42話_side_Ek_回想
~"侯爵令嬢"エカテリーナ~
面白くない。面白くない!
このエンディミオンでの学生生活は私にとっては千載一遇の好機であるはずだった。
憧れの王子殿下であるレオンヒルト様が同級生にいらっしゃり、しかも、私が家格で敵わない相手が居ないのだ。厳密には上級生には居るけど、少なくとも同級生の女子ではクレインワース家は頂点の一角なのだ。王子殿下のお相手を務めるには由緒正しい高貴な家柄が求められるのは当然のこと。なれば、今最もレオンヒルト様に近しい位置に居るのは私ということだ。
勿論、個人の感情は抜きにして、ということだけれど、王侯貴族の婚姻においてはそんなものは二の次とされがちなのも厳然たる事実。
要は、同級生という立場を活かして、私がレオンヒルト様の目に留まるようにアピールすれば良いだけのこと。
環境は整えられているのだから、後は私自身の努力と魅力の問題だ。そして私はそのどちらにも自信がある。
運はこちらに向いている、と意気揚々と学院に乗り込んだ私だけれど、どうにも上手くいかない。
同級生の女子に格上は居ないけれど、実は同格は存在する。
クレインワース家と同じく侯爵位を有するアシュタルテ家とクルワッハ家、そして伯爵位なれども侯爵家と同等以上の力を有するフレンネル家。どの家も格だけで言えば王子殿下のお相手としてまったく問題はない。なおクレインワース家も含めた四家で家格順に並べるとすれば、上からアシュタルテ、クレインワース、フレンネル、クルワッハとなる。伯爵家であるフレンネルがクルワッハの上に居るのはおかしいと思うかもしれないが、それはフレンネルという家が特殊なだけだ。
このリヒティナリア王国の建国史において、最も重要な一族が五つ存在する。その内の一つが現王家であるリヒティナリア家、残りの四つが現『四大貴族』と呼ばれる一族である。元々は王家を含めた五つの家は同格の盟友関係であったとされ、結果的にリヒティナリア家が王家となったのは単に彼の家が丁度五つの家の中心地に領地を持っていたから、というのは有名な史実である。そんな経緯で誕生した国家なので、リヒティナリア王国は建国以来伝統的に国家の中心地が王都であり、その東西南北の国境をそれぞれ四大貴族が固めているのである。
そしてフレンネル家とはまさに『東』の四大貴族であり、ついでに言えばアシュタルテ家は『北』の四大貴族だ。この称号は名誉を示すだけのものであり何ら実権力を伴うものではないとされているが、そんなのは建前で、王家の盟友というポジションが貴族社会において破格のパワーを発揮するのは言うまでもない。
とまあ、そんなわけでフレンネル家は実質的に侯爵家相当の権勢を誇るし、アシュタルテ家は貴族社会において圧倒的なアウェーでありながら我がクレインワース家に比肩する権勢を保ち続けているのである。
結局何が言いたいかというと。つまりは、同級生で私の対抗馬になり得るとすればその三家の令嬢方だということだ。
フレンネル家のイオさんは別にいい。警戒する必要は全くない。偏に四大貴族と言っても当然それぞれの家によってスタンスは異なり、フレンネル家は傾向的には中立的なスタンスに居ることが多い。つまりは抑止力という名のバランサーであり、そうであるが故に王家ともきっちり線を引いている。権力的な意味でも、交流的な意味でも。フレンネル家の特色である東方の血を王家の系譜に混ざらせることを良しとしないのだ。イオさん自身も野心や格式よりも下々の人気取りを優先するようなつまらない女性なので、そもそも私と同じ土俵に立つ事すらないだろう。
クルワッハ家のレムナントさんも別にいい。あそこの家は侯爵位こそ有しているが、前述の通りクレインワースに比べれば明らかに格下だ。政治の重鎮であるクレインワースと、ワイン造りしか能がない田舎貴族では勝負にもならない。レムナントさん自身もまるで警戒には値しない。入学後に一度ご挨拶に伺ったが、華やかさの欠片もない陰気で田舎クサい女性だった。クレインワースの名に脅えて震えあがるだけの小心者だ。
問題は、最後の一つ。
アシュタルテ家のプリムローズさんだ。
私の学院生活がいまいち面白くないのは、間違いなくこの方のせい。
北の四大貴族であるアシュタルテ家は王国防衛の要。何故ならば彼の家の領地のすぐお隣は潜在的な敵性国家である帝国の領土だから。精強かつ野心的な帝国の侵攻を抑えるためにアシュタルテ家は抑止力としても実行戦力としてもなくてはならない存在だ。それだけ王家の信頼も篤く、家格で言えば当然クレインワースよりも上を行く。クレインワース家には中央政治への直接的影響力という強力なカードがあるので、それを加味すれば力関係は互角と言ったところ。
あの家の人間は外道か変人しか居ない上に、権力よりも暴力にしか興味のない野蛮な一族であるというのは周知の事実。究極的に自分本位かつ無礼千万を地で行くので貴族社会での評判はすこぶる悪い。どれだけ自分勝手で気に食わない存在であろうと、帝国への抑止力としてなくてはならない存在なので、直接的に排斥することも出来ずに周囲からのヘイトだけが溜まっていくのだ。
だが、つまり莫大なヘイトは確かな実績の裏返し。間違いなく優秀な血統であり、格としても申し分ないのだ。
故に、私はこの学院生活でアシュタルテさんこそが最も警戒すべき障害になると思っていたのだ。
実は、プリムローズ・フラム・アシュタルテと言う人物と私は、そもそも因縁がある。
あれは忘れもしない八年前のこと。
我が家で開かれた茶会にゲストとして参加したアシュタルテさんに、私はこてんぱんに打ちのめされたのだ。あれは私にとっていわゆる黒歴史。
周囲を焚きつけてイオさんに紅茶をかけようとするなどという品位に欠けた行いも今となっては恥ずかしい限りだが、そんなことよりも、自分の家で開いた茶会でイキがった挙句、参加していた令嬢達に上下関係を教えようとして、逆にアシュタルテさんに格の違いを思い知らされたのが一つのトラウマだったのだ。
あの一件で、私の中でアシュタルテさんは逆らってはならない相手という位置づけになってしまった。
戦いもせず、心根が屈したのだ。
この上ない屈辱であった。
だからこそ、その後の私は屈辱感を払拭すべく只管に努力した。
作法も勉学も、魔法も剣術も、そしてなにより美しさにも磨きをかけ、この学院で嫌でも再会することになるであろうアシュタルテさんに打ち勝つべく、万全の自分で臨んだのである。
満を持して学院でアシュタルテさんと再会した時、私は過去のトラウマを完全に克服した確信があった。
だって、
チビなのだ。
アシュタルテさんの姿はあろうことか、私にトラウマを刻んだあの日の姿からほんの少ししか成長していなかった。噂では聞いていたけど、正直に言えば社交界を避けるための方便だと思っていたのだ。無論、事実無根ではなく実際に小柄なのだろうけど、誇張して噂を流布しているだけなのだと。だが実際は噂こそ真実だった。なんなら噂のほうが控えめな表現ですらあったかもしれない。
なんだこのガキは。と本気で思った。
私の胸程までしかない身長。女性らしさの欠片もない枝のように細い手足。ぺったんこの胸。
認めるのも癪だが、容姿の美しさだけはあの日から微塵の衰えもなく、むしろ輝きを増したようにすら思うが、それは私も同じこと。
少なくとも、年齢相応に成長した私と彼女では、最早女性的な魅力では勝負にもならないほどの差が出来てしまっていた。
そう。恋のライバルになどなるわけがないほどの、圧倒的な差。
その差がもたらす巨大な優越感は、きっとあの日アシュタルテさんが私に対して抱いていたものと同じであるはずだった。きっとあの日、彼女はその圧倒的な魔法技術を私に見せつけ、すごすごと逃げる私を見下して同じ優越感に浸っていたのだから。
その時、間違いなく立場が逆転した。
それは私に長年のトラウマを克服させて余りある衝撃だった。
…………。
だから、そう。
アシュタルテさんが、あの日私が味わった屈辱と同じものを味わってくれれば、それだけで良かったのだ。
悔しさの一欠片でも見せてくれれば、溜飲が下がる。
そしたら、仲良くとまでは無理でも、もしかしたら普通の友人くらいにはなれるかもしれないとすら思った。
何故なら、アシュタルテさんはもう脅威ではないから。
でも、再会した私に、彼女がなんと言ったか。
『そうか』
である。
私が自慢をしようが嫌味を言おうが見下そうが侮辱しようが、あるいはちょっとだけ褒めてみたって、返ってきた言葉は全部一緒。その一言。
アシュタルテさんが返す言葉も無くて、ぐうの音も出なくて、そうとしか言えないのであればどんなに良かったことか。だけどアシュタルテさんが私を見る瞳には悔しさも怒りも侮蔑もなにも無くて、それどころか、まるで懐かしい顔に会ったとでも言わんばかりの小さな親愛すらあった。
嫌でも理解させられた。
――まったく相手にされてない。
またしても私は打ちのめされた。
勝手にぶちのめされたのだ。
認められるはずがなかった。私が何を思って自分を磨いてきたと思っているのか。すべてはあの日の屈辱を雪ぐため、あの日味わったみじめさを、いつの日かアシュタルテさんに返してやるためだったのに。
私は楯突かれるのが好きではない。
侮られるのも嫌いだ。
だけどなによりも許せないのは、軽んじられること。
無視されることがこの世で一番嫌いなのだ。
アシュタルテさんは私を見てすらいなかった。
エカテリーナ・ロビン・クレインワースと言う人物が居ることを認識していても、その中身に微塵も興味がないのだ。例え私が傑物だろうが愚物だろうが彼女の反応は変わらないに違いない。私があの日からどれだけ努力していようが、アシュタルテさんをどれだけ目の敵にしていようが、そんなことは彼女にとっては些事ですらないのだ。
私は呆然とし、そして優越感が抜け落ちた心の空白に激しい怒りが湧いてきた。
この私を無視するなんて認められない。
認められないならば、認めさせねばならない。
怒りでも良い。
悲しみでも良い。
侮蔑でも良い。
なんだったら恐怖でも良い。
なんでも良いから私を見ろ。
窓の外を眺めるみたいに私の存在を風景にするな。
そちらがその気なら、こちらにも考えがある。どんな手を使ってでも私のことを見させてやる。無視などさせるものか。
私が学院生活ですべきことは変わりはしない。
やることは同じなのだから。
私のやることは最初から、私に目を向けてもらうために手を尽くすことだけ。
その対象が一人から二人に増えただけ。
勿論、レオンヒルト様とアシュタルテさんでベクトルは正反対なわけだけれど。
そんなこんなで想定とはだいぶ違った方向でスタートした私の学院生活であったが、上手くいっているとは言い難いのが現状だった。
レオンヒルト様とはあまり講義が被っていなくて、接点も少ない。数少ない会える機会にはここぞとばかりにアピールをしても軽やかにあしらわれてしまう。これは私個人に限った話ではなくて、殿下はどの女子に対しても一定のスタンスなのだが、それはつまりこの私が他の有象無象と一緒の扱いをされているということだ。
殿下が非常に聡明で優秀なお方であるのは知っていたから、一筋縄でいくとは最初から思っていなかったが、それでも想像よりもずっと手ごたえがない。
私、けっこう悪くないと、自分では思うのだけど……。
そして、アシュタルテさんに至っては、私がどれだけ嫌味を言っても欠片も響いた様子が無くて、業を煮やしてくだらない嫌がらせにすら及んだというのに、それすらも効果がない。彼女が私を見る目にはちゃんと感情が宿っている。だけどそこに動きがないのだ。
私の嫌味や嫌がらせに対する煩わしさや怒り、あるいは呆れ、そういうものがない。
つまりはリアクションがない。
だから、彼女の中ではエカテリーナは嫌がらせで他人に紅茶を掛けようとする幼稚で無様な人物という認識のまま終わっていて、私が今更何をしようが『エカテリーナはそういうやつだから、そういうことをしているんだな』と一人で納得して終わり。
今の私を見てすらいないのだ。
レオンヒルト様も、アシュタルテさんも、私のことを見てすらくれないのだ。
それでも私がプライドを保てていたのは、ただの厳然たる事実があったからだ。
事実として、私はアシュタルテさんよりも女性的な魅力で勝っていて。事実として、同学年で最もレオンヒルト様のお相手に相応しいのは自分であるという認識が、私を支えた。
だが、私は今日、見てしまったのだ。
運動着姿の同級生がごった返す練術場にて、昼休みになると同時にこの機を逃すものかとレオンヒルト様をお誘いしようとした私の目と鼻の先で、あろうことか殿下がアシュタルテさんをランチに誘ったのである!
正確には、殿下のご友人であるアルヴィンさんが誘ったのだけど。まあ、レオンヒルト様とアルヴィンさんは大抵ワンセットだから、同じことである。
なんだかイオさんもその場に居た気がするけど、それはこの際どうでもよろしい。
問題は、レオンヒルト様がアシュタルテさんに笑顔を向けていたと言うこと。殿下はいつでも麗しい笑顔を浮かべておられるけど、アシュタルテさんと会話するときのソレは、なんというかいつもとはちょっと違うように見えたのだ。
言うなれば、いつもより、自然な。
もしかして、在り得るのか?
私は漠然とした危機感を覚えた。
いかにアシュタルテさんがちんちくりんとはいえ、女性には違いない。容姿は幼いものの美しさは誰もが認めるレベルだし、彼女は私でも認めざるを得ない程度には優秀だ。
あのアシュタルテさんが、レオンヒルト様に選ばれるという未来……?
そんなのは――、
「ねえ貴女」
私はたまたま隣に居たコーデリアさん――取り巻きの一人だ――に声を掛けた。
こちらに視線を向けた彼女に問い掛ける。
「レオンヒルト様は幼女趣味……――あり得るかしら?」
「え。いきなりなんスか?狂った?」
「そうよね。おかしな話よね。いやだわ私ったら」
真面目に危惧した私が馬鹿だった。
無理やり自分を納得させた私は、とりあえず素で無礼なコーデリアさんの頭を引っ叩いておいた。
2021/6 四大貴族の説明を追加。コーデリアの口調を微修正。




