487話_sideout_『剣の誓い』クランハウス
伯爵令嬢ミリティアとその従僕リゼルが魔物に拉致されて丸一日が経過したが、一人残された執事のトビアスは変わることなくパーチの管理をして過ごしていた。普通に考えれば魔物の手に落ちて一日も経てば、生存は絶望的だろう。しかしトビアスはこれをハートアート伯爵家本邸のほうに報告もしていなければ、ギルドに救援や遺留回収の依頼を出そうとも思っていなかった。
勿論、職務放棄などではない。
むしろ、主人からの命令を忠実に守っているが故だった。
とある日のこと。ミリティアはトビアスとリゼルを呼ぶと、このように告げていた。
『もし、今回の活動中に私の身に何かが起こって、行方がわからなくなるような事態になった時は、まずミアベルに訊くこと。彼女が大丈夫と言えば大丈夫よ。そうでなければ然るべき行動をとりなさい』
この命令はミリティア自身の死亡が確認されるまで有効である、と。
ミリティアがこのようなことを言い出した背景には、ここロイエンタールのギルド支部で進行している事態に『原作』との相似性を見出して、そこに魔公の影を見て取ったからだ。そのような状況下において、未来を司る原作主人公以上の指標など存在しないとミリティアが考えているが故の指示であったわけだが、当然トビアスにはそんな事情はわからない。
しかし命令は命令なので、ミリティア達が魔物に拉致されたという報告を受けたトビアスはまず、いの一番にミアベルに問い掛けたのだ。
当のミアベルは何故自分に訊くのかわからないという困惑顔ではあったものの、それでも明確に答えた。
『たぶん大丈夫だと思います』
と。字面こそ自信無さげではあったものの、ミアベル本人がそれを微塵も疑っていないのは雰囲気でわかった。つまりミアベルは何の根拠があってかはわからないが、とにかくミリティア達の無事を確信しているのだ。
なのでトビアスはとりあえず平常業務に戻った。ミリティアの命令は、ミアベルが大丈夫と言わなければ然るべき行動を起こせというものだった。逆に言えばミアベルが大丈夫と言った以上、トビアスは平常通りの仕事をするしかないのである。
正直なところ、トビアスはこう考えていた。
まあ、本当に大丈夫なんだろう。
というのも、ミリティアという少女には昔から『そういうところ』がある。彼女が幼少の頃から傍に仕えているトビアスは、幾度となく『そういうところ』を目にしているのだ。
何かというと、時折、まるで別の視点で世界を見ているような発言をするのだ。それは彼女が経験上絶対に知り得ないはずの情報を諳んじたり、あるいはまるで未来のことが見えているかのように言い当てたり、だ。
ミリティア自身はそういう特異性を隠したがっているというか、細心の注意を払って秘匿している節があるのでトビアスは見ない振り聞かない振りをしているのだが、悲しいかなミリティアという少女は愛らしい程度に抜けたところがあるので、ふとした拍子にポロっと零したりするわけだ。
要するに、ミリティアがなんかよくわからないことを言い出したら、しかしそれは基本的に正しいのだとトビアスは経験則で知っているのだ。
そして、事実として今朝のこと。
『オンスロート』から一夜が明けて帰還したノエルから、ミリティアとリゼルの無事と、彼女等からの伝言を伝えられて、トビアスは『ああやっぱり』と息を吐いたのであった。
その日の昼頃、トビアスはパーチで独り、自分が食べるための昼食を適当に用意しようとしていた。
まだ『オンスロート』は終結していないので、このパーチの住人達は皆、今夜に備えるためクランハウスに出向いている。従者であるクリスティンもその補佐のために同行したし、ダリオはどこで何をしているか知らないが、彼のことなのでレックスのために行動しているのだろう。というわけでトビアスは独りだ。
雑な食事を雑に食べようとしていたところ、不意に『PiG』が着信を知らせる。トビアスの私物ではなく業務用に伯爵家から与えられているそれには、期間限定でパーチの住人達の連絡先が登録されている。
取り出して画面を見れば、どうやらルークからのようだ。
「――はい、トビアスです」
『トビアスさん、暇か?』
急ぎなのだろうか、単刀直入に切り出したルークに、トビアスは肯定を返した。
言うまでもなく暇である。別にサボっているわけではないが、この状況下で自分だけがこのようにしていて若干後ろめたく思っていたのも事実であり、もし何か力になれることがあれば協力することは吝かでない。
『突然でわりいけど、ちょっと頼まれて欲しいんだ』
「ええ、なんでしょう」
『実はさ――』
そう考えていたトビアスであったが、ルークから告げられたお願いは流石に予想外であった。
「は? 侯爵令嬢の給仕、ですか?」
◇◇◇
認識が甘かった、とシビルは痛感していた。
例えば応対の件であるが、まだ寝たきりのクレメンスに通話越しで指示を受けて、場所を整え、品を整え、なんとか客人が来る前に最低限の体裁は整えたと胸を撫で下ろしたのだ。
ところがそこで発覚した盲点。それで誰が給仕すんの問題だ。折角高級な茶葉や茶器を取り揃えたところで、扱う者に心得がなければ何の意味もない。普段そういう場合はどうしていたのかというとクレメンスがその都度業者を雇っていたらしいのだが、この状況下でそんなことが出来るわけもない。時間がないし、そもそも一般人の多くは避難している。
専属の従者を雇っていないダンクーガ伯爵家の弱点が露呈した形だ。
右へ左へどったんばったんしていると、ルークから救いの情報が齎される。ミリティアの執事であるトビアスの存在だ。今現在、即座に都合がつきそうな唯一の高級使用人である。
ルークから通話一本で呼び出されたトビアスは、まさしくこれ執事という風体の若者であった。シビル自身は初見だが、以前にも何度かクランハウスを訪れたことはあるらしく、多少の顔見知りも居るようだった。
そうして彼は事情を聞くと、クレメンスが備蓄していた高級品の茶葉類の前に立ち、徐にどこぞへと通話をし始めたではないか。
淀みなく会話しつつ、複数の茶葉をとりわけて並べ始める。何をしていたのか後から訊いてみたのだが、なんとお客様であるアシュタルテ侯爵令嬢の好みを調べていたらしい。彼が通話していた相手はレックスの従者のダリオであり、ダリオからアシュタルテ侯爵令嬢のメイドのクラリスへと繋がり、クラリスからお嬢様のお茶の好みを訊き出したというわけだ。
なんという従者情報網。というかなんでレックスの従者がアシュタルテ侯爵令嬢のメイドの連絡先を知っているのだろうか。と思ったら、どうやら従者間でそう言った情報が共有されるのは然程珍しい話ではないらしい。特に、学院のような特殊な環境下においては。
高いお茶用意しとけばなんとかなるだろうと考えていたシビルは、若干恥ずかしくなった。
トビアスの提案(という名のダメ出し)のもと、急速に歓迎態勢が整えられ、無事にお客様ことアシュタルテ侯爵令嬢を迎えられたはいいものの、ここでシビルはもう一つ、認識の甘さを知ったのだ。
昼時の遣り取りで、グレンがかの令嬢の『学生としての姿』『戦士としての姿』は知っていても『貴族としての姿』は知らないと言っていた。横で聞いていたシビルは「そういうものか」と納得していたのだが、同時に、とは言っても同じ人なのだからそうは変わらんだろうとも思っていた。シビルにとってかの令嬢の印象とは、矢鱈と可愛らしい容姿をしているが、子供らしさとは無縁の大人びたお嬢様という感じだ。何故かグレンと気が合うらしいところからも窺えるが、要するに精神年齢が成熟しているのだろう。
そして、いざ現れた本人を目にして、その印象は一変する。
(こ、こわ……)
である。
学院の時とは、もう雰囲気が違い過ぎた。
装いとしてはノースリーブの白いブラウスに、洒落たリボンタイと、ミモレ丈のスカートを合わせた清楚なスタイルだ。まさしく良家のお嬢様といったファッションであり、本人の容姿もあわさって非常に可愛らしい。尤も、実際には良家どころか国内屈指の大貴族であるわけだが。
彼女はお供を二人連れていて、一人はシビルもそれなりに知っている人物で、イザベルと懇意にしているスレイという女性だ。彼女は学院で『アルファ』として活動していた女性アヴァターと同一人物であるわけだが、彼女が学院横の黒い森で活動していたのは、在学中のアシュタルテ侯爵令嬢から指示を受けていたからなのだろう。スレイが先日単身でこのクランハウスを訪れた際には快活な女性という印象を抱いたものだが、現在こうして令嬢の後ろに静かに控えて彼女のために日傘を持っている様子を目にすると、本当に配下なのだなと実感する。
もう一人は外見から年齢が判断し辛い美形の男性だ。彼はB級のクランである『ホワイトファング』の運営をしているヴァイオラという人物で、シビルもギルドで何度か目にしたことがある。トレードマーク的な赤コートをミアベルに貸しているので、用事にかこつけてついでに回収しに来たらしい。
で、問題の令嬢だが、なんというか上位者のオーラが凄い。
視線だけでわかるのだ。
ああこの人は違う階層に住んでいる人なんだな、と。
表現は悪いが、ちゃんと見下されている、とでも言えばいいのか。身分の違いを実感せずにはいられない眼差しを向けてくるのだ。この場で家格的に対抗出来る人が居るとすれば英雄伯家のイザベルだけなのだが、その彼女は結局心の準備が間に合わなかったのか相変わらずビビり散らして挙動不審だし。
シビルは先程イザベルを揶揄ったことを心の中で心の底から詫びた。
確かにこれは、仕方ない。
アシュタルテ侯爵令嬢ことプリムローズは纏う雰囲気こそ極寒だが、別に横柄でもなければ傲慢でもない。招かれたことにしっかりと礼を言い、ホストかつ年長者であるイザベルを立て、折り目正しく振る舞っている。
だというのに、プレッシャーだけが増していくのはなんなのだろう。一応シビルとグレンはプリムローズと面識があることもあって、同じ場に立ち会っているのだが、あまり役に立てそうにはなかった。というかプリムローズの振舞いが完璧すぎるのが問題なのかもしれない。我らがイザベル女史はやれば出来る女だが、生憎と立場上社交界からは縁遠く、こんなにも年下の少女相手にも経験値で負けている気がしてならない。なお実際のところは社交界からの遠さで言えばアシュタルテ侯爵家もいい勝負なのだが、シビルには知る由もない。
最早頼みの綱は借りてきたトビアスだけなのだが、流石に彼は冷静だった。
というかもう彼が応対したほうがいいのではないかというくらいには慣れた様子だ。
「どうぞ。お嬢様」
「ありがとう」
応接室に通され、トビアスが用意した紅茶をプリムローズが飲む。
何故かその様子を全員が固唾をのんで見守るという異様な雰囲気。一挙手一投足が気になって落ち着かないくらいには、この小さな令嬢の存在感が凄まじいのだ。
「…………ふむ」
そうしてカップから口を離したプリムローズが、ちらりと上目にトビアスを一瞥するのだ。
ただ見ただけなのに、そこに深い意味があるように思えてならないのはなんなのだろう。
その『ふむ』は一体どっちの『ふむ』なのか。
「ミリティア嬢が羨ましくなるな」
「恐悦至極に存じます」
からのこの遣り取りだった。
シビルは顏が引き攣るのを感じた。
なにこの子こわ、である。
助っ人であるトビアスがミリティアの執事であることなんて誰も言っていないし、そもそもミリティアが現在ここで活動していることだって、なんでプリムローズが知っているんだという話である。飲んだ紅茶が美味しいとか美味しくないとか、そういう表面的なことには一切言及せずに、意味深さだけで会話するのがなんとも心臓に悪い。
「ふふ。コーリッジあたりかな」
「ご明察です」
「ウチのメイドはな、相手によって伝えるレシピを変えるんだ」
「恐れ入ります」
いや怖い怖い。
察するに、プリムローズとお付のメイドの間では紅茶のブレンドについて『外に出す用のレシピ』がいくつか決めてあって、トビアスがそれを再現してきたことから逆算してメイドへの接触があったこととそのルートを割り出したということだ。
なにが怖いって、そんな回りくどい罠を用意する理由が全くわからないということだ。トビアスがまるで動揺していないところを見るに、もしかして貴族社会では普通のことなのだろうか。
シビルの疑問が顔に出ていたせいか、プリムローズは少し苦笑するようにして、
「生憎と、敵が多い立場でして」
とまたもや謎が深まる補足を入れてきた。
シビルの疑問符は増えるばかりだが、プリムローズはそれ以上は言及せずに表情を改めた。
「さて、時間は有限です。早速本題に入りましょう――――と言いたいのですが」
そう言ってプリムローズが言葉を濁した理由は、遺憾ながらシビルにもわかる。
具体的には今まさにシビルの目の前で蒼い顔をしてガタブルしているイザベルのせいだろう。完全に侯爵令嬢のオーラに圧倒されてしまっている。英雄伯夫人とは。
「……おいスレイ。貴様ダンクーガ夫人に何を吹き込んだのだ」
「いやぁ、そんなに脅かしてないと思う、んだけどなぁー?」
「じゃあなんでこんな有様になっているんだ」
「そりゃあボスが怖いからでしょーが」
そんなわけがないだろう、とでも言いたげにプリムローズがシビルのほうを見たので、シビルは正直なリアクションをしておく。
いやぶっちゃけ超怖いです。
「…………」
次いでプリムローズはグレンを見遣る。
グレンは沈痛な面持ちで首を横に振った。
「…………」
更にプリムローズはもう一人のお供であるヴァイオラを見上げた。
するとヴァイオラは諦めを促すように、無言で彼女の肩に片手を置いた。
「…………えぇ?」
そうして味方が誰一人居ないことに気付いたのか、プリムローズは眉尻を下げて困り顔になった。
その顔は可愛いな、とシビルは思った。




