31話_side_Rit_黒い森
~"騎士の卵"マルグリット~
異変は唐突だった。
隣で戦っていたはずのタナカ先輩が、いきなりこけたのだ。
それも、何かに躓いてという風でなく、まるで脚を掬われて尻餅をつくみたいに。
なにしてんの!と思わず怒鳴ろうとしたあたしは、次の瞬間、その光景にあっけにとられた。
無様に倒れたタナカ先輩が、何かに脚をひっぱられたみたいに地面を滑っていくのだ。彼は必死の形相で地面を掴んで抵抗しようとするが、まるで勢いは衰えない。どんどん黒い森の奥へと引き摺られていくタナカ先輩だが、その脚はなににも掴まれていないし、彼を引っ張っている魔物の姿もない。
あまりに異様な事態に呆然とするあたしと違って、リーダーは迅速に反応した。
「タナカッ!!」
呼びつつ、リーダーが炎弾を放ち、タナカ先輩が引き摺られていく行先へと着弾して爆ぜた。
なにかにヒットしたようには見えなかったけど、タナカ先輩の勢いは緩んだようだった。先輩は慣性でゴロゴロと転がったものの、魔物の群れに呑まれる手前で止まった。
呆然と眺めていたあたしも我に返って、近付いてきてた魔物を斬り払う。
今のは一体なんだ。
魔物の仕業なのは間違いないだろうが、何が起きていたのかまったく理解できなかった。
寄りくる魔物を斬りながらなんとかタナカ先輩の様子を窺うと、彼はよろつきながらも立ち上がっていた。
だが、引き摺られた際に脚を痛めたのか、酷く顔を顰めている。
「タナカ!歩けるか!?」
タナカ先輩に襲い掛かる魔物を炎弾で牽制しつつ、リーダーが呼び掛ける。するとタナカ先輩は「なんとか」と返事をして、脚を引きずりながら味方のほうへと歩みを進め始めた。
「よしっ!援護するから、戻ってこい!!」
あたしは焦燥する。
あんな速度じゃあすぐに魔物に追いつかれちゃう。リーダーが牽制するにも限度がある。誰か、男連中が迎えに行って、担いできたほうが絶対いいのに。
だけど、他の皆に視線を巡らしても、誰も彼も自分に迫る魔物を迎撃しながら、タナカ先輩に遠隔で援護を飛ばすだけだ。
そうしている間にも、タナカ先輩に魔物が追い付き、間一髪のところで仲間の魔法がそれを吹き飛ばす。
ダメだ。ダメだ!
このままじゃあ先輩が死んでしまう。
あたしのお尻ばっかり見るムッツリの先輩だけど、死んでいいと思うほど嫌いなわけじゃない!
「あたしが行きます!」
咄嗟に駆け出していた。
幼い頃から魔物と戦ってきたあたしは、一年生だけどこの中では最も近接戦の腕が立つ。先輩を担ぐことは出来ないけど、近くで守ることは出来るはずだし、援護してもらえば肩を貸して歩くこともできる。
リーダーの制止を振り切って、邪魔な魔物を切り裂きながら、駆ける。
他の皆も口々に戻れと叫ぶ。
なんで?
なんでそんなこと言うの?
おかしいよ!
皆そんなに自分の身が可愛いの!?
だったら別にいい。後ろで援護してくれれば充分だ。だけどあたしは戸惑わない。いざという時に味方のために行動できないなら、それは騎士の在り方ではないのだから。
あたしはただの魔法使いでなく、騎士になるべく生きてきたのだから!
そうして駆けるあたしの姿を、タナカ先輩は信じられないものを見るように、瞳を見開いている。愕然としたその表情が、ちょっとだけおかしい。彼の普段の行いのせいで、あたしの当たりは相当強かったのだから、まさか身を挺して助けに来るとは思っていなかったのだろう。
タナカ先輩は、その形相のままで叫んだ。
「来るな!!友釣りだッ!!」
――――え?
凍り付いたあたしの思考は、踏み抜いた右脚の足首に、なにか滑るものが巻き付いたことに、咄嗟に反応できなかった。
途端、恐ろしいほどの力で足首を引っ張られ、あたしの身体は宙に浮いた。
天地が何回もひっくり返るような無軌道の強烈な加速度に襲われ、意識が飛びかけた瞬間に凄まじい衝撃が全身を襲う。
「…………あ、が」
零れた自分の声が、嘘みたいに遠い。
どこか他人事みたいに、理解する。
あたしは魔物に脚を掴まれ、散々振り回された挙句に、地面に叩き付けられたのだ。
たぶん、魔法学院の制服が誇る優秀な防御機能が無ければ、衝撃で即死していただろう。
なんとか身体は動くので、必死の力で半身を起こすと、さっきのタナカ先輩と立場が入れ替わったような状態だった。
魔物の群れのほうを見遣ると、黒い木立の中に、不自然に景色が歪んでいる場所がある。
大型種だ。
この森には光を屈折させて自らの身を隠す魔物が居ると聞いている。
最後に確認されたのは十年以上前の話だとかで、万一遭遇した時のために情報だけ渡されているような存在。
何のことはない。
最前線にて常駐騎士団が迎撃している大型種。あれの侵攻に合わせて、別の大型種が漁夫の利を狙って来ただけのこと。
おそらく、あたしと先輩を襲った滑るものの正体は、ヤツの舌かなにかだ。
「ああ……!」
あたしはようやく失敗を悟る。
まさかあんな魔物が出てくるとは誰も予想していなかっただろうけど、少なくとも先輩たちは友釣りの可能性を警戒していたのだ。だから、タナカ先輩をいつでも援護できる態勢を取って、彼が自力で戻ってくるのを待った。それは冷たいが、必要な戦理に違いなかった。最悪タナカ先輩が魔物の手に掛かっても、被害が一人なら立て直しが利く。でもそれが二人になれば、おそらく無理だ。
あたしのせいだったのだ。
あたしが不用意に駆け寄ってしまったから、味方が援護するための射線を塞いでしまったのだ。
その結果、このざまだ。
そして、あたしの右脚は未だ魔物に捕らわれている。
「――ぅあ!?」
グン!と再び凄まじい力で引かれ、リーダー達が助けに入る間もなく、あたしの身体は魔物に引き寄せられ、その眼前に宙吊りにされた。
光学迷彩を解いた魔物は、まさしくカメレオンのような姿をした、あたしなど一呑みにできそうな巨大な姿だった。
蠕動する体表が七色に反射し、錯視を誘うような奇妙な文様を描き出している。あまりにも悍ましく、生理的な嫌悪を催す外見。
複眼じみた目にぎょろぎょろと観察されながら、あたしは右足一本で逆さ吊りの状態だった。
振り回されたときに剣を離してしまったので、手元に武器もない。
だけど、
「こ、のォ――輝く槍火ッ!!」
魔物の眼球へ向けて右腕を翳し、魔法を唱える。
あたしが得意としている光属性の魔法で、右腕を起点に伸びた光の槍が魔物の眼球に直撃し、
「う、そ……」
まるで効いていなかった。
魔物の耐久力だけの問題ではない。
あたしの魔法が弱過ぎたのだ。普段の十分の一の威力も出ていない。
魔力を、真面に編むことができていないのだ。
「なんで!?なんで!?なんでぇ!!?」
必死に魔法を放つも、今度は発動すらしなくなった。
愕然とする。
あたしが使おうとしている魔法ではなく、別の何かに魔力を根こそぎ奪われていた。
考えるまでもない。足首に巻き付いた魔物の舌から、魔力を収奪されているのだ。
そして、一時的に出力を上げて対抗することすらできないまでに、あたしは既に消耗していたのだ。
リーダー達は魔物の群れを押し退けてこちらに向かって来ようとしていたが、立ちはだかる壁は分厚く、思うように進めていない。あたしの身体が邪魔になって遠距離攻撃をすることも出来ない。
そして、あたしを捕えた魔物は、その咢を大きく開く。
鋭い牙が並んだ口腔から、生臭い息が掛かる。
なにをしようとしているのかなど、考えるまでもない。
食べるのだ。
ぞわり、と。あたしの全身が総毛立つ。
がむしゃらに身を捩り、手足を暴れさせても魔物の拘束は揺るぎもしない。
もう使えもしないのに魔法を放とうと躍起になって、恥も外聞もなく涙を流しながら絶叫する。
「いや!いやだ!こんな死にかた!!死にたくないぃいい!!」
かなり遠くのほうから、リーダー達が叫ぶ声が聞こえる。
意外なくらいに必死なタナカ先輩の声も聞こえた。
助けは間に合わない。どこかでそう悟ってしまって、でも認められるわけがなくて、喉も裂けよとばかりに叫ぶ。
「助けて!!誰か、助けてよォおおおお!!?」
「――――助けるよ!」
場違いなくらいに涼やかな、鈴の音の如き声を伴って、訪れたのは『光』だった。
まるで、光の雨。
あたしの身体を包み込むように、背後から飛来した光の刺突が、残光を幾重にも瞬かせながら魔物を蹂躙する。
魔物が絶叫を上げて後退し、放り出されたあたしの身体は、やわらかな羽毛のような感触に受け止められた。
「てん、し……さま?」
あたしを抱き止めてくれたのは、光を纏った純白の女性だった。
頭上に金色の円環を戴き、光の翼で空を撃ち、まるで世界から浮いたように現実感がなく幻想的なまでに美しい。
あたしが腕の中から彼女を見上げ、呆然と呟くと、至近距離にある彼女のかんばせが、困ったように淡い笑みを浮かべた。
「どこか痛いところ、ある?」
穏やかに問われ、あたしは何も考えられなくて「ぜんぶ、いたい」と答えてしまった。
そうすると、彼女はあたしを横抱きにしたまま、額に触れるようなキスを落とす。
「いたいの、いたいの、とんでけ~」
幼子にするようにそう言って、やってから、ちょっと恥ずかしそうにはにかむ姿が可憐過ぎて。
確かにその一瞬だけは痛みなど忘れてしまっていた。
「よく頑張ったね。こわかったね……――もう、大丈夫」
囁くように告げ、彼女は傷に響かないように優しくあたしを抱き締める。
「こわいのは全部――」
慈愛に満ちた穏やかな声音が、抜き身の刃の如く凛とした鋭さを帯びた。
「――お姉さんが、なくしてあげるから!」
その言葉と同時だった。
金色の光がまるで嵐のように咲き乱れ、再び魔物を蹂躙する。
あたしを抱いたまま宙に漂い、腕の一本すらも動かさず、あまりにも圧倒的な魔法で以て、一つの例外すらもなく魔物を殲滅していく。
先の大型種が光学迷彩を展開して回避しようとしたが無駄だった。
逃げ場などない、と言わんばかりの金色の洪水が、すべてを押し流していく。
視界を染め上げた光が収まると、そこには魔物の一体すらも残っておらず。
あたしは独り呆然と地面に座り込んでいた。
駆け寄ってくるリーダー達の声をどこか遠く聞きながら、あたしは傷だらけの掌に視線を落とす。
あれが夢でも幻でもなかったことを示す光の羽毛が、あたしの掌の上で金の残滓となって解けて消えた。
2021/5 リタの魔法に宣言を追加。ルビは良い文化。




