第8話 ボス戦?
――死んでいた。厳密には、少しだけ違う。
“ソレ”は背中から前面へ、鎧をも穿いて、アレンの心臓部を的確に貫いていた。
「――げブっ」
口から思う様に吐き出される真っ赤な血。
本来なら倒れているハズのその身体は、体を穿つ異物によって支えられ、グネグネと蠢くソレに合わせて身体が蠢く。
「ぃ――ぃや…………なぁ……ん、デ……」
ケイシーは突然の出来事に理解が追いつかず、恐怖に膝の力が抜け、ただ彼を貫くモノを目で追う事しか出来なかった。
……ソレは、狼の落ちてきた穴から伸びていた。
複数の繊維で構成された筋肉のような長い物体。先にはアレンを貫いた鉤爪のような物が付いており、彼の肉片を湛えながらぬらりと光る。
「――ぅあ゛、ぐボ……ァ…………ううゥ……い……」
とめどなく垂れ流される血の濁流の隙間から、アレンの呻き声のような、苦しそうな声が漏れる。
彼は死んだ。死んでいる、ハズだった。それなのにまだ生きている、まだ動くという事は――
「最悪だな」
アレンを突き刺したモノと似た物体がそこらの天井から床へ穿たれ、出口を閉ざされる。
「いゃぁああ! アレンッ、助けるから! ――ッこのっ、離れろ!!」
ケイシーは、アレンの元に走りよると、彼の肩を掴んで全身全霊引っ張るが、離れない。
たった一本の線だ、引っ張れば少しはズレそうなものの、一ミリたりとも動かないのはまるで、彼の体と一体化してしまっているかのようで――
「おい、何をしている。早く“ソレ”を離せ!」
ユリセアが言う。
「――ッ?! 何、言ってんのっ……っヤ゛ァァッ! いやだ、離さないッ……ッなアア! はな……れないッ! なんでっ、いやだ! まだ生きてるのに……ッ! 絶対に助け――っわァァ!!」
「ケイシー!」
突然、引っ張っていた力が全て自分に流れ込み、アレンの体を掴んだまま仰向けに倒れる。
繊維を断ち切ったのはアキだった。……当然だ、少し前まで普通に会話していた、彼にとっての恩人である。瞬発的に体が動かない訳が無い。
「馬鹿じゃないのか? 心臓を貫かれて生きている訳がないだろう。ソレはもうダメだ、早く――」
「違う! アレンは生きてる、生きてるに決まってる!! それにやだよ見捨てるなんてっ、アレンは仲間でしょ? それなのにっ、そんな言い方しないで――」
ユリセアとケイシーが言い合っていると、突如、ビッくん!! と倒れていたアレンの背中から垂れた管が暴れ出し、そのまま、彼の体の中へ侵入していった。
「グぁ――ァ゛、ぉ゛……ッぇ……――ぃ゛ア……」
まるで死にかけの魚が跳ねて苦しむかの如く藻掻き、地面を涙で散り敷く彼だが、やがて侵入が終わると今度はピタリと動きが止む。
「アレ、ン……っ、だいじょう、ぶ……?」
「――ァ、……ッイ…………けェ、ろ……ッ――――」
左右に激しく痙攣する眼球。最後の力を振り絞って何かを伝えようと呟くが、届かない。
ふと、地面に寝かせられた腕が持ち上がる。ソレはガクガクと震え、彷徨いながら、ケイシーの元へと伸びてゆき――瞬間。まるで別の意思を持ったかのように跳ね上がり、彼女の頭を打ち下ろした。
「――ウア゛ぁァッ!!」
骨が砕けてしまいそうな痛みが走る。全身に痺れが走り、口からは透明の液体を吐いた。
「――ィ、ァ゛ぁ……ナん、で…………あれ、ん」
まるで自分自身の動きに抵抗するかのように、今にも崩れ去ってしまいそうに震えながらアレンは立ち上がる。血と涙を流す痙攣した両眼、その表情は誰がどう見ても狂人のソレであり、背中の剣の鞘に手を掛けるとケイシーの方へと振り翳す。
「――ッ、馬鹿が!」
しかしその攻撃は、ユリセアの放った魔法によって遮られる事となる。
列をなす魔法文字が彼の足元周囲を取り囲む。同時に気が付いたアレンが後ろに逃れた直後、ゴスッという鈍い音と共に、複数の黒い杭が天井目掛けて突き抜けた。
彼が地面に着地した瞬間、再び魔方陣が彼の足元を取り囲むが同様に躱す。三発目、四発目も同じで、空間にはゴッ、ゴッ、ゴッと鈍い音がひたすらにも響き渡る。
「おい、立って見てないでお前も殺れ」
「いゃ、ま……って! ユリセアちゃん待って!」
気が付けばアキのすぐ目の前に来ていたアレン。
殺れ――それは分かっている。殺らなけらば殺られる。刀を前へ突き出すだけだ、簡単な事じゃないか。だけど――
「――クソッ!! おい、目を覚ませって!!」
殺す事は出来なかった。
刀を持ったまま彼を後ろから羽交い締めにする。刃先が彼の首元に触れ、ふと脳裏に今までやりとりがフラッシュバックした。
何もかもが分からない状況の自分を助けてくれて、怪しい自分に色々と教えてくれた。あのまま生きていれば良き友人になれたかもしれない、まだ助かる可能性だってあるかもしれない。
――アレンの意識はまだ生きている。自我を持ちながら操られている彼を攻撃する事は、アキにとって大変苦痛であり、それ以前に人間を殺す事には抵抗があった。
「動くなよ」
彼らの直線上、ユリセアが人差し指を向ける。直線上に三重の魔方陣が現れ、消え、入れ替わるように一本の太矢が形成、ごうっと空を切りながら真っ直ぐに飛来する。
「死ね」
矢との距離が一気に縮まる。
刺される――アレンだけでなく、自分までも刺されてしまいそうで目を瞑るが、それは甲高い音と共に掻き消えた。ケイシーが弓で魔法を叩き落としたからだ。
「待ってよ! アレンはまだ意識があるんだよっ? なのに、どうしてそんな事が出来るの?!」
ユリセアとアレンの間に立ちはだかって叫ぶ。
「まだ方法があるかもしれないじゃない! 諦めちゃだめだよ、みんなで生きてここを出るの。誰一人死んだりなんかしないのっ! だから――」
「やれ仲間だの、やれ助けるだの、何だ、君の頭の中にはマシュマロでも詰まっているのかい? この状況を見てみろ、具体策も何も無い癖に理想を語るな。時間が無い、死にたくなければ其処を退け」
「イヤ! 死にたくないけど、殺したくない! 方法はきっと今からでも……」
そう、言いかけた直後。
突如ガゴンッという重い音と共に空間が大きく揺り振られ、バランスを崩して床に手を付く。その隙にアレンは抜け出して剣を構えるが、それすら続く第二波によって遮られる。
「な、なに……っ?」
パラパラと地面に落ちる砂や岩。……ぴしリ、ピしリとヒビ入る天井からは紅色の液体が流れ出し、繊維は更に暴れ出し、とうとう耐え切れなくなって……天井が崩れると同時に、大量の液体が降り掛かった。
「――――ッ……ァ!?」
それぞれ悲鳴を上げるが、岩の轟然たる音に掻き消され、身体諸共呑み込まれてゆく。
砂埃が辺りを覆う。束の間の静寂を破ったのは、バッグを犠牲に難を逃れたアキだった。
「ッい……ゲホッ……おい、みん……な……ゴホッ、無事、か……?」
「ゲホッ……ぃ、だい! ぁあ、あし……が……っっ!!」
ケイシーが苦しそうな声で答える。
先程怪我した足が軋む。魔紅力から覗かせる岩に足を置いているが、立っているだけでも精一杯だ。
「う……っあ――……っ……ゴほッ、……っ、ぅぁ……あた、ま……がっ…………」
次に右手で頭を抑え、途切れ途切れの声でユリセアが言う。
彼女はあの岩に反応出来る瞬発力も、機敏性も持ち合わせていなかった。体の様々な箇所と、特に頭を強く殴打し、顔を伝って血を流していた。
衝撃で頭がぐらぐらして、かなり意識が散漫する。これではマトモに魔法も使えない。
――膝辺りまで浸かった魔紅力。視界の邪魔をする砂埃もやがて掻き消えると、頭上から巨大な影が落とされているのに気が付いた。
【グぶぃぃぃィィィィ――――】
気味の悪い鳴き声。
影を伝うように確認した――それは、見上げる程の巨体の、豚のような顔貌の紅核生物だった。
人型とはいえ、その姿は化物そのもの。魔紅液を涎の如く流す裂けた口からは、鉤爪のような歯が覗き、背中側からはアレンを突き刺した筋肉繊維を生やして、天井に伸ばしていた。
「ひ、ぁ…………に、ぁれ……」
筋肉繊維は背中から遠ざかるにつれ網目状に分岐して天井や壁を覆い尽くしており、その天井の網目からは、幾多の生命だったもの――先程の岩狼の仲間たちや人間までも――が血を滴らせてぶら下がっていた。
【っブああ! ぐゴゴッ】
ふいに天井を仰ぎ見た豚は、繊維を使ってその中から一つを摘み取ると、まるで子供が駄菓子を前に期待を膨らませるかのように巨大な口の前へ持っていき、「幸せだ」と言わんばかりにむしゃむしゃと貪った。
「っえグ…………うえ゛ぇッ…………」
ショックが大きかったのか、ケイシーが蹲って吐き出した。アキも彼女と同じ気持ちになったが、ぐっと堪える。
【ッごブ】
気持ち悪く体を震わせて鼻を鳴らし、今度はいくらかの死体と繋がっている繊維を断ち切る。
びたん、と無様に地面に落ちる死体。その殆どが体が欠けていたりしてまともに動くような状態ではなかったが、体を痙攣させた後スラリと立ち上がり、彼ら三人の方へ牙を向いた。
「……あ、アレン…………」
死体軍団の奥の方から、アレンが岩の中から姿を表した。
右腕が折れていたが、体は彼らの方へ向き、涙を流しながら折れた右腕で武器を構えている。
【ぶギゅごぉぉおおおお゛お゛お゛オ゛オ゛】
「――――ッ」
大気を震撼させる雄叫び。同時に、アレンを含めたソレらが一斉に襲いかかる。
突撃の合図である。