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【この世界は死にました】  作者: もちきなこ
第1章 そして、終わりが幕を開ける。
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秋色の回録【一】さよなら・上 ★


 【二〇一X年 五月 高校三年生 竹内 秋(十七歳)】



「ん、あと四十分で行くよ」


 六時二十分を差す時計を見流しながら秋は答えた。


「どれくらいに帰るの?」

「分かんない。ちょっとした再試だけだから、学校にいる時間は一・二時間くらいかな……」


 そう言いながら、ふっくらと膨らんだ目玉焼きの黄身の皮の真ん中を箸でつついて穴を開けると、トロりとした内部の黄身が顕になった。それが外に溢れ出てしまわないようさらに穴を広げ、そこに醤油を垂らして黄身と混ぜ合わせ、ついでに白身部分にも軽く醤油を回しがける。

 醤油の透き通った赤褐色は新鮮な証だ。それを白身が弾いて、照明の光を反射する。醤油の芳ばしい香りが鼻腔をくすぐり、小さな期待を胸に白身を一口サイズに箸で切り取ると、醤油入りの黄身をタレ代わりにして白身を付けて口に運んだ。


 カリっと香ばしい焦げ目と、相反して柔らかくプリっとした弾力のある白身が、醤油の芳醇さとしょっぱさを備えた濃厚でまろやかな黄身に絡まりあって、とても美味しい。

 食べながらまた同じように白身を切ってたっぷりの黄身のタレに付け、今度はソレをほかほかの白米の上に乗せ口に掻き込む。程よい粘り気と濁りのない上品な甘みのある白米に、黄身醤油タレが相乗されて、約束された美味しさが彼を襲う。

 無論だが、黄身醤油タレだけをご飯にかけても美味しい。


 ふいに、隣に置いてあるブラック・コーヒー入りのマグカップに手を掛け、立ち上る湯気に鼻を添える。炒ったナッツのような芳醇な香りが鼻腔を満たし、口に含むと、香りでは感じられなかったレモンのような強い酸味が広がった。今日のコーヒー酸味が強めだが、これはこれで好きだ。それを喉に流し込み、苦味の強い後味と鼻の奥に残った香りを楽しみながら一言呟く。


「はー、この食べ方さ、もっと語られるべきだと思うんだよね」

「ホントねー。タレだけでご飯二杯は食べられるよね!」

「うん。めっちゃ美味いのにな」


 皿の端に置かれた、塩のかかった焼きウインナーを箸で掴んで、そのまま口に運ぶ。

 ちょうど良い弾力。弾けるような、パリっという皮を突き破る感触と同時に、閉じ込められていた肉汁が溢れ出す。少しだけ油っこく力のある肉の味わいと、上品なハーブの香りが計算し尽くされた絶妙なハーモニーを奏で、口内いっぱいいっぱいに広がった。

 美味しい。今度は黄身醤油タレに付けて二つ目も食べようと、もう一つの焼きウインナーに箸を添えた、その時。


「再試って、何の再試なの?」

「えっ、それは……、あれだよ、授業中にやった英語の小テストの再試だよ」

「そうなんだ。大変だね」


 言葉に詰まった。

 授業中の小テストというのは嘘である。本当は、以前返された模試の、特に出来なかった英語の範囲の再試である。

 かなり点数が悪かった為に再試の課題を課されたのだが……それがあまりにも、恐らく今までで一番酷い結果であった為、模試自体を両親に隠しており、それの再試だなんて言える訳がない。


「今日お父さん帰ってくるからね。秋が帰る頃にはもう居ると思うけど、どうだろう……お昼くらいかなぁ」


 現在父親は単身赴任中である。とはいえ、めちゃくちゃ遠くにいる訳でもない為、一ヶ月に一度は帰って来るのだ。

 今日の夕食は少しだけ豪華かもしれない。


 そんな事を思いながら食べ進め、食べ終わってから手を合わせる。


「ごちそうさまでしたー」

「うん。……あれ、眠気止め飲まないの?」

「あ、飲む!」


 食器洗い機に並べていたお皿のうち、グラスコップだけを取り戻して、引き出しから取り出した眠気止めの錠剤を水で飲む。

 それから、歯磨きをして制服に着替え、時間が来るまで再試の勉強――すぐ目前のテストは範囲が明確であり、受験とは違って勉強した内容が必ずテストに出る為きちんと出来るが、長期記憶には保存できない――をして、七時に荷物を持って出発。


「いってきまーす」

「いってらっしゃい。頑張ってね!」


 嬉しい方の応援を背に、家を出る。



 ――今日は快晴だ。


 彼の住む街はいわゆる都会だ。辺りには四角い建物が並び、中央を突っ切る道路と、歩道の側面には一定間隔で植物が植え付けられている。

 歩いて十分程、辿り着いた駅から電車に乗る。普段はここから地獄の満員電車が待っているのたが、今日は土曜日のため空いており、座る事が出来た。


 電車に揺られながら、英語の模試ノートを探し出して開く。

 模試ノートとは、間違えた問題のコピーと、それらの解き直しや解説……英語ならば、解答以外にも同じ熟語を使った例文や同義語なんかも書かれており、再び見直した時に問題集としてや、はたまた単語帳としても使えるように工夫されたノートだ。

 今まで二年間はずっと活用していたが、最近は提出と勉強してるアピールの為に書いているだけでほとんど活用しなくなってしまった。ノート一冊に、一番最初の模試から今までのページが存在しているが、その頃と今のクオリティの差が酷い。


 そこから、今日の再試の範囲を眺める。不意に、なんとなく模試の結果を確認しようとしてカバンをまさぐるが、隠していた他の模試と共に家に置いてきてしまったようだ。


 見られなければ良いが……そんな事を考えていると降りる駅のアナウンスが電車内に流れるのに気が付き、ノートを閉じて別の電車へ乗り換え、やがて到着した駅へ降り立つ。自分の住む場所よりは緑の多い街、歩いて十分程で高校の白い校舎が塀の奥から覗くのが見えてくる。


 公立なので、そこまで綺麗でもないがボロくもない校舎。門番さんに会釈をして入り、再試会場に向かう。今回の再試験の会場は、みんなで集まって映像授業などをする時に使用する少し大きめの講義室で行うらしい。


 会場に入ると、再試験の人数はそこまで多くはないことに気が付く。少しの落胆する共に、圧迫感にも似た緊張感が襲いかかり、深く深呼吸。試験に挑む。


 ――しかし、いざ受けてみると試験自体は言われた内容そのままで思ったよりも難しくなく、英語一科目の為に処理もスムーズで、一時間程しか掛からなかった。

 結果を返された際、先生に聞き飽きたフレーズの注意を受けるが、「俺は追い詰められると逆に伸びないタイプなんだよ」なんて思いながら聞き流して、帰りの道を辿る


 ――勉強していない秋が「勉強しろ」と注意されるのは当然だ。だが、勉強していた今までだってそうだった。学校の先生の彼に対する認識は今までと変わらず、良くも悪くも実際に彼の勉強量が今までより減った事には全く気づいていなかった。

 けれど、勉強していればもっと点数が伸びたというのも事実であり、しかし起こらなかった事象は秋も知る由もない。だからこそ、前述のような様々な感情同士の葛藤が芽生えるのだ。


 いい加減、勉強しないとヤバい。帰ったらやらなきゃ。

 でも、勉強してもどうせ同じように怒られる。したところで見てくれない。点数だって伸びない


 ――もう考えたくない。


 取り留めのない考えは収集の着く事を知らない。乗り継ぎの駅の中、自身の感情と思考に掻き乱されて押し潰され、嫌になる。


 ……最近はずっとこんなで気持ちが落ち着かない。精神が不安定なのだろう、自身の中に燻るソレらが気持ち悪くて、もう考えたくなくて、もはや考えない為に別の何かで気を紛らわそうと、ポケットに手を突っ込んでフラフラと歩く。

 早く帰って勉強をしなければならない事は分かっていたが、「テストも早く終わったし」と言い訳を自分に吐き、気晴らしに駅内を探索する事にしたのだ。


 ――ここは、この辺りで最も大きな駅である。

 休日なのでいつも以上に賑わっており、辺りには飲食店やお土産屋、雑貨屋から服屋まで、多様な店舗がフロア事に分かれて立ち並んでいる。また、駅から繋がっている別館ビルに移動すれば、ここだけで娯楽も含めて満足に生活していけるんじゃないかと思える程のバリエーションに富んだ店が存在しているだろう。


 探索を初めてすぐの事。

 ただ歩いているだけでも目に入る壁の広告や、店の前などに飾ってある看板。普段は内容もバラバラな事が多いが、今日は一様にして共通した内容の物が多い事に気が付く。


「あ、母の日……」


 そういえば、今日は五月の第二土曜日。つまり、明日は第二日曜日で、母の日なのだ。

 幼い頃はメッセージカードを添えて、折り紙でカーネーションを作ったり、父の日には肩たたき券をあげたりしていた気がするが、小学校高学年あたりからそんなのは全く無くなってしまった。


 ――父の日母の日だけではない。両親にプレゼントをあげるという習慣自体が、気が付けば自分の中から無くなってしまっていた。


 自分は、沢山両親から与えられてきた。

 参考書代だってそうだし、塾代や学費だってそうだ。莫大な金額を自分の為に使って、どんなに出来なくても応援してくれて、なのに自分は無駄にしている。酷い親不孝者じゃないか。


 感謝しているのに、それを伝えようともしない。伝えるような行動をしようともしない。

 勉強に関して両親には、過大な期待から勝手に評価しないでほしいといった思いや、頑張っていた(・・)事を見てもらえなかったといった負の感情 もあるのだが、それでも感謝すべき事は沢山あるし、自分にとって救いの一面にもなっているところがハズだ。


「……」


 何か買ってあげよう、そう思った。

 ちょうど良い機会じゃないか。感謝を形にして渡すと考えると少しだけ小っ恥ずかしい気もするが、態々こんな日があるのだ。今日買わずしていつ買うというのだ。


 それに、自分が母の日で何かプレゼント買うだなんて、お母さんも思ってもいないハズだ。部屋に隠しておいて、明日サプライズでプレゼントしよう。明日はお母さんもお父さんも仕事が休みだからちょうど良い。

 折角買うなら喜ぶ物がいい。メッセージカードは恥ずかしいから嫌だけど、カーネーションともう一つ、お母さんが喜ぶ何かを買って帰ろう。


 ……喜ぶ、ナニか。


「うん……?」


 イマイチピンと来なかった。

 何を買えば喜ぶのか、どんな物が欲しいのか、プレゼントには何が相応しいのか。具体的に買えと言われたらよく分からない。


 財布の中を見ると、ちょうど一万円札が一枚とと、千円札が一枚に、小銭が多数。贈り物としてあげるようなすごい高級品は買えないが、そこそこ良い物は買えるのではないだろうか。

 ……そう、つまり選べる幅は広い。お母さんが喜ぶ物と考えてもピンと来なかったが、考えて探しながらブラブラと歩くのも良いかもしれない。本来の目的の気晴らしにもなる。


「……よし」


 そう考えたら、何だか気分が晴れてきた。

 人の為に何を買おうか迷うなんてかなり久しぶりだ。さあ、何を買おうかな、変わったものを買ってみてもいいかもしれない。

 無意識に踊るココロは抑える必要が無い。こんな気持ちは久々だ。喜びそうなものと、その反応を想像しながらプレゼントを選ぶのは、とても楽しかった。




 ◆◆◆




「やっぱコレかなぁ……」


 あれから一時間半ほど。どれを買えば良いか迷い続けた末に選んだものは無難な“グラス”だった。


 簡素だが美しい装飾の施されたガラスは氷の如く、光を乱反射しながら地面に輝きを落とし込み、下部からは花浅葱はなあさぎ色が、水に絵の具を垂らしたかのような模様を形成してふわりと広がっている。


 何故グラスかというと、最近グラスを割って嘆いていたのを思い出したからという、これまた無難な理由。しかしそれは、下手に変わった物を買って微妙な思いをされるより、絶対にハズれる事がない物の方が良いんじゃないかと思ったからだ。


 綺麗だけど普段も使えるグラス。派手過ぎない綺麗なデザインはお母さんの好みにピッタリで、実用的なコレならきっと喜んでくれるだろう。

 ――完璧だ。


 ニヤリと口端を釣り上げて、心を踊らせながらレジに向かう。見た目の割に値段はそこまでしない。追加料金で母の日専用の美しいラッピングをして貰い、緩衝材と共に赤を基調とした包箱に入れてもらう。

 紙袋は駅ビルの普通の紙袋だが、むしろそっちの方がバレにくくて良いだろう。お会計を済ませてから、次にカーネーションを買うため花屋に赴き、店頭の一番目立つところに並べられたカーネーションを見比べる。


 正直、どれが良いか悪いかなんて分かりようがない。ただ、長持ちした方が良いだろうと思い、比較的まだ開いていないカーネーションを一本抜き取ってレジに向かう。

 無料サービスで紙袋に収まるほどの長さにカットしてもらい、これもまた母の日専用のラッピングを注文。たった一輪のカーネーションが美しく装飾される。


 満足気に店を出て、スマホの時計を確認する。歩き始めてから二時間くらい、思った以上に時間がかかってしまっていた事に驚くが、後悔はしていない。


 電車のホームに向かい、買った物をもう一度眺めると自然に笑顔が漏れ出た。

 グラスとカーネーション。家に飾った時の事を想像し、心が躍る。


挿絵(By みてみん)

 

 何だか、とても満たされた気分だった。

 良い事をした、そんな感じだ。最初とは打って変わって心は清々しく、久々の高揚感にストレスは少しだけ相殺される。


 純粋に反応がとてもとても楽しみだった。

 きっと喜んでくれるハズだ。喜んでくれるに違いない。童心に帰ったような、サプライズで渡すのがとても楽しみで、感謝の贈り物をするという自分自身に少しだけ自信が持てた。


 彼は、最近の自分に自信も持てずにいた。唯一の自信だった勉強が出来なくなり、頑張っても伸びなくて、頑張らなくなった自分が嫌いになった。

 必要以上に追い詰めていたからこその結果だが、彼はそれには気が付けなかった。無意識に常日頃自分自身の事を追いこんでいる事もそうだが、しかし久々に勉強以外の事を考えて、良い行動とプラス感情に満たされて、かなりストレスの発散に繋がったのだ。


 電車に揺さぶられている間も、帰り道の間も、どこに隠そうか、どうやって渡そうか、脳内でシミュレーションしながら帰った。

 

 ああ、こんな気持ちはいつぶりだろうか。


 楽しみで心が満たされる。

 喜ぶであろう姿が脳裏を通り過ぎる。


 そう思いながら、家の扉を開けたのであった。


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