第13話 彼らの希望 彼女の祈願 英雄の帰還 ★
突然の受付の若いおねーさんの声に室内が静まり返る。
それは受付から直線状の入り口付近。汚れた鎧と武器、如何にも冒険者らしい格好をした男が立っていた。
〈嘘だろ……アイツ……〉
〈ジェニルって、噂の変性領域に挑んだっていう?〉
〈ああ。確か……“蝕みの村”の……〉
〈生きてるって事は……まさか……〉
〈でも、あの表情……〉
ガヤガヤとざわめく室内と、俯きながらその中央をフラフラと歩く、ジェニルと呼ばれた男。金髪碧眼。程よく鍛えられた体つきに、顔も中々イケているのだが、目の下には疲れ切った隈が出来、濁った瞳には光がない。
そんな、限界まで体も心も疲れ、壊れ、枯れ果てた彼は、しかしその奥に見える顔貌はまだ若く、恐らくは二十歳前後ではないだろうか。
……蝕みの村、というのは変性領域の名前だろうか。何も分からないアキはユリセアに目線を送るも気が付かれず、オートラルに目線を送るが、そもそも彼の表情は見えない事に気付いて諦めた。
「あの……ジェニルさん、変性領域の、報告……ですよね……?」
受付のおねーさんが恐る恐る聞く。彼の表情から、悪い方の報告を恐れたのだろう。
同じく、彼の表示から不穏を悟る者は少なくはなかった。その場の緊張の全てが彼に集約される。
「……ぁ」
ふっと、意識が宿ったように、小さく彼は声を漏らし、見渡す。不安定な期待と、覚悟を秘めた視線――そりゃあそうだ。あれだけの事があったんだ。沢山の人々の家族が、仲間が犠牲になって、復讐と救済を求めていた。全てを俺達に託していた。
「蝕みの村は……」
とても小さな声だったが、静かなこの部屋には充分に届いた。
覚悟を決める。息を飲み込む。手をぎゅっと握り締め、上を向き、言い放つ。
「蝕みの村は……踏破、ました」
小さく響いたその言葉。
しん――――と静まる空気。
彼の言葉が、空間に染み渡り。
まるで、その言葉の余韻を踏み締めるように。
互いに見合わせ、
互いに顔を綻ばせ、
誰かがポツリと口を開いたのを切っ掛けに、ポツリ、ポツリと人から人へ。まるで、じわりじわりと拡がってゆき、そして――――
「「「うおおおぉぉぉおおおぉおお!!!」」」
――歓声が、空間を震わせた。
彼を褒め称える声や、歓喜の台詞。『みんなの英雄だ』そんな言葉が彼に降り掛かる。――当然だ。この世界にとって、大きな変性領域の一つが消えるというのは、身近に潜む死が一つ消えたということ。経済的にも莫大な被害を及ぼし、とんでもない数の犠牲者が出ている今、よほどの事がない限り喜ばない人はいない。
轟々と唸る大気と、祝福の言葉。それらを一身に受けていた彼は――――笑っていた。
何重にも塗り重ねた表情の仮面の上、今にも崩れ死んでしまいそうな絶望を内包し、最後のひと絞りまで疲れ切った顔で、笑っていた。
死んだ瞳の遥か奥に、莫大な責任感と罪悪感と懺悔と断罪の波浪を隠しながら、笑っていた。
いや、もはやソレは笑顔とは呼べないものだったかもしれない。そして、気が付いた誰かは悟り、心を痛めた討索者だって居たかもしれない。
「これが……証拠です。あとこれが……」
周りが祭りだ祝いだと騒ぐ中、ジェニルは淡々と荷物を渡し、処理の為に待っているよう言われた彼が椅子に移動しようとした時。騒ぎの中から幾人かが彼の元へ向かい、会話の疎通を試みる。
内容は歓声と同じく、彼を称える言葉だったり、よく頑張ったという内容だったり、様々だ。
「……なんか英雄とか言われてるけど……変性領域の踏破って、そんなすげー事なの?」
アキは周囲に聞こえないよう、ユリセアに聞く。
「変性領域は“主”を倒すと死ぬ……消滅するんだ。凄いかどうかというのは、変性領域のランクにもよるが、彼の踏破した『蝕みの村』はとんでもないな」
「へぇ。その蝕みの村って、どんな領域なんだ?」
「蝕みの村の紅核生物はあらゆる手段で人を攫い、あの領域特有の魔紅力……変性魔紅力に感染した人間は、どういった仕掛けか領域に向かうようになる。止めようとしても、どんな手段を使ってでも向かおうとするから、最早殺すしか止める方法はない。……巨大な領域でね、街一つ分はあるんだ。あの領域から帰ってきた人間は彼一人しかいないから、内部構造は全てが謎に包まれているが……外見が酷く寂れた村の様だから、“蝕みの村”なんて名前が付けられた」
「へぇ……。そんな領域を、あの人ひとりで?」
「まさか」
彼女が質問に答えた……ちょうどその頃だった。ジェニルが人々の祝福を仮面の笑顔で対応していると、短い赤髪で片腕を怪我している男性討索者が彼に近づき、そっと話し掛けた。
「踏破おめでとう。本当に、おめでとう。…………あのさ、一緒に行った奴らは……やっぱり……」
「……っ!」
ジェニルの、元から苦しそうだった笑顔があからさまに歪んだ。……酷い顔だった。今にも泣きそうな、罪悪感にすり潰されてしまいそうな顔だった。
彼に着いて行ったのは百数人に上るが、此処には彼以外誰も居ない。普通に死んでしまった――それもそうだが、“詳細”は彼以外には誰も知らないし、狂った生き残りについても、誰も知らない。
会話の内容は彼ら二人しか認識しておらず、ジェニルの表情に気が付いたのも相手の男性だけであったが、男はソレを見て一瞬悲しそうな顔をしたものの、すぐに戻してフォローを入れた。
「……いや、仕方が無いさ、こういう世界なんだ。……言い方が悪いかもしれないが、やり遂げた事を考えれば、大きな犠牲じゃない。むしろ、行けなかった自分が情けない」
「……そんな事……っ、お、俺は……」
「お前のせいじゃないよ。だって踏破出来たんだ、アイツらもこれで報われる。お前がリーダーで良かったよ、ありがとう」
……彼と一緒に行った討索者の中には、男と仲の良い友人がいたのだ。だから、男にとってみればやっぱり悲しかったし、悔しかったけれど、それで彼を恨むような気持ちは一切ない。ただ、あの領域を踏破した……家族も何もかも奪った領域を殺してくれた事への感謝の方が大きい。
握手をしようと差し出された手。しかし、ジェニルは受け取る事を躊躇った。
……そうだ、自分には手を受け取る権利なんてない。褒められる理由もない。だけど、取り繕わなければ。踏破した事を後悔しない為に、悪い事には決してしない為に。
再び、無理な笑顔を貼り付ける。そして手を受け取ろうと、酷く震えたままの手を伸ばす――
「ジェニルさん!!」
突然、彼らの会話に割り込むように、人混みを掻き分けた一つの少女の声が耳に届く。
「……っ!」
ジェニルには、元気で柔らかいその声に聞き覚えがあった。
橙色のかかった黄色い花を手に持ち、男が差し出した手の下辺りから飛び出た頭は、手にやっと届くほどの身長で、男に気が付いた彼女は驚き言う。
「あっ、ごめんなさいっ! お話ししてたのに気がつかなかったです。おじゃましちゃいました」
「大丈夫だよ。ちょうどお話は終わったから、お次どうぞ」
男はそう言い、自分のいた場所を少女に譲る。
「あのっ、ジェニルさんっ! ジェニルさんっ! ぅわ、わたしの……わたしの、おとーさんと、おかーさんが、いなくなったばしょ……殺して、くれたんですよね?」
「……ぉ、おとーさんと、おかーさん……」
少女の言葉を借りて呟いたジェニルは、少しの間固まり……そしてハッと目を見開くと、まるで彼女から逃げるよう、ほんの少しだけ後ずさる。
「おとーさんも、おかーさんも、ずっとあのばしょから帰ってこなくって。多分、おとーさんも、おかーさんも……もう帰ってこなくって……。……ずっと前に、もう、たぶん、こっ、殺され……ちゃってて」
「…………ッ」
そう言いながら涙ぐむ少女。
彼女の父親と母親は、ある日“蝕みの村”に引き摺り込まれてから、帰ってくる事が無くなった。
彼女の両親……それを、彼は知っていた。彼女の両親が、どんな状態だったのか。彼らがどんな事を言っていたのか。
「あのリョーイキが憎くて、おとーさんとおかーさんにひどいことしたあの場所を、殺してしまいたくて……、……でも、わたしはなにもできない、から……まってる……ことしか……でき、ない、からっ……! おとさんと、おかさんの、かっ、かたきうち……が、できない……、から…………ッ」
ふるふると小さく震えながら、ぽろぽろと涙を零す少女。その小さな体に、どれだけの憎しみと悲しみを抱いていた事だろうと、ジェニルは思う。
……だから、それが彼にとって余計に辛くて、怖かった。
頭が掻き混ぜられる。……あれは呪いだ。あの領域での景色の数々が、言葉の数々が、ぐるぐるぐるぐると脳を巡る。
あの時の彼らの言葉が体を握り潰す。重圧と責任と罪悪感が心臓を捻り潰す。焼き付いて離れない、宙を舞う血と肉の雨が、呪いの言句が、悲鳴が、呻吟が、自分の背中をじっとりと伝う。
目の前の彼女のような人の為に。彼女と同じ、自分自身の為に。これ以上の犠牲を出さない為に。だから、正しかったハズだ。自分は、正しかったハズだ。あの光景を作り上げた自分は……正しかったのだろうか。
「だから、ありがとう……っ、ございます。わたしの両親も……っ、きっとよろこんでます。あのリョーイキにさらわれたみんな、きっと――――」
彼の心情など知らずに、少女は感謝の言葉を述べ続ける。
「みんな、きっと、かんしゃしてます。えいゆうのジェニルさん!」
泣きながら、しかし振り絞った元気で言い放つ少女の言葉が、酷く重く自分の記憶に突き刺さる。
――かんしゃ、してた? 誰が? あの領域にいた人々が? 自分のお陰で、救われた……??
「…………ど、どうしたんですか? 苦しいの? なにかこわいの? わたし、なにか……」
巡る巡るめくるめく捲る血肉で汚れた記憶のページ。
……気持ち悪い。全て吐き出したい。記憶も事実も英雄という称号も、全て体内から吐き出して、何もかも無くしてしまいたい。
死んでもなくならないこの思いを、どこかに捨て去ってしまいたい。
「……ぁの……なにがあったのか分からないけど……た、たいへん、だったんですね。……みんな死んじゃって…………。でも、でも……ジェニルさんは、わたしの心をすくってくれたから……みんなの“えいゆう”だから! だから……おきもちですけど、これ、うけとってください」
そう言いながら、決して豪華ではない、そこら辺にでも咲いていそうな、しかし可愛らしい小さな黄色の花を差し出す少女。
――違う。英雄なんていなかった。
俺には英雄なんて言葉は相応しくない。英雄なんかじゃない。俺は……俺は――――
「……英雄、なんかじゃないよ」
ただの虐殺者だ。
呟き、困った笑顔を顔に浮かべる。その顔には先程までの恐ろしく怯えた顔の、ほんの欠片すら感じさせなかった。
花を握りながら不安がる少女の背の高さまでしゃがみ、一言「ごめんね、心配させちゃったね。でも大丈夫だよ、ありがとう」と言い、黄色い花を受け取って、腰ベルトのポーチに差し込み飾る。
騒ぎは続いているが、気を遣ったのか、人々は酒を買いに行ったり祝いの準備をし始めたりして、彼自身に群がる人数は幾分か減少した。
色々と、疲れてしまった。近くに座れる場所はないかと目線を漂わせ、たまたま目に止まった席――ちょうどアキ達が座っている場所の隣の机に目が留まり、ため息を付きながらそこに座る。
「…………ぁ、れ」
まさか隣の机に来るとは思わなかった……そんな事を考えるアキ。
……しかし、驚くよりも前に、隣に来てやっとハッキリと見えた彼の顔を認識した――その時。
瞬く間の頭痛。
ナニカのフラッシュバック。
一切の自覚無く、アキの眼が見開く。
まるで世界がゆっくり進んでいるかのようだった。息が詰まり、言葉も詰まり、よく分からない感情に駆られて大きな涙が頬を伝って線を描くが気が付かない。
――それは、完全な無意識下。ジェニルの事をしっかりと見詰めながら、はち切れそうな程に莫大な感情の篭もった、思い出と懐かしさを噛み締めるような言い方で、その言葉は、小さく、溢れ出た。
「…………生きて、る」
「は?」
「え?」
ユリセアとオートラルが同時に疑問の声を零し、アキの不可解な言句に困惑の一拍を置いてから、隣のジェニルが呟いた。
「……えっ? ん? お、俺が……? そりゃ、生きてるけど……ど、どうかした……??」
戸惑う彼の言葉を聞き、一拍置いてから、アキはハッと目覚めたように、
「――――あれ……? え、……は? 俺に話し掛けてるんですか? な、何が? 生きてるけどって、そりゃ生きてるというか、どうかしたかって……えっ……?」
そう、答えた。
アキには、つい先程までの記憶がなかった。隣に座ったジェニルの謎の言葉で思考から意識が引き戻されるが、突然訳の分からない事を言われて惑乱に陥る。
とんでもなく気まずい空気。キョトンとするアキに向かって、一方的に狂ったアキの被害を被ったジェニルが、訳が分からないなりに口を開く。
「え、えっと……? ……さっき俺に「生きてる」って呟いたから……何かあったのかなって……」
「……えっ……? 俺、そんな事言ってな――あれ、なんだ、これ……」
そう言いかけたアキは、不意に自分の頬に付いた涙に気が付き、呟いた。
「俺、なんで泣いて……」
「それもさっき、いきなり……」
「ぇ」
小さな声を漏らし、ついに黙る。疲れ過ぎているのかもしれない。この世界に来てからの苦労の数々が、精神に異常を来たしているのだろう。
「……だ、大丈夫……?」
「…………」
大丈夫ではない。服の袖で涙を拭いながら、肘を立てて頭を支え、逃げ出したい雰囲気に耐える。
そんな彼の様子を見てジェニルは、半分本当で半分勘違いなのだが、自分と似た何かを感じ取る。
「……何か、辛い事でもあったのかな?」
「……辛い、こと……? ……ま、ぁ……――な、仲間が死んじゃった、というか……。……いろい、ろ……もう、どうしたら……いいか、分からない、というか…………」
「仲間が、死んだ……」
「…………おれは……」
話すつもりなどこれっぽっちも無かったのだが、どこか話しやすい雰囲気を纏っていたというか、親しみやすかったというか……どうしてかは分からないが、不思議と、次々に口が自然と開いた。
「俺が……殺したんだ。殺せって言われたから……でも、それが忘れらんなくて……。その人達は、見知らぬ俺の事を助けてくれたのに、死んじゃって、自分が冒険の足を引っ張ったから、自分がいなければ死んでなかったんじゃないかって……っ!」
「……」
「そんな、魔紅力の強い場所なんてのも初めてで……っ、変な化物に追いかけられて、怖くて、死にかけて、今も家には帰れないから……これからの事が不安でいっぱいでいっぱいで、俺は…………あ」
答えを求めない言葉が流れるように出ていき、取り留めもなくなって来たところで、言葉を止める。
「す、すみません。なんか……」
「いや、大丈夫だよ。……そうか、大変だったね、それは……」
それを聞いたジェニルは、幾重にも隈のかかった瞳を少し奥に飛ばす。
――彼は、少しだけ自分と似ているのかもしれない。
相手の本望とはいえ、殺した責任感と罪悪感に押し潰されそうな気持ちは痛いほど分かる。どうしようもない過去を、もしああだったら、もしこうだったらとぐるぐる考えてしまう気持ちも、よく分かる。
人が死ぬなんて事は普通の事だけれど、割り切る事は難しい。仲間や知り合いであれば尚更だ。
「……それは、本当に辛かったよな。細かい事はよく分かんないけど、初めての高濃度区画でそんな状況に陥ったら、普通は立ち直れないと、思う。……初めての、なんてもうずっと昔の事だけどさ、中々慣れられる物じゃない」
「…………っ、でも……」
「……俺が言えた事じゃないけど、あんまり自分を責めてると、今度は自分を殺しちゃうぜ? お前は悪くない、討索者ではよくある事だからさ……生き残っただけでも立派だ」
一息置いてから、続ける。
「それに、不安な事だって沢山あるだろうに、それでも頑張って生きようとしているのも、本当にすごい事だと思う。偉いよ……俺なんかとは、全然違う」
「……え」
視線に影を落としながら言ったジェニルは、彼の台詞から嫌な想像をしたアキの声を聞いて、少し慌てたように言った。
「あ、ははは! ごめん、変な言い方しちゃったな。大丈夫だよ! ……あ、そうだ」
ふいにベルトのポーチの中から、小さな一枚の紙を取り出してアキに渡す。
「これは……?」
「ここの近の宿の無料券。一泊分しかないけど、少し高めのいい宿なんだ。俺はもう使わないから、良ければあげるよ。一枚しかないけど……」
「そんな、ありがとうございます」
ちょうどその時だった。
ジェニルの名前が受付に呼ばれ、彼は置いていた荷物を持って、そちらへ向かおうとする。
「じゃあね。少しだけだけど、話せて良かったよ」
「こちらこそ、お話出来て良かったです。もし、また会った時に、何かお返しが出来たら……」
「あ、ははは! いいよそんな、大変だろ。それに、もし次会うとしたら、それは――」
「――あれ、ジェニルさんどこだー? 順番来ましたよー! ジェニルさぁーん!!」
言いかけた時、テンションが高いのか、彼を探す受付の声が響き渡る。
「やべ、あれはちょっと恥ずかしい……。それじゃ!」
彼はそう言い、アキの肩をポンと叩くと、受付の方へ早足で立ち去ってしまった。
「良かったじゃないか、宿泊券」
その様を呆然と見るアキに話し掛けたのは、ユリセアだった。
「ぁ……あの人、どうなるんだろ……何か、良くない事考えてる気がして……」
「さあね。でも、私達には関係ないだろ」
「…………」
それは、そうだ。
しかしなんだ、この心臓の高鳴りは。まるで、他人とは思えない。妙に彼の事を心配している。
なんなんだ、これは。
「面倒だな君は、考えても意味ないだろう。どうにか出来る事でもないし、その義理もない。ともかく、私達も行くぞ。……ええと」
オートラルは、自分に向けられたユリセアの視線に気が付くと、アキに向かってこう言ったを
「おう。……あー、色々言いたい事はあるが、早く元気になれよなっ。……それじゃ、また会おうぜ」
そして彼は、未だ騒ぎの絶えない人混みの中に消えていき、残された二人も反対方面へ歩き出す。
――この時のアキには知る由もなかった。
これが、アキを含めた、多くの人生の変革期だという事を。
これが、オートラルにとって、人生の大きな分岐点になっていたという事を。
一見すれば何の変哲もない、立ち去るオートラルが背負った膨大な感情を知る事になったのは、もう、ずっとずっと、後の事だった。