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最終話『█████』


 世界は死んだ。


 全てが血肉のような赤色で染まった世界。

 感じるのは、全身が引き裂かれ掻き混ぜられたかのような痛み。見えるのは、自身を中心に広がる赤黒い池と、大気を呑み込む紅い霧。……そして、その先に揺れる“アイツ”の影。

 既に見慣れた空間の中心で“彼”は、残された全ての時間を自らの死に費やしていた。


「……」


 彼は、とうの昔に諦めていた。反撃する力も残っていない、逃げる脚すら残っていない。それでも尚、細い糸のような意識を繋ぎ止めていられるのは、留まる事のない憎悪と懺悔が解けないからだろう。

 自分は今まで何をして来たんだ。今まで積み重ねて来たモノは一体何だったのだろう。あの出来事以来、それでも最初は頑張った。全てはみんなとの今までを、自分の積み重ねて来た全てを無駄にしない為に。それなのに――


 ピシリ、と心にヒビが入る音が聞こえた。まだヒビが入るだけの余地があったのか、と皮肉を垂らす。続いて、そのヒビを埋め蝕むように体内に霧が入り込み、支配権が奪われてゆくのを感じる。

 どの道こうなるのであれば、彼らと一緒に死にたかった。もし、このまま呑まれてしまったらどうなるのだろう、やはり醜い化物の様になってしまうのだろうか。

 ……いや、違う。化物の様になるのではない。さい――――


 ――ザッ


 その時、不意に静かな空間に足音が鳴り響き、同時に霧の奥に現れたナニカを彼の瞳は映し込んだ。

 アイツ……ではない? 人みたいだ。いるハズのない人間の姿に疑念を抱きながら、近づくソレの正体を理解した――瞬間。膨大な感情の大波が彼に襲いかかった。

 ――どうして“彼女”が此処にいるんだ。


 生きていた、という嬉しさよりも。

 早く逃げろ、という焦燥感。


 来るな、逃げろ――そう言いたかった。アイツが来る。残りはあとお前だけなんだ、もう失いたくない死なせたくない! せめて、その死には無関与でいたいんだ!! と。

 けれど、声の代わりに出てきたのは自身の鮮血で、咽喉を逆流しゴボゴボと咳き込む。


 やがて辿り着いた彼女は、彼の顔面を覗き込む。


「――キ? …………を……せ! ……だろ、ど……て」


 どんな顔をしているのだろうか。もうそれすら捉えられない。けれど、らしくもなく動揺した声で、必死に何かを問い掛けているのだけは分かった。

 彼女の後ろに映る黒い影。……きっとそれは、声を出せていたとしても、間に合わなかっただろう。


 ――ゴズり

 彼女の心臓に、血塗れた一本の剣が貫通する。勢いで体は大きく仰け反り、口から吐き出された大量の血が彼の胴体にもかかる。

 それを横目に、アイツは彼女の背中に足を掛けると、彼女の胴体を押し蹴って剣を抜いた。


 理解、が、追い付かない。

 ドサリと胸にナニカが倒れた。流れるように目をやる。――それは、倒れた彼女の顔。血に濡れた肌、血で染められた乱れた髪、見開かれ硬直した、宝石の如く美しい銀色の瞳。

 彼女の銀眼と自身の視線が交雑する。底なし、暗く、暗く、酷く虚無に満ちた瞳孔に吸い込まれ、悲嘆が、無念が、慟哭が激情が追憶が後悔が憎悪が絶望が殺意が黒く白く紅くぐるぐるぐちゃぐちゃに掻き乱されてやがて理解し、噛み締め、理解し、飲み込み、彼女の頭が地面へ転がり落ちたのと同時に、積み重ねたソレが、臨界点を突破して、


「――っぁぁぁあああ゛ア゛嗚あ゛ア゛ァあ゛ア゛嗚呼ぁ゛ア゛ア゛呼ア゛!!」


 吐き出された。

 その姿は文字通り化物。血を撒き散らしながら放たれた雄叫びは燃え尽きる寸前の炎の輝きよろしく、地面を這い、掴み取り、彼女を殺したアイツへ、遥か昔に抜かれたハズの牙を剥く。


 ――嫌だ、嫌だ嫌だいやだイヤだイやだァあぁあアぁ殺す殺すころすコろすコろスコロす!!

 もはや思考など出来なかったが、どうでもよかった。無様でも何でも良いから、ただ一矢を報いたい気力を、なけなしの人間性を、人生全てを乗せて放たれた最期の攻撃は――いとも容易くいなされる。


 ゴスッ、と影の持つ剣が腹部を貫通する。激烈な痛みが彼を穿つが、それでも血を噴出させながら這い暴れ、呪いの言句を散敷く。

 ……そんな彼の姿を見下しながら、矛先である(アイツ)は言い放った。


「全部お前のせいだ……ざまぁ、みろ」


 その声は震えていた。苦笑いにも似た、怒りと恐怖を乗せた笑顔を湛え、震える眼球でしっかりと見据えながら。

 ……あまり、彼の無様な姿は見たくなかった。早く決着を付けようと思い、武器を振り翳す。


 彼を切り裂く刃が、狂気に輝くその光が、

 彼に、迫り、

 彼は、見据え、


 そして――

 剣が彼の胸部を貫き、血液が空間を彩った。


 彼の苦労と、彼の旅路。彼の一生を描いたこの物語は、こうして終わりを告げたのだった。


 おしまい。






 ――――本当に?






 それは、某所での物語。

 彼が死んで、アイツも死んで。何もかもが死んでいなくなった世界の隙間でただ独り、一人の女性が生き長らえていた。


 狭く薄暗い空間、魔導具ともいえるその内部。とうの昔に腐り果てた食料も底を尽き、腐臭の中でぐしゃぐしゃの紙を置いて天井を見上げる。

 『とうとうおしまいだ』肉が抉れ、ぐちゃぐちゃになった自分の腕は、人間ではないナニカに近づいている証拠だった。……もう数日だって持たないだろう。


 思えば、既にどうにかするなんて不可能で、自分がどうしたいのかすら分かっていなかった。

 死んだ世界を何とかする。ただそれだけの為に生きて、研究を重ね、結局何も出来なかった。……いや、何か出来たとしても、肝心の人間は絶滅しているのだ。残るのは何も無い世界と、ひとりぼっちの自分だけ。

 既に最初から詰んでいた。


「はは……」


 乾いた笑いが漏れる。声を出したのは何年ぶりだろうなんて考える。

 自分の生きた証は残らない。たった独りで頑張ってきた証も、努力も、どこにも残らない。――自分が生きた意味は、一体何だったのだろうか。


 それでも彼女は痩せ細った腕を動かし、ある一つの可能性に掛けて必死に紙に記録を取る。


 ――このメモを読んでいる誰かへ。


 それは、「意味が無い」と思っていたこの人生を、意味あるものにする為に。


 ――これは、これから起こるであろう世界の顛末と、しがない私の記録。


 もしも、この“メモ”だけでも――自身の数年間の記録と、この世界に起こった出来事を書いたコレだけでも、戻った世界に残せたら。


 インクが切れた。腕を捲り、肌を裂いて補充する。

 最後のメモを書き終えて、ボロボロの赤い入れ物の蓋を開き、長年書き溜めたギュウギュウのメモ束に最後の一枚を押し込める。……メモ以外の物も入っていたが、既に狂った彼女は気が付かない。

 これで全てが終わった。あとは――始めるだけ。不意に、コツンと閉めた蓋の上に涙を零し、驚いて原因を探る。恐怖からか、寂しさからか……


「まさ、か……ね」


 酷く霞んだ声。声を出すだけで体の体力が持っていかれる。……分かっていた。本当は寂しかっただけなのだ。寂しくて、メモを書いて、誰かと会話している幻想を抱きたかっただけなのだ。


 世界を巻き戻して、“自分の存在”を犠牲に“メモ”をある筈のない時間軸に存在させる。


 時間巻き戻すのは、きっと出来る。

 時間と空間と命に関与出来るのは神だけだと言われるが、それは嘘だ。かの大魔導師は失敗したようだったが、私には出来る。かの勇者の子孫である自分なら出来る。自分の力と研究の成果(魔導具)を合わせて、無理やり可能にした。


 だけど、問題はメモだ。戻った世界でメモが残っても、読んでもらえる可能性は低いし、読んでもらえても未来は変わらないかもしれない。

 ……でも、もし誰かがこれを読んでくれたなら、それだけで良かった。結果が変わらなくとも、世界のどこかにこの記録が残るのなら。それだけで、自分の生きた意味を見いだせると思った。


「…………」


 ……らしくない考えだ。ボサボサの白髪の隙間から白衣の裾で涙を拭い、深呼吸。『大丈夫だ絶対成功する。私は世紀の天才だから』虚勢を張り、泣きそうな笑顔を湛えながら、震える手で、魔導具を起動させた――


 ――瞬間。

 ぐにゃり、と世界が歪む。


 世界が数式に、魔法文字に。時間と空間、過去と未来が歪み、認識と自我が書き換えられてゆく。

 そんな中、彼女は思った『戻った世界で自分はどうなるのだろう』と。


 メモの犠牲は自分の存在だ。死ぬだけじゃない……過去からも未来からも、自分の痕跡そのものが消滅する。きっと“今までの私”がやってこなかった事だ。


「ぁ……」


 怖い――そう感じた。覚悟していたハズなのに、一人の人間では抱え切れない程の情動が胸に溢れる。久々の人間らしい感情だが、しかしそれすらも吸い込まれる。

 まるで逆戻りしていくかの如く。ナニカに引っ張られるように、最後の残りカスのような意識さえも持っていかれるその刹那。


 彼女は、誰かに向かって呟いた。


「この結末を変えてくれる事を」

「祈っているよ」


 2019年9月25日、鉛野謐木様よりファンムービーをいただきました……!(掲載許可はいただいております)

 →https://youtu.be/YPZWSRpMmzw


 この度は本当にありがとうございます! 嬉しすぎて嬉しすぎて泣きそうです、小説を書いていて良かったと心から思いました。

 とっても素敵なショートムービーとなっておりますので、是非ご覧いただけると嬉しいです……!!

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