485話_side_Io_白亜宮・アハルト
~"黒髪令嬢"イオ~
リヒティナリア王国が誇る王城、『白亜宮・アハルト』の一角にて、わたくしは人を待っていた。
街一つを実質内包していると言えるエンディミオン魔法学院よりも更に広大な敷地面積を誇る白亜宮は、間違いなくこの王国で最大の建造物であろう。広過ぎて、王族ですらもその全てを網羅出来ている者は居ないとまで言われ、わたくしは立場上他の貴族家の者達よりかはこの宮に訪れることも多かったが、それでもわたくしが見知っている部分など全貌のほんの一部に過ぎない。
複層的な構造を有する白亜宮は、基本的に中央に近付くほどに高層となり、そしてセキュリティの度合いも上がっていく。わたくしが現在立っているのは『議場』から続く廊下の端なのだが、議場とは貴族議会が開催される場のことであり、つまりはこの国における政治的な意思決定の場である。この奥にある議場は国王陛下が参加される場合に用いられる場所であり、それが存在するこの区画は宮内のセキュリティで言えば上から二番目。普段は貴族であっても限られた者しか立ち入ることが出来ず、そうでない者が立ち入るには都度許可証を発行する必要があるほどだ。なお最もセキュリティが厳重なのは王族が生活している区画である。
わたくしにお供は居ない。常から行動を共にしているレキとソシエは、わたくしの従者という立場であってもこの場には立ち入ることが出来ないのである。
白亜宮の内観は、名は体を表すと言わんばかりにどこもかしこも白基調のデザインで、また王国の威信を示すためにあらゆるものがとにかく大袈裟だ。議場に続く廊下は天井がアーチになった列柱構造になっているが、その柱の一本一本が巨大で、わたくしが十人で輪になっても囲い切れない太さと、見上げれば首が痛くなるほどの高さがある。それでいてデザインは決して大味ではなく、精緻なレリーフを施された列柱はそれそのものが鑑賞に値する芸術品なのだ。
規模的にも構造的にも、どう考えても維持管理には魔法による手管が必須であり、これを物理的にやろうと思ったら人手がいくらあっても足りないだろう。即ち、美しい状態で常に保たれている王宮の姿そのものが、魔法大国であるリヒティナリアの威信を示していると言えるのだ。
「……さて」
そろそろでしょうか、とわたくしは柱に預けていた背を離し、居住まいを正す。
場所柄、当然の如く正装が求められるのでわたくしはドレスを纏っている。とはいえパーティーや式典用の華美なものではなく、フレンネル辺境伯家としての礼装に類するものだ。分類としてはロングドレスの一種だが、一見して袴と着物のような外観は東方特有のデザインであり、その上から家紋が染め抜かれたマントを羽織っている。マントは男性用のそれとは違い、どちらかというとストールに近い形状の女性用礼装だ。
本当ならばここに愛用の太刀を佩くわけであるが、生憎とこの場に得物は持ち込めない。
そう、つまりこれは戦装束であった。
広過ぎる廊下に俄かに話し声と足音が反響し始め、わたくしは柱の後ろに回り込んでそれとなく身を隠す。議場にて行われていた会議が終わり、参加者達が退室してきたのだ。わたくしは正規の手続きを踏んでこの場に居るので存在を見咎められる筋合いはないが、さりとてお歴々に目を付けられるのは煩わしい。
誰が、とは言うまいが、上層部のお歴々の中には些か感性が浮世離れした人物も珍しくなく、この有事においても少々的を外したことを仰られることがある。有り体に申し上げれば空気が読めない。流石のわたくしもこの状況下で暢気に見合い話などを持ち掛けられた日には、なにを口走るかわからないもので、それならば最初から遭遇しないように立ち回るのが互いにとって幸いであろう。
わたくしの目的の人物は最後に現れるとわかっているので、それまでは柱に隠れてやり過ごすことにする。
複数の話し声と足音が通り過ぎ、遠ざかっていくのを見計らってわたくしは柱の影から出ると、敢えて一団から遅れて最後尾を歩いていたそのお方へと歩み寄る。
「殿下」
タイミングの問題で後ろから近付いて声を掛けることになり、彼はこちらの存在には気付いていなかったはずであるが、しかし全く驚く素振りを見せなかった。
彼――第二王子であるレオンヒルト殿下はわたくしの声に振り返ると、いつも通りの爽やかな笑みを見せた。
「やあフレンネル嬢。珍しい場所で会ったね」
「そのわりには、平然と仰る」
「まあ、そろそろ来るかなとは思ってたからね」
苦笑して肩を竦める殿下には、どうやらわたくしの行動パターンなどお見通しだったらしい。尤も、余計な茶々の入らない場所で個人的に殿下にお会いしようとすれば自ずと選択肢は限られてくるので、実は然程難しい予想でもなかったかもしれない。
殿下はお一人ではなく、傍らに一人の男性を連れていた。
わたくしはそちらに向き直って礼をする。
「ご機嫌麗しゅう、エーベルヴァイン侯爵。フレンネル辺境伯家が長女、イオ・キサラギでございます」
エーベルヴァイン侯爵は屈強な体格の男性で、筋骨隆々の大男という風情でありながら、しかし身嗜みにも人一倍気を遣っていることが見た目でわかるファッショナブルな人物である。
特徴的なのは鼻と口の間に綺麗に整えられた僅かな髭であり、所謂ところの『ちょび髭』というものだ。これは彼のトレードマークと言っても過言ではなく、彼本人も『ちょび髭のおじさん』を自称する程度には拘りを持っているようだ。
侯爵はわたくしの挨拶に、眩しそうに目を細めた。
「ごきげんよう、お嬢さん。エーベルヴァインである。直にお会いするのは七か……八年ぶりくらいかな?」
「それほどになるかと。ご無沙汰しております」
「いやいや、時が経つのは早いものだ。以前お会いした時はこんなに小さかったお嬢さんが、こうも美しく成長されているとは」
「恐れ入ります」
「フレンネル家所縁の女性陣はどなたも大変お美しくて目の保養に大変よろしい。何故あの山賊紛いの御父君からお嬢さんのような美女が生まれるのか、些か不思議ではあるのだが」
「それはたぶん伯爵本人が一番不思議に思っていることだね」
侯爵の素朴な疑問に、殿下がおかしそうに相槌を打つ。わたくしの実父の容姿が恐ろしいのは周知の事実であり、ともすれば暴言の類である『山賊紛い』が何も誇大ではないのが娘としては複雑なところだ。とはいえ、方々で擦られ過ぎて、最早父上の持ちネタみたいな扱いになっているのもまた事実である。
一応父上のために言っておくと、わたくしの弟は若かりし日の父上にわりと似通った容姿をしているので、単純にわたくしが母親似、弟が父親似となっただけだと思う。
「それにしても、戦化粧をした女性というのは男心にグッとくるものがあるな。そうは思いませんか殿下」
「男心というのは単純だからね。女性が普段と違う装いをするとすぐにグッときてしまう」
「いやあ違いない。ところで娘の初陣に合わせてオーダーメイドのバトルドレスをプレゼントするというのが私の細やかな夢なのだが、お嬢さんとしてはどう思う?」
「そもそも、ご息女がおられましたか……?」
「なんの因果か男ばかり四人もこさえてしまった。息子は息子で可愛いものだが、男親としては、やはり一人は娘が欲しかったなぁ」
なんとなく察するところだが、エーベルヴァイン侯爵は結構な話好きで、放っておくと一日中長話に付き合わされると専らの噂である。侯爵は流行に敏感な御仁なので、話す内容はそれなりに有意義だったりするのが扱いに困るところだ。
ちなみにその四人の息子のうち二人が現在エンディミオン魔法学院に滞在していて、常駐騎士団の副団長であるユリウス卿と、わたくしの一学年先輩の学生であるパトリック殿がそうだ。
「そういえばウチの末のパトリックがお嬢さんと同年代だったと思うが、婿にどうだね?」
世間話のように子供同士の婚約を打診してくるのは貴族社会ではよくあることだ。特に、自分で言うのもなんだがわたくしの立場にはかなりの威力があるわけで。殿下達の前にここを通過したお歴々を避けたのは、要はこういう話題を持ちかけられるのが煩わしいからである。
とはいえ、エーベルヴァイン侯爵は冗談だとわかるように言ってくれるのでまだいいのだ。
なのでわたくしも冗談めかして、
「そうですわね……当家の山賊紛いを攻略できたら考えて差し上げますわ」
「おっとそうきたか。これは分が悪い!」
ぴしゃりと自らの額を叩く侯爵のコミカルな動作に、わたくしは愛想ではなく笑みを零してしまう。
これは余談だが、わたくしに対して婚約話が多く持ち掛けられるのは、フレンネル辺境伯家の特殊な事情も関係している。わたくし達はとある事情によって継承者の血筋を薄めるわけにはいかないので、基本的には近しい分家筋同士で婚姻を結ぶのである。貴族社会において勢力拡大の常套手段とは婚姻により血縁関係を結ぶことであり、即ち政略結婚というやつだが、フレンネル家にはこれが通用しないのだ。
知っての通りフレンネル家は王国四大貴族の一角であり、四大貴族というのがある種の不可侵領域であり既得権益と化してしまっている以上、その親類縁者となることを望むものは後を絶たない。
そこでわたくしだ。というのも、実は現在の分家筋にわたくしと同年代の男児が居ないのである。様々な事情が重なった結果であり、仕方のないことではあるのだが、となればわたくしは他所から婿を取ることになるのでは、と方々で勘繰られているわけだ。
「さて侯爵、気持ちはわかるけどそろそろ彼女に話をさせてあげてくれ」
適当なタイミングで殿下がこちらに水を向けてくれて助かった。
わたくしが侯爵の話を遮ったところで、それで気分を害されるような人物ではあるまいが。わたくしは殿下に目で礼を言うと用件を切り出した。
「ブラッドフォードの件、殿下が派遣軍の総指揮を執られると聞きました」
「そうだね。今しがたの会議で、ちょうど陛下から正式に任命されたところだよ」
わたくしが正式な任命前にそれを知っていたのは、偏に情報自体は昨夜のうちに出回っていたからだ。レオンヒルト殿下が総大将を務めることは早々に決まっていて、陛下からの正式な任命というのは儀式的な意味合いが大きい。
「まあ、とは言っても僕の役割は文字通りの『旗印』以上のものではないけどね。実質的に指揮を執るのは侯爵だ」
名目上は総大将にレオンヒルト殿下を据え、その補佐としてエーベルヴァイン侯爵ということになる。エーベルヴァイン侯爵はリヒティナリアが誇る王宮騎士団の第二師団長という肩書を持っており、彼が補佐についたということは今回の『オンスロート』の鎮圧に派遣される人員は第二師団に属する騎士によって編成されるということだ。
何故王太子である第一王子殿下ではなくレオンヒルト殿下が任命されたのかは、陛下がレオンヒルト殿下に実績を積ませようとしている説や、あるいは今回の『オンスロート』が非常に大規模かつ困難な戦場になると予想されるので、失敗することを危ぶんだが故に王太子を避けたのだとされる説、等々好き勝手な噂話が飛び交っているが真相は王族のみぞ知るといったところか。
「フレンネル嬢の用件は、同行したいってことかな?」
「は。殿下の御傍に置いてくださいませ」
「うーん。どう思う? 侯爵」
殿下が侯爵に判断を仰ぐと、彼は特に考えることなく「よろしいかと」と答えた。わたくしにとっては要望叶って喜ばしいことであるが、些か拍子抜けでもある。
というのも本来わたくしが首を突っ込む理由はなく、わたくしが同行を願い出ているのは十割こちらの都合である。わたくしが父上から仰せつかっている『闇の巫女討伐』の件と、それからかの地で戦っているプリムローズ様を案じるが故だ。お家的な事情と個人的な事情により、わたくしは何としてでも東部に向かい参戦したいと考えているのだが、足がない。
だったらばと、畏れ多くもそれなりに交流させていただいている殿下が総大将に任命されたことだし、連れていってもらおうと思い立った。コネは使うためにあるものなのだ。
尤も、前述の通り、わたくしがこのように言い出すであろうことなど、殿下にはお見通しだったようだが。
「どの道、殿下の御傍仕えは必要であった。現場では私が常に御傍に侍るわけにもいくまいし、殿下もお嫌でしょう?」
「ちょび髭のおじさんよりは見目麗しい女性が傍に居てくれたほうが嬉しいね。僕も」
本音か冗談かわからないような会話をする二人にわたくしが内心呆れていると、それをどう取ったのか侯爵がこちらを向いた。
「なに、難しいことではない。単に殿下の御傍に居て、いざという時には御身を守り、それからこれが一番重要なのだが、」
勿体ぶるように言葉を区切り、侯爵は重々しい声音で告げる。
「殿下がやんちゃしないように見張ってほしい」
「はい…………はい?」
「どうせ殿下のことだから、旗印であるのをいいことに、士気を上げるために必要云々とか拡大解釈で屁理屈を並べて前線に立ちたがるに決まっている。お嬢さんにはそれを制止してほしい」
まだ冗談の延長かな、とわたくしは真面目に疑ったが、侯爵の顔は清々しい程に本気であった。なお当の本人は否定するでもなく飄々と「理解あって嬉しいよ」などと宣う始末。やる気でしたね殿下……。
「考える程に嵌り役の人選ではないか? 紳士的な殿下が女性の制止を無碍になさるわけもないし、しかもフレンネル家のお嬢さんであれば物怖じせず殿下にご意見を述べられる。実に素晴らしい」
ああ成程、とわたくしは理解する。体よく利用されたような形であるが、要するにわたくしを同行させるために仕事を用意してくださったのだ。無論名目だけのものではなく、本当に必要な仕事ではあるのだろう。
どこまでが殿下や侯爵の掌の上だったのかはわからないが、気にするだけ無駄だろう。あるいは父上が裏で手を回していた可能性もある。
すると殿下がふと疑問に思ったように声を上げた。
「ちなみに、フレンネル嬢が現れなかったら誰を付けるつもりだったんだい?」
何故殿下がそんな疑問を抱いたのかは理解出来る。ネックになるのは基本的に殿下が本気で命令したら逆らえる者が居ないという点だ。陛下より補佐を下命されている侯爵本人であれば、陛下の命を理由に反論も出来るであろうが、侯爵の部下の騎士達ではそうもいかない。実際にそうなればなったで殿下は身分を笠に着て他者の意見に耳を傾けないような方ではないが、だとしても殿下に正しく意見が出来て、尚且つ御身を守れるほどに腕が立つ人選となるとそもそも限られるだろう。
殿下の疑問に、侯爵はなんでもないように答える。
「アシュタルテのお嬢さんあたりが妥当だなぁ」
そういえば、とわたくしは今更ながらに疑問を抱いた。
「ところで、殿下と侯爵閣下は何故、アシュタルテさんが現地におられることをご存じで?」
まあ、プリムローズ様が秘匿されているのはあくまでも『もう一つの顔』を使った暗部での活動であり、アシュタルテ侯爵令嬢がブラッドフォードに居ること自体は然程隠してもいない様子なので、誰が知っていても不思議というほどではない。実際、ヴァンシュタイン様やシュヴァルツさんなど、プリムローズ様と親しくされている方々は本人から聞いて知っているようだし。そもそも、わたくしが知っている程度のことならば殿下やエーベルヴァイン侯爵が知っていてもおかしくないという話なのだが。
「ん? ああ、実はザークシーズ伯爵から聞いていてね」
「まあ。そうでしたか」
ザークシーズ伯爵とは、またの名をアシュタルテ小侯爵という。
つまりプリムローズ様の兄君であり、アシュタルテ侯爵家のご長男様である。レオンヒルト殿下が言うには、件の伯爵から接触があって『妹が現地に居るので好きに使ってよい』という旨の言葉を貰っているらしい。
意図はわからないでもない。要するに王族である殿下に妹を売り込んでいるのだ。プリムローズ様の実力を信頼しているからこそ取れる手段であろう。とりあえずプリムローズ様に任せておけば王族の覚えをめでたく出来ると踏んでいるのだ。
ただ、
「アシュタルテらしからぬ、と申し上げるのは礼を失するでしょうか」
「いやいや、僕もそう思ったし、なんなら侯爵も同意見だと思うよ」
「さて。私にしてみればアレはアレで、いかにもアシュタルテらしい男だと見える」
したり顔で頷く侯爵であるが、わたくしはともかく殿下もピンと来ていないご様子なので、察するに経験の差からくる理解度の違いなのだろう。わたくし達がアシュタルテらしからぬと評したザークシーズ伯爵の行動も、エーベルヴァイン侯爵から見ればそれはそれでアシュタルテらしいムーブなのだとか。
「要は、連中は領地に引き籠って好き勝手やっているように見えて、実のところ周りをよく見ている。機を見るに敏なのだな。時代の潮流を一早く読み取って、当代と同じ手管では早晩通用しなくなると理解したのだろう。そして当代の侯爵もそれをわかっているからこそ息子に実権を与えて好きにさせているようだ」
「成程ね。まあ誰がなんと言おうとあの一族の優秀さは疑いようがないからね」
なお話題にあがっていない次男様であるが、彼は彼で色々と伝説的な存在感を示していたりするのだがここでは割愛。兄が政治的分野ならば、弟は軍事的分野である、とだけ。
「しかしそうか、アシュタルテ嬢が傍仕えかぁ……」
その光景を想像するように、しばし虚空を見上げて思いを馳せたレオンヒルト殿下は、徐にわたくしへと向き直る。
「悪いけど、やっぱな「やっぱなしはなしでございます」
食い気味に拒否したわたくしに、殿下はわかりやすく苦い顔になった。
プリムローズ様が御傍に仕えてくださるなんて、そんな羨ましい状況を実現させてなるものか。絶対に許すまじ。むしろ代わって欲しい。
しかしここで殿下が画期的な名案を思い付いてしまう。
「待てよ、人数が多くて困ることはないのだし、いっそ彼女とキミの二人とも傍仕えに、というのはどうかな」
「なんと……! もしや殿下、貴方は天才なのでは」
許した。やはり殿下は素晴らしいお方だ。
これでわたくしは大手を振ってプリムローズ様と共に居ることが出来る。
「あとは殿下が余計なので、なるべく存在感を薄くしていてくださいましね?」
「……薄々思ってたけど、キミ結構、僕のこと嫌いだよね」
「滅相もない」
ただ。強いて言うならば、そう。
学院の『花告げ祭』でプリムローズ様からお花を贈られたどこかの誰かを、わたくしは一生お妬み申し上げる所存ではある。




