でチビラギの寝顔を眺めていても仕方がない。おそらく、サヤはチビラギが目覚めるまで微動だにせず眺めているのだろうが。
そうして踵を返したフェンリスに、サヤの呟きが届いた。
「私は、また間違ったのだろうか」
チビラギの幸せを願って、涙を呑んで送り出したはずが、彼女は戦い傷付き消耗した姿で帰ってきた。
これが間違いだったのかもわからないし、どうすれば正解だったのかもわからない。サヤの小さな声音にはそんな苦悩が滲んでいた。
無論、フェンリスに訊かれたところで答えなど持ち合わせているはずもない。サヤとて正解を求めて問い掛けたわけではないだろう。なのでフェンリスは一つだけ、簡単な事実だけを告げておくことにした。
「少なくともチビラギは、アンタのことを考えてる時が一番幸せそうに見えるぜ」
「…………そうか」
そしてそれはおそらく、サヤのほうにも言えることなのではなかろうか。フェンリスにはそんな気がしていた。
今度こそ立ち去るべく歩き出したフェンリスに、サヤが思い出したように言った。
「そういえば、客人が来ている」
「…………はあ?」
◇◇◇
チビラギが目覚めるのを待つ間は暇なので、フェンリスはその客人とやらの元に向かってみた。サヤに教えられた場所へと行くと、屋敷の縁側に腰掛けて庭園を眺めている少女の姿があった。
金の頭髪を側頭部で束ねた、華奢な後ろ姿だ。黒いロングコートを纏っていて、座る彼女の背後の床に広がるコートの裾が、まるで折れた鴉羽のようだった。
少女は静かな声音で歌を歌っている。リヒティナリア王国語ではない、異国の言葉で紡がれる歌だった。
よく見ると彼女の傍にはもう一人の少女の姿もあって、どうやら彼女はもう一人の少女を膝枕に乗せていて、紡がれる歌は子守唄代わりであるらしい。フェンリスは邪魔することなく背後の壁に凭れ掛かって耳を傾ける。
そして、一曲を歌い終えた少女が言う。
「『夜明け』っていう曲」
「ああ?」
「レガリアのテーマソングなのよね。飽きるほど聴いてたわ。飽きなかったけど」
そう言って彼女――ミリティアは膝枕に乗せたリゼルの頭を優しく撫ぜる。リゼルは眠っているようだが、少しだけ身動ぎしたように見えた。
主人とメイドの配役が逆じゃないのかというツッコミどころはあるものの、それよりもまずフェンリスが言いたいのは、
「アンタ、見掛けによらず豪胆だな」
「なんで?」
ミリティアが肩越しに不思議そうな視線を向けてくる。
本気でわかってなさそうな表情は、豪胆というよりもむしろ天然と言うべきかもしれない。
「サヤが居る屋敷で、なんでそんな平然と寛いでるんだよ」
「? 家主の許可はもらったけど」
「その時点でおかしいんだがなぁ」
フェンリスにとっては脅威足り得ないので忘れがちになるが、あのサヤという女は『闇の巫女』と呼ばれる危険人物である。物理的な肉体を捨てた結果として存在の比重が術理に寄り過ぎていて、その性質は最早『死の権化』であるといっても過言ではない。
意思を持った死そのもの。
あらゆる生者を死の闇へと引き摺り込む怨霊なのだ。
フェンリスやチビラギはともかくとして、普通の人間であるミリティアやリゼルは、サヤの存在を認識しただけで死に誘われかねない。というかそれで一回死にかけているはずだし、一体どうやってサヤに滞在の許可を取ったというのか。
「アンタ、死ぬのが怖くねえのか?」
「死ぬのは怖いけど、死が怖いわけではないのよ」
「謎掛けか?」
「そんなつもりはないんだけど……」
ミリティアは少し考えるように虚空を見上げ、「というか、」と語り出す。
「そもそも、死を恐れるっていう感覚が、私にはよくわからないわ。『死にたくない』ならわかるけど、だからといって『死が怖い』にはならないでしょ」
「なるだろ」
「なるかしら」
「つうかよ、結局死にたくないならなんでここに居るんだよ。罷り間違ってサヤと遭遇したらポックリだぞ」
「でも、別にあの人は私達を殺そうとしてるわけじゃないでしょ?」
それはそうだろうが、なんだか微妙に話がかみ合ってないような気がしてならない。
なお、サヤは殺すつもりがないというよりは、どうでもいいというのが正直なところだろう。ミリティア達の滞在を許したというのも、十中八九興味が無かっただけに違いない。彼女のお得意の『キミが決めていい』というやつだ。
「電車に乗る時に、一々『この電車が脱線したら私死んじゃうなぁ』とか考えないし、そのせいで怖くて電車に乗れなくなったりしないでしょ。それと同じよ」
「その表現で言えば、俺にはアンタがいつ電車が走ってくるかわからねえ線路上で寛いでるように見えるんだが」
「だから、電車が走ってきたら轢かれる前に退けばいいでしょ。それだけの話じゃないの」
「だから、だったら最初から線路に入らなけりゃいいって言ってんだが?」
「………………もしかして私、今論破された?」
深刻そうな顔をしておとがいに指を添えるミリティアに、フェンリスは一気にどうでもよくなって溜息を吐いた。
察するに、彼女自身もその機微を明確に言語化出来ないのだろう。例え話がヘタクソなのは個性ということにしておく。
「攫ってきた張本人の俺が言うのもなんだが、なんでアンタは仲間のところに戻らねえんだ?」
ミリティア達はずっとこの『幽家』に居るわけではなく、昨夜の戦闘時にはちゃんと出撃して、ハーティの戦闘に介入して友人を救出しているはずである。
ちょうどフェンリスがルーク達と戦っていた裏での出来事だ。ちなみにハーティと言えばそもそもミリティアとリゼルの二人を戦闘不能にして略取した実行犯であるわけだが、昨夜の戦闘時には見事にボコボコに仕返されてリベンジを果たされてしまったらしい。ボロクソにやられたハーティは半泣きになりながら帰ってきて、勿論スコールに嘲笑されて煽り散らかされていた。
まあ、今のミリティアはちょっとした『反則技』を使っている状態なので、ハーティが手も足も出なかったのも無理からぬ話ではある。
そしておそらく、それこそが彼女が仲間の元に戻れない理由でもあるのだろう。
「一つ、やることが残ってるのよ」
「そりゃあれか、今夜の戦闘でってことか?」
「たぶんね」
要するに、その『やること』を済ますまでは、ミリティアはこちら側に居る必要があるのだ。
「やることってのは、なんなんだよ」
「そうね……ひとことで言えば、」
ミリティアは人差し指を立てた。
「NDK」
「は?」
「ねえ今どんな気持ちー? ねえどんな気持ちー!?」
歌うように綺麗な声でそう言って、ミリティアはすんと黙り込んだ。
フェンリスはというと反応に困って黙り込んだ。
「…………」
「…………」
「言っておくけど、私は正気よ」
「狂人は皆そう言うんだ」




