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【この世界は死にました】  作者: もちきなこ
第2章 はじめての街
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第16話 討索者登録と大魔導師とごはん ★


 受付にいたのは、緑色の可愛らしい帽子を被った、恐らく三十代前半の仕事慣れしていそうな長い金髪の女性だった。


「すみません、遅れてしまって」

「いえいえ。整理券を拝見します……はい、大丈夫です」


 そう言った受付は、『討索者登録書』と書かれた幾つか項目のある書類をアキに渡す。


「こちらを入力して頂きたいのですが……えーと、文字は読めますでしょうか」

「あ、はい……一応」


 わざわざそう聞くという事は、やはりユリセアの言う通り識字率はそんなに高くないのだろう。

 書類の項目には、氏名や種族、年齢、得意な武器種、使える属性などの欄があった。しかし名前以外は必須ではなく、後で変更も可能だということで、とりあえずは分かる範囲で書こうと、慣れない羽根ペンを手に持つ。


「……名前は『アキ・タケウチ』、種族は『人族(ヒュマル)』っと……あ」


 そこまで書いて、アキは気が付く。――そう、異世界の言語は読むだけでなく、書くことも容易だったのだ。

 書けないよりは便利だが、そういう問題ではない。英語すら不得意だった自らの脳に起こった変化が怖くなる。理由が分からないだけに尚更。

 とはいえ異世界文字を書くこと自体には慣れておらず、しかも使った事もない羽根ペンなので、自分でも嫌になる程に下手な文字列が紙面に並ぶ。そして、その事に少しだけ安心した。


挿絵(By みてみん)


「……ん、何これ……。質問と、答え……?」


 慣れない字面に妙な疲労感を感じていたアキの目に、一つの項目が入ってきた。


「ああ、それは後ほど“討索者カード”という身分を証明するカードをお渡しするのですが、それを再発行する際に必要な情報です。ご自身で質問と答えを考え、再発行する際に、名前とその質問をするので、それに答えていただく感じです。……ここに書いた事を忘れてしまうと、確実な身分証明が出来ない限り再発行が出来ませんので、絶対に忘れないものにして下さいね?」

「なるほど……。分かりました」


 何かのサイトなどに登録する際に、パスワードを忘れた時用に登録する『あなたの両親の名前は?』とか『小学校の名前は?』とか、そういったやつだ。……もう、これはアレで決まりだろう。

 彼は質問欄に『出身国は?』と書き込み、答えに『にっぽんぽん!』と書く。これなら誰とも被らないし、忘れる事もない。完璧だ。


 書き終えた書類を渡すと、受付はその書類を奥の女性に渡し、こう言った。


「それでは、これで一応登録は完了したので、処理時間の間、討索者についての説明でも致しましょうか?」

「えっ、もうこれで完了なんですか? もっと、こう……難しい手続きがあるのかと……」

「はい。自分の身分を証明するような物を持っているのは貴族くらいしかいませんし、これ以上はやりようがないんですよ。管理も難しいですし」


 異世界の個人情報なんて、そんなものなのかもしれないとアキは思った。恐らく、戸籍などもしっかりしていないのだろう。

 アキは先程聞かれた討索者についての説明をお願いし、受付は手馴れた様子で説明を始めた。


「……まず、この世界は沢山の魔物と、数百年前に大魔導師アークトゥルスによって作り出された、魔紅力による脅威に晒されている事は勿論ご存知ですよね?」

「えっ!? あ……はい!」


 魔紅力は元からある物ではなく、作られたものなのか。大魔導師アークトゥルスとか初めて聞いた言葉だが……後でユリセアに聞いてみよう。


「総括して討索者とは、この世界全て、魔物を含めた全生物の生存を脅かす魔紅力や紅核生物、変性領域からこの世界を守る為に対抗し、新たな道を切り拓く者の事です」


 所謂、新規登録の際の定型文的なものを、彼女は続けて言う。


「この討索者斡旋所は、その名の通り国や個人から討索者への様々な依頼を斡旋する場所でして、斡旋所毎に所属している国を通してから依頼が下される仕組みです。基本的にどの国とも協定を結んでいますが、法律によって依頼内容に差があります」


 討索者斡旋所が国にある事で魔物からの脅威から国を守る事が出来、強い人間も入ってくる。様々なしがらみを含めても、国は協定を結びたいと考えるだろう。

 だが、法律はどうしようもない。例えば前の世界に斡旋所があるとして、日本国内で銃は使ってはいけないだろうし、インドの斡旋所では、牛の討伐依頼なんて絶対に認可されない。……つまり魔物を狩る依頼等の時は、次行く予定の国でも大丈夫か確認した方が良いという事だ。


「ええと、討索者にはFからSまでのランクがあるのですが……ご存知でしょうか?」

「あ、知ってます」


 アキは、オートラルが言っていた事を思い出す。

 ランクはF、E、D、C、B、A、Sの七つで、ランクによって優待が異なり、大抵はEからCの間に人が集まっているらしい。


「はい。ではランクの上がり方ですが、基本的には依頼を達成した際に付与される“点数”と、内容評価から判断されます。が、例えば自分よりも上ランク推奨の依頼を達成したり、依頼の内容次第では斡旋所の推奨を得て上がったり、場合によっては飛び級もあります。B、A、Sの三つでは、他にも特別な試験を受けなければなりません」

「おお……」

「そして優待ですが、依頼を達成した時に貰える“ポイント”……あ、ランクが上がる点数とは別の物ですよ、を消費して得るものと、定期的に依頼を受けていれば持続的に受けられるものがあります。どのランクにも、街に入る際の税金の免除は付いてきますが、定期的に一定の依頼を達成する必要があります。詳しくはカウンターにて聞いて下さい」


 だから、この国に入る時にユリセアは税金を払わずに済んでいたのかと納得する。

 一定期間受けていなければダメなのは、税金を払いたくないからと討索者登録しておいて、全く働かない輩が出てきてしまうのを防ぐ為だろう。


「そうだ、緊急依頼みたいな……強制的な依頼をさせられる事ってあるんでしょうか?」

「そうですね。けれど、緊急依頼が出される時は街が滅びそうな時だけですので、安心して下さって大丈夫ですよ!」


 全く安心出来ない気がするのだが、基本的には討索者に縛られる事はなさそうで安心する。


「普段の依頼は……ええと、そこの看板に貼ってある依頼内容を、依頼受付カウンターにて伝えて頂ければ受ける事が出来ます。達成報告は出来れば同じ斡旋所が良いですが、そうでなくとも可能です。依頼によってはダメな場合もありまが」

「分かりました。あと、魔物の素材は……」

「あ、討伐依頼の物でなくても、斡旋所にて代金と引換えさせていただきます。剥ぎ取れなかった場合はそのまま持ち帰って下されば、手数料は掛かりますが、こちらにて処理を行う事も可能ですよ」


 それなら、剥ぎ取りの技術を身に付けなくとも、一応は大丈夫なのだと安心する。大きな魔物なら困ってしまうが、どうせ自分はそんな魔物は狩らないだろう。

 そんな事を話している時だった。受付の奥の扉が開き、受付さんに何かが渡される。彼女はそれを確認すると、彼に言った。


「処理が終わりましたね。……はいっ、これが討索者カードになります。再発行には、先程のパスワードと代金が必要になりますので、ご注意下さい」

「ありがとうございます」


 そう言って彼女は、何やら紋章の刻まれた小さな金属板をアキに渡すと、続けてこう言った。


「それと、新規登録者は無料で一回分の講習が受けられるんです。斡旋所付属の施設で、高ランクの斡旋所の討索者監修のもと、基本的なナイフの使い方を学んだり、魔法を試し打ちしたり、簡単な模擬戦をして実力を測ると共にアドバイスを貰ったり……あとは、薬草などの簡単な講義などが受けられるサービスです。時間がある時に是非いらしてみて下さいね。有効期限はFランクであればいつまででも大丈夫です」


 講習……やってみても良いかもしれない。ただでさえ戦闘技能が皆無なので逆に躊躇われるが、だからこそ受けてみるべきだろう。


「それでは、よき討索者ライフを」


 その言葉を聞き届け、ユリセアと共に斡旋所を後にする。現在午前の十一時過ぎ頃だろうか。ユリセアの知り合いとやらに会う前に、近くにある店で昼飯を済ませるべく移動を開始する。


「あのさ、聞きたいことがあるんだけど」


 歩きながら、アキは先程聞きたかった事を思い出し、口を開いた。


「魔法の続きかい。それなら――」

「いやごめん、違うんだけどさ……。あの、魔紅力って、元からある物じゃなくて人に作られた物なの?」


 魔法の話だと思って少し早口で話し始めたユリセアを止め、受付で聞いた話を切り出す。


「……大魔導師……アークトゥルスの事?」

「そんな名前だったかな。受付で聞いたんだけど、何だろうって思って……」

「ああ、その話か……」


 アークトゥルス、という名前を出したその時。ユリセアはほんの少しだけ表情を曇らせ、横目で宙を睨む。


「……ユリセア?」


 疑問を含んだ声がアキの口から漏れる。と同時に、妙な不安に襲われた。……この話は彼女に聞いてはいけなかった気がする。何故だか分からないが、そんな気がした。

 ふと見る彼女の表情。それは不快そうな顔ではなく、かといって悲しそうでも、怒っている訳でも無い、何とも形容し難い表情であったが――彼女がそんな顔を見せたのは、出会ってから初めてではないだろうか。


「いや、少しばかり思う所があっただけだ。――有名な話でね。今から数百年前、まだ亜人と魔物の区別が曖昧で、亜人差別が酷かった頃。マギア族であった大魔導師【アークトゥルス】は魔法で種族関係なく虐殺し、それを材料に魔紅力を生み出して、紅核生物という生体兵器を作り出し世界を滅ぼそうとした」


 一息ついてから続けて言う。


「なんて言われているが実際の所、魔紅力を作った理由は憶測ばかりで多説あり、伝説も非常に曖昧で信憑性がない。ただ、魔紅力を作った事だけは確実でね。……魔紅力対抗の為に人類を纏め上げたかったら、大魔導師及びマギア族を世界共通の敵として認識させるのが一番都合が良いだろう? その為にこんな伝説や様々な記録が創作されたんだよ」


「だから、マギア族はあまり良くない顔されてるって言ってたのか」


「ああ。マギアによる悪行や犯罪の数々が歴史的に記録されているし、マギア族は産まれ付き残虐非道な性質を持っている特殊な種族だと立証した奴もいる。……下らないジョークと同じだ、全部根も葉もない嘘なのにな。殆どの人間は疑問を抱く事もなく信じているよ」


 ユリセアはそこまで言い終えると、すました顔で歩き進める。


「なんだそれ……おかしいだろ……」


 アキは呟く。

 そのアークトゥルスとやらが魔紅力を生み出し、現代人からも膨大な恨みを買っているとして、しかし他のマギア族までそこまで言われてしまうものなのか。

 以前差別という程酷くはないとか言っていたが、普通に差別じゃないか。


 アキは彼女の事を不憫に思った。何か言葉を掛けてあげたかったけれど、何を言っても失敗してしまう気がして良い言葉が見付からず……結局出てきたのは、本心を伝えるだけの、とても無難な言葉だった。


「……でも俺は、せめて俺は、その大魔導師がマギア族だからと言って、他のマギアが悪だとか、ユリセアがどうだとか思わない! だから、その――」

「いや、それは当然だろう、異世界人。君はこの世界の価値観の中で育っていないからね」

「えっ……」


 励ましてあげたつもりが、そんな返答が来るとは思わなかった。


「産まれ付き世界的な常識として“マギアは悪”だと組み込まれていて、しかも魔紅力なんて代物が身近にあれば差別諸々が起こってしまうのは必然だ。正しいとか間違っているとか、そういう次元じゃないんだよ。……気分は良くないがね」

「……」


 正論だ。正論だが、何というかそれは分かった上で言っていたというか、もうちょっと感情という物があるだろう、とアキは思った。


「……ユリセアはさ、恨んでないの? その……アークトゥルスとか、自分の種族の事」


 その言葉は、口から自然と出て来てしまった。

 言ってしまってから、あまりそんな事は聞かない方が良かったかと思って口を噤むが、少しだけ目を見開いたユリセアは、口角を釣り上げた笑みを浮かべて答えた。


「恨み……? さあ、どうだろうね」


 そう言って話を流すが、その目はどこか遠くを眺めていた。

 しかしそれも直ぐに戻すと、続けてアキにこう言った。


「だがね、勘違いしないで欲しいのだが、そもそも私は自分がマギアの血を引いている事には大きな誇りとプライドを持っているのだよ」

「誇り?」

「ああ。だから、誰が何処で何を言おうと一切興味を惹かれないし、そもそも他人にとやかく言われる筋合いだって無い。差別云々も実害が出なければどうでも良いし、付き合ってやる方が馬鹿馬鹿しい」


 それは、強がりでも、辛さを隠す為でもなく、本心からの言葉だった。

 そうなるまでに彼女がどんな目に遭って来たのか分からないが、精神的面での強さは言葉から伝わってきて、同時にそのお陰で彼女の倫理観や価値観が捻じ曲がってしまったのだろうとも思った。


「……ところで、魔法言語に『アークトゥルス言語』という物が有るんだ。彼が作り使っていた言語で、判明している情報が少ない為に研究者によって構文が異なり、どれが正解かは誰も分からないのだが、彼の言語はこの上なく美しく、緻密かつ機能的で、素晴らしいんだ。アーク言語はね、数ある魔法言語の中で私が最も好いている言語なのだよ」

「お、おう」


 突然、魔法の話に転換された事にアキは戸惑うが、そんなのは知らないとばかりに、ユリセアはマシンガン並の語りを始めた。


「特徴はハダルの逆と考えれば良い。アーク言語は他言語では不可能なレベルで莫大かつ複雑な情報を術式に組込む事が可能で、超高威力の魔法を生成する事が出来る。……が、必要魔力量が莫大なのと、構文の難易度が過ぎる事から使える人間は限られている。……分かるかい? 私が豚に使った魔法だよ。カッコイイだろう、あの魔法陣! 美しく幾何学的な立体構造、複雑だが無駄が一切無い術式! ハダルが“癒し”なら、アークは“萌え”。さしずめ、萌えと浪漫の宝物庫とでも言おうか。どの魔法も素晴らしいが、あれ程に奥深い物は無いと思っている。……私の収入源はね、主にあの言語の研究と、その解説本を売る事なんだ」


「研究と、本書いてんの!? すごくないか?」


「まあね、当然だ。……さっき恨んでるかどうかと聞かれたが、恨むどころか、かなり助かっている面もあるんだよ。大魔導師が産まれなければ最大の趣味が無くなってしまうし、今の私は、此処には居ないからね」


 彼女がそう言った、ちょうどその時だった。


「着いた。ここで食事取ろう」


 目の前に建っていたのは、赤い屋根の小綺麗な食堂。木製の扉の上の板には『緑安亭』と書かれており、名前の通り店内は木製を主とした造りに、緑の植物などが差し込められており、とても落ち着いた良い雰囲気の店だった。


「いらっしゃいませー。お二人様ですか? あの、今満員でして……カウンター席で、バラバラならご案内出来るのですが……」

「では、別々で」


 そう言ったユリセアはアキと別れて別の席に座り、アキも木のカウンターへ座る。

 所謂ここは定食屋さんだ。店員さんからメニューの書かれた紙を受け取り、アキがその文字を目に入れた

 ――瞬間。


「――ッ!?」


 見開かれる瞳。締め付けられる心臓。

 恐る恐る瞳を動かし、その文字を視界に入れてゆくと同時に全身から血の気が引いてゆき、今にも逃げ出したくなるような、とんでもない恐怖が徐々に大きくなる。


「…………」


 メニューを机に置き、そして黙り込む。……そう、あまりの自分の愚かさに気が付いたのだ。


 ――“文化が違えば食事も違う”


 誰かが言っていた気がしなくもない言葉だ。

 これは元の世界にも言える事だろう。自分の国では食べない動物も、他の国では当たり前。聞いた事も無いスパイスは、他の国では家庭用調味料として使われている。

 ここは、他の国どころか他の世界、異世界だ。それなのに、白米があると聞いていたから、寿司があると言っていたから、油断していたのだ。勝手に安心し、そして酔いしれていたのだ。


 いくら白米があろうと、寿司があろうと、料理の種類はそれだけではない。同じ料理があったとしても、同じ材料で同じ食べ方をするとは限らない。

 当たり前だ。この世界は、生態系そのものが、生き物そのものが、全く違うのだから――。


「あの、どうかされましたか……?」

「あっ、いや、大丈夫です!」


 全く大丈夫ではないが、理由があまりにも迷惑なのでアキはそう答え、再びメニューをきちんと見る。料理はまだしも、素材が全く分からん……というか、それはもう恐ろしいものが多かったのだ。


 例えば『蛮角牛のステーキ』『岩豚とトクの実の炒め物』はまだしも、『沼石蛙の新鮮生卵サラダ』『炎舌蛇のお刺身』『巨大蝉のスパイス揚げ』等は注文する勇気が出ないし、まず食欲が湧かない。

 『毒石蜥蜴の唐揚げ』なんて、説明欄に『毒がピリッとクセになる美味しさ!』なんて書いてあるが、頭がおかしいのだろうか。

 『硬小岩の内臓焼き』に至っては、もう、まるでわけがわからない。ナニが一体なんなのだろうか。硬くて小さい岩の内臓、とは……??


「あ、あの……」

「はーい! ご注文ですか?」


 しかし食事というものは、生活にとても密接だ。毎日するのだし、無難な物ばかり食べられるとは限らない。この世界の味覚と自分の味覚が合うか分からないが、せめて、この世界の基準で確実に美味しいと言われるもの……つまりオススメを聞こうと思い、店員さんを呼ぶ。


「このお店のオススメのメニューってありますか?」

「はい! 当店のオススメは、やっぱり『弱走竜の熟成ソテー』ですかね。昼にしてはガッツリですが、人気No.1ですよ!」

「り、竜……」


 竜の肉って美味いのか……?

 頭に不安がよぎる。毒スパイスや岩の内臓よりはマシな気がするが、竜と聞くとファンタジーすぎて怖い。

 ……いや、まず竜ってなんだ? 鳥類? 爬虫類? ……爬虫類の味ってなんだ……??


「あの、どうかされましたか?」

「い、いえ! 大丈夫です。竜の肉を食べた事がなくて、どんな味なのかと思いまして……」

「……えっ、竜肉食べた事ないんですか!? 珍しいですね。竜肉は美味しいですよ。これは弱走竜なので、肉が引き締まっていて歯ごたえが良く、加えてジューシーでクセも少ないですね」


 そう店員さんは簡潔に説明した。

 竜肉はこの世界で一般的な物。そして、クセが少ないのは……良いかもしれない。

 説明を聞く限りは美味しそうに感じるが、しかしどうしても注文する勇気が出なかった。せめて、二番目を聞いてから選ぼうと思った。


「ええと、二番目にオススメなのって」

「二番目はですね、硬小岩の内臓――」

「あーーっ、やっぱり一番目のでお願いします!」


 岩の内臓、それだけはありえない。レベルが高すぎる。勢いで『弱走竜の熟成ソテー』を注文し、緊張しながら料理が来るのを待つ。


「どうぞー、お先にお肉の方を置きますね」


 ――それが来たのは小数分後。

 横から店員さんの声が耳を打ち、小さなフライパンが目の前に置かれた。


「おおお」


 緊張の面持ちで皿の中を見たアキは――その光景に、思わず感嘆をあげた。


挿絵(By みてみん)


 肉汁の溢れ出す、きつね色に焼き目の付いた厚みのある肉。熱々の油と肉汁を掛けながらこんがりと焼き上げたその肉には、炒めて砕いた粗挽きのスパイス数種と、小さい緑色の植物が添えられており、スパイスの刺激的な香りと肉汁の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。

 また、皿の上には肉と対比して、瑞々しいプチトマトのような赤オレンジの野菜と、クレソンのような緑の植物、そしてハーブが置かれていた。


「あと、こちらがお水とライスです」


 もう一つ、白磁の皿に置かれたものは、パンかライスか選択できた、ランチセットの付属品だ。

 日本米ではない、少し細長のパラパラとしたお米。スパイスを少し混ぜているのだろうか、所々に粉状にした香辛料や、小さい種のような物が見受けられ、僅かに上品な香りが漂う。


「いただきます」


 ナイフとフォークを手に取り、肉を切る。じわりと肉汁が溢れ出し、ミディアム・レアの美しいコントラストが姿を現した。

 思わず夢中になってしまいそうなその姿を口に含むと、スパイスの芳しい香りが鼻から抜け、肉汁の甘みが口いっぱいに拡がった。肉は噛み応えがあるが決して固くはなく、噛めば噛むほどしっかりとした旨味が出てきて、なんとまあ、クセになる美味しさだろうか。


ふほっ(うまっ)


 口内に広がる甘みと程よい酸味を逃がすまいと口を閉じたまま、つい彼は言う。


 口の中の肉を食べ切り、次に皿脇にある、赤オレンジの丸い野菜を口に入れた。

 噛んだ瞬間、プチッという心地よい感触ののち、肉とは相反する清涼感のある液体が口の中に飛び出す。やはりプチトマトのようだが、味はトマトと人参を足して二で割ったような味で、甘みと酸味が共存した果物のようにも思える。同じくクレソン似の野菜は、硬めの茎がシャキシャキといった心地よい感触を歯に送り、その中に心地よい程度の甘味と、嫌味のない苦味が感じられた。


 ごくりと水を一口飲み、喉を通ったのを感じてか

ら、今度はご飯を口にしてみる。

 日本米とは違い、粘り気がなく、甘みも少ない米。しかし、お米の味を潰さない程度のふわりとしたバターの香りと、炒めたスパイスの芳しさは、このお米だからこそ引き立てられるのだろう。


 どうもご飯があると、他に肉料理やラーメンや芋料理が出れたとしても、それら全てがおかずに見えてしまうのは日本人の性だが、コレに於いては主食は肉だ。


 先程よりも薄めに切った肉をご飯に置く。溢れ出した輝く肉汁がご飯に染み込んだのを確認して、肉とご飯の二つを一気に掻き込む。――ああ、なんて美味しいのだろうか。

 旨味の詰まった肉汁がご飯を引き立て、ご飯の程よいバターとスパイスが、肉の味を引き立てる。計算された完璧コンビネーションによって、沸き立つ充実感が体の全てを支配する。


「やばい……美味すぎる……」


 そんな幸せに浸りながら食べ進め……気が付けば、ご飯粒一つ残さず全てを平らげていた。


 まるで最初の不安が嘘かのようだ。口内に残る香りを水と共に流し込み、食後の余韻を楽しみながら、彼は言う。


「ごちそうさまでした」


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