第2話 はじめての戦闘
「……はぁ……っ、はぁ゛…………」
紅色の鉱石を焼き溶かしたかのような液体から、少しの焦りを含んだ水しぶきが散乱する。あれから数分、未だにアキは、液体の轢かれた通路を走っていた。
腕を伸ばした先はもう見えないほどの暗さ。相も変わらず、そこらの壁は血管や膜のようなモノが囲っており、もはや本来の壁は見えない。また天井からは血管や、所々は固めの筋肉繊維的な何かが地面まで貫通しており、地面は踏み出す度に異なる感覚が伝わってくる。液体のお陰でソレらの正体は掴めないが、見えなくて良かったのかもしれない。
「……」
ふと、左腕に目をやる。出血のせいで頭がぼうっとするが、今は我慢が出来る程度に痛みが麻痺してきた……気がする。試しに軽く力を入れてみると、痛みと共に気持ちの悪い感覚が残った。
(しかし……)
ここは一体何処なのだろう……と、彼は思った。物理法則もビックリな紅い液体や、考えられない化物達を見ていると、所謂“異世界”なのではないかと本気で思えてしまうのだ。……しかし、もしそうならば吸ってる空気の構成成分は何だとかいった基本的な疑問が解決されないし、ここを脱出した後も救いようがない。それは嫌だった。
緊張で乾燥した喉に唾を押し込む。……頼れる人は自分しかいない、正気を保て。いま頑張らなければ死んでしまう。自分を洗脳するかの如く、不安と恐怖に上書きするよう言い聞かせ、そして次なる一歩を慎重に踏み出していく。
――それから走り続けて約数十分。まるで永遠に通路が伸び続けているのではないかという不安に長く感じた時の末、ふいに通路の奥からぼんやりと光が漏れている事に気が付く。
外に繋がっている……という訳では無さそうだが、初めての変化だ。期待半ば不安半ばで駆け寄り、そうっと奥エリアを覗き込む。
直径二十メートル程の、壁が円状に区切られた空間。そこから繋がる大小様々な隧道と、奥へと繋がっていそうな太い通路が一つ。
相変わらず悪趣味な風景だが、一つだけ先程の通路とは決定的に異なる“綺麗”な物もあった。それは、アキの見た光の原因、地面から生えた歪な多角形の紅色の水晶だ。……その死んだような紅色や妖光は不気味の一言に尽きるような代物だが、洞窟に見合わない生々しい物体を見続けたお陰で、無機質なソレは少しだけ綺麗に見えてしまう。
(化物は……いないみたいだな)
音を立てないよう部屋に入り、辺りを見渡す。
天井が高いだけで水晶以外は通路と大差ない。だが地面に凹凸が少なく歩きやすかった通路に比べ、この部屋や先の通路はもっと自然らしい印象を受けた。
また、そこかしこに生えた紅い水晶は、見た目通りの硬さだが生暖かく、鉱石の内部は血管のような紅色の線が張り巡らされており、循環していた。
この先の道も、先程までではないがかなり暗い。この鉱石を取って持っていけば灯りにもなりそうだ……アキはそう思い、長めの鉱石に足を掛けて思い切りへし折ると、折れたそれはまるで生き物の如く、断面から紅い液体を血のようにどばどばと流れ出させた後、光を失い、脆く、軽くなった。
彼は鉱石を落として後ずさる。無為に触るものでは無いと再確認し、右手の液体を振り払った……その時。視界の端に一つの違和感を見つける。水晶に隠れた場所に、人間の脚が見えたのだ。
いくつかの想像が頭をよぎるが、確認しなければならないと思い、恐る恐る覗き込む。
「……ッ!!」
その光景を目にし、彼は空気を飲み込んだ。そう、それは――人間の死体だった。辺りに雑然とぶちまけられた血液は、酸化したのか赤黒く、周囲には肉片も散乱していた。
自分もこうなるかもしれない想像、すぐ身近に死がある実感。冷や汗が頬を伝い、肋骨に突き当たりそうな動悸が押さえた手のひらへ突き返してきた。……取り乱してはいけない。死体もあるのだし、まずは安全の確認をするのが先だ。
アキは、先程一見しただけの大小様々な隧道と、大きな通路の先を確認する。
大小様々な隧道の内、彼が入れそうなサイズは四つ。だがその内三つは数メートルで行き止まりになっており、死体に最も近い一つだけ先が続いているようだった。また、最も大きな通路は緩やかな登り坂になっており、今まで同様紅い水が流れている。先は続いているようで、二つの内どちらかから死体の人もやって来たのだと考える。
次にアキは、衣服や武器を拝借する為に死体に近づいた。
(マジで異世界とか言われてもおかしくない服装してる……)
心の中で彼は思う。それもその筈、死体が着用していた服は如何にも“ファンタジー”な服装であったからだ。
例えば、死体の手に握られているのは、片刃の剣――便宜上刀と呼ぶ事にする――であり、ズボンに付いたベルトには、ファンタジーなポーチ等が装着されていた。その中に、刃渡り二十センチ程のナイフや、ファンタジーの回復薬のソレっぽい碧色の液体の入った丸底フラスコ等があり、何かの役に立ちそうだと思った。そのポーションはただの青ではなく、銀の燐光が散っていた。
また、アキは胸元に“銀色の紋章”の施された、死体の黒い上着の裾を破くと、左腕の傷口を保護するようグルグルと巻き付け、上から皮の篭手を嵌める。……やがて着替えを済ませると、男に向かって心の中で黙祷を捧げてから、大きな通路に出る為に足を踏み出そうとした。……が、
「あ、あれ」
おかしい、足が上がらないのだ。
グイッともう一度力を入れるが、動かない。――そう、まるで何かに引っ張られているかの如く。
視線は自然に下へと向いた。――同時に、全身の血の気が引いた。
そこにあったのは、五センチ程の太さの蛇のような白い体躯と、円筒状の頭部と囲むように生え揃ったギザギザの歯。それらが二体、後方の隧道から伸びて左足に絡み付いており、今にも噛み付こうと口を大きく開けていた。
「うわああぁ!」
彼の反応は早かった。反射的に右手に持った刀で二体の頭部を突き刺し、体躯を切断。切り取られたソレは真っ赤な血液を散り敷きながら痙攣を起こして、幾度か跳ねた後に停止した。
【……ッキ、キキ……ィッ…………】
しかし、ほっとしたのも束の間。先程切り取った白蛇の本体断面から、なんとぼコりぼコりと肉が盛り上がり、歪な形に頭部が再生したのだ。
再生した口腔がこちらを睨む。同時に違和感を感じたのは右足。……気が付かなかった。別の白蛇に囚われた右足に歯が深く食い込む。
「がァ……ッああアアアア!!」
茶色のズボンに赤い血が滲み、相反して体の力が抜けていく。
毒でも入っているのだろうか。麻痺した足から地面へと倒れたアキを、白蛇はそのサイズからは想像も出来ないような力で引き寄せていった。
「え、ちょっ、おい……嫌だ、止めろ、止めろって! クソッ、気持ち悪いんだよ、離しやがれこの野郎ッ!!」
ソレを阻止するように、少し自由の効くようになった右手で地面に刀を突き立て必死に抵抗を試みるが敵わず、容易く隧道へ投げ込まれてしまう。そして、早く進まなければならないのに、遠ざかる出口は白蛇がしっかりと絡み塞いでしまった。
地面に投げ捨てられた彼は、幾度か地面を数回転して止まる。――体が痛い。足は動かない。両腕の力だけで倒れた体を持ち上げ、瞑った双眸を開く。
「ぃ、いて…………ぇ?」
しかしそこにあったのは、アキの知る光景や、想像していた風景でも無い。
生暖かい大気の圧力。視界を取り囲むように生えた狂気の刃に、濃密な闇のような終わりの見えない巨大な口腔。
「ぁ……」
気が付いた時には、すでに遅かった。
――グブじゅッ
◆◆◆
空間を圧迫し通貫するよう、一つの白い物体が曲線を描いて大気を走る。
体長約五メートル。天井から生えた巨大な白蛇は、口内の物を食べようとして……吐き出した。そして口を閉じると、今度はそこに一本線を引き、紅い一つ目を開眼させる。そこで初めて吐き出した物の姿を捉え、ある事実を確認する。――食べた筈のモノが存在していない、と。
それを発端に、壁から生えた小さな白蛇がナニカを探すかのように蠢き出す。続くように再び一回転した一つ目、巨大蛇が首を回して新たな視界情報をインプットしようとした……その時。
ゴズッ、と縦に割れた瞳孔に鋭い異物が捩じ込まれ、引き裂かれる。赤色の血がぼくりぼくりと流れ出し、周りの蛇が悲鳴をあげた。
【キュウギィィイイィィイイィエ!!】
混乱する巨大蛇をよそに、小さな白蛇が異物の発信元を目掛けて突進。しかし、なりふり構わず振り回されたソレらは互いにぶつかり合い、共有した感覚の飽和量を超えて自滅する。
そんな悲鳴と轟音の大嵐の外、そうっと巨大白蛇の元へと歩み寄る一つの人影があった。
(…………しっ……しし……死ぬかと思った……)
人影の正体――アキは、ぐねぐねと体を拗らせ苦しむ巨大な蛇を前に、状況の打開を講じていた。
彼は白蛇に喰われそうになった刹那、単に腰が抜けてしまったのか、それとも瞬発的な行動であったのか、ともあれ地面ギリギリに屈められた彼の身体は蛇と地面の僅かな隙間に入り込み、難を逃れたのだ。それから蛇から逃れようと反対側へ走ったが行き止まりで、ちょうど壁際に避難した際に現れたのが、あの一つ目や、異様な小さな蛇の動きだった。
恐らく、あの巨大白蛇と大量のチビ蛇は一体のモンスターであり、瞳が出ていない時は景色が見えていないから、最後に見た景色や感覚だけを頼りに動いているのだろう。
……チビ蛇に再生能力があった事から、突き刺した瞳もいづれ回復してしまう。
「…………っ」
恐怖でまともに経つことすら難しいが、すぐに脳の奥深くに捩じ込む。いま何か考えなければ殺される。ああ、何か良い手は……。
何となく下ろした左手に、コツンと固く冷たい感触が伝わる。……それは用途不明の碧色ポーション。まるで紅色と対を成すかのようだが、どこか似ているような気がしないでもなく、よく見ると碧というより、青っぽい“銀色”をしていた。
わざわざこんな場所に持ってきていたのだから、何かしらの役に立つのだろう。どうにか用途を確かめられないだろうか。
アキは二つの内一つのポーションを震える手に持つ。――と同時に、回復した白蛇の目玉と視線がアキを貫いた。
「えっ、回復はや…………」
【――ギィィァァアアア゛ア゛ア゛!!!!】
引き攣る声。対して蛇が放った裂帛は彼の耳を貫き通り、全ての血の気を引かせた。
瞬時にして瞳から口へと変貌させた巨大蛇が、残ったチビ蛇と共にアキのいる場所へ無造作に衝突。不格好ダイビングで横に避けると同時に、巨大な蛇の頭の形に地面が爆ぜ、瓦礫と紅飛沫が彼に降り掛かる。せめてポーションは守るように手でガードし、代わりに顔に飛散し傷を刻んだ。
蛇から距離を取ろうとするが、ぶつかってしまった白蛇に足を取られ、気付いた巨大蛇が再びアキへと向かい突進する。蛇を切り逃げる時間がない――瞬発的にそう判断した彼は、反射的に腰のポーチを引っ掴むと、離れたチビ蛇へと投げ付けた。
ポーチがぶつかり反応を示したチビ蛇。あるハズのない二つの感覚に困惑したのか、本体の動きが停止し、その内に逃げ出す。……やはり、瞳が出てない内は光景が見えていないようだ。
(あれっ)
その過程で、ふと視界の端に映ったある物に意識が持っていかれる。それは先程爆ぜた筈の地面……あれが、なんと“再生”していたのだ。まるでこの空間そのものが生き物の如く、肉が盛れ上がり、血管が其処を囲もうと蠢いている。
【キュエっ】
一瞬だけ思考を逸らした瞬間、その声に気が付きを振り向く。直線上には、かの大きな一つ目。アキに向かって振り上げられた一体のチビ蛇が、彼の胴体を貫かんとばかりに突進してきていた。
反射的に地面を左方向へと蹴って回避。髪の間を通り、服が裂ける感覚に背筋が凍り、
――バリィン!! と甲高い音が鳴り響く。
避けたと思っていた白蛇は、ポーションのフラスコ上部に直撃。幸い丸底部分にヒビは入らなかったが、その代わりといった風に巨大蛇がアキへと突進した。
「――ッ!!」
中身を零してはならない。割れたフラスコ上部を手で掴み、気が付けば完全に麻痺の切れていた両足を使って走るが、白蛇に足を掠め転んでしまう。
閉じられる口はギリギリで避けるが、地面を数回転。これ以上割れないよう庇ったポーションの中身の、ほんの一部が左手から溢れ出し――アキの右腕と壁へ滴り落ちた。
「いっ……がぁ!?」
ジュッと焼け付くような感覚が走る。
アキに掛かったのはほんの一滴ほどの量であったが、その右腕の位置と周辺の皮膚は焼け爛れたように変色し、ジワジワとした深い痛みが奥まで響く。それと同時に、掛かった血管壁の一部も萎びて枯れるが……再生はしない。
そう、このいかにも回復薬な碧銀ポーションは、まさしく高威力の“毒ポーション”であったのだ。
そして同時に、希望も見えた。右手にしっかりと青銀毒ポーションを構え、白蛇の前に立つ。
「なななぁ、は、腹減ってんだろ? おいしいエサやるからこっちにきき来やがれぇぇえ」
【――ンキ、ギィィィァ】
歯を食いしばり、気力を振り絞り、自身を奮い立たせるように言い放つ。こちらに向かって突進する歯が凶気的にギラギラと光る。
恐怖心と焦燥感を押さえ込み、震える右手を後ろに、投擲の範囲内に入るまでタイミングを計る。
巨頭とアキの距離がみるみる縮小する。大気を押しのけ、轟音が鳴り、そして迫る口腔がやっと範囲内に入り、
「――ッらぁッ!!」
溜めた力を解放するよう、右腕を振り翳してポーションを口腔へ放り込み、続け様に彼自身も蛇の軌道から逃れる。
毒ポーションを飲まされた巨大蛇は違和感に気が付いたのか、一旦動きを止めて、ぐねぐねとゆっくり体を捻らせるが、その動きも時期に止まる事となる。体の中央から表面へ、皮膚が気泡を発するようにボコボコと噴き出し、滑らかたった表面を歪な形へと変えていったのだ。
【キ、ギュげ、……ギュァぁアァア!!】
暴れた場所から千切れるように、ぼたりぼたりと地面に白い液体が崩れ落ち、チビ蛇も本体から千切れて死体の雨を降らせる。
悲鳴が空間内を震わせ反響する。生理的な嫌悪感をアキは感じ、怖くなって耳を塞ぎ、目を瞑る。
少しだけ経ち、悲鳴が無くなってきた頃だった。今までとは異なる類の重い物が落ちる音に目を開けると、先程まで蛇のいた所のすぐ真下に、ヒビの入った紅色の鉱石――最初の化物にあった物ともよく似ている――が落ちていた。
ビキビキとヒビを増やし、紅黒い色の光がみるみる内部に重鎮されると共に、膨圧を加えられた軋みが大きくなり――割れた瞬間、びじゃりと血のような紅色の液体を虚しく爆散させた。
最初の化物も含め、こいつらはこの鉱石が弱点とかなのだろうか。今度は再生することなく、空間には静寂のみが満ちていた。
「い、生きてる……」
じわじわと、自身の命に対する充実感が湧き上がり、目頭から涙が滲み出る。そのまま泣き崩れてしまいたくなったが、感情を噛み締めている時間はない。
そろそろと入口へ向かい、警戒しつつ元いた死体エリアを覗くべく顔を出すと――
「ひっ」
そこにあったのは、眼球だった。蛇のモノとは違う、大きな血走る一つ目。
そう、あの最も人間から遠い見た目をした化物が、そこにいた。