20話_side_Cl_学究区_ガゼボ
~"御傍付"クラリス~
学院の昼休み。
私は寮のキッチンで調理した昼食を手に、いつも通りの場所でお嬢様をお待ちする。
お嬢様は大変小食なお方なので、学院の食堂などで提供される食事では量が多すぎるのだと仰られ、私が毎日お嬢様に合わせたお弁当を調理してお届けすることになっている。
正直、私の料理の腕前など最低限のものでしかなく、屋敷や学院の料理人などとは比べるのも烏滸がましいレベルだ。
食堂の食事が多すぎるのであれば、余分は残すなり、最初から少なめにしてもらうなり、やりようはいくらでもある。貴族の子息令嬢が多く通う学院の施設なので、その辺の融通はかなりの幅で利くのだ。
無論、無理を通すにはそれなりの家格と経済力が求められるが。
実際、お嬢様も最初は何回かそうして食堂なりを利用しておられたようなのだが、最終的に『結局クラリスのが一番美味い』などと仰って私に昼食を用意するように命じられたのである。
私の料理など侯爵家仕込みどころか貧民街の孤児院仕込みなのだが、何故お嬢様のお口に合うのだろうか。
言うまでもなく使用する食材は最高級品だし、私とてメイドとして勤め始めてこの方、料理の勉強もそれなりにはしているつもりだが、だからと言って私自身の味覚がそもそも貧乏舌なのだから、出来上がる料理も推して知るべしなのだ。
お茶請けの焼き菓子とかだって、プロが作った高級品よりも私が素人仕事で作ったものを好まれるし。もしかして味音痴なのではと疑ってしまったこともあったが、そんなこともなさそうだし。
疑問は尽きないが、仕事は仕事だ。
命じられた以上、私は拙い腕で調理をして、お嬢様にお届けするのみ。
それに、まあ。
私がこの手で作った料理を、美味しそうに食べてもらえるのは、正直とても嬉しい。
お嬢様ったら普段はずっと不機嫌そうな顔をしておられるのに、私の料理を食べた途端に、ふにゃっと柔らかな笑みを見せてくださるのだ。
あれは、ズルいと思う。
あんな表情を見せられては、ちゃんとプロの料理を召し上がったほうがよろしいですよ、なんて言えるわけがない。拙い腕で頑張ってお弁当作っちゃうし、少しでも美味しく召し上がって欲しいと思ってしまうではないか。
なんだかなぁ、と思う。
お嬢様はこの学院に勉学のために在籍しているのであって、私達はその公私のサポートのためにここに居るのだ。だというのに、お嬢様と同じお部屋に住まわせて頂いていることと言い、私ばかりがこんなに幸せで良いのだろうか。
きっと、お嬢様にそんなことを言えば『幸せの基準まで貧乏な奴だ』と笑われてしまうのだろう。
恙無くお嬢様に昼食をお届けし、そのまま適当な場所で食事を取るお嬢様の給仕を務め、そして図書館へと向かわれるというお嬢様をお見送りする。
学院の昼休みは、貴族階級の学生が優雅に食事をし、食後のティータイムを嗜む時間があるくらいには余裕が持たされている。
お嬢様の場合は食事の量が少ないのもあって、大抵はさっさと食事を済ませて、空いた時間は自学にあてるのだという。
お嬢様と別れた私の手には、今日も綺麗に召し上がっていただけたお弁当の空容器と、もしもの時のために余分に作ってある昼食の残りを入れたバスケットがあった。もしかすると、お嬢様が普段よりも多く食事を召し上がられるかもしれないので、そうなった時のために余分に用意しておくことは当然である。ついつい張り切って作り過ぎちゃったとか、多めに作ってその中から上手にできたものをピックアップしてお嬢様にお出ししているとかではない。ないったらない。
なお今のところ、役に立ったことはない。
いつも通り、そのまま寮に持って帰って私かフォノンの昼食になるだけだ。
「…………?」
寮までの帰り道を歩く私は、その道中で妙なものを見る。
道端のベンチに一人の女子学生が腰掛けていたのだが、俯いて動かないのだ。
転寝でもしているのかと思い、女性としては不用心だけど、見たところ平民階級の子のようだし特に気にするほどでもない。と、そのまま通り過ぎるつもりで歩を進めた私の視線の先で、不意にその少女が立ち上がろうとして、すぐにその場にへたり込んでしまったのだ。
「流石に、見過ごせないですよね」
もし体調が悪かったりしたらことだと、私は足を速めてその少女の傍らに寄った。
女の子らしく脚を畳んで地面にぺたりと座り込んだ少女は、どうやらお嬢様と同じ一年生だ。俯いてしまっているので容貌は窺えず、私からは彩度の高いストロベリーブロンドの頭が見えるだけ。
「いかがなさいました?」
私が声を掛けると、少女はびくりと肩を跳ねさせ、何かを言おうとしたようだが声にならない様子だった。
見れば、微かに震えている少女は腹部の辺りを両手で押さえていた。
これは、本格的に体調が悪いのかもしれない、と思い私は傍らに膝をついてその背中に手を当てた。
「大丈夫ですか?人を呼びましょうか?」
「そ、それ……」
それ?と私が少女の顔を覗き込むと、どうやら私が持っていた昼食用のバスケットを見ている様だった。
ちなみに前髪の隙間から覗く少女のかんばせは、エメラルドグリーンの瞳が目を惹く、相当な美少女であった。
「い、いい……」
「あの?どうしました?」
唇を戦慄かせる少女の、あまりに尋常でない様子に、私の頬にも冷や汗が伝う。
私が対応を決めかねていると、少女は一層お腹を押さえて縮こまりながら、言った。
「いい匂いがするぅ……」
「は?」
それと同時に、響き渡る得も言われぬ音!
発信源は少女が両手で押さえたお腹。
彼女の名誉のために詳細は伏せるが、その音は淑女として完全にアウトだと思います。
「このご恩は、一生忘れませんっ!」
深々と頭を下げる少女の対面で、私は「はあ」と曖昧な返事をする。
少女が座るテーブルには、私がお嬢様のために用意した余分の空容器が。
その中身は、空腹過ぎて行動不能になるという前代未聞の窮地に陥っていた少女の、細いお腹にぺろりと消えた。
「何故、学院の中であのような事態になっていたのですか?ええと、」
「あ、わたしミアベル・アトリーと申します!一般ピーポーの一年生です!」
「ぴ、ぴーぽ……?」
そこはかとなくフォノンと気が合いそうな雰囲気のミアベルさんが語って曰く、彼女は見ての通りの平民階級の出身で、特待生待遇で学院に通えているものの実家はとても裕福とは言えないのだとか。
学院の格式相応にお値段の張る学食や、学内の食事処を毎日利用できるような余裕はなく、専ら寮のキッチンを使って自炊することにしているらしい。ちなみに平民階級の寮は相部屋で、キッチンも共用である。なお当然ながら平民をターゲットに据えた食事処だって学内にはあるが、外部で言う平民向けよりはだいぶお値段が張るようだ。
なので、今日も例によって自分のお弁当を用意して来ていたらしいのだが、
「ちょっと、ダメになっちゃって」
「ダメになった?」
ミアベルさんが見せた複雑な表情を見て、私は敏感に察した。
たぶん、不慮の事故とかでなく、人為的にお弁当を台無しにされたのだ。
つまりは、いじめ。
ミアベルさんは相当な美少女だし、裕福でもない平民階級で、特待生ともなれば同級生の貴族令嬢たちにとってこれほど面白くない存在はそうは居ないはずだ。貴族と言っても誰もがプリムローズお嬢様や、フレンネル様たちのように人格者ではないのだ。
むしろ、親の権力を我がものと勘違いした傲慢な令嬢など珍しくもない。
「ご友人とかは……?」
「知られると、心配かけちゃうし、迷惑もかけちゃうから」
故に、昼食を台無しにされた事を友人には告げず、あんな場所で一人空腹に耐えていたのだろう。この学院の施設は格式相応に広大だし、講義は基本的には移動教室らしいから、仲の良い友人同士といえども昼前の講義で別れてしまえば、そのまま昼食は別個に……というのは然程不思議な話ではない。勿論、人によるとは思うが。
だが、たった一食抜いた程度で動けない程になるだろうか?
「ちなみに、それは今日だけの話ですか?」
「ええと、ここ一週間くらいかなぁ……?」
「一週間も!?」
「あ!いえでも、朝と夜はちゃんと食べてますからっ!」
そういう問題ではない。
育ち盛りの少女が、一週間も昼食抜きで過ごして、体調に悪影響が出ないはずがない。今のところはまだ目に見えての影響は出ていないようだが、いつ身体を壊してもおかしくない。
「ご友人も、薄々気が付いているのではないですか……?」
「あはは、たぶんバレてるかなぁ?」
「きっと心配していますよ」
「そう、ですね。わたしも、こんなに長引くとは思わなかったというか、こんなに手も足も出ないとは、思わなかったっていうか……」
要は、貴族連中の陰湿さと執念深さを甘く見ていたのだろう。
「ご友人に心配を掛けまいとする志は大変立派ですが、それで倒れては余計に心配を掛けるだけですよ」
「大丈夫です!わたし、そんなに繊細な育ち方してないんで、この程度でへこたれませんっ!」
「私が通り掛からなかったら倒れていたと思うのですが……」
「大丈夫です!この一週間で気付いたんですけど実は空腹にも波があって、お腹減って動けなくなっても、じっと待ってればそのうち再起動するんですよ!だからさっきも、あのまま座ってればそのうち回復したに違いないんですっ!」
「…………」
「あ、でもでも!ご飯を恵んでくださったのにはほんとにほんとに感謝していて、すっごく美味しかったし――」
彼女の謎理論を聞きつつ、私は頭を悩ませていた。
話せば話すほど心配になる。
この子、放っておいたら死ぬんじゃないだろうか。
私自身、執拗ないじめを受ける辛さは身をもって知っている。なんてことないように明るく振舞っているミアベルさんが、傷付いていないわけがないことなど手に取るようにわかる。
彼女の友人と言うのがどんな人かは知らないし、彼女自身が隠しているのだとしても、もし本当に一週間も状況に気付かないようであれば正直あまり期待は出来ないように思う。なんとなく気付いていたとしても、仲が良いからこそ踏み込めないこともあるだろうし。
となれば、ミアベルさんを助けてくれる人など、もしかして誰も居ないのではなかろうか。
勿論、だからと言って私に何ができるとも思えない。
たかがメイドでしかない私が学生間のトラブルに割って入れる道理無し。まさかお嬢様に助けてやって欲しいなどと言えるはずもなければ理由もない。
でも、こうして話を聞いてしまった少女のことが、どうしても他人事には思えないのも事実で。
理屈や立場を抜きにすれば、私個人の思いを言えば。かつて私がお嬢様に助けていただいたように、同じ辛さを味わっているであろうこの健気な少女を助けてあげたい。
私が、お嬢様と出会って救われて、今感じている勿体ないくらいの幸せの、ほんのひと欠片でも渡したい。
まずは、お嬢様に詫びなくてはならない。
私の一存で勝手にミアベルさんに恵んでしまった食事だって、材料費は侯爵家の財布から出ているのだから。ミアベルさんの事情が事情なので、見殺しにするくらいなら恵んでやれとお嬢様ならば仰るだろうが、それを勝手に判断したのは私の咎である。
それから、お願いするだけしてみよう。
この後もミアベルさんの窮状が続く様であれば、今日のように余ってしまった食事をわけてあげたいと。
その結果、私の分の食事がなくなるのだとしても、それこそ一食くらいどうとでもなるのだし。
「そろそろ、午後の講義が始まるのでは?」
「あっ!ほんとだもう行かないと!」
ミアベルさんは時計を確認して大慌てで立ち上がり、条件反射みたいに走り出そうとして咄嗟に踏み止まり、勢い余って一回転して私に向き直った。
くるくると良く変わる表情が愛らしくて、私は同情を抜きにしてもすっかりこの子が好きになってしまっている自分に気付く。
「あのっほんとにありがとうございました!ええっと――うわやだ!わたしったらお名前も訊かずにとんだご無礼を!?」
「それを言うならこちらこそ。名乗りもせずに申し訳ありません」
彼女に合わせて立ち上がり、お仕着せのスカートをちょんと摘んで一礼する。
「アシュタルテ侯爵家に仕えております。メイドのクラリスと申します」
侯爵家と聞いて「ひぇっ」と小さな悲鳴を上げたミアベルさんににっこりと微笑みかける。
「以後、よろしくお願いいたしますね?」
2021/5 細部の描写を修正。




