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【この世界は死にました】  作者: もちきなこ
第1章 そして、終わりが幕を開ける。
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第4話 ずっとこの日を待ち望んでいたんだ


 其れはまるで大樹の如く、無数に張り巡らされた枝の中心、巨大な紅色の水晶で象られた大樹はどこか儚く輝いており、円状の空間を圧倒していた。

 其れはまるで祭りの如く、大樹を囲う生命物体が持つのはクリスタルの灯篭で、まるで楽しげに舞い踊る彼らは、最初からその為だけに産まれてきたのかの如くアキの事など目に入らない。


 天井は光が入り込むことを抑制するように繊維が張られており、中心の方は何故か新品のようにツルツルだ。また木の幹からは紅い液体が流れ出ており、大樹周辺に池を形成して、そこから流れた一部が彼の来た通路へ川を作り出しているようだ。


 ……しかし、アキが崩れ落ちたのはそんな理由ではない。

 それは、無いだなんて想定すらしていなかったモノの欠如だった。つまり――


「いき、どまり……」


 思いがそのまま口から溢れる。

 全方位が繊維で覆われた壁に天井。それらには、どこにも逃げ込む隙間などありはしなかった。


 まるで早鐘を撞くかの如く動悸が激しく騒ぎ立ち、それにつれて呼吸が乱れる。

 ――落ち着け、落ち着け落ちつけおちつけ!!

 もう何度目だ。砕け散ってしまいそうな心を必死に固め、言い聞かせ、自分を催眠にかけるよう何度も唱える。


 ふらりと立ち上がり、覚束無い足取りで前に進む。周囲を廻る生命物体にぶつかり、足が池に浸かっていくが、彼は気が付かない。


 ――本当に無いのか? いや、そんな訳あるはずが。それならあの死体は何処から来たというのか。

 ――ああ、時間がない。早く、どうにかしないとアイツが来るんだ、殺しにくるんだ。

 ――ん? アイツが来る……?


 ふいに、薄々感じていたハズの化物の不可解な行動に意識を向ける。それは、今も、今までも、彼らが追い掛けて来るのが明らかに遅かった事だ。……スライムモドキはよく分からないが、他二体なら簡単に追い付けたのではなかろうか。


 嫌な想像がアキの脳内を駆け巡る。目的も分からないアイツらだが、もし本当に出口が無いのだとして、アイツらはそれを知っていて追いかけて来なかったんじゃないのか? 対峙しても勝てる訳ない、急いで来なくても逃げられない。

 それはつまり……最初から出口なんて無かったんだ。


「……うっ」


 ふと、先程の化物の最期の姿を思い出してしまう。右手でクリスタルの巨木の幹に寄り掛かる。じわりと涙が溢れ出し、紅い池の中に消えた。


【そぅさ。でグちなぁんて、なイ! フヒヒ】


 気付けば、あの化物もここまで来ていた。まるでアキの様子楽しむかの如く佇み、アキはそんな化物を、幹に手を添えたまま振り返った。


 ……化物は知らない、自分にはあの毒ポーションがあるという事を。

 左腕はもう使えない。自然と背中側のポーションを右手で触れた……が、それでどうしろと。出口は何処にも無い。もし倒せたとしても、その後ただ空間を彷徨い続け、いつしか野垂れ死ぬだけだ。


「……っ」


 せめて命を繋ぐ為にアイツを殺す? でも、どうやって。アイツは知性もあって元気溌剌。こっちは満身創痍。殺せる訳がない。

 もう嫌だ、逃げたい。逃げ出したいのに、逃げる道はなかった。でも、頑張らないと、頑張らないと、頑張らないと……なにを?


「ど……して……」


 言葉は自然に出た。それは、最初からの疑問。ずっと抱いてきた、彼にとって最も初歩的な問題。


「どうして、俺が、こんな目に、会わなきゃいけ、ないんだよ……ッ! ……どうしてこんな世界に連れてこられたんだよ……ッ!!」


 覚えていない、思い出せない。あまりに理不尽な処遇。嗚咽と共に絞り出した声が引き攣る。俯いて目を見開き、言葉を紡ぐ。


「……分からない、わからないんだ。なにも覚えてないんだよ……。なぁ、俺は、おれはもう…………」


 がくん、と膝が落ちる。池の水が波紋を作る。


「…………もう、嫌……だっ…………ぁぁああァア!!」


 静かに、振り絞るような声で叫び、潰れた泣き声が空間内を反響する。

 ……もう、疲れたんだ。これ以上できないくらい頑張ったんだ。必死にただひたすら塗り固め、感情を覆い隠してきた脆い壁はとうとう決壊し、今まで我慢していた感情がダムの如く波瀾する。


 そんなアキと相反して化物は、ただ唖然と彼を見つめていた。それはどこか思いに耽けているようだが……やがて合点がいった刹那、今にも溢れだしそうな負の感情が化物を駆けた。

 ――そう、(アキ)は何も知らないのだ。何も“覚えてない”のだ。

 あぁ羨ましい恨めしい。何て気楽な奴だろう。


「……っ……なぁ、か、かえっ……らせて、くれよ。お前、知ってんだろ……? 俺が、いせ、異世界から、きた、こと……。お前が、なにしたいのかなんて、知らないっ、けどさ……もう、手はださないから……。アイツらのこと……あやまるから……。なぁ、だからさ……かえ、ら、せて……」


 そう泣きながら懇願するアキの表情は、大変醜いものであった。

 感情とは裏腹に無理やり作ったエガオモドキ。口端は引き攣り、痙攣する両目は輝きを失い、鼻水と涙には血も混ざって、最早ぐちゃぐちゃだった。


【……】

「…………うへっ……ふハ、……なな、なんか……こたえろ……って……ふぃひいぃ……」


 釣り上がった口端が震え、歪み切った眉にはシワが寄っている。アキは化物に敵意を持たせないように微笑もうと努力しているつもりだが、実際に出てきたのは不気味な笑い声だけだった。

 それを見た化物は、ふいに、ゆっくりと、歩みを進めた。嗤いもしない。話もしない。ただ無言でアキに詰め寄る。


「……ぁあ……ぁぁぁああぁぁあぁああぁあ」


 アキは動けなかった。今まで対峙出来ていたのが異常だったのだ。

 二歩、三歩と脅威が近づく。後退ろうとするが、大樹が邪魔をして叶わない。それでも動かされた足は、まるであの時のスライムモドキの如く、池の底の地面をガリガリと削る。


 底なしに真っ赤な池。ふいに、あの日の夕焼けに重ねる。

 もしあの時引き返していたら。途中、一度でも家に帰っていたのなら。どうしてよりによって喧嘩の最中に。残された両親は責任を感じてしまうだろうか。……あのサプライズのカーネーションを見付けて、どう思うだろうか。


「……ぃ」


 今までの記憶が走馬灯の如く蘇る。

 中学生から現在までの受験の事、小学生の夏の日に祖父母の家に行った事、よく友達とゲーセンに行った事、旅行に行って綺麗な星空を見た事。

 ただ普通に会話した事、一緒にご飯を食べた事、当たり前の様に傍に居て、当たり前の様に生きていた事。


 疲れすぎてしまったのか、状況が状況だからか、全てが遥か昔の記憶のように上手く思い出せないが、それでもごく日常がこんなにも輝かしく思えてしまう。

 家に、日本に帰りたい。あの時間を取り戻したい。俺は、みんなに――


「……あぃ、た…………い――――」


 ――ガキィィン!!

 その言葉をを呟いた瞬間。化物の方面からアキの頭上を紅色の刃物が通り過ぎ、幹に突き刺さって木が揺れる。……同時に何かが落ちた音がした。

 そちらに向く視線。それは……死体だった。


【ひ……ッぁあアア!! だまれぇ! ヒッ、アエナイ……はは! おま……は、オレと……、じ、コ……セ……のクセに!!】

「……ぁ」


 会いたい。みんな心配している。

 あの十七年間一緒にいた家族が、たった一日で居なくなる。あの十七年の人生が、こんなにも簡単に終わってしまう。只でさえ受験で迷惑をかけたのに、さらに迷惑をかけるのか?

 ――あの死体…………もしも、この予想が正しいのなら? 本当に出口があるとしたら? 帰れる可能性があるのだとしたら……?


 アキのそれは予想とも言えない、限りなく妄想に近い希望的観測だった。それでも、本当にあるかも分からない一粒の光を幻想でも掴んでみたかった。


【しィィ……ッ、ねェ!!】


 気が付けば目の前にまで来ていた化物が、莫大な感情をそのままに刃を振り上げる。

 それに対してアキは、人生で最後の一手になるかもしれない震える手でポーションをしっかりと掴む。勇気を振り絞るだとかそんな事を考える暇もなく、ただただ本能に身を任せて動く。


「ッい゛ああああアアアッッ!!」


 恐怖を誤魔化すように叫びながら、化物に見せるようにポーションを薙ぎ払い――それを見た化物は攻撃を中断すると、後ろに大きく飛び避けた。


【……な、でオマエが……それおぉぉおおおお】


 その顔はまるで強大なモノに対峙した人間の如く、蒼白に染まっていた。どこかあのスライムモドキの反応と似ていた。

 その隙にアキは死体へと転がり込むよう駆け寄る。……木の枝に貫かれた身体と、纏う服には自分の服と同じ銀色の紋章。やはりそうだ――この死体が先程まで木の上に乗っていたというのは、単純に“上から落ちた”からだ。


 例えばあの天井は、上のエリアから見たら“沈む地面”とかで、この人はそこから落ちて木に刺さって死に、残った仲間が最初の死体。天井は“再生”して閉じたので、中心は綺麗なのだ。

 あまりにも根拠の薄すぎる想像だが、「帰れるかも」という衝動が、恐怖を押し退け動かした。


【イ゛ァ゛ァアアアアア!!】


 化物が液体を変形させ、アキの足元の液体を使って行動を防ごうとするが、何か目的があるのたろうか、“殺そう”とはしない。

 ポーションを強く持つアキ。このポーションで溶かした壁は再生しなかった――バネの如く腕を跳ね上げ、ポーションを高く放り投げた。同時に変形された液体によって足が地面と固定される。


 しかし、くるくると宙を舞ったポーションはすぐに天井へ到達。割れて中身が飛び出し、天井へ降り掛かる。

 メリメリと蔦を捻じ曲げたような異音が響く。それは徐々に広がってゆき、せき止められていた光が細く閃々と空間内に差し込む。ふと肌に感じる仄かな暖かさ、次に眩しさに気が付き、目を細める。


 化物が、足を止めた。

 斜光の中をホコリが舞う。それは一本から二本と数を増し、柔らかく広がってゆく。やがて空間を光が包み込み、一定の明るさになると、木の周りをまわっていた生命体がびしゃリと消滅した。


 僅かに、海の底のような静寂が流れる。ただただ光を眺めている化物。徐々に目も慣れてきて、上の様子が明らかになってゆく。

 ゴツゴツとした普通の岩肌と、所々を覆う深緑色の苔。天井の更に上が外と吹き抜けになっており、その遥か向こうには蒼い大空が覗いている。


「ああ…………」


 硬い氷のような緊張感が、光の暖かさに触れて融けてゆく。

 今にも吸い込まれてしまいそうな深い蒼色は何よりも美しく、今までの恐怖や不安が吸い込まれ、全身の力が抜けて涙が出そうになる。


 この気持ちに、いつまでも浸かっていたい。

 ――が、それは今すべき事ではない。未だ呆然と上を眺める化物を尻目に、足に固まった紅色の物体を砕こうとする。


【…………うあ、ぁ……ははは、ハ】


 しかし中々砕けず悪戦苦闘していると、ふいに化物が笑い声を零した。

 ……あの、狂ったような笑い声ではない。弱々しく、自然に漏れてしまったような声だ。その違和感に化物の方を向く。


 化物は――泣いていた。

 瞳からぽろぽろと溢れる透明の雫。暖かい光に反射して、美しく輝きを放ちながら地面に零れ落ち、紅い湖に小さな波紋を作る。


【ぅあ……やっタ…………ふっ、ハハハ!!】


 まるでアキの事など忘れてしまったかのようだ。

 彼のいる方向とは別方向に、一歩二歩と足を進める。初めはゆっくり、そして徐々に速度を早めて走り出し、タタタンタンとステップ踏んで、ララランランとダンスを踊る。

 ホップ・ステップ・ジャンピング! いちにのさんで踏み出して、くるりと回ってスタリと着地。オドル紅色が躍る心底嬉しき希望のダンシング!!


【ぃ……はは! うわぁ~~あっ! ふははは! たいよウばンザーイ! ははははっ!! あっははははっ!! ふはははは!!】


 それは、あの日々からの解放。あの苦悩からの、全てからの解放。それは、微塵の苦悶もなき生涯の祈願! 嬉しいねっ、うれしいねっ! ああっ、ああぁぁあアぁアァアぁ嗚ぁぁ嗚ァああ嗚呼嗚呼アアぁ呼アア嗚呼ぁぁ嗚呼ああ嗚ぁ嗚呼嗚ァ呼嗚

 な ん て す ば ら し き こ と で し ょ う ! ! ! !


【まぁずはナニをしようかな~~!!】


 両手を大きく広げてくるりくるりと体が廻る。


【っはははぁ~! まちめぐり~に、おいシィたべもの! いっせかい、いせかい、ん~はははぁ~! マモのをタオしてほしゅ~もらて! そしてっ! アの、じょウ、……ほ…………ヲ……ア…………】


 クルリと廻った視線の先に、池に映った自分の姿が目に映る。目に映る。目に、映る。

 認識。

 目を見開き、凝視。


 動きが止む。言葉が消える。


 ――そして。

 希望が。未来が。夢が。

 灰のように、

 散って

 ゆく。


(ああ、そうだった。俺は…………)


 頭部を両手で抑えて後退る。体が震える。眼球が震える。視界が、思考が、記憶がぐにゃんぐにゃんに捻じ曲がって、現実を拒絶しようと藻掻いて、ガクンと膝をついて、なお震え続ける。

 現実は変わらない、変わりようがない。本当のあの願いは叶わない。だから、妥協した願い。でも、それすら叶わない。


 呼吸に合わせて体が上下する。恐ろしい、死んでしまえるくらいに怖くて泣きたくて辛くてツラくて、口から泣き声にも似た、苦痛の喘ぎにも似た声が漏れ出してゆき、やがて――


【ぃ……ぃぁぁぁあああアああアア゛ア゛!!】


 大気を鉤裂(かぎざ)く雄叫びを上げた。

 酷い声だ。莫大な殺気と悲愴を織り交ぜたような、苦しそうな泣き声だ。


 丁度アキが鉱石を壊しきり、逃げようとしたのと同じタイミングであった。

 突如として化物の姿が消えた――かと思うと、尾を引いた紅色の眼光だけが、如く瞬にしてアキの目前に移動し、彼の腹部を強く蹴り付ける。


「――ッがぁ……っは」


 痺れるような強烈な痛みが腹部から全身に伝道する。胃酸を吐き出し、宙に投げ出された身体はすぐに地面に落下して二、三回転。そして止まる頃には、今にも貫かんとする刃がアキの心臓部あたりで握られていた。


【……ッ……はぁ……】


 その顔は――笑っていた。純粋に、とても嬉しそうに。ただの一人の人間が、今まで苦労が全て報われたかのような顔をしていた。

 アキにはそれの意味するところが分からなかったが、考えている猶予もなかった。

 刃を高く振り上げる。


【ははは……しィ、ネ――】


 八つ当たりにしては豪猛に、ヤケクソにしては決意を固く。そんな様子で初めて瞳に光を孕ませて、光を反射するナイフと共に輝きを放つ。


 ――嗚呼、やっとだ。ずっとこの日を待ち望んでいたんだ。

 これで俺は、やっと“俺”になれる。この世界でヒトっぽくなれる。俺は、やっと――


「――アイシクル・アロー!!」


 しかしそれは、突如として飛来した。


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