13話_side_Io_回想
~"黒髪令嬢"イオ~
「直に会うのは八年振りか」
プリムローズ様のその言葉を聞いた時のわたくしの高揚といったらもう!
過去に、それも八年も前に一度会っただけだというのに、覚えていて下さったのだ。
これを感動せずしてどうすると言うのか。
彼女との出会いはわたくしにとっては一生の宝物なのだけど、きっと彼女にとっては取るに足らない一幕に過ぎない。
その取るに足らない出会いを、覚えていて下さっただけのことが、こんなにも嬉しい。
プリムローズ様とわたくしの出会いは、とある侯爵家で開かれたお茶会だった。
集められたのは、主にその侯爵家の奥方の息女と同年代の娘を持つ家。
つまりは奥方同士の交流と、幼い令嬢同士の顔合わせを兼ねた、飾らぬ表現をすればママ友の会だ。
上は侯爵家から、下は子爵家まで、十人程度の令嬢が一堂に会した。
わたくしがそれまでに参加したことがある茶会といえば、殆ど親戚同然の家が主催した身内の集まりくらいのものだった。だから、付き合いのない他家の令嬢と交流を図ったのは、それが初めてと言ってもよかった。
お友達ができるといいわね~などと母上とお話ししながら、期待半分不安半分でおめかししたものである。
母上を含む奥方たちは侯爵家の庭園を臨むガゼボで交流を始め、わたくしたち令嬢はその庭園の中のテーブルにて顔合わせとなったのだ。
そして挨拶を失敗しないように、心の中で何回も練習しながら、いざ他家の令嬢たちの前に立ったわたくしは、
「――なにそのかみ。きもちわるい」
主催した侯爵家令嬢の、その言葉で冷や水を浴びせられたのである。
確かに、この国では黒髪というのは珍しい。
それは他国の民族の血が入っているということだ。
民族同士の交流が盛んな辺境の平民階級などでは、黒髪の一族は珍しいもののそれなりに見られると聞く。ただ、少なくとも高位の貴族階級で黒髪を有するのは我がフレンネル家だけだ。
フレンネル家は歴史ある一族。王家の信頼も篤い忠義の家だ。
だから黒髪はフレンネル家の誇りだし、他の家もそれを尊重する。何故なら、フレンネル家の黒髪は王家に認められた色なのだから。
だけど、物事の理非を知らぬ子供に、そんな理屈は通用しない。
王家の庇護の介さないこの場では、わたくしの黒髪は、ただの薄気味悪い色でしかなかったのだ。
「やぁね、その色。まるでおとぎばなしの『よいのまおう』だわ」
あまりにもな侮辱だった。
お前の髪は魔物と同じと言われたのだ。
この茶会の主催である侯爵令嬢がそう言い放った瞬間に、その場でのわたくしの立場は決まってしまったのだ。その令嬢の言葉に追従して、他の令嬢も口々にわたくしの黒髪を辱める。
子供心とは残酷で、彼女らはなにも深いことなど考えていないのだと、幼いわたくしでも理解していた。
だからこそ、辛い。
だって、利害の計算も裏もなく罵倒と侮辱が降り注ぐということは、彼女らは皆、素直に心からわたくしの髪を忌むべきものと感じていたことに他ならないのだから。
思えば、共通の敵を作ることで自分のシンパを増やそうとする、侯爵令嬢の無意識のプライドがそうさせたのかもしれない。
子供心にもわかるのだ。この場で最も逆らってはいけない相手は侯爵令嬢であると。
それはわたくしにもわかっていたから、必死に涙を堪えて耐えることしかできなかったのだ。
幼い令嬢の罵倒のレパートリーなどたかが知れていて、すぐに黒髪に関する罵詈雑言は尽き、髪とは全く関係のない部分の、わたくし自身を辱める言葉が続く。
お友達ができることを願って、母上が着付けてくれたドレスやアクセサリーを貶されるたびにわたくしの心が冷たくなっていく。
ついには、彼女たちは言葉だけで満足できなくなる。
「いいことをおもいついたわ!」
そう、嬉しそうに侯爵令嬢が声を上げた時、わたくしはそれが処刑の宣言にしか聞こえなかった。
そして予想通り、
「みんなでお紅茶をかけてあげましょう。そうしたら、きっと黒いのがとれてきれいになるわ!」
彼女がその言葉の通りに綺麗になるとは微塵も考えていないことは明らかだった。
周りの令嬢は流石にそれは躊躇する様子を見せていたけど、権力を握っている侯爵令嬢に睨まれれば従わざるを得ない。逆らえば、次の瞬間にわたくしと同じ立場に立たされるのは目に見えているのだから。
わたくしは完全に脚が竦んでしまっていて、身体が震えて、声を上げることも逃げ出すことも出来なかった。
令嬢たちが手に持ったティーカップから、一斉に紅茶がわたくしの頭目掛けて降り注ぎ、
綺麗な綺麗な、氷の華が咲いた。
令嬢たちがぶちまけた紅茶は、わたくしの頭の上で、空に縫い付けられたように凍り付いていた。
それがまるで咲き乱れる華のように美しく、舞い散る花弁のように雅で、わたくしは涙を忘れて魅入ってしまった。
光彩陸離と光を放つ、琥珀色の幻想華。
「――――おい」
可憐だけど、どこか底冷えするような声が響き。
調子に乗っていた令嬢たちが一斉に飛び上がる。
全員が視線を向けた先には、只一人、騒ぎに乗じず紅茶を嗜んでいた令嬢が居たのだ。
「紅茶は飲むものだ。ぶちまけるものじゃあない」
当たり前のことを当たり前のように言った彼女は、淡雪色の長髪と、明るい夜みたいな瑠璃色の瞳を持つ、浮世離れした美貌の少女だった。
この場で唯一、主催の家と同格の爵位を有する家の令嬢。
堂々と、真正面から主催の令嬢に意見できる立場の人物だった。
彼女はこの場の他の令嬢たちと比しても一層小柄な少女だったけれど、ただ大人しく座ってカップを傾けているだけの姿に、恐ろしいほどの気品と迫力がある。
なにより、誰にも悟られることなく、お茶を嗜む姿勢のまま、わたくしに降り注ぐ紅茶を一息で凍結させた尋常ではない魔法技能。
誰がどう見ても明らかな劣勢を感じ取ったのか、侯爵令嬢は「こんなのほっといて、むこうであそびましょ!」と負け惜しみを吐いて、他の令嬢を引き連れて去っていってしまった。
あとに残されたのは、やっとこわばりが解けてその場にへたり込んだわたくしと、去り行く彼女らを冷めた目で見送った白い少女だけだった。
「子供ってざんこくよね」
自分も子供だというのにそんなことを呟きつつ、彼女はぴょんと椅子を飛び降りると、へたりこんだわたくしの元まで歩いてきた。
そして小さな白い手をわたくしに差し伸べた。
「プリムローズ・フラム・アシュタルテよ。貴女は?」
「いお……いお・きさらぎ・ふれんねる、です」
伯爵家だね、と呟いてプリムローズ様はわたくしの手を握り、ふわりと立ち上がらせてくれた。
たぶんこれも魔法だったのだろう。ドレスの重さがなくなったみたいに、わたくしの身体が一瞬羽のように浮かんだ。
それから彼女が可憐な唇でフッと息を吐くと、冷たい風が吹き抜けて、へたり込んだせいで僅かに汚れてしまったわたくしのドレスを綺麗に浄化していく。
すごい、と思った。
まさしく息をするように魔法を使う彼女が、同年代の少女だとは到底思えなかった。
まるで、おとぎ話に出てくる雪の妖精が、本の世界から飛び出してきたみたいだった。
呆然とするわたくしの顔をおかしそうに見遣ったプリムローズ様は、面映ゆそうに大きな瞳を細めた。
「くだらない集まりに呼ばれたものだとへきえきしていたのだけど……きた意味があってよかった」
「え…………?」
プリムローズ様は、わたくしの黒髪を一房手に取って、大切そうに微笑む。
「私、黒髪がいちばん好きなの」
だから、と。
「貴女の髪、本当にきれいで、大好きよ」
凍り付いた紅茶の華がきらきらと反射する光の中で、妖精のような彼女は、にっこりと笑ってくれたのだ。
茶会の帰り道で聞いたことだけど。
実は母上はわたくしと他の令嬢たちとの遣り取りをこっそり見ていたらしい。
黒髪に対するいわれなき中傷というのは母上も昔経験したことがあるのだそうで、遅かれ早かれわたくしも一度はそういう目に遭うだろうから、所謂通過儀礼的なものなのだと。何故ならば、三百年前の『宵の魔王』の外見についての確かな情報は現存していないと言われているが、その名の通り宵の如き黒い髪であったというのが通説だからだ。
だからこそ王家が『フレンネルの黒髪』と特別視することで魔王を連想させないための差別化を図ってくれているのだけど、幼い侯爵令嬢が言ったように、黒髪は本質的に迫害されるリスクを孕んだ色なのだ。
とは言えど、まさか紅茶を掛けられそうになるとは流石に思っていなかったらしく、母上には見通しが甘かったと謝られた。
同時に、あんな風に素敵に助けてくれる人が居たことを、羨ましいとも。
母上は優しく笑って、わたくしの頭を撫でてくれた。
「アシュタルテ家のお嬢様……あの方となら、きっと良いお友達になれますわ」
母上の言葉に、わたくしは頷く。
なれる、と思うし、それ以上になりたいと思う。
そう思いつつ、わたくしは胸の内に燈った暖かい、未知の感情に戸惑っても居た。
アシュタルテ家のプリムローズ様。
その名を心の内で繰り返すほどに、わたくしの頬は熱を帯び。
氷の華の下で、わたくしの黒髪を大好きだと笑んでくださった可憐なお顔を思い出すだけで、心の臓がとくとくと高鳴るのだ。
「母上、わたくし、恋をしたかもしれません」
「あらあらぁ。なら、あの子の隣に立つためにもっといっぱい綺麗になりましょうね?」
「はいっ!」
今だからこそ思うが。
……母上、その反応は流石に間違っていたと思います。
その日から、フレンネルの黒髪は、わたくし自身の誇りとなった。
プリムローズ様が好いてくれた黒髪が、わたくしも大好きになった。
誰に心無いことを言われようと、意に介さないだけの強さを身に着けた。
だけど、それ以後プリムローズ様が他家の茶会に参加することはなかったし、わたくし自身が招待状をお送りしても応えては下さらなかった。夜会などでお顔を見かけることもなく、ただの一度も再会することなく時は過ぎ、わたくしは学院に入学することとなる。
初対面の時、既にあれほど優れた魔法使いであられたプリムローズ様ならば、必ずこの学院に通われるはずだった。
その予想は正しく、然程労せずプリムローズ様の姿を見付けることができた時、そこには記憶の中の美しい姿と殆ど変わらぬ、雪の妖精の如き少女が居た。
噂では存じ上げていたが、まさかこれほどまでにお変わりないとは思わなかったけれど。
きっと、だからこそ茶会や夜会を頑なに避けておられたのだとなんとなく察する。実のところ、わたくしと彼女が出会ったあの茶会だけが例外だったのだ。あの場にプリムローズ様が居られた意味とは、あの茶会の主目的がそもそも、主催の侯爵家とアシュタルテ侯爵家の令嬢同士の格付けを意図したものだったからだ。つまりはあの侯爵令嬢の思惑は、プリムローズ様を自分のホームに呼び付けて、わたくしという生贄を使ってシンパを増やして場の流れを掌握し、そのままの流れでプリムローズ様をも下すつもり……だったところがあっさりと返り討ちにあった。というのがあの顛末だったのだ。
わたくしはそれを知り、運命を感じた。
だってそうでしょう。
プリムローズ様が茶会に参加された数少ない機会にわたくしが居合わせ、そして彼女に救われ、あのお言葉を頂いたのだ。これを運命と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
その運命の紡ぎ手という意味では、あの主催の侯爵令嬢に少しだけ感謝すらしてもいい。
だから、わたくしは積年の慕情を乗せてプリムローズ様の名を呼ぶ。
もう一度、願わくば何度でも、この自慢の黒髪を褒めていただけたらば、と。
期待に胸を高鳴らせながら。
2021/5 細部の描写を修正。




