第15話 ✝︎永久ノ封印カラ甦りし病✝︎
ちゅんちゅん、と囁く小鳥の鳴き声。
窓から差し込む淡い朝陽の中に、ホコリがキラキラと霧のように舞い、角度を変えゆくその光が顔に差し掛かった時、
「……ぅぅ」
彼は、目を覚ました。
ひんやりとした大気が肌をつつき、暖かな陽光がソレを和らげる。手で目の上に影を作り、未だ呆然とした頭のまま、ごそごそと起き上がる。
真っ赤に充血した目をこする。……そうか。昨夜は泣いたまま眠ってしまったのか。イマイチ覚醒しきらぬままベッドから起き上がり、窓に手を掛ける。ガラスを貫通した光が目に入り、眩しさに目を細めながら左右に開け広げた――瞬間
「……っ!」
――ぶわり、と
新鮮な風が室内に雪崩込み、淀んだ空気を洗い流す。
風が短い髪の毛を後方へ撫で、少し湿っている目の周りに冷たさを残す。
乳白色の柔らかな溢れる光の中、冴え冴えとした、どこか懐かしいような気もする涼しさを全身で感じ、暖かい光を浴びながら、朝の匂いを静かに感じる。
――とても気持ちが良い。
あまりの清々しさに目を見開き、そして、ずっとこの心地良さを味わっていたいとさえ思えた。
あれほど泣いたお陰で、心に区切りをつけられたと思う。全てではないのだが、それでも随分と晴れ渡っている。だからこそ、彼は、朝明けの中。この世界に来て、心から初めて実感する。
――俺は、生きている。
アキは、暫くの間感情に浸った後、うーんと背伸びをして昨日買った服へと着替えた。
今は朝の八時頃。……無料券の期限は九時までだったハズだ。一時間以内に朝支度を済ませ、荷物をまとめ、急いでロビーへ。手続きを済ませて外に出る。
「ぅ、わぁ……」
そこには……異世界の風景があった。
当たり前だ。昨日も見ている。けれど、昨日とはまるで印象が違う。世界が変わったのではなく、彼自身が変わったのだ。
不安は拭えない。恐怖も拭えない。でも、それは一旦振り払う。
両手で頬をペチンと叩く。近くの人がアキを振り返る。……大丈夫だ、俺は。やれるさ、俺なら。
一旦、深呼吸。暫く俯いた後、ニヤリと笑う。それは、自身を洗脳する為なのか、気合を入れる為なのか、本心からなのか、分からない。その全てなのかもしれない。
次に、ゆっくりと空を仰ぎ見る。雲一つない透き通った蒼色。
彼は、両手を空に伸ばすと、言い放った。
「……やってやる。そう、俺は――異世界転移系の主人公だぁぁ!!」
◆◆◆
待ち合わせ場所の斡旋所に入ると、昨日に比べやけに混雑している事に気が付く。人々の編み目を掻い潜り、あの特徴的な癖毛の銀髪ロングを探す――が、案外すぐに見つかった。
「おっと、そこにいるのはユリセア・なんとかさんじゃないですかっ。どうもはじめまして!」
「ヴァルミリアだ。とうとう記憶中枢まで狂ったか、異世界人」
既に本を読みながら待っていたユリセアの前に腰掛け、人差し指をチッチッと動かしながら彼は言う。
「はっはっは、違うな。昨日の狂った俺はもういない。そう……生まれ変わったのさ! 名付けて『ニュー・俺ッ!』だから、初めまして――」
「生まれ変わって退化したな。魔紅力のせいか……アイツに頼んで、その頭をどうにかして貰うべきだな」
「えっ?! いやまって大丈夫です正常です」
非常にワザとらしくて気持ちの悪い彼の言動。その“目的”にどことない既視感を覚えた彼女は、彼を心の中で睨みつけるが、お構いなしに彼は続けた。
「……昨夜、色々と吹っ切れてさ。まだ全然大丈夫じゃないけど、区切りを付けることにしたんだ」
少し真面目な顔でさらに続ける。
「なんていうのかな……そう! まさに、“ケツイがみなぎった”っていうの? まあ、とりあえずは落ち着いたよ」
某ゲームの言葉を借りて言ってみる。
そう、ちゃんとしなきゃどうにもならない。心を決意で満たすんだ。
……でも苦労するだけじゃ悔しいから異世界を堪能してやる。そうさ何事にもポジティブに。ほんの些細な事でも、全てを楽しいと思えるようにしよう。本来自分はそういう性格だ。
「元気ならそれでいいけどね。……じゃあ、先ずは討索者登録をしよう。トラブルがあったみたいでかなり待つらしいが仕方がない」
「え、登録すんの?」
「色々と便利だからね。登録は知り合いの所行った後でもいいが……アイツ、何かやりたい事があるみたいでさ、会うのは午後が良いらしい」
「へぇ……俺が、討索者……」
討索者とは、いわゆる冒険者的なアレだ。
……そう、ポジティブに考えろ。異世界といえば冒険者、ロマン溢れる冒険者っ! 異世界特有の幻想的な世界を冒険し、未開の地を踏破する者。……そう、例えば三体の化物に追いかけ回されたり、キモチワルイ白蛇と戦わされたりするような世界を――――
「ロマンもクソもねぇ!」
「概ね同意だ。討索者にロマンを感じている奴らの気が知れない」
どう擁護しようにも、すぐに死ぬ未来しか見えない。ポジティブ・シンキングも、簡単にポッキリと折れてしまう。
アキは溢れ出る思いのままつい言葉に出すが、同時に、ユリセアの返答に違和感を感じて聞き返す。
「あれ、ユリセアも討索者じゃないの?」
「登録はしてるが、滅多な事がない限り普段は活動していない。体動かすの嫌いなんだよ。お金は別所で稼いでる」
何で稼いでるのか少し気になったが、今は別に良いだろう。アキはユリセアに促されるまま、登録受付カウンターに足を運ぶ。どうやらジェニルが蝕みの村を踏破した事で討索者になりたいといった人々が増えたらしく、整理券を配っていた。
彼は一枚の券を貰い、再びロビーへ戻る。書かれた番号は二十三番、問題の収拾に何分掛かるかはわからないが、最低でも三十分以上は待つという。
「……」
アキは席に戻ると、本を読むユリセアと向かい合い、そして沈黙。……数分の間、両者の間に微妙な静寂が流れる。
……思ってみれば、彼女とは必要最低限の会話しかしていない。読書の邪魔をするのもどうかと思ったが、大体コイツはずっと本を読んでいるし、少しくらいラフに話せるようになりたいとアキは思う。
「あー、そうだ、この街でオススメの食べ物とかってある? こう、人気な料理とか……」
「そういった物には余り詳しくないな。……ああでも、これから行く所は世間的にも人気だと聞く。私もよく行くし」
しかし、それだけで会話は終わってしまう。
口切りは失敗か。けれど、代わりにアキには、とても重大な、ある疑問が浮かんだ。
「あっ、あのさ、白米ってこの世界に存在する……? ほかほかごはん……」
「さして珍しいものでもない」
「ふおぉぉぉ! うっしゃー!」
純粋に、めちゃくちゃ嬉しかった。もし白米が存在しない……または数日間白米を食べられない状況が続けば、純粋にっぽん人の自分は精神的に死んでしまう。
「じゃあさ、例えば“照り焼き”とか“寿司”とか“カレー”とか、そういうのもあんの!?」
「そういった料理は存在するな。まあ、寿司なんて湾岸沿いでしか食べられない高級料理だと聞くが」
異世界といっても、よくイメージする『中世ヨーロッパ』的な文化という訳ではないのかもしれない。宿屋の感じからしてもそうだ。
しかし話自体は軽く躱される。でも諦めない。
「ユリセアの好きな食べ物は?」
「今は思い当たらない」
……彼は、その後も色々と無難な話題を振ってみるが、どの会話も弾まない。アキの話し掛け方が不器用な訳では無い。ユリセアが特別取っ付き難いだけなのだ。
「んぁー……っ」
頭を抱えてしまいたい感情を隠し、代わりに奇妙な音が口から漏れる。
驚く程に、どんな話題にすらも興味を持ってくれない。コミュニケーションが下手……いや、取りたくないだけなのだろう。友達を要らないとか面倒だとかいった理由で作らないタイプだ。目の前に人がいるのに、孤独感が半端ない。
もしこれが二次元だったら、良い仲間も手に入り、戦闘もいい感じで乗り越え、“楽しい異世界生活”を謳歌出来ていただろう。
(異世界、ね……)
ふと思う。自分には仲間はいないし、戦闘に関しても、身体能力は上がっているが高くはなく、何より技術が無い。世界観は論外だ。
楽しい異世界といえば。典型的な物で、他には……
「魔法とか使えればなぁ……」
「ま……ほう…………?」
呟いた言葉に、今までどんな会話にもさほど興味を示さなかったユリセアが呟き返す。
「なんだ、お前……魔法に、興味があるのか?」
「えっ、えっ?」
本を閉じて傍に置き、表面上は動じず落ち着いた様子だが、あからさまな程の喰い付きように若干驚きつつ、彼は答える。
「当ったり前だろっ?! 魔法こそ異世界のロマンッ! 醍醐味ッ!! 国境を越えた皆の憧れ……夢と希望と色々とか、とにかく無限の可能性を秘めているッ! 魔法が使えずして何の為の異世界なのか……っ!!」
それは数少ない、この世界の希望だ。いずれ帰るとしても、魔法が使えたなら……ほんのちょっぴりだけこの世界に来て良かったと思えるかもしれない。
期待に体が気持ち上に伸び、瞳に光が宿る。そんなアキにユリセアは、決してふざける事はなく、からかうこともなく、極めて真面目に、真剣に、心からの言葉を語った。
「……なんだ、よぉ~く分かってるじゃないか。そうさ、魔法こそ人類の英智、浪漫の結晶、無限の可能性。そこに気が付くとは、異世界人のクセして目の付け所が良い」
「ふはは、そうだろ? で、魔法ってどうしたら……」
「……しかし、お前の世界には物にも人にも魔力が存在しないんだろう? 魔力が無ければ、魔法は使えない」
――期待から絶望へ。
生き生きと伸びていたアキの身体は枯れた植物の如く萎び、瞳からは光が消え失せる。が、彼女は続けてこう言った。
「……と思っていたんだがね、もしかしたら君は、魔力を持っているかもしれない」
「マ、ジ……で……??」
今度は絶望から少しの期待へ。
「この世界に、魔力を全く持っていないという生命体は基本的に存在しない。それは魔物やそこら辺の岩、紅核生物にすら言える事だ」
「それで?」
「だが、極偶に魔力を一切持たずに産まれてくる人間がいて……その辺の詳しい説明は省くが……そういう人間は、この魔力環境で生きていく事が身体的にかなり辛いらしい。でも君は何ともないんだろ? ……あ、いや、過度な期待をされると困るんだけどさ」
アキの輝かしい視線に辟易しながら、ちょっと待ってろと席を離れる。戻ってくる頃には、彼女の手には一冊の分厚い本と茶色の皮に包まれた、片手サイズの透明な結晶があった。有無を言わせず試させる気らしい。
「これは魔力結晶といって、素手で触ると光の強さに応じて大まかな魔力量が分かる代物だ。――はい」
そう説明しながらアキに結晶を投げ渡すが、短距離なのにも関わらずあまりにもコントロールが悪すぎて、彼の頭上を飛んで行く。
「ぅふをぁッ?!」
空中で皮がはだけ、アキの目を塞ぐ。慌てた彼は、座ったまま重心を後ろに倒して手を上に伸ばし、結晶が落ちる前にキャッチ。……同時に凄い音を立てて背中から地面に倒れ、周辺にいた人々の奇妙な視線を集めながら、背骨から走る衝撃を我慢するのでいっぱいだった。
「おい、大丈夫かよ兄ちゃん」
「ぬをぉぉ痛ったぁぁぁあ光がぁぁああ」
とても無様な姿勢のまま近くの人に心配の声を掛けられるが、応じられなかった。
痛みと恥ずかしさの中、しかし薄く開いた目の水晶体に、手の中で光が淡く灯る結晶を映した瞬間、今度は奇妙な喜びの声を上げた。
「見せてみろ。うわっ、これは――」
「これ、は……??」
姿勢を戻し、期待の眼差しで彼女を見る。
そう、身体能力はアレだが、魔力量は意外と多かったりするのかもしれない。いや、そういうものだ。そうであって欲しい。というか、もうこれしか可能性が残っていない――
「――何という少なさだ……こんな奴見た事がない。正に底辺の中の底辺。魔法が使えるかも怪しい……。レグルス言語は無理だが……ハダルの下位魔法なら、式を改造して消費を抑えれば使えるか……?」
「……最底辺?」
「最底辺」
絶望の眼差しへ。
とはいえ、全く使えない訳ではないらしい? ほんの少しでもいいから、“魔法”という超常現象が使える事に感謝をしようと彼は思った。
「最底辺なのは残念だが……取り敢えず魔法は使えるんだな!? れぐるす? やら、はだる? やらはよく分からないが」
「ああ。“レグルス”や“ハダル”は魔法言語……魔法陣等の種類で……そうだな、レグルス言語はその昔『レグルス・アルヴェーユ』という大魔導師が考えた言語だから、レグルス言語と言うんだ。レグは最も一般的な言語で、下位・中位・上位と威力が分けられる。――というか君は、本当に魔法について何も知らないんだな。いや、当然だが……そうか、しらない、のか……」
「知らない、けど…………?」
「……何て残酷なんだ、君の世界は。想像する事すら憚られる……。なぁ異世界人よ。魔法を知らない――それは、とても悲しい事だ。つまらない事だ。この先だって困るし、最優先で会得するべきだと私は思うんだよ」
魔法の話に転換した瞬間、人が変わったように語り出したユリセアに、 アキは動揺が隠せなかった。
「それではね、まずは君の使える属性……取り敢えず、一番使われるレグでの八属性の内、どれを使えるかを見ていこう。君の場合、適性があっても使えるか怪しいがね」
そう言いながら先程取り出した本をパラパラと捲り、他の羊毛紙のページとは異なる、丈夫そうな皮で出来た特定のページ開く。
魔法……それは、かつての厨二心を思い出す、夢の詰まった響きだ。
アキは、かつて自分が難しい魔法陣を書いてみたり、カッコイイ技名を考えてメモ帳に書き留めていた事を思い出す。ソレらはもう闇に葬ってしまった為、どの世界にも残っていないのだが……厨二心が完全に冷めてしまう事はあるまい。
「あった、このページだ」
ユリセアの言葉に反応を示し、どんな魔法陣が書かれているのかと期待の眼差しで覗き込むが、そのページに描かれていたのは、ワクワクするかしないかで言えばしないタイプの、丸で囲まれてすらいない、数本の直線とほんの少しの文字だけで構成された簡素な魔法陣八つと、その属性名(火・水・風・土・氷・雷・光・闇)であった。
茶色の濃いその皮のページは、ペンで描いたと言うより、皮を焼き付けて描かれているらしい。
「魔法は特定の言語で書かれた魔法式、つまり魔法陣に魔力を流す事で発動する。それはどの言語でも変わらないが、それぞれの言語には得意不得意があって、用途によって使い分けるんだ」
「用途? 戦闘用とか、調べる用……とか?」
「まあまあの認識だ。例えばこの“ハダル言語”は、ほんの僅かな魔力で発動出来る魔法言語で……ほうら見てみろ、このコードの短さ、只管に簡略を極めた最小限度の図形をっ。たったこれだけで必要な結果が得られるこの式は、正に究極のシンプル・イズ・ベストと言っても過言ではないだろう? だが逆に複雑な魔法陣は作れなかったり、非常にコスパが悪くなってしまう欠点もある」
これは何かのスイッチを踏んでしまったなとアキは思った。というか、恐らく魔法全般が全てスイッチだ。避けられない。
「まあ、本の順番通りにやろうか。まずは火属性からだな。魔法陣の上に手を翳してから、こう……式は理解しなくて良いから、手から魔力を放出させて、下の魔法陣をなぞるよう展開させるんだ」
「……うん?」
「口での説明は難しいな、これに関しては感覚がものを言う。取り敢えず試してみればいい」
手を翳して目を瞑り、体内の魔力の流れを感じようとする。
……もはや、日本にいた頃の自分と同じ体だとは考えない方が良いのかもしれない。自分には、血液とは別に魔力が流れている。そうだ、さっきの“力”とは別の何か。体内を巡る、魔力……。
「おお、何か掴めたかもしんないっ」
「では、それを手に集めて形を整えろ」
体内から手に流れる魔力をイメージして、それを手から放出。
そう、これもあの力と同様、昔から知っていたかのようだと言った方が近いだろう。放出したソレを、下の魔法陣の形に整えてゆく……と、彼の右手すぐ下、火の魔法陣の描かれた本のすぐ上に、ほんのりと光る半透明のソレが描かれた。
「おおおおお?!」
まだ魔法が使えると確定した訳でもないのに、魔法陣だけでも感動のあまり思わず歓喜を上げる。
「よし、そしたら発動だな。もし適性があれば魔法陣が属性の色に染まり、無事発動される。ああ、発動後の魔法のイメージも大切で、幾分か発動が容易になる」
「魔名は?」
「必要ない……が、ハダル言語的には『フー』」
「よし……っ、い、いくぞ……ッ!!」
息を吸い込む。――そう、何だって魔法だ。あの魔法だ! 厨二病でなくったって憧れる、あの魔法が現実になるんだ。
“大切なのはイメージ”、と言っていた。
火属性……燃える戦場、一人佇む炎使い。幾多の敵を蹂躙し、薙ぎ払い、全てを焼き尽くす地獄の業火。相手は死ぬ。
例えばそれは、火が消えかけた闇の世界。疲弊した体を癒す篝火の如く。
凍てつく吹雪の中、手を伸ばし求めた温もりは、まるで生命の小さな灯火の如く。宿らせた炎は、未来を指し示す道しるべ。
――要約すれば、攻撃はさる事ながら、焚き火や照明替わり等々、様々な用途に使える火属性は是非欲しい! といった所だ。
かつて考えたような、加速した厨二的発想。同時に肥大する期待。
魔法陣に魔力を流し込み、吸い込んだ息を止める。
――そう、俺は炎を司る魔術師。炎操者……。
溜め込み、そして、自称カッコイイポーズを取りながら、自信に満ち溢れた気迫のある声でその魔名を――唱えた。
「フウゥゥーーーーゥッッ!!!」
――――
――
しかし、なにもおこらなかった!
魔法陣は半透明のまま変化なし。微妙に反響する声が、アキの魔名を繰り返す。
固まる体、火で暖まるどころか凍てつく空気。真顔に若干の微妙な表情を塗り重ねたユリセアと、ソレを聞いていた人の痛い視線。
「残念。君に火の適正はなかったようだ」
何やってんだ自分は。これまでにない程、めちゃくちゃ気まずいし、恥ずかしい。まるで、厨二の頃に提出した作文を読み返した時の、あの気分だ。
「……まあ、君は、これが初めての魔法なのだろう? 気持ちは分かるさ。魔法だもんな、魔法陣の美しさに高揚してしまう気持ちも、よく分かる」
「えぇ……? いや…………そういう訳じゃ……」
「そう気を落とすなよ。まだ一つ目なんだ、次の属性も試そう」
流れるように魔法陣の美しさについてユリセアは言うが、これはアキを励ます為でも、冗談でもなく、真面目に言っていた。
厨二的世界から一気に現実に引き戻されたアキ。……しかしもう失態は侵さない。厨二的思考になんて走らないし、もし何かしらの属性を使えたとしても、決して、決して浮かれたりなんかしない……。
◆◆◆
水属性……それは、母なる大海。全てを浄化せし雫。操られし龍水に呑み込まれし者は、母に還り、大地に還り。世界に還る。
全てのモノに潤いを。神秘の聖水は母なる揺り籠。生と死を司る、最も残酷で美しき星の涙――
「ッロォォーーーーッッ!!」
――びちゃん。
彼の『ロ』の呪文の後、水色に輝く魔法陣。消滅と同時に、スポイトからほんの少量の水を地面に零したかのように水が現れ、皮を濡らした。
「おめでとう! 水の適正はあるみたいだね」
「いっ……今のがっ?!」
思ったよりも地味で、何というか……とてもカッコ悪い。
けれど、アキにとってはそんな事は取るに足らなかった。属性が使えたことに喜びが隠せず、そこまで格好良くない魔名を何度も唱えて水魔法を発動させる。だが先程の反省を踏まえてか、小声での呪文だった。
「ふひょぉぉおおお!! すっげぇぇぇえ!!」
「…………お前さ、」
「な、なんだよ」
「……やっぱりいいや」
ユリセアはアキに対して怪奇な視線を向けるが、眉をひそめてから逸らす。
――その後も彼は地道に魔方陣を形成し、とうとう八属性全ての測定を終わらせた。時間にして三十分程だった。
「つ、疲れた……」
最初は楽しくやっていたものの、テンションが上がって無駄に魔法を試したせいか、やたら疲れてしまった。
彼の使えた属性は“雷属性”と“水属性”の二つ。うち雷属性は、水属性と比べれば適性が高いらしいが、測定で魔力切れを起こしてしまう程なので、実戦で使うのは期待しない方がいいらしい。
魔力以外に、適性の高さによって使える魔法の威力が変わってくる。適性が低くとも魔力が高ければ、ある程度は押し切る事も可能だが、適性があまりにも低すぎると不可能だという。
「魔法は丸暗記でも一応使えるが、それでは応用が効かないしつまらないから、勉強しないとな」
「やっぱ、そんな簡単には使えないんだ」
アキは少しだけしょんぼりするが、考えてみれば当たり前だ。体を動かすよりは、頭を動かす方がまだ好きだし得意だ。マシだと思える。
「まあ、君が使うようなのはそこまでの知識は問われないが。言語の前に必要最低限の説明をしてやろう」
ユリセアはそう言うと、ふいに左手で魔法陣を展開させ、それを変形・分解させたり、魔法陣を変えたりして、どことなく楽しそうに説明を始めた。
「魔法陣は魔法を発動する為の情報そのもので、内部の術式は、“魔法文字”と“線”で構成されている。……使われている魔法文字そのものは基本的にどの言語も同じで、違うのは並びや組み立て方。魔法陣の形も言語によって異なり、仮に別の魔法言語同士を同じ魔法に組み込む場合、かなり特殊な魔法陣の構築が必要になる。あと、発動には詠唱が必要だが、その人物の魔力や適性によっては無詠唱でも発動可能。魔力で押し切れば無詠唱の範囲を伸ばせるが、一定以上は不可能。適性の低さを魔力で押し切るのと似た原理だな」
文字は同じだが構文が違う……つまり、魔法言語の違いはプログラム言語と似ている感じだろうか。
「でだ。魔法陣の構築速度は、術者がどれだけ術式を理解しているかに既存する。発動する魔法の方向や種類などは全て魔法陣に組み込んでる訳だが、戦闘ではソレを如何に早く計算して組み込めるかが大切だ。ただ、ある程度魔法のイメージ出来て、魔力操作に長けていれば、その分だけ構文を省略する事も可能。それには技術がいるし、必要魔力量も増えるが、努力で賄える分もある」
――それはまるで、マシンガンの如く。
彼女は淀みなく言葉を並べて、難しい説明を彼にするが、説明は早さの割に分かりやすく、割とすんなりと理解出来た。
「まだ具体的なイメージは掴めないけど、多分理解は出来た……と思う!!」
「そうか、それは何よりだ。……なあ、面白いだろ? 魔法。より専門的に学べば独自の魔法を産み出すことが出来るし、魔法に正解は無いからな、奥の深さに終わりが無いんだよ」
「うん。すげぇ難しそうだけど……仕組みも面白いし、勉強頑張ろうと思ったよ」
「いい意気込みだな」
そう言ったニヤリと笑うユリセア。やはり彼女のテンションが可笑しい……と彼は思うのだが、同時に心の奥底で奇妙な懐かしさを覚えていた。
まさに“彼女らしい”というべきか。魔法でテンションが上がるところや、専門的な話をマシンガントークして来る所。全てが懐かしくて……何故だか少し切なくなる。
彼の気持ちに一番近い感覚は、昔の忘れてしまった友人と再開したかのような感情だが、彼女とは会ったばかりの筈だ。奥底の得体の知れない感情にやがて彼自身も気が付き違和感を抱くが……直ぐに元に戻る。恐らくよくある既視感みたいなものだろう。
「ふははっ!! でだな、早速新しい魔法を学んでみたいなーなんて思うんですが、如何ですかねユリセアさん」
「ああ。……だがその前に、ひとつ聞きたい事があるんだ」
「……なに?」
ユリセアは彼の顔を眺めてから、今日の言動を思い返し……そして、ずっと思っていた事を口に出す。
「君さ、性格変わった?」
「……は? なにそれ――」
「昨日迄の君のイメージと現在の君が、随分と乖離しているように思えると言ったんだよ」
二人の間を一瞬の静寂が流れる。その中でアキはごくり、と唾を飲んでから、答える。
「だっ、だから言ったじゃないか。俺は生まれ変わったんだって。名付けてッ! 『ニュー・俺――」
「そういう点だよ。……ここからは瑣末な好奇心だ。なあ、どっちなんだい? 君の言う通り“生まれ変わった”のか、“元に戻った”のか、それとも“自分を演じている”のか」
そんな彼女の言葉に、アキの心臓がドキリと跳ねた。
彼女が言いたいのは、つまり“新規に心持ちを入れ替えた”のか、“昨日までが異常で、やっと元に戻った”のか、それとも“生まれ変わった自分を演じているだけ”なのか、という事だ。
彼には頭の片隅で分かっていた――そう、三つ目だ。具体的には、言い訳程度の二つ目と、絶対多数の三つ目である。
確かに、彼女から見て性格が変わったように見えたのは、彼女は本来のアキを知らないからである。だが、彼女が言っているのは“それを含めても”の話である。あまりにも急な変わりようだ、他人ですら違和感を抱く程に。わざとらしく、下手な演技を見ているかのようだと言うのだ。
……そう、彼には、あの出来事から切り替えるなんて出来なかった。切り捨てられる程、強くなかった。だから、無理矢理にでも考えない為に、半分は無意識で元の性格の演技をしていた。
だから、普段のアキを知っている親しい者がここに居たとしても、大きな違和感を抱いただろう。
「君さ、やるならもっと上手くやってくれ。あまりにも下手すぎて見ていられない。君の今までの人生が伺えるようだ――」
「二十三番様ー! 大変お待たせして申し訳ありません! 次ですよー、二十三番様!」
彼女の言葉に重なるように、アキの番号が呼ばれる。
「……まあいいや。ほら、早く行ってしまいなよ」
「あ、ああ……」
自分の心を騙し、演じていた事を、彼女は気が付いていたのだろうか。
彼女の言い方に対して思うところがあったが、同じくらい自分自身にも思うところがあった為、そえ以上の感情は抱かなかった。そして再び呼ばれる前に、登録専用受付に向けて歩き出した。




