第21話 英雄セルファ
アキは決心した。
ユリセアには武器の類を振らせてはなるまいと。
彼は、肘上までのローブから覗くロケットを無意識的に弄っている彼女を見ながら思った。
……先程の光景を思い出すだけで、背筋が凍る。
いや、正直言えば普段あんな口調の、決して良いとは言えない性格のユリセアが愉快な動きしたのは妙な爽快感があったし、本人は大真面目だったので尚更だった。特にコイツなら、ああいう恥になりそうな物は他人から隠しそうな気もするが、やって見せたという事は自覚すらないのだろう。あれはヤバい救えない笑えない。
文字通り絶望的だ、絶望的な運動神経だ。遺伝子からおかしい。絶対神に嫌われている。まあ、もう一度見てみたい気もするが、被害の及ばないくらいに遠くで見たい。
「…………」
しかし、自分だって彼女ほど酷くはないといえ、人の事は言えないだろう。
何故なら自分は生粋の日本人。あの魔物すらいない世界の中で一般よりも運動が得意ではなかったのだから、確実にこの世界の討索者ですらない人よりも圧倒的に弱い。……何故だか身体能力は、この世界にギリギリ引っかかれる程度に良くなってはいたが、それでも男女全て含めて最底辺だろう。
逆に、教育だけは真っ当に受けてきたので、この世界の教育はどうだか分からないが、自分はかなり出来る方かもしれない。なので一刻も早く、頭を使って出来る魔法の習得と、自分が魔紅力に対する特異抗体持ちであった恩恵――“あの能力”をマスターしなければならない。
「よぉ、待ってたぜ」
馬車に入るなり、オートラルが話し掛けてくる。
見渡さなくても分かる。馬車に居たのはオートラルを合わせて三人。五人用の馬車なので、これで全員が揃った。
もう二人は男と女それぞれ一名。恐らく人族である女性と、人間よりも狼に近い見た目をしている亜人男性だった。
「こんにちは、同じ依頼の方ですよね」
「ども、お待たせしてすみません」
「いえいえ! 新米と聞いていたので……あの、私もほとんど新米なんです! よろしくお願いします!」
そう言って微笑みかけてくる女性。赤色のサラサラの髪の毛が僅かにはためく。
男の方も、まだ数回しか依頼を受けた事のない新米らしい……が、なんだかこちらは装備が高級そうだ。自分のとは違い、普通の鎧な訳だが、造りと装飾がしっかりしている。
「というか、この馬車に乗る奴はほとんど全員新米だけどな」
「え? そんなんですか?」
「ああ。新米が初めて受けるような簡単な採取依頼も討伐依頼も、この場所しかなかったからな」
そう言ってオートラルは続ける。
「ところでお前ら、武器は何にしたんだ?」
「俺は片手剣だけど……」
「私は純魔だから使わない」
「……えっ、純魔?! 珍しい!!」
高そうな装備の男が言う。
純魔って珍しいのか、とアキは初めて気が付いた。
――そう、この世界に於いて「魔法“しか”使わない」という者は殆ど、というより全くと言って良い程いないのだ。戦闘でも、下級魔法であれば数秒で使えたり、言語によってはブランクタイム殆ど無しに使えたりもするのだが、中級以上になれば、一発放つのに数十秒以上を有するのが一般的である。魔法にもよるが、その数秒の間に斬撃を数回打ち込んだ方がダメージを与えられるし、発動までの数秒間に致命的な隙が生じる。
つまり、魔法は戦闘の補助として使うのが一般的であり、魔法を主として使う者は存在するが、それでも武器くらいは持っている。『魔法しか使わない』というのは、よっぽど実力が備わってない限り――いや、備わっていても武器くらいは持っているので、かなり考え無しの馬鹿が言う事だ。
「でも、ユリセアってDランクだろ? だ……大丈夫なのか?」
ユリセアはDランクだ。以前言っていた。確かに運動神経は最悪だが、実力というより、討索者活動をほとんどしないからである。
オートラルの言いたい事は、つまり『純魔ならDランク以上の筈だ』という事だ。
純魔――つまり、中級以上の魔法をブランク無しで、しかも多数扱う技術が必要だ。それには魔力量と、確立された技術と精密な操作力……何より、術式を組み立てる頭の良さが求められる。
それらが出来るのならば、Dランクで留まっている訳が無い、と言うのだ。Dランクで留まる程度の実力なら、それこそ純魔は危ない。
「ランクが低いのは、普段はあまり依頼受けていないからだ。魔法には依拠のある自信がある、実力を鑑みずに言っている訳ではない。……それになんだ」
そう言いながら左手でパチン、と指鳴らしをする。
――瞬間。まるで魔法のように美しく――いや魔法なのだが、彼女を中心に円を描くように書かれた魔法式と文字の上に剣や斧、槍や大槌など様々な武器が象られ、同じく彼女を中心にしたまま地面に突き刺さる。
「もし武器が必要になる場面に出くわしたら、魔法で作ってしまえば良いんだ。これなら持ち運ぶ必要もないだろう?」
意図してなのか、そうでないのか。少し格好付けたように、ユリセアは言う。
「……っ、は、速いっ?! えっ、今の一瞬で? すごい!! あとなに、もしかして多言語使い?」
「しかもおい、無詠唱じゃねぇか! すっげぇ初めて見た!!」
あまりの武器生成速度に、新米の二人が目を丸くしてキャッキャと騒ぐ。なんの魔法言語かは分からなかったが、少なくとも二人の知らない魔法言語であった。
――アキには魔法の速さや凄さの基準が分からないので何とも言えなかったが、ただ一つ言える事は……生成した武器を、ユリセアは一切扱えないという事だ。アレンや豚と戦った時のように、ナイフ的なのを魔法として飛ばすなら良いが、手に持って武器として振れば……結果は目に見えている。哀れだ。下手すれば本人が死ぬ。
この世界にもしステータスといった物が存在していたのならば、彼女は身体能力にほんの一切も振らず、魔法に極振りしてしまったのだ。しかも、身体能力の初期値も最低ライン。ゲームで極振りは大切だが、この世界はゲームではない。いくら魔法が使えようが身体能力が低ければ戦闘はかなり難しく、魔法が低いよりも、身体能力が低い方が色々と不利になるのではないだろうか……。
「でも無料だぜ? 武器の貸し出し。無いよりあった方が絶対良いだろ」
そんな事をアキが考えていると、ふいに数分前のアキと全く同じ台詞をオートラルが言った。
「……そう思うよな? 俺もそう思ってた時期があったよ…………ハハハ」
それに対しアキは、まるで数分前の自分に言あ聞かせるような気持ちで、乾いた笑いをオートラルに返す。
それにより、何か事情があるのだろうと察したオートラルは気持ちを切り替え、キャッキャと騒ぐ二人に向かってこう言った。
「……まあ、いいや。他の二人は――両手剣と、斧槍?」
「あっ……はい!!」
話し掛けられた二人は騒ぐのを落ち着け、輝くような笑顔で元気に返事をした。
二人の装備はベルトに固定されて、外からも見えるようになっていたので、わざわざ聞くまでもなかった。
女性の方は、身長以上の長さがある両手剣で、男性の方は少し高価そうな鉱石を使用した斧槍だった。
「……その斧槍、なんかカッコイイですね! 造りがちゃんとしてる」
女性が亜人男性に向かって言う。
「えっ? へへ、ありがとう。……ずっと、討索者になったら斧槍使いたくて、練習してたんだ」
「あっ、もしかして“英雄セルファ”に憧れて? ほら、亜人解放戦争の、人族のリーダーの。あの人は斧槍を使ってたって言われてるから」
「……斧槍使うと必ず言われるセリフだけど、ちっ、違うって! ただ……そう! 普通に、遠距離気味の近接武器が使いたかっただけ!」
二人のそんな会話を聞いて、
「……せるふぁって、有名な人なんです?」
つい、アキが呟く。
ちらっとアキを見てから視線を逸らしたユリセアと、表情が見えないオートラル。しかし残った二人が、まるで『ありえない』といった顔でアキを見つめる。
「…………うそ……知らないんですか?! 亜人革命のリーダーですよっ? 亜人が人族と同じように暮らせるようになったのって、英雄のお陰だって言われてる」
「そうそう! あの魔紅力を作った最凶の大魔導師アークトゥルスと同じ時代の人で……ほらっ、これは噂だけど、奴を倒したのもセルファなんじゃないかとか言われてる……」
「あ、そのアークトゥルスは聞いた事ある」
「聞いた事あるというか、それ知らない人ってこの世界にいないだろってレベルだよ」
アキは知らなくて当然だが、この話の知名度は……例えは良くないが、前の世界で言えば『この宇宙はビッグバンによって出来たんだよ!』といったのと同レベルで、誰もが知っている常識なのである。
「あー! 思い出した思い出したー! ハハハーアレデスヨネ、斧槍を使ってた、亜人革命の、人族の、リーダーの……」
先程の会話を繋ぎ合わせて適当に言う。とはいえ、今の会話でアキは何となく概要を掴めた。
ファンタジーでよくある話で、亜人が差別されていた時代、人族及び国に対して反乱を起こした亜人達を纏め、大きな戦績を収め、やがて勝利へと導いた英雄的な存在の話……。
「あれ、人族なのに?」
純粋に感じた疑問を口に出す。それに対して、男性が答えた。
「そう。不思議だよな、ある日突然姿を現して、知らぬ間に姿を消した人族…………その事から、実は人族じゃなくて神だったとか、異界から来たとか、そもそも存在しなかったとか、実は亜人だったとか……色んな説があるよな」
「そうそう! でねっ、個人的に一番好きな説は……相手国の大貴族、魔法の名門一家『アルヴェーユ家』の隠し子で、あの魔法言語作った“レグルス・アルヴェーユ”の兄弟だって話ッ! 燃えるし萌えない!? 萌えるよね!! うふふっ、歪んだ兄弟への感情……複雑な関係性……彼がレグルスを殺したのは必然だったのよ……っ! 本名を知る者は誰も居ないけどぉ、苗字はアルヴェーユでぇ……うふっ、うふふふふフフフ……」
セルファの話に転換した突然、まるでマシンガンの如く口を動かし、興奮気味に不気味な笑いを湛える女性。さながらそれは、元いた世界での好きな作品に付いて語るオタクのようだとアキは思った。
その様子が気になったのか、今まで無関心そうに見えたユリセアが、彼女の話に耳を傾けているのが分かった。反面、オートラルはよく分からないが、ふいに話し相手である男性が若干引き気味にこう返した。
「うわっ、それってアレじゃん。死ぬ程マイナーな噂話じゃん! あれ信じてる奴初めて見たっつーか、俺以外で知ってる奴初めて見たっつーか……。大体、セルファは魔法を使わない……いや、使えなかったって常識だろ? それがっ! カッコイイッ! のにッッ!! 仮にレグルスの兄弟だったら魔法使えるし、他も色々……矛盾だらけで根拠が一つも無い」
「んなっ……信じてるなんて一言も言ってないし、これは信じてるとか根拠がどうとかじゃなく、単純に好きかどうか……そう、要は萌えの話よっ! 史実との矛盾は妄想という名の考察で補うの!! ……それと、やっぱりセルファに憧れて斧槍使ってるんじゃないの。ありとあらゆる創作話を掻き集めてるマニアしか知らない、こんな噂まで知ってるなんて」
「あ…………っ、そ、そうだよ! でも憧れるだろ当たり前だろッ!? チョーー強くて、ミステリアスでクールで謎に満ちた性格……この世界にいて憧れない方がおかしい! ……フッ、まぁ俺はね、セルファは暗い過去と言えない事情と特殊な能力を隠し持った、しがない旅人だと思ってるけどな」
「同類かと思ったけど、意外と世間一般的な解釈ね。それも好きだけど、愛が足りないわ」
「なん……だとっ!?」
信条の違いに関して互いに文句を飛ばしながらも、この上なく楽しそうに語る二人。口をとがらせる男性側が、続けてこう言った。
「セルファに憧れてるクセに、変な妄想を語る奴に言われたくねーよっ。なあ、そこの鎧の人! お前もそう思うよな!?」
「……えっ、あ、俺っ?! あー、俺は、うーん」
妄想のタネと憧れは別物なの! という女性の声に被せて、突然話を振られた事に困惑しながらオートラルは唸り、こう返した。
「俺は異世界説……そうだな。言うなれば、異世界から召喚された勇者的な説を推してるから、どちらも解釈違いでぇーす」
それを聞いたアキは思った。……なにそのどこかで聞いた事のあるような設定は、と。
先程から妙な既視感のある、というか変な安心感を感じる会話ばかりだ。奇妙だが楽しい、そして異世界の歴史について学べる有意義な会話だと思う彼に向かって、不意にオートラルは、半分からかうように目線を送った。……無論、鎧で隠れて目など見えないのだが、先日の『異世界人?!』と聞いてしまったアレをからかわれているのだろうとアキは解釈した。
……あの時は瞬発的に異世界人などと言ってしまった。オートラルには本気にされなかったので良かったが、レディアの件もあるのだから、今後他人にはあまり進んで言わない方が良かったりするのかもしれない。そもそも怪しい奴だと思われるのも嫌なので、進んで言おうとも思わないが。
「それは聞いた事ないけど……あっ、アレか、有名な異界の生き残り説の事か! その説は結構言われてるけど、異界って……あれだろ、魔界だろ? 魔界ってなんか良いイメージないんだよな。もっと昔の魔界の大侵攻で、勇者と相討ちになった人間……異界の血が混じってるとか言われてるじゃん」
アキがオートラルとの事を思い出す傍ら、亜人男性が首を傾けながらそう言った。
「あのおとぎ話の事かしら」
「そうそう。異界の血云々は史実か分からないけど……まぁほらともかくイメージがアレだからさ。俺は、セルファには異界の人ではないで欲しいとか思っちゃうなぁ……」
「うっわぁ、憧れの押し付けだ……」
「お前にだけは言われたくねぇ!」
ワイワイと話すセルファオタクの二人と、彼らに置いていかれるオートラル。そんな中でアキは、“異界”とは先日レディアが話していた、自分の居た異世界とは別の世界の『魔界』の事だろうかと、会話を思い出しながら思った。
レディアが教えてくれると言うので問題は無いのだが、もしかすれば魔界の話も、自分がこの世界に来た理由に関係しているのかもしれない。または、自分が異世界に帰る為のヒントになるかもしれない。
だからこそ、三人の話の続きに耳を傾けようとしたのだが、次に思いもよらぬ発言をしたのはオートラルだった。
「いやいや違う、召喚だよ召喚! それにほら、所謂異世界ってさ、その“魔界”だけとは限らないじゃん。セルファは異世界人だから当然魔法が使えなくて、この世界の言葉もあまり分からないから寡黙だけど、異世界独自の知識や技術があるから強い……みたいな?」
「ぇ、……え?」
「いや、異界から来た説もあるけどさ……し、召喚? 次元を操るとか三大神能の一つじゃん。魔法でも絶対不可能なのに、神でもないとそんな事……」
「じゃあ神が転移させたんだろ。その時に神から祝福……特殊能力的なのを授かったりとかして!!」
「お、おう……?」
突拍子もない話に困惑する二人に対して、オートラルは笑いを飛ばしてから続ける。
「……でも真面目な話、魔界の大侵攻の時は一時期世界が繋がってた訳だろ? そうでなくとも、あのおとぎ話みたいに次元を操る奴が居たのかもしれない。そう考えれば現実的……じゃね?」
両肘を曲げ、天井に手のひらを向ける彼。もし表情が見えたのならば、恐らくニヤリと笑っていた。
かく言う二人は、顔を見合せ、唸りながら何とも言えない反応を返すが、
「……うーん、現実的……ではない……」
「……ない、けど……面白い!」
目を輝かせ、元より上がりきっていたテンションそのままで、女性はこう言った。
「信じるかどうかは置いておいて、私セルファ関係の色々な話知ってるけど、初めて聞いた! すごいねっ! どこでそんな話聞いたの?」
「ふははは、初めて聞いただろ? いつ、どこで聞いたんだっけな、ははっ……」
どこか懐かしそうな声調で語り、アキの方をチラッと見た後、誰にも聞こえないような小声でこう言った。
「いや、多分、聞いてすらいないんだろうな……俺は」
――それ以降の主に二人の会話も、もはや説という名の妄想の掛け合いだった。
オートラルの語った内容……まるで元の世界の二次元にありそうな話がこの世界にも存在している事に驚いたのと同時に、胸がズキリと痛むような感覚に襲われた。あの日々が懐かしい、元の世界が恋しい。……頑張って考えないようにしていたのだが、気を抜けばそんな事を考えてしまう。
感慨に浸りそうになり、ブンブンと心の中で頭を振って、気分を切り替える。
……ところで、元の世界にありそうな話について。この世界の人間は、魔力を持っているか否か程度の違いで元の世界の人間と生態的に似ている気がするので、同じような発想に至るのは何ら不思議な事では無いのかもしれない。次元云々が身近なおとぎ話としてあるのなら尚更。……他の二人の反応を見るに、今回は彼の適当な妄想がたまたま掛かっただけなのだろうが。
それより気になるのは、三大神能と異界の話だった。
三大神能については後でユリセアに聞くとして、事実として自分のような『異世界人』がこの世界に居るのならば、セルファが異世界人というのも有り得るのかもしれないと思った。……自分と同じ世界の人間がそこまで強くなれるようには思えないし、能力だって自分はあの“魔紅力の形を変える”という特殊抗体だけではあるが。
どちらにせよ、時空間を渡る……すなわち異世界に帰るのは、魔法という超常現象を持ってしても不可能なのだろう。……言い方からして、普通の魔導師では不可能とかそういう事ではなく、根本的に、論理的に、魔法では絶対不可能なのだ。考えてみればこの世界の魔法は治癒魔法や身体強化なども存在せず、恐らくあの八属性だけとかなり不便である。
思考をぐるぐると通わせるが、今考えても仕方がないと思い、やめた。……あれ以降、異界の話がされる事は無かったが、英雄の話で一気に打ち解け、英雄について語り出していた彼らは、とても楽しそうだった。
「……英雄セルファに、大魔導師アークトゥルス……かぁ」
――数百年前、亜人差別に区切りを付けた『英雄セルファ』と、魔紅力を作った『大魔導師アークトゥルス』そして魔法言語の礎を作った『レグルス・アルヴェーユ』は全て同時期に発生した人物であり、出来事である。
最も歴史が動いた時代、新しい世界を創り出した時代。この世界ではそんな風に呼ばれているが、セルファとアークトゥルスの二人ついてはそのほとんどが謎に包まれており、前述のような確実な事実以外の出自や経緯のほぼ全てが『説』で完結されている。
また、これらはあまりにも有名な話である事から、史実が明確でない事を良い事に、歴史研究者の専門分野である研究とは全く別に、彼らを元にした様々なお話が作られている。
それは、彼らの話を元にしているだけで、彼らとは無関係のおとぎ話から、子供の教育に使うもの、娯楽用、根拠のある考察まで多岐に渡り、彼らや彼らの時代の歴史には熱狂的なファンが多数存在する。
英雄セルファが圧倒的な『善』ならば、大魔導師アークトゥルスが圧倒的な『悪』という、そういった模式図が、種族や国を超えた、この異世界全体の共通認識として出来上がっていた。
そして、そこまで綺麗に明確に分かれており、偶然にも彼らが同じ時代の人物であったという事も、様々な話が作られやすい要因の一つなのだろう。
「そろそろ出発しますよー!!」
その時、御者さんの声がした。馬車の準備が終えたのだ。
◆◆◆
足下に広がる森。遥か彼方に見える平原。森と平原は馬車の位置より低高度――低めの崖の下に存在しており、馬車はすぐ下が森の、崖の上の道を走っていた。
崖を下って森を通り平原へ向かえば早いが、それでは危険なので森に並行して崖上を走りつつ、やがて平原の方へ崖の道が続くようなので、そちらから下るのだという。
スムーズに行けば早めに着くのだが……今日は運の悪い事に魔物の活動が活発らしい。確実に安全性を確保する為に崖上でのルートも変更した為、目的地に着くのにはさらに時間がかかってしまうという。
予定では小三時間程。それまでも馬車に揺られていたので、特に寝不足のユリセアは本能に抗えず、おでこに手を当てているので一見分からないのだが、ペンダントを眺めながら夢半分うつらうつらしていた。
「……なあ、ユリセアさ」
ふと、暇を持て余したアキがユリセアに話し掛けた。ユリセアはうつつに眺めていたロケットを閉じると、彼の方を見て応答する。
「……何さ」
「いや、別に用があるってわけじゃないけど……何見てんのかなって思ってさ。……その、ロケットペンダント」
あまりにも暇で、そこそこ気になっていた事を聞いてみる。
ロケットペンダントとは、詳しい事は分からないが、中に写真や小物、高価な宝石などを入れられるペンダントの事だ。
昨日はしていなかった筈のロケットを、今日中ずっと気にしているユリセア。何かあるという訳ではないが、そことなく気になっていたのだ。
「ああ。……別に、普通のロケットだよ。高価な訳でも、特別な意匠が凝らされている訳でもない。ただ、単純にデザインとして好ましいと思っていてね」
しかし、あまり中身ついて答えたくない彼女は、わざとアキの本意から若干の意味を取り違えてそう答えた。
「ふーん。中に何か入ってんの?」
「……さあね。想像に任せるよ」
半分投げやりに放たれたその言葉は、遠回しで『それについては言及しないで欲しい』といった合図であった。
アキはあまり深刻性を持って聞いていなかったのだが、よく考えればロケットとは、大切な人の形見とかそういった物を閉まっておく場合があると聞いた事があるのを思い出す。とても大切にしているようなのに、迂闊に質問するのは失礼だったかもしれない。
……いつか言っていたじゃないか「自分の過去を話すのは得意じゃない」って。確かあのロケットは、彼女の母親が大切にしていた物で、中身は両親の髪の毛とかだった気がする。
アイツのオリハルコンメンタルは、家族の事になると途端に弱くなる。
幼い時に死んだ家族に愛情を求めてる。殆ど覚えてすらいないあの四年間にしか自らの価値を見い出せず、家族という概念への憧れが強い彼女に、それについて言及するのは――――
(………………は?)
そこまで考えたアキは、目を覚ましたようにハッとすると、自分が訳の分からない思考している事に気が付く。
『自分の過去を話すのは得意じゃない』って何だ? ロケットの中身って……何だ? 幼い時に死んだ? あの四年間? 家族への憧れ? あれ、なんだそれ。そんなの知らない、知る訳もない。知れる訳も無い。
……自分はナニを考えているんだ。
訳の分からない事を考えていた自分自身に恐怖を感じる。ハッとした瞬間から、今ではどうしてそんな事を考えていたのかすら分からない。だが――
「…………お前さ」
それでも、自然と口から言葉が零れた。
先程までの思考の意味は一切分からないが、妙な違和感だけが、頭に残ったのだ。
……いや、たった今初めて感じた事では無い。ずっと前に感じていたのかもしれない、ずっと違和感に気が付いていたのかもしれない。
気が付いていた違和感に、やっと今やっと気が付いたのかもしれない。
「今日、なんか変だよな。いつもと全然違うっていうか……心ここに在らず、みたいな感じっつーか。……そのロケットで、なんか嫌な事でもあったのか……?」
「……はぁ?」
当然の如く、ユリセアは『何言ってるんだ』といった風に返答する。
「一体何時、私と君はそんなに親しくなったんだ? いつもと違う、なんて言える程関わってもいないのに、可笑しな言い草だな」
……確かにその通りだ。
アキの言った『いつも』とは、ここ数日の事ではなく、まるで何ヶ月もの長期間を指すような、そんな感覚だった。ユリセアもそれを察知して彼に指摘した訳だが、彼はそこで初めて自分の言った言葉の意味を理解し、どうして自分があんな事を言ったのか疑問に思った。
「それに、人のプライベートに足を踏み入れて来るとは、甚だ失礼な奴だな」
続けてそう言うユリセア。
人のプライベート、というのはロケットの事である。『あまり言及しないで欲しい』という意図が伝わらなかったのだろうか、それを含めた言葉であり、瞬発的に放った言葉に対してアキも思う所があったのでこう返した。
「あっ、それはごめん……。でも、一応これでも心配して言った、と思うんだけど……」
「判然としない言い方だな。そもそも君に心配される筋合いは無い」
「…………」
ユリセアは再びロケットを手の中で転がした後、最初のようにおでこに手を当てたような姿勢に戻した。
……確かに、プライベートに足を突っ込んでしまったのは悪かったとアキは思った。ロケットに関して、最初の反応からこれが彼女にとってシビアな部分だと考えられたのに、だ。
しかし、それを含めてもそんな言い方は無いだろうと同時に思った。何故「いつもと違う」なんて言ったのかは分からないが……口から出たあの謎の言葉は、少なくとも彼女を心配しての事だった。それを、あんな風に突き飛ばさなくても良いじゃないか。甚だ失礼なのはお前の方だ、非情な奴め。
彼はそんな事を頭の中でぐるぐる巡らせながら、そもそも何故自分は「いつもと全然違う」だなんて奇妙な事を言ったのか考えたが……やめた。考えても分かる気はしないし、今見てみれば、さっき言ったようにユリセアの様子が変だという感じも一切しない。……その、“いつもと”というのも自分で言っておきながら全く分かりはしないのだが。
そう思って思考を放棄し、呆然と窓から外を眺めるアキ。
暇だと呼べる時間。
平和で静かな時間。
そう、何事もなく、
別条もなく、
平和的に安けくに――
到着していればどれ程良かった事だろうか。




