21話_side_Fo_貴族学生寮_プリムローズ私室
~"新人メイド"フォノン~
今夜もまた、不毛な争いが始まったようだ。
「クラリス貴様、私を侮り過ぎではないか?」
「そのような意図はございません」
いつも通りに不機嫌そうな顔をしたご主人がじりじりと後退り、迫真の声音で潔白を訴えるクラ姉が、台詞とは裏腹の満面の笑みでにじり寄る。
「ならば、貴様がわざわざ世話を焼く必要はない」
「いいえ!これが我が職務に御座いますれば」
ソファを挟んで対峙した二人は、片や本気で嫌そうに、片や本気で楽しそうに。
クラ姉が距離を詰めるべくソファを回り込もうと動けば、ご主人が逃れるように反対方向へと動く。結果的にソファの周りをぐるぐる回る二人を眺めつつ、アタシは溜息を吐いた。
「都合の良い解釈はよせ。私はそのようなことを命じていない」
「命じられた以上の結果をご覧に居れてこそ、貴女様のメイドに御座います」
じゃあ『やめろ』と命じればいいものを、とアタシは思う。
ご主人もなんだかんだで本気で拒絶するつもりはないからこその不毛な遣り取りで、それを察しているからこそ遠慮のないクラ姉の態度なのだろうけど。
要するに、主人と従者がイチャイチャしてるだけなのだ。
なんの話かと言うと、
「風呂ぐらい一人で入れるっ!」
「そんなこと仰らず、お世話させて下さいませ!」
ちなみにコレ、ここ一週間くらい毎晩やってる。
もともと、この学生寮でご主人との共同生活が始まった当初は、ご主人は普通に一人で入浴していて、アタシかクラ姉が呼ばれたらすぐに応えられる位置に控えているだけだった。
だけど、一週間ほど前、ご主人がふと疑問に思ってクラ姉に訊いたのだ。
――貴様ちゃんと風呂に入っているのか?
その時のクラ姉の顔と言ったら、筆舌に尽くしがたいものだった。
たぶん『絶望』という名の表情があればああいう顔になるんだろうな、って感じ。
その当時ってアタシはご主人が入浴した後の適当な時間に、クラ姉はご主人が就寝した後に入浴してたんだけど、たぶんご主人はクラ姉の睡眠時間とかを心配しただけなんだよね。つまり、クラ姉はご主人が寝るまで傍に控えていて、その後に入浴を始めとしたクラ姉自身のことを済ませて就寝し、そしてご主人が目覚める前に起きる生活をしていたわけで。
もしかしてゆっくり入浴する時間すらないのではないか?って。
ただご主人らしい端的な言い方をされたせいで、言われたクラ姉は完全に『お前臭うぞ?』っていう意味に受け取っちゃって、もう首を括らんばかりの落ち込みようだった。
まあ、アタシが必死こいて慰めてもフォローしても全然効果なしだったのに、ご主人が『ぎゅっ』としてあげただけで即座に復活したのは呆れたけど。
ちなみにこうだ。
『貴様はとても良い匂いがするぞ……ずっと抱き締めていたいくらいだ』
『お、お嬢様……!お望みとあらばこのクラリス、抱き枕となることも厭いません!』
んで、晴れて誤解は解けて、ご主人が文字通りにクラ姉が入浴に掛けている時間を知りたいだけだと言うと、クラ姉はこともなげに答えた。
『五分くらいでしょうか』
流石のアタシも仰天したね。
てかドン引きだ。
だって大概適当なアタシでも、もうちょっと時間を掛ける。しかもクラ姉はアタシよりも全然髪も長いし、身体も大きいし、洗う場所も多いはずなのに。
勿論、クラ姉だって好きでそうしているわけではなくて、ゆっくりしている時間が無いので自然とそうなったと言う。だからこそご主人の質問で『もしかして私クサい!?』と取り乱したみたいだ。本人も薄々危惧してたからこそ。
呆れたご主人がもっと早い時間にゆっくり入れと言っても、クラ姉は頑として譲らない。結局のところクラ姉がご主人の就寝後にしか入浴しないのは、入浴している間にアタシが代わりにご主人のお世話をするとなると実力が不安だから、っていうことなのでアタシとしては肩身が狭いことこの上なかった。
ご主人は滾々と諭した。入浴による疲労回復の効能だとか、ヘアートリートメントの重要性だとか、入浴は洗浄とは違うだとか。全部全部、クラ姉のことを想っての言葉だというのは明らかで、でもクラ姉はどうしてもご主人よりも自分を優先するような選択をすることができない。
だからアタシは言ってしまったのだ。
もういっそ一緒に入ればいいじゃん、と。
その結果がこの有様である。
いやまあ、一応目的は果たしてるんだよ?
それなりに長風呂のご主人に合わせたおかげでクラ姉もしっかりお風呂に入れるようになったし。でもそれからのクラ姉がなんかツヤツヤしてるのは、必ずしもちゃんと入浴するようになったことだけが理由ではないと思う。
やっぱりというか自分のことよりもご主人を優先しちゃうクラ姉は、ご主人と一緒に入浴している間中ずっと、徹底的にご主人を構い倒しているらしいのだ。クラ姉は心の底から幸せそうだけど、対照的にご主人はげっそりしてる。
あまりの溺愛っぷりにご主人は混浴二日目で音を上げ、やっぱり一人で入ると主張し。
だが幸せの味を覚えてしまったクラ姉が食い下がって、不毛な攻防戦が繰り広げられるようになったのである。
「ええい!わかったわかった!」
不毛さに嫌気がさしたのか、ついにご主人が折れる。
というのがここ最近のいつもの光景だったのだけど、今日はちょっと違った。
「私も妥協するから、貴様も譲歩しろ」
そう言ってご主人が提案したのは、入浴中にご主人のお世話をする役割を、アタシとクラ姉で一日ごとに交代することだった。
アタシが一緒に入る必要あるの?とちょっと思って首を傾げたのだが、ご主人の縋るような視線を感じて察する。ご主人が一人で入浴すると十中八九クラ姉が嬉々として乱入してくると思ったのだろう。
その危惧はたぶん正しい。
アタシがご主人と一緒に浴室に居れば、クラ姉が来客の対応含めたその他の業務に備えねばならないので、襲撃を受ける可能性は低くなると踏んだのだ。というか、ご主人が一人で入浴する道を既に諦めている感がひしひしと漂っていて虚しい。ご主人がクラ姉の襲撃を防ぐためには、最早アタシを浴室に引き摺り込むしか方法がないのだ。
当然のようにクラ姉は難色を示す。
そもそも、未熟なメイドであるアタシとご主人を二人きりにする状況に不安があるからこそ、この一連の問答が始まっているのだ。クラ姉的には入浴中のご主人のお世話をアタシに任せるなど言語道断だろう。
「フォノンとて、不得手だからといつまでも遠ざけておくわけにはいくまい」
それは、確かに。
アタシだって当然、できることならばご主人のお役に立ちたいのだ。
「ですがお嬢様!日替わりとはあまりに無体――ではなく、フォノンには荷が重いお話に御座います」
「ならばどうする」
「せめて週1に致しましょう?私6、フォノン1!」
だめだこの人、まるで妥協する気がない!
いや一日アタシに譲ってくれただけでも妥協したのかもしれないけど!
「貴様4、フォノン3!」
「もう一声!」
非常に馬鹿馬鹿しい、だが本人たちは至って真剣な交渉の末、最終的にクラ姉:アタシが2:1で落ち着いた。それが決まった瞬間、ご主人が光の速さでアタシに抱き付いてきた。胸に飛び込んできたちっちゃい身体を咄嗟に受け止める。
「フォノン!お風呂!」
「え、あ、はい。いきなりアタシですか?」
「せめて明日からにしましょう?お嬢様が講義を受けている時間に一通り仕込んでおきますので……」
明日からクラ姉のスパルタ教育に項目が一個増えることに絶望するアタシを他所に、ご主人は毛を逆立てた猫のようにクラ姉を威嚇する。
「やだ!フォノンと入る!フォノンが良い!」
「そんなぁ……」
ぎゅうぎゅうと華奢な腕でアタシに抱き付いてくるご主人。なんか幼児退行してませんか?
クラ姉はクラ姉でめちゃくちゃ情けない顔で涙目になって、かと思えばご主人に抱き着かれたアタシを恨めしそうなふくれっ面で睨んでくるし。
なにこのカオス。こわい。
かくなる上は、すたこらさっさだ!
「お嬢サマ、行きましょう!」
ご主人の手を引いて一目散に浴室を目指す。
アタシはご主人のメイドなのだから、ご主人のお望みに沿うのが当然なのだ。
なので、背中にぶっ刺さるクラ姉の嫉妬ビームに負けるわけにはいかないのだ。ご主人を連れて脱衣室に飛び込んだアタシに、外からクラ姉が穏やかな声で言う。
「フォノン?くれぐれも、くれぐれも!お嬢様に失礼のないようにね」
「は、はぁーい……」
お嬢様の珠のお肌に傷一つでも付けてみろブッ殺すぞお前(※意訳)、ということですねわかります。
一応クラ姉も折り合いをつけたみたいで、しつこいくらいにアタシに念押しをして仕事に戻っていった。遠ざかる足音でそれを確認し、アタシは大きく息を吐く。
なにはともあれ、こうなった以上はちゃんとご主人のお世話をしなければ。
と思ってご主人のほうを見ると、アタシがお手伝いをするまでもなく既に制服を脱いでいた。
恥ずかしげもなくポイポイとぞんざいに衣服を脱いでいくご主人を少し意外に思う。ていうか、意外とセクシーな下着付けてるんですね……!
「そんな目で見るな」
「あ、いえ」
「似合わないのは自覚している」
憮然としたご主人の態度を見るに、たぶんクラ姉に無理やり着せられてるんだろうなぁ。
ただ、クラ姉がご主人に関する目利きでしくじるはずもないので、ちゃんとご主人に良く似合ってはいる。ご主人の未成熟な肢体と、浮世離れした幻想的な美貌が合わさって、得も言われぬ妖艶さを醸し出している。
それに、こうして見ると単なる幼児体型というわけでもないんだなと思う。
背こそ低いが寸胴というわけでもないし、
「お嬢サマ、ちゃんと胸あったんですね」
「……なくはない、という程度だがな」
膨らみ始め、という表現がぴったりな細やかサイズだが、ちゃんとある。
そう、言うなれば、身体が子供から女性へと成長し始めたその瞬間で時間が止まってしまったみたいな。
長く美しい白髪を手慣れた様子でまとめ上げているご主人を眺めつつ、お仕着せを脱ぐアタシの口からなんとなく疑問が零れる。
「お嬢サマの背、なんで伸びないんでしょうね」
「さあな」
外見からはとても想像できないが、これでご主人はアタシよりも二つも年上なのだ。
アタシがこの人と出会った時には既にこの姿だったし、たぶんその時からまったく変わっていない。
どう考えても普通ではないのに、ご主人の自分自身に対するどうでも良さそうな態度が少し気にかかる。
「お嬢サマってさぁ……」
「ん?」
「自分の身体がおっきくならないこと、当然と思ってるトコありますよね」
アタシの言葉に、ご主人はピクリと反応した。
前から、少し不思議だったのだ。ご主人は自身の発育不良を自虐ネタのように使うことはあっても、そのことを嘆いたり、真剣に悩んでいる様子は一切ない。こうして学院で生活し始めて、同年代の女子学生に矮躯を馬鹿にされることがあっても、どこ吹く風と微塵も堪えた様子がない。クラ姉とかフレンネル様のような女性的な体型の持ち主と並ぶことがあっても、羨むような気配すらない。
いつまでも幼い身体を、そういうものだと納得しているようにしか見えないのだ。
「別に思うところがないわけではないが……」
ご主人は浴室の扉を開きつつ、
「言われてみれば、自分が成長しないことに、疑問を持ったことはなかったな」
やっぱりどうでも良さそうに、そう言った。
2021/5 細部の描写を修正。




