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【この世界は死にました】  作者: もちきなこ
第1章 そして、終わりが幕を開ける。
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第6話 こちらの世界事情


 ――深い静寂に体が包まれる。


 動かない。動かそうとも思わない。

 まるで、暖かい泥に意識が埋もれてしまったみたいだが、とても心地良い。

 できればこのまま、なぁんにも考えないで、ずうっとこうしていたい。


 …………


 でも、そうもしていられない。

 ――ああ、今は何時頃だろうか。

 ……学校に……朝飯…………起きなきゃなぁ。


 ……いや、今日は休日だったかな。良かった、じゃあ大丈夫。まだこのままでいられる。


 …………


 あれ、いつ眠ったんだっけな。

 疲れたな。


 昨日は、時間を無駄にしたな。家出なんて……あの後、家に帰って両親に……



 …………あれ、いつ帰ったっけ。

 うん? 思い出せない。

 道から……公園……夕焼けに…………そして……



 ……そして……



 …………そし、て…………



「――ハッ!!」


 吸い込まれるようにパチリと目を見開き、一気に脳が現実へと引き戻される。


「……知らない天井だ」


 天井というよりも、岩肌。彼はゆっくり起き上がると、ぐるりと周りを見渡した。


 薄暗い、未だ洞窟内部の小さな空間。自分に掛けられた一枚の布と、横に置かれた刀が出口の光に照らされてよく見え、そちらからは小さく話し声が聞こえる。

 そこでアキは、ふと体の痛みが引いている事に気が付く。腕と肩に目線をやると、何かを染み込ませたような布の上から包帯のような物が巻かれていた。


 まだ少しだけ頭がぼうっとしている。……布を傍らに置き、少し前の事を思い出した。

 化物に殺されそうになっていた所を、猫耳の女性に助けられた。その後人間の男性がやってきて、最後に銀髪の女性を見て気絶。


「あ……」


 銀髪の女の子。名前はユリセアと言ったか、あの時は彼女を認識しただけでおかしくなってしまったが、今はそんな事は無い。実際見たらどうか分からないが……原因は魔紅力がどうとか言っていたから、それのせいなのかもしれない。

 ……しかし、かなり失礼というか、狂ったような態度を取ってしまったが、結局手当までしてくれたみたいだ。これはしっかりとお礼の言葉を述べなければならない。


 何やかんやと考えていたら随分と意識がハッキリしてきた。彼は頭をグシャグシャと掻いてから布と刀を持って立ち上がり、岩窟の出口から顔を出す。


「ん、……おお、起きたのか! なあケイシー、起きたって」

「ホントだ、起きたんだね! 具合はダイジョーブですか?」


 タッタッタッと二人が駆け寄る。

 アキは、此処は先程までいた場所とは随分様子が違う事に気が付いた。血管とかはあるけどそんなになく、普通の洞窟に紅い鉱脈がある程度だ。


「はい、おかげさまで。手当までして下さったみたいで……ありがとうございます。さっきの俺、かなり失礼というか、ヤバイ感じだっただろうに」

「あはは、さっきはヤバかったねー! でもそれよりも私は、君が“リジーアス”の研究者って方がビックリしたよ! まだ若く見えるのにね、すごいね、優秀なんだね!」


 そう笑いながらケイシーと呼ばれた猫耳は答え、アレンに「ねー!」とばかりに驚きの相槌を打ち合っている。

 アキはリジーアスとか訳の分からない事を言われて困惑したが、それより前に、もうひとつの気になる事を質問した。


「ところでここって……さっきのとこの上の場所ですか?」

「ああ、俺達が来た方だ。ほら、あそこがさっきの所」


 アレンが指さした方を見ると、そこには巨大な円状に窪んだ空間――アキが先刻までいた場所があったが、あの化物の死体はなかった。


「そうだ、あの紅核生物は解体しといたよ」

「ひェっ?! かッ、かい…………ッ!?!?」

「そう! リジーアスの人って解体とか見慣れてそうだと思ったけど、そうでもないの? 私達、ここの調査のパーティで、ユリセアちゃん解体がめっちゃ上手なの。やったら魔法について詳しいみたいだし……なんか、君と話がしたいんだってさ」


 解体と聞いて思わず声が上擦るが、それよりも何か誤解をされているのようで妙な不安が積もる。……リジーアスとは何だろうか。解体なんて見た事ないし、話がしたいと言われても化物の情報以外はサッパリだ。加えて、ユリセアは先の件から、何か起こってしまいそうで、会う事に少し躊躇した。

 せめてもう少し落ち着いた状態で話したいと思い、とりあえず誤解だけは解こうと口を開くが、


「あの……俺、多分誤解されて――――」

「ごきげんよう、リジーアス研究員。狂ってはいないようだな」

「そのリジーアス! ……って、うをぉあッ!?」


 不意に声を掛けられて振り向き……衝撃。紅色の液体がまるで返り血の如く飛び散った銀髪女性と、片手には液体が滴る拳サイズの紅色の鉱石――恐らく、あの化物の核――が、傷一つない状態で持たされていた。

 彼女はアキを一瞥してから、自分のバックから液体入り瓶を取り出し、その中に核を入れた。


「ふむ、何をしたのかは分からないが、魔紅力対策はしてあったみたいだな。……ああ、そうだ。あそこにいる彼は君の仲間かい? その件は……残念に思うよ」


 瓶の中の液体を揺らしながら、先程の空間の木の根元の死体に目線を投げて彼女は言う。しかしその表情は、憐れんでいるというよりはどこか冷たく、声調も皮肉を含んでいるような気がして、少しだけ……怖かった。

 しかし、誤解はそのままだが、彼女を見て何かが起こってしまうのではないかという不安は杞憂に終わった。何の情緒も衝動も湧かない、当然といえば当然なのだが、まるで先刻のアレが全て何も無かった事かのようだ。


「ところでさ、情報の共有も兼ねて聞きたい事が山ほどあるんだ。私も、彼らも……君もそうだろ?」


 まるでナニカの探りを入れるかのように彼女は言う。自分はリジーアスではないので、それが何なのかは皆目見当もつかなかったが、『残念に思うよ』なんて言葉は嘘で、彼女は少しも彼らを憂いてなんかいない、という事はよく分かった。

 とりあえず誤解を解かなくてはならない。そう思い、慎重に口を開いた。


「ええ、そうですね。……それで、とりあえず一つだけ、今すぐ言いたい事……というか、言わなきゃいけない事があるんですけど」

「言わなきゃいけない事?」


 三人がこちらを見る。

 少しだけ息を吐く。静寂が訪れる。思い切り息を吸い込み、今までの疑問を解くべく最初の一言を――言い放った。


「俺はリジーアスじゃないし、さっきから訳が分からないよ!!」



 ◆◆◆



「――と、いうわけで。俺はリジーアスの人間じゃないし、あとあの化物……『紅核生物』? の特徴は話したので全てです。……何というか、まともな情報なくて申し訳ない」

「いやいや、知性の度合とか、姿・能力を聞けたのでも充分だよ。命あっての物種だ、仕方が無い。それよりも…………」

「記憶喪失ってね……大変、だったんだね」


 二人は悲嘆に顔を歪めて、眉を顰めながらそう言った。

 彼らの期待は相当大きかったようだが、それに答えられないばかりか、記憶喪失だと嘘をつき、端から端(この世界で常識と呼ばれる部類)の知識まで色々教えて貰った事に不甲斐なさを感じる。


 そして同時に、教わった情報から出てきた感想は『こんなのってないよ……』といったものだった。


 まず、この世界はいわば異世界ファンタジーで、彼らは依頼をこなすため集められた即席パーティ。……冒険者のような物で『討索者とうさくしゃ』と呼ばれるらしい。

 依頼されていたのはこの洞窟の調査で、そこらに蔓延っていた、固体から気体まで様々な形を取る紅色の物質の事は、通称【魔紅力】、正式には【レデシアル(Redesial)】と言うらしい。


「じゃあさ、ここって“ダンジョン”みたいな場所なんですか?」

「ん? 違うよ! 魔紅力は場所によって濃度が違って、君の居た場所は多分レベル5……あ、特別濃い場所なだけ。魔紅力がない場所なんてこの世界のどこにもないし」


 ケイシーの言葉を思い出す。

 魔紅力の感染レベルは5段階で、レベル1-2は低濃度、3が中濃度で、4-5が高濃度区画。先程まで自分の居た場所は、恐らく最大レベルだという事だ。そしてポイントなのが、これはダンジョンではなく、普通の場所であるという事だ。一応【変性領域】という、特定区画の魔紅力の性質が変性し、まるで異空間のように成り果てたダンジョンのような場所もあるようだが……どちらにせよ、生きていける気がしない。


 ちなみに、アキの出会ったあの生物達は【紅核生物】と言い、普通の“魔物”とは違った存在らしい。魔紅力が取り込んだ生物情報を元に作られ、環境に応じて形質を変える不気味な化物。魔物やその他生物には存在しない『紅核』を持ち、それを壊せば死ぬが、壊さない限り幾らでも復活するらしい。

 しかし、人語を理解出来るレベルの知性を持つ紅核生物が発見された例はほとんど無く、しかも人型はかなりのレアだそうだ。だから彼らは情報を欲していたのだろう。


 そして、リジーアスについて。

 この世界は、広がり続ける世界各地の魔紅力や、次々と現れ、領域を広げてゆく様々な変性領域に悩まされており、このままではあと数百年程で世界が滅んでしまう……と言われている。

 しかし、そのこれを阻止すべく動いている組織も存在しており、代表すべき一つが誇り高き【リジーアス研究所】。その象徴である、彼の服に付けられている“銀色の紋章”を見て、彼がリジーアスの一員だと誤解したらしい。


「…………ぁあ」


 あまりにも酷い異世界事情に、溜息にも似た意味を持たない声が口から漏れ出す。心はヘドロのように重く、今にも泣き出してしまいたい。


「……大丈夫?」

「え? あ……」


 声を掛けられ、無意識に俯いていた頭を上げる。

 ケイシーの心配そうな顔が映る。そうだ、今は人がいる。悲しむのは、絶望するのは今ではない。


「……え、ええと、また質問なんですけど、紅核生物を簡単に倒せる……魔紅力特効薬みたいなのってないんですか?」

「……特効、薬……?」


 その質問に反応を返したのは、意外にもユリセアだった。


「えっと、紅核生物でも簡単に殺せる薬というか……なんか、死体が持ってた青っぽいポーションを使うと、紅核生物が簡単に倒せたんですが……そういうのって一般的なものなのかなって……」

「…………。……一般的なものじゃないが……ああ、そうだな。君の……いや、リジーアスの持っていたソレは、そういった代物で間違いない……だろうな」


 彼女にしては珍しく、若干はっきりとしない返答であったが、容量を得ることは出来た。


 あのポーション……アキは使った時の情景を思い出す。

 確かに強力だった。魔紅力とは無関係の、ただの人間である自分の身体に影響を及ぼす程に強力な特効薬。想像以上に物凄い代物であり、同時に普通は手に入らない代物だったようだ。


「ははは……」


 暗く、翳りを見せる重い笑顔が顔貌に浮き出る。

 一応魔紅力に感染しても、ある程度の濃度なら自然に回復するらしいが、一見大丈夫そうに見えても知らずの内に体内に蓄積し、後で発現する場合もあるという。

 細菌とウイルスの性質を混ぜて、もっとヤバくした感じ、というイメージがアキの脳内で定着した。


「個人差はあるんだろうけど、大体どんぐらいで手遅れに?」

「えっ、うーうー、そうだなー……。濃い場所に潜っただけなら、慣れてれば数日間居ても大丈夫だけど……例えば紅核生物にすごい大怪我負わされたり、魔紅力が傷口から多量に入ったり、飲み込んだりしたら死んじゃうかも……」

「エ゛ッ」


 その全てに思い当たりがある。

 ケイシーの台詞に思わず変な声が口から漏れ、同時にアレンがアキの傷口に目線を移動。そしてすかさず言い放つ。


「そ、だからおかしいって! この状態は普通狂ってるって。そもそも魔紅力触れたら……何ていうの、もっと酷い怪我になるっていうか、こう、グウォォアーーって、痛みで失神しそうなくらいにはなると思うんだけどな……何で大丈夫なんだ? やっぱりここ来る前に何かしてきたのか?」


「いや、俺にも分からなくて……記憶喪失だから」

「うーん、そだよね。でもあの魔紅力に耐えたなら、この先の道もきっと大丈夫!!」

「この先の道……??」


 アキは、ここから出る気満々だったので一瞬だけ混乱、そして理解する。

 少し考えてみれば当然の事。彼らは探索中、これから帰るのではなくて、これから奥に行くのだ。それはつまり、付いて来いということで……


「……あー、俺、ちょっと大事な用事を思い出しちゃったあぁぁぁ」

「記憶喪失のクセに用事は思い出せるんだな」


 ユリセアの言葉に、うっと喉を詰まらせる。

 またあんなグロテスクな生物と戦わなきゃいけないのか? それは嫌だ。戦わないで済むなら戦いたくない。怖い、死にたくない!


「でも、帰りの馬車は私達の分しか無いよ? それ以前に、洞窟には紅核生物が、歩いて帰ろうにも外には紅核生物は少ないけど魔物も沢山いるし、多分、君、死んじゃう……」


 ケイシーはとても心配そうな目付きでアキを見つめて言う。

 とても優しい人だ、とアキは思った。見ず知らずの他人どころか、あからさまに怪しい人間の自分をこんなにも心配してくれて。少しでも力になれるのならなってあげたい、と思う程に。


「でもさ、俺が付いてっても……」


 足手まといにしかならず、危険なのでは? と思う。あちら側にとっても利益は何も無い。

 一人で帰れないなら、安全な場所で待っていたいと思った。助けてもらったくせに傲慢だとも思ったが、足手まといになるよりはマシじゃないか。


「まあ、確かに危険かもしれないけど……お前がいた場所ほどヤバくないし、むしろ高濃度区画が近くにある此処の方が危険かもしれない。……それにさ、記憶ないのに一人でって不安だろ? こっちは三人もいる。歩きながら色々教えてやるからさ、気を楽にして俺達に着いて来たらいいさ」


 そう言って背中の長剣にそれっぽく手を添えて微笑みかけるアレンは頼もしく、付いて行っても大丈夫なんじゃないかという安心感をアキに与えた。

 あれ程酷い場所じゃないなら、せめて荷物を持ったりする程度の手伝いなら出来るだろう。生存率が高いのもあるが、恩返しもしたい。


「そうだよな……俺も出来るだけ恩も返したいですし……うん、分かった、付いて行きます」


 自分自身にも確認を取るようにそう言った。

 もう一人ではない。不安の色も重みも全然違う。先刻までの自分を追い込んで、潰れてしまうようなソレとはまるで正反対だ。


「わぁぁっ、良かった……! これからよろしくねっ! ……あ、そいえば自己紹介がまだだったね」


 ケイシーは俯いていた顔を上げ、ぱあっと明るい表情を顔いっぱいに広げる。


「私の名前は『ケイシー・メルアス』呼び方は何でもいいよ! 種族は猫人族(キャルト)だよ! 武器は弓で氷属性の魔法使えるよ! よろしくねッ!」

「俺は『アレン・ギルバート』見ての通り種族は人族(ヒュマル)。魔法は苦手だけど剣なら得意だし、戦闘に関してはそこそこ自信がある。よろしくな!」

「……私は『ユリセア・ヴァルミリア』。種族は人族。純魔(魔法しか使わない)。属性は色々だが“レグルス言語”でいう闇属性が主。他言語も有名所は一通り。よろしく」


 名前は苗字が後に来るのだろうか。

 ナントカ言語とはよく分からないが、魔法という単語にウキウキしながらアキは答える。


「ああ、俺の名前は『アキ・タケウチ』、年齢は十七歳です。記憶喪失で何一つ思い出せない、けど、ヨロ……シ…………ㇰ………………」

「記憶喪失のクセに名前は分かるんだな」

「…………」


 言っている途中で記憶喪失設定を思い出し、徐々に声が小さくなる。

 アキの記憶喪失設定を信じている二人からは不思議そうな視線を浴びせられ一瞬ヒヤッとするが、ここはすかさず演技で貫き通す。


「ぁあ……そうだ……俺の名前はアキだ……! フ、フハハッ、何とか名前と年齢だけは思い出せたぞッ……!! これもきっと、皆さんから溢れ出る素晴らしい人間性ぱわぁーと、なんかこう、すごい感じの手当のお陰に違いない……っ!!」


 この上ない至福なる喜びと、内から込み上げる感動を表現しようと、まるで天井の突き抜けの空を仰ぐような身振りを付けながら“自称”素晴らしい演技力で誤魔化そうとする。

 彼を記憶喪失だと思い込んでいる二人には通用したようで、手当は関係ないでしょっ! 等と言いながらも共に喜んでくれた。……自分が言った事なのだが、何とまあちょろ過ぎる事だろうか、とアキは思った。


 しかし、その後ろではとてつもなく呆れ返った視線をアキに送る人物が一人いた。ユリセアだ。

 アキにだけ分かるようニヤリと嘲笑を湛える彼女……そして気が付いた。――彼女には最初から嘘がバレている。


「じゃあ、改めてよろしくね、アキさん」


 嘘がバレてどんよりと心を沈ませていたアキだったが、その思考は無理やりケイシーによって引き上げられた。

 その言葉と共にアキの前方にまっすぐと伸ばされた右手。握手を交わそうという合図だ。


「あー、アキでいいですよ。ケイシーさん。こちらこそよろしくお願いします」

「んもぉー! そっちも固くなんなくていいのに! ね、アキ!」

「じゃあ、よろしくケイシー」


 伸ばされた手を受け取って、お互いギュッと握手。ぱあっと鼻が開くような笑顔を見せたケイシーが、その手を上下に大きく振り回した。


「アレンさんも、よろしく」

「おう、よろしくぅ!」


 アレンにもそう言って力強い握手を交わし、離すと、次の人物を横目で見る。彼女にはバレている。……だからこそ、その分だけ印象を良くして信頼してもらわなければならないと思うが、


「え、えと……ユリセア……さん??」

「やあ、よろしくな。記憶喪失クン」

「…………ハハハ……」

「冗談だよ」


 右肩を叩かれただけで、握手はしなかった。


 ――ユリセアには、二人があからさまに怪しい彼をホイホイと受け入れる情動が、甚だ理解出来なかった。……出会った時からそうだ。斡旋所の出入り記録に奴に該当する者はいない。記憶喪失というのも見え透いた嘘。それに、普通ならあの魔紅力量には耐えられない。余程耐性が強いのか、もしそうでなければ……二人は知らないだろうが、最悪の事態だって考えられる。

 ……だが、奴の嘘の実力からして、万一の場合もその場で何とでも出来そうだし、逆に利用次第では利益になるかもしれない。


「呆けた顔だな。どうした、着いて来るんだろう? それなら、早く荷物を纏めて準備するんだな」


 ……ともかくあの記憶喪失が、自分の嘘がバレている事を知りながら尚付いてくるなら、ソレはさしたる問題ではないのだろう。


「え、ああ、うん。準備するよ」


 アキは若干声を引き攣らせながらも言葉を受け取り、彼ら二人の元へと向かう――間際、彼女とすれ違った視線に違和感を覚えた。

 彼女の冷たい警戒の眼差し。それは、妙にしっくりきて、妙に寂しくて、妙に懐かしくて。

 “こんなに信用無かったっけ”。ふとナニカを忘れている心が脳裏にチラつき、揺さぶるが、それは疑心を持って彼に通じる前に掻き消えた。


 ――何処までも深く透き通るような蒼空の光が遠く突き抜けた天井の奥から突き通り、まるで彼らの未来を照らすように彼らの姿を照らし込む。

 絶望の中の一閃の希望。アキとって恩人とも言うべき希望ともいうべき彼らは初めて出会った人間で、決して不安が消え去る事はなかったが、準備を終えて心に灯火が灯ったアキの足を、洞窟の更に奥へと進めてくれた。




 そう、この時の彼らには、自らの待ち受ける未来がどんなものかなど知る由もなかった――――


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