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盃月の短編集

失恋ぐろりあす

作者: 盃月群青

久しぶりの投稿です。こんな感じに仕上がりました。

刮目して見よ!


家に帰ったら、幼馴染の婚約者がいなかった。


――――――――――――――――――――――


 王都の端っこ、人通りもまばらな路地の一角に佇む小さな家。


 端っこと言っても、大通り沿いの賑やかな商業区からは離れているというだけで、外壁の衛兵詰め所にも近いため治安も良く、住んでいる住人たちの気風も穏やか。田舎出身の俺は、当初こそ物珍しさから大通り沿いに宿を借りもしたが、結局こういう環境の方が性に合っているらしい。


 王都で騎士見習いからはじめ、5年が過ぎた昨年の春に念願かなって正式な騎士となった。そうして約半年ほど前、思い切ってこの小さな家を購入したのだ。

 将来を約束した幼馴染の少女・アンネを村から呼ぶために。


 

 少し、昔語りをしたいと思う。

 アンネは村の少女たちの中でも一番の器量良しだった。琥珀色のさらさらとした髪に、紫陽花のように薄く色づいた丸っこい瞳。おでこがちょっと広くて、でも笑うとえくぼができるその様子は愛嬌があった。穏やかな人となりで、でも外で遊ぶときは誰よりも快活で。感情表現が豊かで、泣くときはしくしくと泣いて、笑うときはあっけからんと笑った。


 そう、俺はほとんどの村の少年たちと同じく、彼女に惚れ込んでいた。彼女を目で追いかけなかった日はないと言っていい。

 そんな俺たちの村には、12で婚約者を決めるという昔からのしきたりがある。12の齢に達したものが、10~19歳までの異性の中から一人を選ぶ。

 婚約と言っても、あくまで形式的なものだ。婚約は12と決まっていても、結婚の時期まで決まっているわけではない。婚約を申し込む時点で両者・両家の合意が得られなければそれまでだし、結婚までの間に気が変わってもそれまでだ。


 アンネが10になったと同時に、村の少年たちからの求婚が相次いだ。しかし、アンネはともかく、彼女を目に入れても痛くないと常日頃から豪語する彼女の両親が求める基準は高かった。それは言葉の通り彼女を溺愛する故もあっただろうし、大なり小なりの打算もあったのだろう。例えば、こんな田舎で美しい娘を終わらせたくはない、とか。もしかすると大きな商家に嫁げるかもしれないし、少なくとも村から出ればもっと良い出会いがあるかもしれないと。


 そうして彼女が10の時は、誰とも婚約を結ぶことはなかった。その様子に、俺を含めた11歳以下のガキどもは安堵した。同時に気づいた。彼女にはちょっとやそっとのことじゃ見合わない、と。


 何人かは諦めた。子供ながらに、きっと彼らにも色々な大人の事情が見えていたのだろう。

 何人かは、そんなの関係ないと彼女に近づいた。全員、婚約を申し込んで返り討ちにあっていた。

 何人かは、頭を働かせた。彼女に見合う男になるために、算術を学ぶ者もいれば、剣術を学ぶ者もいた。


 そして、俺は後者、中でも剣術を学ぶガキだった。


 元々騎士に憧れていた俺は、領都の衛兵職を退役して田舎に引っ込んでいたじい様に剣を習っていた。そんなもの好きは俺一人くらいだったが、これがまた楽しい。

 はじめは木刀の重さに振り回されるだけだったのが、きちんと振れるようになってくる。じい様にはベチベチとあちこち叩かれ痛い思いをしたが、それが減った分だけ自分が強くなっていることを実感できた。

 そんな時に、理由ができたのだ。すなわち、剣術で大成して、アンネをお嫁さんにする、と。


 結果から言うと、俺は見事アンネの婚約者として認められた。

 故郷は田舎とはいえ、穏やかな領主様に恵まれ生活の困窮するようなことまではなかった。家の手伝い(しがない農家)は当然していたが、本気になれば剣を学ぶ時間はいくらでもあった。目指したのは、騎士見習いへの推薦状。俺は12を迎えるまでに剣の腕を磨き、村長に懸命に働きかけ、お優しい領主様に口を聞いてもらえるよう頼み込んだ。そして村長と一緒に領主様にお会いし、どうにか推薦状を頂くことができたのだ。この点、村長と領主様には本当に感謝している。


 そうして俺は、それを武器にアンネに求婚した。騎士になるから、ぜひ婚約してくれと。

 同い年の彼女の反応は決して悪くはなかった。欲を言えば二つ返事を期待したのだが、まあ俺はそこまで顔立ちが良いわけでも、とりわけ非凡というわけでもない。顔だけで言えば一個上のドットは整っていたが、アンネはともかく彼女の親に反対され婚約できなかった。


 そう、問題はその親だったのだ。


 彼らは悩んだ末、一つの条件を出してくる。婚約は認める、が、結婚は俺が騎士になってから。それも、5年以内に、と。

 俺はもちろんと頷いた。仮とはいえ婚約が認められたのもあり、その時の俺は有頂天になっていて、騎士くらいすぐになれるさとタカを括っていた。


 騎士とは、兵士たちの上位職にあたる、所謂士官身分の者を指す。単純に剣の腕が立つことはもちろんだが、戦術論、一通りの礼儀作法など、己が戦う方法のほかに広い知識と教養が求められる。必然、騎士となるのは貴族身分の子息が多いのだが、彼らが見習いを卒業するに大抵6年はかかると聞いたのはそれからしばらく経ってのことである。

 その時の俺はこう言った。5年以内に騎士になって、アンネを迎えにくると。

 それを言ったとき、彼女はさすがに恥ずかしそうにして、頑張ってと言ってくれた。子供の俺は大いに頑張る気になったのだ。



 そうして婚約が決まった熱も冷めやらぬうちに王都へと上った後の俺の努力を、果たして誰が分かってくれるだろうか。


 故郷の村では並みの大人でも俺にはかなわないと思っていた。領都でも確かに強そうな人は見かけたが、いずれにしても俺は強い方だと思っていた。だからこそ二つ返事で5年以内などと啖呵を切れたわけだが、結局のところ、俺のいたあれらの場所は王国からすれば田舎も田舎だったのだ。

 高く伸びていた鼻は、見習いに課された訓練の初っ端で早々にへし折られた。

 貴族は皆、あの領主様のような素晴らしい方ばかりだと思っていたが、それこそ絶滅危惧種であると知った。


 田舎者、なるほど俺は田舎者だった。

 貴族の子息である同期連中が使う剣は流麗だった。モノとしてもそうだし、技術としてもそう。誰それが打っただの、どこそこの何とかという流派があり、一方の俺は無骨な鉄を切り出しただけの剣で、独学だ。俺は泥臭く勝ちを拾いにいくが、未熟ながらも流れるような連撃の前に膝をつく。野蛮な田舎者と哂われ、返す言葉もない。


 礼儀作法にしてもそう。領主様にお会いするとき、村長に習ったそれが所詮庶民に伝わるそれだと嫌でも気づく。当たり前と言えば当たり前だが、騎士は交渉事に赴く文官の護衛をすることもあり、相手は貴族か、もしかすると国政を司るような人間かもしれないのだ。

 だからと言って、俺はそこまで細かい礼儀作法を覚えることの意味が分からなかった。多少作法が違っていても、言葉や態度で誠実さを示せばいいだろうと。そう言った俺に、担当の女史は言った。あなたは細かいことを疎かにする人間に、大事を任せることができるのですか、と。加えて、その礼儀作法を身につけるのが大変であればあるほど、それはあなたの努力と誠意を示すことになる。なぜならそれだけの時間をあなたは相手に誠実であるために取り組み、そして、真の教養とは、相手のその努力を正確に汲み取れるだけの知識を指すのだと。

 

 俺はまたも何も言えなかった。


 何度も挫けそうになった。

 努力すればするほど同期の彼らとの距離を実感する。彼らの中には俺を人として対等に扱ってくれるやつもいたが、その能力はやはり隔絶していた。


 そんな俺の心の支えがアンネだった。

 彼女と月に一度交わす手紙が何より励みになった。彼女は故郷の季節を、人を、感じたことを伝えてくれる。俺は馬鹿だと知りつつも、順調に騎士の道を歩んでいると伝え続けた。それがせめてもの意地だった。


 記憶の中の彼女と王都で見かけた少女たちを見比べても、やはりアンネは際立って可愛かった。

 アンネに恥じない男になる。俺はその一心で、死に物狂いで取り組んだ。


 騎士になるまでの5年、満足に寝た日はない。

 同期の彼らと並ぶのに3年かかった。そのまま追い抜こうとしたが、彼らも俺に触発されたのか、成長のペースがぐんと上がった。

 そうして2年、俺たちは本当の意味での切磋琢磨を続け、やがて5年で全員が見事騎士に任じられるという近年稀に見る世代となった。そして嬉しかったのは、最後の最後、俺は結局全体の上から数えて6番目という順位だったが、確かに成績を残し、それを同期連中に認めて貰えたことだった。俺に負けたやつらは、悔しそうにしながらも俺を称え、俺に勝ったやつらは、俺のおかげで成長できたと嫌味なく笑った。そう、全てが上向いていた。それもこれも全ては彼女、アンネのおかげだ。


 月に一度の手紙は、途中から二月に一度になっていた。それほど、当時の俺に余裕はなかったから。だけどそれでも、彼女の手紙だけが俺の救いだったのだ。

 俺は二月ぶりの手紙に、騎士になったこと、家を買うことを考えていること、そして彼女を迎えにいくという意思をしたため、送った。

 そうして1年あまりで諸々の準備をし、正式な騎士の仕事に慣れ始めたころ、ようやく彼女を迎えに行けたのだ。

 数年ぶりに見る彼女は、それはもう美しくなっていた。俺はあまりの美しさに黙りこくって見惚れてしまい、それを横で見ていた両親は呆れたようにため息をついていた。そうして俺は、カラカラに乾いた喉から声を絞り出して、言った。


「俺と一緒に、来てくれるか?」


 彼女は、そっと笑って言った。


「ええ」


 そうして王都に戻り、極めて健全かつ至極充実した一週間を送った後。


 家に帰ったら、幼馴染の婚約者がいなかった。


 テーブルの上には小さな書置き。


『燃えるような恋に落ちました。探さないでください』


 呆然と固まる俺。更けていく夜。

 チクタクと、そんな聞きなれない音を立てながら、俺の頭の中をぐるぐる記憶が廻っていく。


 なぜだ、何が悪かった?

 王都に来て一週間、俺も楽しかったが、彼女も実に楽しそうだった。

 

 数年ぶりに会ったため、俺はやや緊張気味だったと思う。当たり前だ、憧れて、俺の支え、いや女神だった彼女が隣にいるんだぞ?ちょっとやそっと言葉が出なくても仕方がない。

 その分、俺は田舎では見られない王都のモノ、場所、いろんなところを案内した。人通りの絶えない王都一番の商業区、最初の頃俺が寝泊まりしていた宿、有名な建築家が手掛けた噴水広場に荘厳な教会、普段俺が詰めている王城内の騎士団も遠めに見せに行ったし、ついでに王城内も散策した。夜はお勧めの定食屋や、同期から教えてもらったレストラン、少し値段の張るおしゃれな酒場まで。できることをやってきた。


 彼女は変わらず快活で、俺が緊張しているのを察してか、積極的に話しかけてくれてもいたのだ。それがなぜ。

 酒場では、酒精のせいかいつもよりふにゃりとなった彼女が、隣で一人静かに飲んでいた若い男に話しかけ、俺が気楽に話せるように場を盛り上げてくれたというのに。


 ……あれ?俺あの時何か喋ったっけ?

 彼女と男が盛り上がっていたのは覚えてる。俺にも時々話を振られて、俺はぼーっと彼女に見とれながら相槌を打っていた、ような……?


 チクタクと、音がする。


 そういえばあの男、ずいぶん男前だった気がする。物腰も穏やかで、なんとなく上品で、優しそうだった。彼女との会話も弾んでいて、そう、お酒のせいか彼女の頬は幾度か桜色に染まっていた。


 チッ。チッ。チッ。


 別れ際。名乗る男に、名乗る彼女。手を振り、分かれる。男。弾む会話。熱の浮いたような彼女の瞳。上品なイケメン。美少女。無骨でヘタレな俺。おしゃれな雰囲気。逃げた彼女。逃げられた俺。


 チーン


「あ・い・つ・かあああああああああああああ!!!」


こうして俺は最愛の彼女を失った。




――――――――――――――――――――――


商業区中通り、バー&レストラン『白の魔女』にて


「ひゃっはっは!で、見事逃げられたってか!きっ、緊張しすぎて、喋れねえとか……!ガラじゃねえ、ひひっ!」


 目の前で引き笑いを連発するこの男。年次としては8コ上、年齢としては今年28になる先輩で、俺と同じく平民出の騎士である。大柄で大雑把な性格に反して礼儀作法など細かい人だが、面倒見は良い。だから愚痴を聞いてもらおうと呼び出したのだが。


「笑いすぎでしょう……」


「ばっか、お前、まさかお前の口からそんな女々しいこと聞くとは思ってなったからよ。これは笑うだろう、なあ?」


「えー……私に言うんですかそれ?まーでも、確かに先輩っぽくないですよねぇ」


 そう言いつつ少なくなったグラスを傾けるのは、このほど配属されてきた新人騎士のティカである。新人と言いつつ年齢は俺より2コ上だ。俺は見習いに入るのも早く、また卒業も早かったため、騎士団の中ではかなりの若手である。

 とはいえ、仮にも俺の方が年次でいえば上なのだ。俺はムッとして。


「俺っぽいってなんだ」


「いやー、なんて言ったらいいんですかね?図太く貪欲?怖いもの知らず?」


「…………」


いつもならここで嫌味の一つでも返すところだが、今日に限っては精神的にキた・・


「うわ、ちょ、先輩冗談ですって!だからそんな、表情変えないまま雰囲気だけ暗くしないで下さいって!」


「はっはっは、まさかお前にこんな一面があったとはなぁ。ひっ、おもしれえ」


「……なんも面白くねーよ」


 グラスにはそこそこの量が残っていたが、それを一息に飲み干す。喉と胸にカッと熱がこみ上げ、俺はゆっくりとそれを吐き出した。


「お前は?なんか飲むか?」


「え?あー……そしたら、先輩と同じもので。というか、先輩さっきから何飲んでるんですか?あんま見たことないですけど……」


うーん?と眉をよせるティカを尻目に店員を呼ぶ。すると、ただいまー、と威勢の良い返事が返ってくる。


「そういや嬢ちゃんは途中参加だったな。あれはだな――――」


「お待たせしました。ご注文でしょうか?」


「これをもう二つ」


「ヴォルティスの涙ですね。かしこまりました」


「ヴォル……!?ちょっ!」


 一瞬で青ざめたティカが慌てて店員に手を伸ばすが、届かない。手は虚しく空を掻き、やがてがっくりと落ちた。

 俺はふふんと笑いながら。


「まさか先輩の酒を飲めないとは言わねぇよなぁ、後輩?」


 ちなみに、ヴォルティスとは伝承にある火竜のことで、あのヴォルティスも涙を流すくらいの辛い・・酒、というのが名の由来だそうな。




「じゃあ後のことは任せたぞー」


気分よさげにそう言って、ひらひらと手を振りながら歩いていく先輩。時刻はだいたい夜の10時を回ったくらいか。週末ということもあり常の夜よりは賑わっていたが、それでもこの時間になると人通りもまばらになっている。

先輩の姿が街路に消えたのを見送り、俺はため息とつくと、傍らでげっそりと肩を落とす後輩に目をやった。


「おい、大丈夫か?宿舎まで帰れそうか?」


「…………むり、です」


まるで色を失くした顔で幽鬼のように呟いたティカに、さすがに飲ませすぎたかと内心で反省する。なんだかんだ色々と話は聞いてもらったし、このまま放置して悪い男に襲われましたなんてことになるもの寝覚めが悪い。


「……」


 悪い男のくだりで憎きあの野郎の顔がちらついたため、俺は頭を振って、相変わらず意識の定まらないティカに背を向け屈みこむ。


「ほら」


「…………あぃ?」


「乗れ」


 数秒の沈黙の後。


「せんぱぃー、振られたからってぇ、すぅぐ次にコナかけるのはー、さすがにどぉかとぉー」


「うるさい。いいから乗っとけ」


「うー……」


 舌っ足らずで減らず口なティカにぴしゃりと言い切ると、彼女はしばし明後日の方を向いてぶつぶつ言った後、やがてへにゃりと俺の背中に崩れ落ちてくる。


「……じゃあ、お願いします」


「あいよ。3番通りのパン屋のところだったな」


 ティカの体重がかかったことを感じ、俺はよいしょ、と彼女を背負って歩き出す。

 あー、だの、うー、だの、時折背後から聞こえる呻きに、背中でやらかすのは勘弁してくれなどと思いつつ足を進めていると。


「……先輩、振られちゃったんですね」


 ぽつりと漏れた呟きに、お前は今まで何を聞いていたんだと嘆息する。


「今更なんだ。あれか、傷を抉りに来てるのか?」


「……なんで、なんですか?」


「んなこと、俺が知りたいよ」


「……なんで、なんですかねー……」


だめだ、もはや会話が成立しない。ティカは何事か呟いているようだが、もはやそれは音として形を成しておらず、ただ背中に薄く感じる彼女の口元の感触だけが俺に伝わってくる。


「ったく、仕方ねぇな」


 ずり落ちそうになるティカを時折背負い直し、ぼんやりと霞む月を見上げながらゆったりと足を進めていく。こうしていても、思い出すのは彼女・・のことばかりだ。

 幼い笑顔、はつらつとした声。久しぶりに会って、とても美人になった彼女の姿。気恥ずかしくなって黙り込む俺を優しげに見守る雰囲気。さらさらと風になびく琥珀の髪に、凛とした後ろ姿。


「あーあ……」

 

 何がいけなかったのだろうか?俺は俺にできることを精一杯やってきたのに。


「ぅ……せん、ぱぃ……」

 

 背負った重みが、またうにゅうにゅと呟いている。俺はまた一つため息をついた。

 彼女にフラれ失意のどん底にいるのに、酒臭い息を吐きながら、背中に女を乗っけておっとり歩いている俺。……一体何をやっているのやら。


「あー、なんか、腹立ってきた」


 彼女に、ではない。あんな素敵な彼女を逃した自分自身である。

 思えば俺は口下手だった。二か月に一回程度の手紙で、俺と彼女は離れていても分かりあっているなんて思っていたし、そもそも家だって俺が勝手に選んでしまっていた。住む場所だって、彼女はもう少し大通りに近い場所がよかったのかもしれない。少なくとも、俺が田舎から出てきたときは、できるだけ華やかな場所に住みたいなんて思っていた。

 そう、つまりは俺は何も彼女のことを分かっていなかった、いや、分かろうとしていない部分が多すぎた。


「つっても、今更だよな……」


そう、全ては今更なのである。どうあっても取り返しがつかなくなった今、俺はこれから何を目標にしていけばよのだろうか。


「…………」


 そうして、背中の重みを無造作に降ろす頃。

 俺は一つの結論に達した。




――――――――――――――――――――――


一週間後、王城内・近衛騎士団第三訓練場にて


 王の剣盾(けんじゅん)と称される近衛騎士団は、それぞれが60人程度の中隊3つにより構成されている。広大な王城に繋がる3つの城門の傍に、それぞれの中隊が屯所と訓練所を設けており、有事の際は彼らが外敵を防ぐ最後の砦となるのである。

 その構成人数に対し求められる役割の重要性が高いことから、近衛騎士団は完全な実力重視の世界である。騎士として大成するためには、名実ともに近衛騎士団に所属することが必須と言っても過言ではなく、ほとんど全ての騎士たちがこれを目指して日々その腕を磨いていた。


 そんな近衛騎士団の第三隊が有する訓練場では、今日も自らを鍛える騎士たちの勇壮な声が響いていた。いずれも、鍛錬着や騎士服のどこかに青い大鷲の刺繍が施されている。しかしながら、いつもの彼らを知る者からすれば、それはどこか覇気のない、もっと言えば、慣れない環境で手探りでやり方を見つけようとしているような、そんな印象を感じさせた。

 例外は、ただ独り、一心不乱に黙々と剣を奮う年若い女性騎士の姿があることか。

 一方、覇気がないという意味では、そんな彼らを監督する立場に就いたばかりの一人の男性騎士も例外ではなかった。


 と、そんな監督騎士の彼を遠目から見つけて駆け寄ってくる一人の若い騎士がいる。彼の騎士服の胸元には、第一隊の所属を示す黄色い獅子の刺繍があった。


「ガイウスさん!」


「ん?おー、ラーゼルじゃねえか。お前がこっち来んの珍しいな。どうした?」


「……どうしたもこうしたもありません。レギンのことです。」


「あー、耳がはええな。そういや、お前あいつと同期だったか」


 そう言って、のほほんとした様子で自らの顎髭を撫でるガイウスに、ラーゼルと呼ばれた青年はムッとして。


「何を悠長なこと言ってるんですか!今回のこれは、明らかに謀略です!レギンがあんな場所に配属されるなんて、どう考えてもおかしいでしょう!」


「まあまあ、落ち着け。気持ちは分かるが、そういうことはあんまし大声でいうことでもねえ。」


「くっ……」


 見れば、訓練場の何人かが、何事かとこちらを見ている。いや、よく見れば、皆がこちらの会話に聞き耳を立てているようで、先ほどより明らかに鍛錬に身が入っていない。


「……失礼しました。ガイウス副長」


「おーい、全然敬意がこもってないぞーラーゼル君」


 そうあっけからんと笑う先輩騎士に、ラーゼルは気が抜けたように嘆息し。


「はぁ。……それで、ガイウスさんはご存じなんですか?レギンの奴が、あんな……」


 そう言いながら、ラーゼルはつい先ほど、銀翼騎士団(近衛と同じく王都に駐在する騎士団の一つ)に所属する同期に聞き及んだ情報を思い出した。


 曰く、彼らの同期のレギンが、対帝国の最前線であるグレオリウス要塞に配属された、と。


 今でこそ小康状態だが、彼らの王国と帝国は長年にわたり覇を争ってきた間柄である。対帝国という意味で、戦線は広範囲に及んでいるが、その中で最も戦略的な価値が高い一帯に建造されたのがグレオリウス要塞だ。そこには常時1万人の兵が駐屯し、日夜を問わず帝国とにらみ合い、時には幾ばくかの血を流しながら、王国の安寧を守護している。そしてそれだけに、死傷率という意味では今の騎士団の中にあって突出して高い場所として名を馳せていた。騎士団の人事が、悪戯に有能な人物を宛がえば済むわけではない、と思う程度には。

 そこは運次第でいつでも死が隣にあるため、まして、将来への期待が大きい若手が配属されることはほとんどない、はずであった。


「どう考えても、あいつを目障りだと感じる何者かの仕業でしょう」


 ラーゼルは声を潜めて言った。


「あいつの腕と影響力が確かなのは、俺たちの同期や、ここの第三隊を見れば明らかです。あいつが来たら、みんな変わりますから――」


 ラーゼルは高名な伯爵家の出身である。文武の才に恵まれ、幼い頃よりの英才教育の結果も相まって、末は近衛騎士団長か、などと囁かれる男である。

 ただ、そのラーゼルをして尊敬させる人物がいる。彼より年下の、同期の青年に。

 レギンである。

 レギンはかつて、右も左も分からぬ様で現れた平民の少年だった。並み居る貴族の少年たちは最初彼を歯牙にもかけなかったが、しかし、彼は努力でもってその存在感を示した。そして、並み居る貴族の少年たちは、次第にそんな彼を目で追うようになっていた。ラーゼルもまたその一人であり、レギンに対するこれまでの仕打ちと友好は、彼の黒歴史でもありまた成長の歴史でもあった。


 ともあれ、そんなレギンが、近衛騎士団にあってラーゼルと並び時代を担うと期待される彼が、このタイミングで死と隣り合わせの最前線に配属されたという。とても黙っていられるものではなかった。

 そんな思いを滲ませるラーゼルを前に、ガイウスと呼ばれた騎士は。


「そうは言ってもなあ……」


 ラーゼルの気持ちは分かる。訓練場の騎士たちもそうだろう。

 配属三年目にして、将来を買われ、第三隊副長に任じられたレギンは、その若さと物怖じしない態度で当初はそれはもう団員たちから煙たがられた。しかし、彼はまず腕が立ち、未熟なところはあるものの、誰より努力を欠かさなかった。それに、寡黙で傲然としているように見えて、レギンは人を見ていた。相手の気持ちを無下にすることなく、相手を見て、学び、相手にも学びをもたらそうと態度で示していた。そうして、端的に言うと第三隊全員がレギンに絆されたのである。

 それだけに、今回の人事異動に関する彼らの思いはこうである。


――あんな真面目で有望なやつを、無意味に殺そうとしているやつはどこのどいつだ。


「だがなぁ……」


 だが、ことガイウスに関してはそうではない。なぜなら、彼は今回の配属が決して謀略だけではないと知っている。


「あー、まあ、よく聞け。あ、いや、一回聞いたら忘れろ?あー、ちくしょう、面倒くせえな……」


「ガイウスさん……?」


 突然、訓練所の方にも聞こえる程度の音量で話し出したと思ったら、言いよどむガイウス。

 ラーゼルが不審な目を向けてしばらくして、ガイウスは言った。


「あー、なんだ。異動の辞令が下ったのは事実だが、なんというか。その、あれだ。レギンも望むところというか」


「は?」


 そうして、ガイウスは語った。

 曰く、最初の異動辞令は、グレオリウス要塞ほどではないが、それなりに”何があってもおかしくない”地域であった。

 曰く、それを知ったレギンが、より一層”やりがいのある”グレオリウス要塞を望み。

 曰く、考え込むまでもなく、むしろ嬉々として辞令を受けた、などなど。


 呆気に取られるラーゼルや第三隊の騎士。いや、ただ独り、例の女性騎士だけが脇目も振らず剣を振り続けている。


「え?なんで?」


 思ってたことと違う、と言わんばかりの顔で問うてくるラーゼル青年に、ガイウスは困惑した顔で。


「いや、なんか、ちょうど自分を追い込む環境が欲しかったって言って――」


 ガイウスは思い出していた。

 あの、振られただなんだで酒に盛り上がった翌々日。異動辞令を当のレギンから真っ先に聞いたガイウスとティカは、あっけからんと笑う彼を呆然と見送った。

 曰く、失恋したのは自分に甘えがあったからで、だからこそ、過酷な環境に身を置き心と体を鍛えたい、と。


 さらに次の日、レギンは颯爽と旅立ち、ガイウスは彼の後を継いで副長なんて面倒な役を任され、そしてティカは、以降ずっと剣を振っている。

 先輩に早く追いつくため、なんて笑顔で言っていたが、ガイウスは知っている。

 あれは、男の身勝手にブチ切れる恋する乙女の瞳だ。


(酒の席とはいえ、ちぃと笑いすぎたか……。いや、つってもこれは予想しきれんだろう……)


 思わぬ事態に混乱するラーゼルや部下となった第三隊の騎士たちを尻目に、ガイウスは視線を遠くに飛ばそうとして、しかし失敗した。

 ガイウスの語りが耳に入ったのか、ティカの剣が切るのではなく殴るような軌道を描いているのが目に入ったからだ。


(お前は心身を鍛える前に女心を勉強しなおせ……)


 だが、そんなガイウスの心の呟きを聞くべき者はこの場にはおらず、既に遥か彼方の戦地にあったのだった――




「――っくしゅん!」


「……どうしたかね、レギン騎士?王都のおぼっちゃんには、この埃臭い戦場の空気は肌に合わないかね?」


 ニタニタと笑いながら、嘲るように言うレギンの上司となった騎士。レギンが貴族出身とでも思っているようだが、レギンは何事もなかったかのように。


「いえ、急いで出てきたものですから、今頃誰かがあれこれ言っているのもしれません。が、ご心配なく。非才の身ではありますが、粉骨砕身し、脇目も振らず戦いに身を投じる覚悟なれば」


 真っすぐにそう言われ、思わず舌打ちする騎士。それを柳に風にと受け流しつつ、レギンは思う。


(アンネを、いや、女性を迎えようなどと、まだ俺には早かったんだ……!今までの俺は、きっと独りよがりであったに違いない。そう、まずは騎士としての足場を固め、しかるうえで、女性を迎えるにふさわしい心を身に着けないと。幸いここは戦場いくさば、今までの独りよがりな自分を見つめなおすにはうってつけの場所……)


 レギンはぐっと拳を握り。


(いまだ見ぬ奥さんに相応しい男となるように、俺はなる……!)






 数年後、近衛騎士レギンの名は帝国・王国双方に知られたものとなる。それは、グレオリウス要塞を守る名将としてであり、またその名将が若干二十いくつの青年であることに対してであり。


 そして、戦場の真っただ中、音頭を取って勝鬨を上げる最中、どこからか飛び込んできた1人の女性騎士にタコ殴りにされた騎士としてであり……。



 晩年、とある騎士は、レギンについて問われたときにこんなことを語ったという。


「ああ、あいつはなぁ。結局最後まで女心ってもんを分かっちゃいなかったが、まあ結構な幸せの人生だったと思うぜ?ま、これもティカ嬢ちゃんの頑張りあってのことだがな」


おしまい

というわけで、結局女心は分かりませんでした笑

正直、書きだした頃と少し違った終わり方になってしまいまいたが、まあ仕方がないよね!

物語の前半と後半に1年ぐらいの間があるし!(作者の執筆期間的に)


蛇足かもですが、なんとなく人物紹介。



アンネ(本名:アンネリーゼ。18歳)

 王国の片田舎に産まれた、片田舎にはもったいないくらいの美少女。多少レギンフィルターは入っているものの、並み居る美の強豪がいる王都でも十分に美少女という評価ができる。

 元々、レギンに対しては幼い恋心半分、弟を見るような慈愛半分の気持ちだったが、約6年に及ぶ文通の中で、頑張る弟を応援するような心の方が大きくなる。それでも、村では彼女にコナをかける男もいたが、レギンを想い誠実に向き合おうとしていた。

 が、王都について、立派になったレギン(弟)の独り立ちを感じるとともに、そこで出会った王子様のような男性に心惹かれる。

 レギンも”男”ではあったが、”異性”的な魅力には映らなかった。結果、燃えるような恋に落ちることに。

 その後、紆余曲折を経て”王子様”と結婚し幸せな家庭を築く。後年には出世したレギンと再会を果たすが、互いに笑って過去を語り合う間柄となる。


イケメン(本名:ウィリアム、レギン視点:あの男、アンネ視点:王子様。23歳)

 お忍びで王都を散策していた伯爵家の令息。眉目秀麗で品が良く、おまけに性格も良い。本人としては剣の腕がないことを気にしているが、度胸はあるため、本人が思うより周りからは男らしいと思われている。社交界の花形の一人。

 ふらっと立ち寄った酒屋であったアンネに一目ぼれ。身分を隠して交流を深めていくうちに、彼もまた燃えるような恋に落ちた。

 レギンの存在を知ったのは恋に落ちてしばらくしてからで、略奪愛の形に罪悪感を抱きレギンを探すも、その頃彼はグレオリウスで無双中。

 やがて出世して帰還した彼に会い、アンネのことを謝罪し、和解。以後、平民出身のレギンの後ろ盾の一人として、彼とも交流を深める間柄に。


ラーゼル(21歳)

 文武に才溢れる近衛騎士団の有望株。かつては才あるがゆえに周りを見下していたが、レギンの存在が彼を変えた。以後、レギンの親友の一人と呼べる存在に。

 レギンを誰より買っており、終生のライバルとして切磋琢磨し合うことを望んでいる。

 後年、レギンが”グレオリウスの勇将”と呼ばれたのに対し、ラーゼルは”王都の堅将”と呼ばれ、レギンとの交流は実際に終生続いたという。


ガイウス(28歳)

 騎士団の頼れる兄貴分。言動はがさつながら、性格は几帳面で、面倒見が良い。優秀ながら肩書は望んでおらず、下っ端として国民に近い所で働ければそれで、などと思っていたところで近衛副長の肩書を押し付けられた。ついでに、荒ぶる乙女ティカのフォローも任されることに。本物語で一番割を食った人。

 でも面倒見が良いのは変わらず、レギン達とも長く付き合うことになる。


ティカ(21歳)

 レギン達の一期下の代の騎士学院卒業生。レギンは在学中から有名であり、ティカも憧れを抱いていた。その努力はレギンに匹敵し、現所属も実力で勝ち取った。

 配属後に、レギンへの憧れはより強くなり、遂に恋心となるも、婚約者の存在を知っていたため半ば諦めていた。

 元は地方の男爵家の次女で、勝気が強く、文官よりも武官の旦那ならば見合うだろうとの思惑の元、本人の希望もあって騎士学院に入った。化粧っけこそないが顔立ちは整っており、キレイ系な雰囲気。溌溂、かつさっぱりとした性格であることから、密かに彼女に憧れる男は多い。惚れた男の前では照れと、それを隠すための怒りっぽい態度を示す。

 レギンがいなくなったときは、あまりの急展開に頭がついていかなかったが、時間とともに怒りがこみ上げるように。結果、愛しさ余って憎いあいつを一発ぶん殴るために日々腕を磨いている。

 それでも、抱いた想いは大きく、気が済むまで殴った後、周りが砂糖嫌いになるくらいに猛烈なアプローチをかけ堅物レギンを陥落せしめた。

 その後、表向きは旦那を立てる良妻として、実のところは堅物で素直なあいつをうまく転がすキーパーソンとして一部で有名になる。


レギン(19歳)

 本作の主人公にして、真面目だけど鈍感で、堅物だけど素直で、結局呆れるくらい真っすぐな奴。生来の才能は何事も豊かすぎず、といった程度で、時々のモチベーションの高さによって劇的に成長を遂げる。

 少年~青年期はよくも悪くも男の子で、ひたむきで頑張り屋かつ負けん気が強い一方で、相手への細かい配慮や”異性”というものへの理解が疎い。結果、青少年の多い騎士学院では大いに影響力を持ったが、アンネに対しては十分に異性を見せられなかった。

 本作のコンセプト:明るい失恋と、それに学ぶことによる成長と栄光、を体現すべく色々と頑張ってもらったが、結局最後まで女心には疎かった模様。

 でも多分、こいつは色々こまごまと考えて気を遣うよりも、好きにやらせてうまく転がしてもらう方が、全体として幸せになるのかもしれない。

 往年はラーゼルとともに王国の双璧として名を馳せ、上述の交友関係にも恵まれ順風満帆な生を送った。


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― 新着の感想 ―
[一言] そもそもこの話にアンネはいらない子なんじゃねえかなって思わせる程度にクズくて草
[良い点] 腐らず努力して大成する主人公は尊敬出来ます。 女心に鈍いというけど、婚約者にしろ後輩にしろ、分からなくても何もおかしくないですし。 [気になる点] ざまぁみたいな要素を展開を排除したかった…
[良い点] 主人公が失恋(?)をうまく自己完結させて、腐らないで前に進んで行く姿勢は良かったと思います。 [気になる点] ・アンネがしたことを、アンネの両親はどう思ったのか。 ・伯爵令息が田舎の平民と…
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