表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【この世界は死にました】  作者: もちきなこ
第1章 そして、終わりが幕を開ける。
12/35

秋色の回録【一】さよなら・前段 ★


挿絵(By みてみん)


 竹内(たけうち) (あき)という人物は、日本に暮らす、ごく普通の人間だった。


 秋は幸福な家庭に生まれた。

 ごく当たり前の愛情を与えられ、ごく当たり前の食卓が並び、ごく当たり前の暖かい寝床で眠る。家族の仲も良好で、生活水準だって悪くない。特別お金持ちだったりする訳ではなかったが、平凡な彼の幸福は、彼の当たり前の中に存在していた。


 そして、それは彼の学校生活でも同じである。

 彼は昔から学問分野に於いて、芸術や体育などで自慢出来るような特技はなく、ごく平凡に埋もれていたが、そんな彼のアイデンティティを支えていたのは――勉強である。

 飛び抜けた天才という訳ではないが、秋は頭が良かった。結構な高学歴の両親の遺伝的なものに加え、単純に勉強が好きだった事が起因しているだろう。小学校の時、気が付いた頃には『頭が良いアイツら』という集団の一人として認識されていた。


 さほど努力しなくても周りの人よりは勉強ができ、努力すれば学校で習う事以上の内容だって理解出来る。テストはいつも満点、勉強すれば何だって出来た……それは、彼にとって『当たり前』の事であったが、それで周りを見下すような事はしなかった。

 「アイツは頭が良いのに、周りを見下さない」そんな彼の驕らない態度と、持ち前のおちゃらけた性格は、結構な『変人』として広くの人間から好かれていた。


 また、小学校高学年になって塾に通い始めると、成績はより一層伸びた。

 学校どころか、塾でもトップクラスの成績。塾の先生にも「将来が楽しみだ」と期待を掛けられ、両親には「秋は自慢の息子」だとよく褒められた。無論、そんな彼に嫉妬する人間も少なくはなく、嫌がらせを受ける事もあったが、秋の取る反撃というのは非常に姑息で面倒臭く、どっちが悪者か分からないような内容であった為、それ以上にエスカレートする事はほとんど無かったという。

 勉強が出来る事……。それは、特別な技能も持ってない、何の特徴のない秋にとって唯一の取り柄であり、誇りであり、支えにしていた。


 そして中学時代。そのまま学区の中学に通い、小学校の時と変わらずの立ち位置にいた彼は、物語にあるような青春には縁がなかった(秋自身がそういった熱いモノが面倒で嫌いだった)が、相変わらずの頭の良さには自信があり、実力もその自信に伴ったものであった。

 好きな科目も判然としてくる。特に理系科目が好きで得意、文系は興味は無かったが普通に出来て、英語は嫌いで苦手だったが、周りと比べれば出来た方だった。


 中学二年生のなり始め、紋章の描かれた漆黒のノートを持ち歩いたり、かっこいいペン回しを自称かっこいいポーズで回す練習するようになった頃も勉学の成績は優秀で、高校は偏差値の高い公立の進学校を志願。三年では受験対策講座にて塾の上のコースに選ばれ、捻くれた特色検査対策も一生懸命こなし……結果は、見事合格。

 嬉しかった。みんなからもすごいと言われ、応援してくれていた両親も喜んでくれた。

 そう、努力すれば必ず報われる。体育や芸術とは違って、勉強は努力しただけ必ず効果が現れる……だから勉強が好きだ。自分にはその能力があり、それが出来る事は『当たり前』の事だった。


 しかし、問題が起こったのは高校生になってからだった。


 ――化け物揃いだった。受験して入った進学校、当然高いレベルの者達ばかりなのは分かっていたが、想像以上に凄かった。

 そう、高校一年生にて、人生で初めて勉強で行き詰まったのだった。


 今までだって、塾には自分より頭の良い者がいたし、上には上がいるという事は分かっていたが、身をもって実感したのはこの時だった。

 平均点以上取れて当たり前だった定期テストで、初めて平均を下回った。模試だって全国と比べれば文句無しの成績なのに、クラスと比べれば低すぎる。危機感を感じ、分からない所は先生に聞いて回り、大学受験用の塾にも通い始め、参考書も買って勉強した……が、追い抜かされるばかりだった。


 ……才能の限界という所だ。


 勉強しても、努力が実らない。周りは伸びているのに、自分は伸びない。

 一度行き詰まってしまうと、理解度はどんどん追い抜かされてゆく。いくら頑張ったって理解が出来ない。時間も足りない。


 気が付けば定期テストは再試ばかりで、模試だって全国偏差値は悪くないが、彼のいる土俵の中では最底辺。

 こんな事は初めてだった。やれば出来た勉強が出来なくなってしまった。『当たり前』が出来なくなった。……難易度が上がった上に、周りの頭が良いだけ……それは分かっていたのだが、数字として見える順位に追い掛けられ、焦りが弊害となり、もっと出来なくなる。


 学校生活自体は素晴らしいもので、小中学校と比べて治安は良く、くだらない事でのいじめも秋の周りでは無かったし、初めて明確に『居心地が良い』と思えた学校だったのだが、今までは唯一の自信だった勉強が、今では一番の障壁になっていた。


 一年生後半での大学の志願校の面談の時、あまりにも悪い成績だったので、塾の先生にも担任の先生にも言われてしまう。


「この問題、勉強してたら出来る筈だよ。勉強した? 下がりっぱなしだね、努力が足りてないよ」

「どうして出来ないんだ。何度も教えているのに、授業外でも勉強してるのか?」


 志望校も下げた。最初は今より出来たのに、下がるばかりの成績に期待は掛けられない。悔しくて、悔しくて……しかし秋の両親は彼に言った。


「まだ高校一年生だから、慣れないよね。大丈夫だよ、もっと頑張ったら出来るようになるよ」

「秋が出来ない訳が無い、必ず出来るようになる。もっと努力すれば、必ず成績は上がるし志望校も行ける筈だ」


 彼の両親は、期待をしていた『頑張れば出来る。秋が出来ない訳がない』。周りがどんなに期待しなくなっても、決して見捨てたりはしなかった。心から応援していた。


 しかし、その言葉を聞いて――秋はショックを受けた。


 どんなに出来なくとも応援してくれているのはとても嬉しかったが、自分が見て欲しかったのはそこじゃない。「努力が足りていない」「もっと頑張れば成績は上がる」――既に頑張って努力もしている事は、誰も分かってくれない。


 でも、だからといって頑張らなくちゃいけないのには変わりがない。

 自分を追い込む「このままじゃ取り返しが付かなくなるぞ」追い込み、追い込み、それでも出来ない。

 自分に言い聞かせる「もっと頑張れ、成績を伸ばさなければいけない」言い聞かせ、言い聞かせるが、それでも伸びない。


 他に特技の無かった自分から、唯一のアイデンティティを取り除いてしまえば何も残らない。なんの取り柄もない人間――それはとても辛かった。今まで勉強は、自分という存在を外部に確立させる大きな支えだったからだ。


 そして高校二年生。

 大学受験に向けて頑張る周りの人間と、成績を伸ばし続ける友人。両親の期待に応えたい気持ちに、自分を追い込んで頑張るが、プレッシャーに圧迫されて余計に勉強が頭に入らなくなってしまう。

 『努力しろ』そう言われるのが辛い。……彼は、自分を認めて欲しかった。成績が伸びる以前に、努力しているという事を分かって欲しかった。

 もう、わざとらしくても良い。とにかく頑張る姿を見せたいから、必要以上に自習室や部屋に籠ってノートや参考書を開くが、それでも出来なくて、勉強法も試行錯誤してみるが、やはり解けなくて、さらに自分を追い込んで……


 気が付けば、もはや何をしたら良いのか分からなくなって、ノートや参考書を前にぼーっと眺めているだけの時間が増えてしまっていた。


 勉強したいのに、何をどうしたら良いのか分からない。沢山ありすぎて、どこからやれば良いのか分からない。やったって、その先の内容もやらなければ遅れは取り戻せない。

 ――それは挫折に近い、スランプの沼に落ちてしまったのだ。


 一度スランプに陥れば、抜け出す事は難しい。

 授業では、遅れた内容を理解していないので、その時に習う内容が理解出来る筈もない。遅れた内容の理解が出来ても、その頃には皆はもっと先の内容をやっている。ただでさえ理解速度が遅いのに、皆の理解以上の速度で走らなければ追い付く事は不可能。負の連鎖が続いてしまう。


 無論、秋の理解度は単体で見れば成長しているし、全国的には十分に優秀だと呼ばれる域なのだが、クラスの同級生と比べれば遅いので「伸びない」のだ。

 受験は周りとの競争なので、単体で伸びても追い抜かされては意味が無い。もはや先生は、出来ない自分に期待しないどころか見捨てたのも同然。


 しかし、やはり親だけはずっと応援してくれていた。どんなに成績が悪くても関係なかった。


「秋は本当は出来る筈だ。それだけの才能を持っているから、大丈夫だ」


 でもそれは過大評価であり、秋の持つ才能では既に限界に近いが、親はそれに気が付いていない。気が付きたくないのかもしれない。……それでも応援してくれる気持ちは本物で、暖かくて、過大評価さえ除けば心から嬉しかった。


 『期待に応えたい、気持ちを裏切りたくない』そんな、なけなしの頑張ろうという気持ちはここから生まれた。認められたいのと同時に、もはや半分は親の期待の為。しかし才能の限界はここなので伸びることはなく、スランプからも抜け出せずに、また怒られる。


 ――本当は、彼の勉強が伸びない原因は、秋の才能の限界以上に、外部からの言葉の圧力が大部分を占めていた。圧力さえなければ、彼はもう少し出来たのだが、生憎ソレらは目には見えない。だから彼は原因を自分の才能や勉強方法など、全て自身で完結していると考えてしまって、同時に秋以外の人間も同じように考えていた。


 親は秋が努力している事は知っていたので、「頑張ってない」とは言わなかったが、代わりに「もっと頑張れば出来る」と言った。

 それは、単に彼の限界を知らないからに加え、褒めてしまえば甘えてしまうと思ったからだ。


 頑張らないと受験に受かれない、だから頑張らないと、頑張らないといけない。

 でも、やっぱり成績は悪くて、怒られて。


 次こそは……自分を追い詰めて、頑張って、

 今度こそ……自分を追い込んで、頑張って、


 頑張って、


 がんばって…………


「勉強サボってるだろ、ちゃんと努力しろ」


 ――その内、秋は考えるようになってしまう。

 努力しても結果を出せなければ意味が無いと言われるのなら、それはもう、勉強しなくても同じなのではないだろうか。

 結果が無ければ、過程は意味が無いのも同然。努力は必ず報われるとは限らない。報われない努力は、努力してないものと同然だからだ。


 どうせ受験は、受かるかどうか結果だけ。勉強しないと受からないが、このままではいくら頑張っても落ちる。そして、めちゃくちゃ頑張って落ちるのと、全く頑張らないで落ちるのも、結果的には全くの同義。……それなら、無駄にならないゲーム等をしていた方がマシだと思える。

 ……そう、もし頑張ったとしても、結果が伴わなければ無いことにされる。頑張ったからこそ(・・・・・・・・)裏切られる。


 それならもう、確実に報われる訳でもない、意味が無くなってしまうかもしれない勉強なんて、やりたくない。もう、努力を無駄にしたくない。無駄になる恐怖を味わいたくない。


 ……そんな事を考えてしまってからだ。

 勉強が『出来ない』から『やらない』へ。自分でも感じ取れる程に勉強量が減っていく事が分かった。


 二年生と三年生の境目の春休み。

 センター試験まで一年を切ってもスランプは続き、減りに減った勉強量は戻らない。


 流石にこれではマズいと思い、「明日から頑張る」と毎日心から思うのだが結局出来ず、罪悪感だけが募っていく。

 三年生の一番大変な時期にどうかしている。無論この状態から抜け出したいとも思っていたので、参考書は開くし、自習室にも行こうとするが、気が付けば手元のスマートフォンを弄っていて、気が付けばゲームセンターなどをフラフラしている。


 辛いのに、どうしようもない。ただ焦りと不安だけが積もってゆく。頑張らないといけないのに出来ない。頑張っても見てくれない。

 そんな相反する多数の感情と、体の中に燻る不安は、勉強以外の事をして紛らわせた。つまり現実と感情からの逃避だが、そんな完全な勉強からの逃避は、しかし余計に現実そのものを悪くしていく。


 秋自身だけで見れば成長していた実力は急降下。 

 全国的には優秀だった偏差値もあからさまに暴落し、数少ない出来ていた勉強も、特に暗記系統は頭から離れていった。


 現実にも頑張らなくなった秋の事は、先生だけでなく両親すらも見放した。

 帰りが遅い時、勉強したと嘘を付いて実は遊んでいる事も、自習室や部屋で勉強すると言って、あまりしていない事も親は知っていた。塾や参考書にお金を出して、どんなに出来なくても頑張っていたからこそ応援していたのに、よりによってこの時期に裏切られたのだ。当然だろう。


 呆れる反面――しかし、それでも親はまだ秋の事をまだ信じていた。見えない所で頑張っているのかもしれない。まだ成績は伸びるかもしれない。

 だから、明確に秋の事を「勉強してない」と怒ることは、あまり無かった。けれどそれは、秋も模試の結果を両親に隠していたので、どれ程にまで落ちたのか知らなかったから、というのが前提である。


 秋と両親の間で揺れる不安定な感情の葛藤。今はバランスを保っているが、ほんの少しでも突っつけばたちまち崩れてしまいそうなソレは、しかしある日を境に、とうとう爆発してしまうのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ