こころ
「あのとき、どうしてこなかったの。」
りなちゃんが不意に発した。
「あのとき?」
おれはりなちゃんへの初恋の想いは完全に無かったこととして記憶を封印していたからか何の時かまったく覚えていなかった。
「藤島が言ったでしょ?私が公園にいるって。」
「あ、卒業式の日?」
そうだ、思い出した。三角関係がどうのこうのって言われたんだ。おれとりなちゃんが三角関係みたいなことを言われたのを思い出した。その時は全然意味がわからなかったし、半ば既に諦めていたこともあり、自分の心に何も響かなかった。むしろ、高校生という未来に賭けたかった。結局それから何も無かったのだが。
「私ずっと待ってたんだよ。」
聞き間違いかと思った。待ってた?意味を整理できずにいる。
「黒崎が公園に来るように藤島がうまくやるって言うから私待ってたのに、黒崎は来なかったよね。どうして?」
どうしてって、どういうことだ。
「だって、あの時野球部のやつらとかもいたんだろ?そんなところにおれが行ったって」
「私しかいなかったよ。」
「え?」
「黒崎だけを待ってた。」
心臓が急に激しく鼓動する。こんな鼓動、中学生ぶりだ。
「なんで待ってたの?」
恐る恐る聞いた。りなちゃんがおれを待つ理由。りなちゃんは学校のマドンナで、おれは学校でもおとなしい方のなんの取り柄もない男。唯一話すのはこのマンションのエントランス前での1分ほど。たったそれだけ。それだけでまさかりなちゃんはおれのことを。
その先を聞きたいが聞けない。りなちゃんもなかなか話そうとしない。沈黙が続く。
「言わせないでよ。」
りなちゃんは顔を赤らめておれに近づいてきた。おいおい、こんな急展開ありかよ。中学卒業から大学生までひたむきに色々頑張ってきてよかった。心からそう思った。
「なーんちゃってね。」
え?
おれの耳元まで顔を近づけてりなちゃんはそう言った。
「黒崎、私のこと好きだったんでしょ?藤島からこの前聞いたんだぁ。」
「は?」
さらに心臓が激しく動く。でもさっきまでの鼓動とは違う。動揺が止まらない。
「たまたま久しぶりに藤島に会ってさ、黒崎の話になったんだけど、そしたら急に黒崎が私のこと好きだったんだよって教えてくれて。私ったらそんなの全く知らなかったよ。教えてくれればよかったのに。」
何言ってるんだ。恥ずかしさと怒りが込み上げる。
「付き合えたかはわからないけど、大人の関係にならなれてたかもよ?」
りなちゃんはそう言うとさらにおれにせまってきた。りなちゃんの唇が目の前に迫る。同時にタバコの匂いがした。別に嫌な訳じゃない。バンドをしてるときに美人な人がたばこを吸う姿に見とれることもあった。だけど、中学の頃の記憶で止まっている彼女に対してはなぜが嫌悪感があった。
おれは不意に彼女を突き飛ばした。
「きゃっ!」
そして逆におれがりなちゃんに覆い被さるように迫った。
「ちょ、やめてよ。」
どういう気持ちで彼女を押し倒したのかおれもわからない。何をしたいのかもわからない。色んな想いが交差した。
「かえれ。」
自分でも思いもしない強い言葉が出た。
「え?」
「かえってくれ!」
りなちゃんは動揺しつつも無言でゆっくりと立ち上がり静かに走り去っていった。