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【この世界は死にました】  作者: もちきなこ
第1章 そして、終わりが幕を開ける。
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第1話 永い、永い夢を見ていた。


 ――――っぁ――


 ――――っあああ――……あ…――あッ!


「うわあああああああぁあぁあぁあッッ!!」


 大気を(つんざ)く悲鳴を上げる。

 悪夢の後の寝起きのようだ。ここがベッドであったならば飛び起きていたであろう勢いで、彼はハッと目を覚ました。


「ん、あれ、何処だ……ここ」


 辺りを見渡そうにも真っ暗で、音を聞き取ろうにも何も聞こない。

 しかし、よく感覚を研ぎ澄ませてみると、足から腰辺りまでは粘度の高い液体に浸かっている感触があり、異様な臭いを放つ大気は、ずっと吸っていれば体が腐って溶けてしまうのではないかと思えてしまう。

 ……訳が、わからない。彼は記憶を辿り、自身の覚えゆる最近の出来事を思い返す。


 ――受験勉強に挫折し、模試で酷い判定を取ってしまった事。

 ――両親と喧嘩し、家を飛び出してしまった事。

 ――途方に暮れて街中を放浪していた事。

 ――そして、今、ここにいる事。


 つい、ほんの数時間前の出来事のハズなのに、まるで遠い過去の出来事のように感じる。

 だからだろうか、所々に靄が掛かっているかの如く、あやふやにしか思い出せない。それに――


(何か、大切な事を忘れている気がする……)


 そう。つい先程まで何か長い夢を見ていた……その事実だけは思い出せるのだが、それが何なのか全く思い出せない。

 ……考えれば考える程混乱してしまう。とにかくこの空間から抜け出そうと、体に力を込めるが、


「なに、コレ……」


 動かそうとした部位に、妙な違和感を覚える。

 いや、そこだけではない。恐る恐る手で触れてみれば、全身に蔦や膜のようなナニカがくっ付いている感触があった。全身の毛が逆立ち、謂れのない恐怖が駆け抜ける。全身に纏わり付いているソレを引き剥がし、片足に大きな力を加えると、


 ――ギチィッ

 弾力性のある不安定な足場は、力を受けて少しだけ沈没。不快な音に危機を感じ、体制を直そうとするが許さず、倒れてしまった衝撃から、沈みきった足元は大きく引き裂かれ――


「――っぁああッ?!」


 光が漏れ出すと同時に、液体と共に彼も落ちる。


 鼓膜に空気の圧が加わる。

 視界が上に、下に、ぐちゃぐちゃに流れる。訳の分からないまま手を彷徨わせるが何も掴めず、お腹から込み上げる圧迫感に耐え、大気を掻き混ぜ切り裂きながら、落ちて、落ちて、落ちて――


 ――どっブ、ん


 鈍い音が空間に響き渡った。

 強く叩き付けられたような痛みが背中に走り、開いた口に生暖かい水が流れ込む。落ちた先に水がなければ死んでいた――胸ほどまでの深度の水を少しだけ浮遊し、地上に顔を出す。


「……げほっ、ごほっ、……ッ、うぇ」


 水を体内から追い出そうと()せ返り、同時に開けた視界に映し出された現実は――彼の理性の許容をいとも簡単に超えてしまうものだった。


 洞窟の大きく開けた空洞……のようだが、壁一帯はまるで血管のような紅色の膜が絡み合っており、エリア下部には両生類の卵のようなモノが張り付いている。また、暗黒の高所からは血のような液体が一定間隔で滴っており、その度に血紅色の液体に丸い波紋が広がってゆくのが見えた。

 そう、血紅色の液体。彼は、今自身が浸かっている液体を確かめる。ぬめりけがあり、まるで血、あるいはそれよりも深い色をした紅色は、気味の悪い微光を放ちながら自身を中心に波立ち揺れている。この洞窟の僅かな明かりは、全てコレによるものだろう。


「……ッ、な……なんなんだよ、コレ……」


 あまりにも奇怪的な光景に、腹の奥から嘔吐感が込み上げる。……これ以上見てはいけない。このままでは気が狂ってしまう。

 何をすれば、ナニをすれば――ああそうだ、連絡だ。とりあえず誰かに連絡を取らなければ。


 動転しかけている頭を無理やり動かし、バッグの中にあるスマートフォンを探そうと手を伸ばす……が、スマホは疎かバッグそのものが見つからない。

 ……いや、それだけではない。ブレザーやYシャツ……服すらも着ていないではないか。


「ぁあ…………」


 崩れ落ちそうな身体。次第に加速する呼吸が過剰酸素を送り込み、視界と思考が白くぼやけていく。

 どうすれば良いのか分からなくって、ドウしようもなくって、液体の深い妖光を見つめていると感情が揺さぶられ、不安が、恐怖が、孤独が懺悔が後悔が赤く紅く鈍く汚れた赤黒色にぐちゃぐちゃに掻き混ぜられて、そして、そして、そして――――


「――っ、うぇっ、ごぶぇぇっ! ……っ」


 全て吐き出した。

 瞳から、ぼろぼろと涙を流しながら。絶望で折れてしまいそうな膝を支えるように、喚きながら。


 ――あの時、喧嘩なんかしなければ。

 ――あの時、もっと冷静になっていれば。

 とめどなく溢れる涙に様々な感情が溶け込み、落ちてゆく。泣いて、泣いて、色んな感情も声と一緒に吐ききって、やがて少しだけ涙も収まって。……けれど今度は、入れ替わるように自身に対する嫌悪感と忌避感が湧いてくる。


 そもそも自分が、あの時家を飛び出したりしなければ、こんな場所には居なかった。あの時の判断も、原因となった日々も、元はと言えば自分のせいだ。ある意味では自業自得じゃないか。

 思い返す程、自身が憎くて堪らない。ふと落とした目線の先に、水面に映る自分自身の顔と目が合った。


「ひっでぇ顔だな」


 紅色の液体に濡れたまっすぐの黒髪と、隈の浮かび上がった黒い瞳。

 全て自業自得なのに、酷い事を言って家を飛び出し、陳腐なプライドが邪魔して帰る事も出来ず、ただ両親を困らせているだけだった奴の顔だ。


「――クソッ!!」


 八つ当たり気味に、水面の顔に向かって拳を振り下ろす。

 バシャン、と水面が荒立ち、映っていた顔も消滅する。が、波の揺れが収まるにつれて復活してゆく揺れるソレは、さながら彼自身を嘲笑うかの如く、瞳を歪ませ、口も歪ませ……すると突然瞳を大きく見開いて、口の両端を半月形に変形させると、悲痛な表情を浮かべながら水中から外へ! 水中から手を伸ばして、彼の右腕を掴み取り、


【ァ……ぁうア……ャメテ、イ、ィタイヨォ、イヒッ、痛いよォ! ねェアキぃ~、竹内(たけうち)(あき)くゥ~ん!! イヒッ……ヒヒヒヒヒヒィッ!!】


 狂気的な嗤い声が、響き渡った。

 彼――アキと対峙したその声は空洞中に何度も反響し、殺意が彼を貫く。あまりの恐怖にぐちゃぐちゃだった思考はスゥーーっと冷め切り、全身は凍て付いてしまったかのように動かない。


【フㇵ、うヒヒヒィ……ミ……みづ……ケ……!! ……イッ、オデッ! オ、ダヂ、ノォ~~! ぬィヒヒヒヒィィッ!!】


 瞬間。広がる紅色の液体全てが弧を描いて高く波立ち、紅色の地面が剥き出しになる。

 目の前、アキの腕を掴んでいたモノがいた場所には何もいなかった……が、動けなかった。怖くて、力の入れ方を忘れてしまい、地面にへたり込む。


 突如、曲線を描く大波から一部の水が分離して、無骨な杭が象られてゆく。それは次々と数を増やし、やがて一本がヒュッ――と紅い残光を残しながらアキ目掛けて放たれた。


「ぁ……」


 当たる。貫かれる。骨を砕かれ、血肉と共に外に飛び散る。……嫌な想像が、確実に待っているであろう未来がアキの脳内を駆け巡る。

 だから避けないと、逃げないと。怖い、このままでは死んでしまう。死んでしまう。

 死んで、しまう……??


「……ッ! 嫌だ、死にだぐない!」


 怖い。死ぬのは怖い。死にたくない……っ!!

 ガツンッ――と脳に亀裂が入ったような痛みを覚える。そして同時に、まるで一度体験した事があるかのような既視感に囚われるが、今はソレに意識をやっている時間はなかった。


 震える体を絞って地面を押し蹴り、杭の軌道上から逃れる――その一寸後に、先程彼がいた場所に杭が突き刺さる。 脇腹を杭が掠め血が滴るが、今はそれを気に留める暇もない。

 帰らないと、家に帰らないと。あんな別れ方をした家族に一生会えず終わってしまうのは絶対に嫌だ……ッ!!


 恐怖を気合いで押し込める。逃げられる場所は――唯一奥へ繋がっていそうな血管の隙間、あそこしかない。前方から迫る杭は体を折り曲げギリギリで躱し、右手から迫る杭は前方へ飛び込み避ける。かなりの数が身体を掠め、血が吹き出すが、それでもただ走り続ける。

 それは地上で溺れている様な、酷く不格好な動きだったが、何だか身体が軽いと彼は感じていた。これがアドレナリンの力なのだろうか……普段の彼であれば一つでも避ける事は難しい筈だが、それをギリギリでも避けられているのは、まさに奇跡と言うべき異常な状態なのだ。


【に……ガざなぃぃぃぃ……オ、ヂ……の、どゥ、ィィイイイッ!】


 もうすぐ目的地に差し掛かるという所で、どこからともなく先程の声が反響――すると突然、降り注いでいた杭の雨が止み、代わりに高く波立っていた液体が其処らを呑み込まんと襲い掛かった。

 波に呑まれてしまう前に、近くの血管蔦に捕まって目的地まで登り切る。高台下は最初のように液体で湛えられるが、アキのいる高台は浅い。それに少しだけ安心し、同時に道が奥へ続いている事を確認して身体を起こそうとした、その時。


【イッ……ィヒィィィッ】


 不意に、跳ね返った高台下の波が彼に降り注ぐ。瞬発的に顔を庇おうと左腕で顔を覆った――瞬間。


「――ッ、ィアああああ゛ァ゛ァッッ?!」


 その左腕に、引き裂かれるような、感じたこともない衝撃が走る。

 あたりに迸る自身の血液。飛び散る肉塊。右手で触れるとぬめっとした気味の悪い感覚が伝わり、刻まれた深い傷と剥き出しになった肉を見て、これが“痛み”だと遅れて理解した。

 あまりの痛みに蹲っていると、ふと何かが落ちる音が聞こえた。目を向けた先にあったのは自身の血液が付着していた紅色の巨大な刃。……あの紅い液体は形を変える。先程飛来した波が刃になったのだと、言わずもがな理解した。


「…………バ……バケ、モ……ノ…………ッ」


 再び涙が溢れ出る。同時に無意識で発せられた言葉だったが、意外にも不気味な声は反応を示した。


【バケ……も……ノ? ェ……、ぇ…………。……ッハ、ふハハ……アッハハははハあぁぁアアア゛!!】


 ブワリ――と、突然得も言われぬ感情の爆風が狼藉(ろうぜき)する。同時に中心部の液体の三箇所が意志を持ったかのように膨れ上がって成長し、……やがて、どこか人の面影のある三体の化物が生み出された。


 最も単調で人から遠い様態のモノは、盛り上がっただけの紅い身体に、手のような二つの突起。真っ紅な一つ目からは紅色の液体を流し続け、口のような空洞の奥には紅い鉱石が埋め込まれている。

 他二つとは中間程の見た目のモノは、脚二本と腕が三本に、腹部にはぐちゃぐちゃに絡み合った管と、中心には紅色の鉱石が絡まっている。また頭頂部には気味の悪い開口部があった。

 そして最も人に近い形をしたモノは、人と同じような四肢に頭部を持っており、紅色の鉱石も隠れているのか見当たらないが、全体的に悪戯で組み立てた粘土のような歪なフォルムをしていた。


 最も人に近い化物は両眼をアキに見据えると、液体から紅色のナイフを作り出し、手の内へ納めた。


【グ、ヒィィ……】


 あの最も人間に近い見た目の化物こそ、最初にアキの腕を掴んだ犯人であり、不気味な声の主である。彼は気味の悪い笑いをアキに向かって湛えるが、今度は動けなくなる事はなかった。


 逃げてやる。絶対に逃げ切って、この洞窟から脱出してみせる。

 左腕を右手で抑え、壁に体重をかけながら立ち上がる。そして自身を追う化物達に二度と出会わない事を願いながら、奥の暗闇へ――歩み始めた。


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