第一節・五連:英雄と呼ばれた少女 ③
山と積まれた本を挟むように私の対面に位置する座席の一角に、そこだけ別次元ではないのかと思える程美しい少女がこちらに微笑み腰掛けていた。
歳は一四、五歳ほどか、フリルが施された純白のドレスに対となる漆黒の黒髪がとても映えている。海の色をした瞳で見つめられれば、忽ち虜にされてしまうだろう。
目の前の少女に惚けてしまったサーニアは少女が一つ手を叩くことで現実に引き戻される。
「初めまして、でいいのかな? サーニア・ウォンハイムさん。私はリルフェイ。色々と説明をしなければならないのだけど、まずは上手くいったことを感謝しなければならないわ。私を見つけてくれてありがとう」
「どう、致しまして……? え、リルフェイ様? ……さっきのはやっぱり夢じゃなかったのね……」
「さっき少し会ったのは夢じゃないわよ。あの空間は肉体で入ってこれないから魂だけ来てもらったけどね。…………それにしても、引き継げたのが一部とはいえ……随分外見が幼くなってしまったのね。これじゃ彼女の流した噂通りの見た目じゃないのよ。……それにしても小さいわね」
突然自分の胸を見やり、ペタペタと触り出すリルフェイの奇行ぶりに呆気になってしまったサーニア。かくいう私よりは大きい思うのだけど……。と心の中で思っていると、
「確かにサーニアよりは大きいわね」
まるで私の心の声が聞こえたかのように反応してきたのだった。魔法によるものなのかと疑ったがどうやらそれは違うらしくリルフェイは説明してくれる。
「魔法じゃないわ。何故貴方の考えが私に分かるかは、貴方と私の魂が繋がったからなの」
「魂が繋がった……? でもどうして……?」
「それはさっきサーニアが本を見つけてくれたから。アレって私が書いたものだし。そうね、じゃあ一度自分の魂に呼びかけてみて。そしたらきっと今自分がどういう状況にあるか分かるはずよ」
リルフェイに促され、ゆっくりと目をつむり私の中の魂に集中し、呼びかけてみることする。はじめはよく分からなかったのだが、次第に私の中に自分とは違う魂が僅かに感じる事が出来た。
魔法の行使に最も必要ことは魂との対話だと昔の人は言ったそうだ。何故なら魔力とは魂の中に保管されているからである。顕現する現象を強くイメージし魂から魔力を引き出す事で魔力が成り立つそうだ。だから前世が強い魂だったものは輪廻帰りでの恩恵も大きいと言われる所以はそこにある。
「どう? 私の魂は見つかった?」
「この……小さいのがそうですか?」
「まあカケラだから小さいのよね。一度私の魂を除いてみなさい。そうすれば説明するよりも早いと思うから」
魔力を行使する時のように魂に呼びかける。すると突然、私の知らない記憶が要所を切り取った映像のようにいくつも自分の中に入ってくる。それと同時に彼女の感情も一緒に伝わってきた。
「……これからはリルフェイ、貴女が天人を導くのですよ」
やだ。私では無理です。ずっとずっと貴方の隣で在りたい。笑顔を見せてくれるだけでいいのです。少し話しをしてくれるだけでもいいのです。他の女性と話しているのは嫉妬してしまいますが、それでも貴方さえ居てくれるならば……。
「リルフェイ! 今のうちにお行きなさい!」
「っ! ……エーテリウス様…ご武運をッ!」
……私は貴方を……エーテリウス様を愛しています。
「ずっと、貴方の事が好きでした」
ここで記憶から一度現実に引き戻される。頬を触れると濡れており、何故か私の目には涙が流れていた。
「そこの記憶はあまり見ないで欲しいな……あはは……」
「……あの人は、どうなったのですか?」
「私の前には……戻らなかったわ」
昔を思い浮かべているのか、その表情は重く遠くを見つめる。彼女が決して戻ることのない過去を悔いているのが私には分かってしまう。何故なら彼女が私の心を聞けるように、私にも彼女の心が聞こえるのだから。
「その先を見てほしいのよ。それが私が今ここにある理由で、目的だからね」
再びリルフェイの魂に呼びかけ、記憶の世界を漁る。
一角に漆黒の翼を持つ悪鬼の形相を見せる悪魔との死闘が見えたが、リルフェイにもう少し先と促され、記憶を先送りする。そしてある映像のところでリルフェイにそれだと伝えられる。
黄金色の空に黒が刺し、儚い美しさが見せる黄昏時。眼前に小高い山々が軒並み、大きな川が流れ、遠くまで地平線が一直線に見える美しい丘の上だった。
立派な石造りの暮石が建てられており、そこに静かに膝を折り、手を組んで首を垂れるリルフェイがいた。
「お久しぶりです、エーテリウス様。なかなか会いに来れずに申し訳ありませんでした。……やっと会いに来れましたわ」
天界を脱出し、天界の崩壊していく様を見つめることしか出来なかったこの場所。そこは長い時の流れにも負けることなく、相も変わらずに在り続けた。
地上で力を蓄えていた頃にこの周辺を生活拠点とし、エーテリウスが安らかに眠れるようにと景色良いここへ墓石を建てたのだった。
「今日は朗報を持ってきたのです。ザルバート・フリューゲルは同胞と力を合わせ、討つことに成功致しました」
積年の恨みをやっと払拭出来たとエーテリウスに告げる。それはエーテリウス自身が無せずにこの世を去った悲願でもあったのだ。それを終えた事を知らせる。
今は時間をかけて建設や大地の再生を行い、昔の天界に戻りつつある事も伝えていた。
既にリルフェイは先導者を引退し、次の世代に任せていた。リルフェイの代から君主制ではなく民主制を取り決め、王はリルフェイの代で終わりを迎えようとしていた。
これは皆んなで話し合って決めた事で在り、王という一人の先導者に全てを任せては今後ザルバート・フリューゲルのような者が現れた時に対処が出来ないと判断したのだ。
過去の天人達のやり方を知らない私達は新たなやり方で天界を守っていく事を決意したのだった。
しかしこれまで強大な存在が現れた時、先人達はどのように対処をしていたのか……偏にそんな者が現れなかったのか、あるいは対処出来る力が何か存在していたのか。新世代の私達には知るよしもなかった。
「貴方が居ないこの世界はとても寂しいです……。早く私も其方に行ければ……そうだ、コレはエーテリウス様にお返しします。……これでやっと私の役目も終わりですね……」
右手をかざし、そこに光の粒子が集結する。顕現したのは、リルフェイよりも頭一つ程大きな枝。英知の天杖だった。
実を言うとザルバート・フリューゲルを倒すのにこの杖を使うことは無かった。この杖を見るとエーテリウスを思い出してしまい、まともに扱えるとは思えなかったのだ。そんな事で使わないとは何を腑抜けたことを、と理由を知ったものがいたら言われてしまうだろうが、仕方ないのだ。しかしいざとなったら使う覚悟はあったので許して欲しい。
この丘で受け取って以来顕現させる事がなかった英知の天杖をこの地で再び呼び出した。
杖をエーテリウスの暮石に置こうとしたその時、
「……やっと顕現させてくれたのですね。これで話が出来るというものです」
「…………えっ……?」
私の真後ろから決して忘れる事のない、ずっと聞きたかったその優しい声が私の鼓膜を震わせる。心臓がドクドクと波打ち、そこにいるのが誰なのか振り向かないでも分かる。だって私の愛しい人だから。
「…………っ…ェ、エーテリウス……様ぁ…」
涙で声が擦れ、頬は赤く染まり涙で顔はぐちゃぐちゃで酷いことになっていたが、振り向いてその人の顔を瞳に収める。
「ふふっ、リルフェイ。酷い顔をしていますよ」
そう微笑むエーテリウスへ向かって一直線に私は駆け出していたのだった。
変更点等がありましたら、活動報告でお知らせしたいと思います。