補完[舞台裏-2]
・リッカさんダイジェスト。
・この閑話はあともう一話の予定です。
祖母のアウグスタを問い詰めたあの日から、フレデリカは自宅に軟禁される日々を過ごしていた。自宅の敷地からは一歩も外に出られないが、生活に必要な物品は全て屋敷の使用人が用意してくれるため、暮らし自体に不自由はない。強いて問題と言えば運動不足気味なことくらいだろうか。
アウグスタはフレデリカにいくつかの制限を課した。
一つはフレデリカの右手首に嵌められた腕輪だ。ちょっとした装飾品のような外見のそれは、フレデリカの魔法行使を妨げるためのアイテムだ。系統としては『パワーリーク』に属するもので、この腕輪はフレデリカの内在魔力を常に漏洩させ吸収しているため、フレデリカは満足に魔法を使うことが出来ない。魔力を枯渇させるほどの効力はないため体調に著しい悪影響が出ることはないが、魔法のパフォーマンスという意味では通常時の一割にも満たない効率でしか発動出来ないだろう。
また、アウグスタ達の自宅は豪勢な屋敷だが、あくまでも単なる住居であり、住人を閉じ込めておくような機能も構造もない。だというのにフレデリカが外に出られないのは屋敷を囲う結界のせいだ。元々防犯のために設置されている結界にアウグスタが手を加え、フレデリカの通行を妨げる効果を付与したのである。先述の腕輪によって魔法をほぼ封じられているフレデリカでは、この結界を力尽くで突破することは不可能に近い。
更には屋敷の使用人達の存在もある。彼等は数年前にアウグスタがこの屋敷を建てた際に、維持管理や家事を行わせるために雇った人員であるとフレデリカは認識していたが、その認識はこの軟禁期間で完全に覆ることとなった。というのも、アウグスタに命じられてフレデリカの世話と監視を請け負った彼等の動きが、どう見ても単なる使用人のそれではないのだ。別にフレデリカはそちらの分野に明るいわけではないが、明らかに戦闘慣れしているプロフェッショナルであるということくらいは体捌きから見て取れる。間違いなく、これまでの生活では演技で過ごしていたのだろう。使用人達はその業務上、屋敷を囲む結界を通過するための鍵のようなアイテムをアウグスタから与えられている可能性が高かったが、フレデリカは使用人からそれを手に入れようと考えることはなかった。フレデリカが一番関わることが多い年嵩の女性使用人であるアン相手ですら、魔法のない状態では勝ち目が見えなかったからだ。
ちなみに使用人といっても例えばレックスのところのメイドであるクリスティンのようにバリバリの職業従者というわけではなく、家令の老翁以外は単なるお手伝いさんという程度の者達だ。尤も、今思えばそういう演技をしているだけ、なのだろうが。
あとは、連絡手段の制限である。アウグスタはフレデリカの『PiG』を取り上げはしなかったが、フレデリカはそれで外部に助けを求めることはしなかった。『PiG』の通信プロトコルが魔力を基質にするものである以上、屋敷を囲む結界に通信内容を傍受する機能が無いとは言い切れないからだ。外部の人間、例えばナタリーなどに下手なことを言えば、それはつまり彼女を危険に巻き込むことになる。フレデリカは祖母の情の篤さを知っているが、同時に女帝としての苛烈さと酷薄さも知っている。フレデリカが軟禁で済まされているのは彼女がアウグスタの血縁であるが故だ。そうでなければとうに始末されていただろう。なのでフレデリカは下手なことを言えず、ナタリーを始めとした親しい者達には当たり障りないカバーストーリーだけを伝え、むしろこの屋敷に近付くことがないように誘導したのである。
フレデリカがこのような判断をした背景には、祖母に対するある種の信頼と楽観がある。
つまりアウグスタが即座に自分を害することがないとわかっているので、必死になって状況を打開する必要に迫られていないのである。無論、いつまでもこのままというわけにいかないのはわかりきっているが、少なくとも今は、無理矢理脱出を図るよりもすべきことがあると判断していた。
あの日、フレデリカを軟禁するにあたってアウグスタはこう告げたのだ。
身の振り方を決めろ、と。
つまり彼女はフレデリカを閉じ込めて思考停止させ諦めさせようとしているわけではなく、むしろその逆で、フレデリカに自分の頭で考えさせようとしている。フレデリカがそう判断した最大の根拠は、アウグスタが自身の書斎への入室を禁じていなかったことだ。あの日からアウグスタ本人は基本的にクランハウスで寝泊まりしていて自宅には数えるほどしか帰ってきていない。フレデリカの軟禁を隠すためのカバーストーリーである、感染型の病気を患ったため自宅療養しているという話を考えれば、感染を避けるためにアウグスタが帰宅しないのは至って自然な判断だ。なのでアウグスタに直接尋ねることは出来ずとも、フレデリカは彼女の書斎に入って蔵書類を調べることが出来た。書斎の扉に鍵は掛かっていなかったし、使用人達もそれを咎めることはなかった。
フレデリカには祖母の考えが理解出来ていた。
彼女は、フレデリカに判断させたいのだ。アウグスタが今回の凶行を決意したきっかけである、娘夫婦の死。その真相をフレデリカ自身の目で確かめ、頭で考え、決断を下すことを求めている。アウグスタによってバイアスが掛かった情報ではなく、あくまでもフレデリカの視点で。
自身の行いをフレデリカに止めて欲しい――などと殊勝なことを考える祖母ではない。そうではなく、アウグスタがフレデリカを解放する時が来るとすれば、それはことが済んでからだ。おそらく使用人達にはそのように言い含めているのだろう。
フレデリカにはわかっている。祖母はもう、生きて帰るつもりなどないのだ。どういう結果になるにしろ、これ以上生き永らえるつもりなどないのだと。協力者であるベルフェルテの呪詛により、腹心のクルエラの在り方を捻じ曲げてしまったのだと、アウグスタがそう語った瞬間にわかった。死ぬつもりだと。クルエラ一人に犠牲を強いて、よしとする人ではない。
だから、アウグスタは強引にでも、フレデリカを独り立ちさせようとしている。
そしてこれから自身が巻き起こす事態において、フレデリカを被害者の立場にとどめようとしている。仮にアウグスタが罪に問われるようなことになろうとも、フレデリカに累が及ぶことがないように、明らかにフレデリカはアウグスタと対立していたのだと客観的に示さねばならない。
それ故の軟禁だった。
そうしてフレデリカは日々を過ごし始めた。
祖母の書斎にこもって蔵書を読み漁り、屋敷の敷地からは出られないので中庭で身体を動かし、ご飯を食べてお風呂に入って寝る。
生活自体に不便はないし、弱音を吐いている場合ではないのはわかっている。
だけれど、誰にも相談も出来ず、ただ一人で日々を過ごすのはやはり辛いものがある。祖母は殆ど帰って来ないし、帰ってきてもフレデリカと会おうとはしない。親しい者達には本当のことを告げられないので、通信機器を介して一歩退いた会話しか出来ない。使用人達は丁寧で優しいが、プロであるが故に分を超えた交流には応じてくれない。
どうしようもなく寂しくなった夜に、フレデリカはふと呟く。
「……ロイと、番号交換しておけばよかったなぁ」
本当のことを言えなくてもいい。
ただ、声が聞きたかった。
◇◇◇
何を調べるべきかはわかっていた。アウグスタの娘夫婦――つまりフレデリカの両親の死の真相である。
アウグスタは下手人がブラッドフォード伯爵家のディーターという男であると語り、それ故にかの伯爵家への復讐のために今回の件を起こしたのだと言った。ただ、あの日の問答でアウグスタは予め『全てを語る気はない』と宣言しており、その言葉の通り、フレデリカは未だ核心と呼べる部分を知らないままだった。
祖母の話には、敢えて語らなかったが故に生じたのであろう不審な箇所がいくつかあった。
例えば、ディーターはどうやってフレデリカの両親を殺害したのか。ディーターは貴族の嫡男なので魔法使いであった可能性は高いが、それをいうならば両親だってそうだし、むしろ腕の立つ討伐者だった両親が貴族のぼんぼんに正面から敗北するとは考え難い。ただ、まあこれはそこまで重要ではないだろう。ディーターが外部戦力や伯爵家の私兵を使ったのかもしれないし、騙し打ちなどを仕掛けたのかもしれない。それよりも不可解なのは、黒い森において両親を殺害したとされるディーターだが、彼はどうやって両親を呼び出したのか。両親は何故ディーターの誘いに応じてしまったのか。
あるいは、そもそもディーターという男は何者なのか。ブラッドフォード伯爵家の中でどういう立場の人物なのか。素行の悪さが問題となって爵位の継承権をはく奪されたにもかかわらず、そんな人物を伯爵家が後生大事に囲っておいて、かと思えばフレデリカの両親の元を訪れ彼等を殺害するような真似が出来てしまったのはどういうことなのか。そして祖母が言うにはディーターは今もなお変わることなく、罪を償うどころか公表することもなく秘密裏に伯爵家に匿われているらしい。最早意味がわからないし、どういう力学が働けばそうなるのかフレデリカには皆目見当もつかない。
それに、フレデリカが会ったことのない弟の存在も気がかりだ。ディーターがフレデリカの母であるヴィクトリアに強引に関係を迫り、産ませた子供がレイヴァンという男子だという。彼は今、ブラッドフォード伯爵オスカーの実子ということにされて、王都の学院に在籍しているそうではないか。これもまた不可解だった。フレデリカは貴族社会の因習には明るくないので、もしかしたら然程おかしな話ではないのかもしれない。ただ、やはりレイヴァンをわざわざオスカーの子と偽って爵位を継がせようとしている理由はわからない。レイヴァンの出自を思えば、重要な立場に据えるにはリスクが高いとしか思えないのだ。仮に現伯爵であるオスカーが、身体的な事情などで子供を作れないということならば話はわかるが、彼にはジュリアという実子が居るのだから種無しではない。であれば無理にレイヴァンを使わずとも男児が生まれるまで子を成せばよいのではなかろうか。
そこにはフレデリカが知らず、アウグスタが語っていない何らかの事情があるはずだ。
両親が殺された日からこれまで、祖母は持てる限りの手段を尽くして真相を解明しようとしていたようだ。相手はこのブラッドフォードを治める巨大貴族である。並大抵のことではなかっただろうし、身の危険も少なくなかっただろう。
アウグスタの蔵書を読み漁るほどにそれがわかってきて、そうなると不必要なまでに洗練された使用人達の理由もなんとなく察せられる。ただの従者の振りをしてこの屋敷に勤めていた彼等は、おそらくアウグスタが雇った護衛なのだ。彼女自身やフレデリカの身を守るためであると同時に、この屋敷を守るための。もしかすると『赤原同盟』の内部にも同じような生業の者達が紛れているのかもしれない。
アウグスタが収集した情報は多岐に渡り、とりとめがなかった。とにかく当時の手掛かりとなる情報を片っ端から集めたのだろう。当時の新聞に始まり、討伐者ギルドで発行される会報の類や、ゴシップ関係の出版物に至るまで。また当時を知る人々への聞き込みの内容や、アウグスタ自身の覚え書きを纏めたものもあった。
情報の出所こそ取っ散らかっているが、結局のところ知りたいことは然程多くはない。アウグスタが予め収集しある程度整理された情報を後から追う形になるフレデリカにとっては、断片を繋ぎ合わせて全貌に辿り着くのは難しいことではなかった。
「…………そっか」
時計の針の音だけが響く静かな書斎で、祖母の椅子に腰掛けていたフレデリカは、読んでいた本をぱたりと閉じて膝の上に置いた。
「おばあちゃんが本当に許せなかった相手は、ディーターじゃない」
現伯爵のオスカーでもないし、勿論レイヴァンでもなければジュリアでもない。まだ若いフレデリカは直感的に思いつかなかっただけで、考えてみれば当然の帰結というやつだった。ともすれば祖母は最初からその人物こそが怪しいと睨んでいて、ただそれを明らかにするために情報を集めていたのかもしれない。
両親の死にまつわる一件で、最も罪深いのは、全てを把握出来る立場に居た人物だ。
凶行を止められなかったのではなく、止めなかった。
裏で糸を引いていたのは、ディーターとオスカーの実父である、先代ブラッドフォード伯爵だ。
「そうか……こういう事情があったから、彼等はレイヴァンを後継者にする必要があった。それがおばあちゃんをここまで怒らせたんだ」
アウグスタの目標は最初から一人だった。先代伯爵を葬り去るためだけに、今回の一件を引き起こしたのだ。
あの日彼女がフレデリカに語った内容も嘘というわけではない。アウグスタは確かにブラッドフォード伯爵家そのものを叩き潰すつもりでいる。ただ認識が違った。フレデリカは、ブラッドフォード伯爵家とは『家』のことだと思っていた。アウグスタの認識は違う。彼女にとってブラッドフォード伯爵家とは『個人』だ。
先代伯爵――――マクシミリアン・ザカール・ブラッドフォード。
彼こそが伯爵家そのものだ。爵位を息子に譲って現役を退いてもなお、彼が全てを差配し牛耳っている存在なのだ。
「どんな……犠牲を払ってでも」
ブラッドフォード伯爵家の本邸は一種の要塞である。唸るほどの財力を有し、それ故に敵も多いブラッドフォード家が長年を掛けて築き上げてきた、幾重もの人的・物理的・術理的防壁を内包した不可侵の牙城だ。
そしてその要塞に巣食う妖怪こそがマクシミリアンである。
引退した彼は最早外部に出てくる機会も必要もない。実子を含めた駒には事欠かず、邸の内部から全てを操ることで何もかもが済んでしまう。だからこそ、彼を滅ぼすのは容易ではない。
アウグスタは、数万数十万という無関係な人々を犠牲にしてでも、マクシミリアンただ一人の息の根を止めるつもりだ。
「…………すぅー……」
フレデリカは目を閉じ、緩やかに呼吸をする。
祖母の考えがわかる。
全てを知って、理解したならば、次は判断をせねばならない。
祖母の考えはわかる。
怒りだけではない。知ったからには、ブラッドフォードに巣食う妖怪を滅ぼさねばならないのだ。
何故ならば社会の裏側に潜む魔は、連綿と続き、これからも続いていくだろう。マクシミリアンが寿命で死ねば終わり、ではないのだ。ここでマクシミリアンを滅ぼしておかねば、断ち切っておかねば、
レイヴァンが次なるブラッドフォードになる。
ブラッドフォードという名の『個人』に。伯爵家そのものに。妖怪になってしまう。
母の忘れ形見が、フレデリカの弟が。
娘の忘れ形見が、アウグスタの孫が。
「…………はぁー……」
椅子の背凭れに深く身を預け、緩やかな呼吸を繰り返す。
フレデリカの呼吸に合わせて、その豊かな双丘がゆったりと上下する。
たっぷり時計の秒針が数周もするほどの時間を費やしたフレデリカは、すらりと刃を抜くように、瞳を開く。
「止めよう」
そうして出したフレデリカの結論は変わらなかった。
自分はアウグスタを止める。彼女の心情に共感こそすれど、その遣り方に賛同は出来ないのだ。
倫理的に正しいとか正しくないとか、道理の話をするつもりはない。ただ、一つだけ。フレデリカはどうしても納得出来ないことがあって、だから祖母の遣り方には賛同出来なかった。
「んぅ~~~~っ」
そのまま背凭れの上で大きく伸びをして、フレデリカはぽかんと天井を見上げた。
さて、決意は固まった。
情報も粗方出揃っただろう。
ただ、悲しいことにフレデリカの状況は何も改善していないし、彼女は今も自宅に囚われたままなのだ。
「どーしよっかなー?」
今度は脱出のヒントを探して祖母の蔵書を読み漁り始めるフレデリカであったが、生憎とそちらの成果は芳しくなかった。
◇◇◇
結果的に、フレデリカは割り切ることにした。
軟禁状態を自力でどうにかするのは困難であると考え、無駄な抵抗は止める。幸いにして祖母が行動を起こすタイミングはわかっている。アウグスタがというよりはその協力者であるベルフェルテかもしれないが、ともかく彼女が『オンスロート』を引き起こすとしたら王都で開催される祝祭に合わせてくる可能性が高い。
だから、フレデリカが動くならばそこだ。事前にここを脱してアウグスタを止めようとしても、それで止まるならばそもそもあの日の問答で止まっているのだ。そうでないならば、結局フレデリカに出来ることは、アウグスタが事を起こしてから、直接的にそれを阻むしかないのである。事が起きてしまえばアウグスタに悟られるも何もないから普通に『PiG』で救援を呼んでもいいし、使用人達だって魔物が攻め寄せる前に逃げなくてはならないだろうから、何もせずとも軟禁は終わるかもしれない。
ともかく、そう割り切ったからには、今フレデリカがすべきことは英気を養うことだ。ただでさえパワーリークのせいで体調が安定しないので、この魔法具の処理も最終的には考えなくてはならないが、まずはコンディションを整えておかねば、いざという時に弱って動けませんでしたでは話にならない。
そうして日々は過ぎ、瞬く間に祝祭の日が近付いてくる。
そんなある日の夜、フレデリカは入浴を終えてバスローブに身を包むと、就寝の準備を整えて自室に向かおうとする。するとそこに、女性使用人のアンが声を掛けてくる。
「もうお休みになるので?」
「うんー」
時間的には常の就寝時間よりだいぶ早いが、別になにかを企んでいるわけではなくフレデリカは普通に寝るつもりだった。というのも、遂に祝祭の日――即ちエックスデーが翌日に迫ったので、当日を万全の態勢で迎えるためにちゃんと睡眠を取ろうという魂胆だ。
アンは不思議そうにしているが、これも演技だろうか。何故ならば彼女等とてわかっているはずだからだ。フレデリカと同じ材料は持っておらずとも、『オンスロート』に備えてアウグスタからなんらかの指示を受けているはずだ。
つまり、
「明日に備えて、アンも早く寝たほうがいいと思うなー?」
意味深に笑って、フレデリカは告げた。
ここに至っては隠す素振りをする必要もない。
これはある意味でフレデリカからの宣戦布告であり、決別の儀式でもあった。フレデリカは彼女等を嫌っているわけではない。アウグスタの指示でフレデリカを自宅に軟禁しているのは彼女等だが、今でもフレデリカは彼女等のことがわりと好きだった。
実力を隠していたとはいえ、これまで数年間を共に過ごした使用人達なのだ。愛着も湧くし、常の感謝もある。彼女等と過ごした日々の全てが偽りだったとは少しも思わない。
だからフレデリカは言っておきたかったのだ。
突然居なくなったり、不意打ちをするような真似は嫌だ。それが出来るかどうかではなく、心情的に、そんな別れは嫌だ。
なので、言う。
明日、私は行きます、と。
◇◇◇
寝ると言って自室に向かったフレデリカを見送り、アンは首を傾げた。
正直に言えば、彼女は肩透かしを食らっていた。
だってどうやらフレデリカは本当に眠る気満々の様子だ。数年間一緒に生活しているのだから、そのくらいは見てわかる。
ちらり、と部屋の壁に掛けられたカレンダーを見遣る。
王太子殿下の生誕日を祝うのは王国民の義務であり、その当日は国民の祝日でもある。当然、王国で販売されているカレンダーにはその日が示されている。
「今日よねぇ…………?」
今日である。
ということは既に王都ではパーティーもたけなわとなっているはずであり、そしてまさに今から『オンスロート』が始まるところであり、フレデリカにしてみればどう考えても寝ている場合ではないと思うのだが。
というか、だからこそフレデリカが何かをするならば今日だろうと考えて一日彼女をそれとなく注視していたのだが、結局彼女は普段と変わらない日を過ごしただけであった。
その極め付けがこれである。
「…………」
まあでも、去り際のフレデリカの意味深な態度というか、有り体に言ってちょっと格好つけた振舞いを思えば、なんとなく理解出来てしまう。
アンは溜息を吐いて頭を抱えた。
まさかこんなタイミングで天性のドジを遺憾なく発揮しなくてもいいのに、と。
「まったくあの子は……」
つまり。
色々な意味で悲しいことに、フレデリカはエックスデーの日付を一日勘違いしていたのだ……。




