第一節・四連:悪魔騒動
夜の帳が下りると共に顔を覗かせた星々が驚き落ちてきそうな程の鐘の音が街を戦慄へと誘う。それはリーテンバーグに脅威が迫った時に慣らされる鐘の音に違いなかった。
突然の出来事に街の人達は動けず、動揺をしている姿が見える。パニックにならなかっただけでも良かったと思うべきであろう。
私も初めてのことで内心はかなり動揺していたが、目の前のサーニアに不安を抱かせない為にも務めて冷静な様子を装って見せた。
「エーテ様、これって……」
「……街に何か危険が迫っているんだ…早く家に戻って確認をしましょう」
「はい!」
私達は状況を確認する為すぐに屋敷へと戻ることにした。屋敷まであと僅かのところで、何やら沢山の人達が屋敷の正門前に集まっている様だった。
何があったのかと必死に声を荒げる者や、開けろと門を叩く者までいる。しかし正門は一向に開く様子を見せない。私達も閉ざされたままでは入ることが出来なかった。それにこのまま正門の方へ行くことは危険だと感じ困って立ち尽くしていると、後ろから私の肩を叩く者がいた。振り向くとそこには兄ヘクトがいた。
「エーテ、それにサーニアもいるね。二人とも無事でよかった……どうやらこうなることを見越して正門は閉ざしたようだね。僕達が外にいることは知っているはずだから、隠してある裏門は空いているだろう。そっちへ回ろう」
そういえば裏門もあったな、と一度も使ったことがなかった為忘れていた。さすが我が兄。こう行った状況でも冷静なところが素晴らしいとつくづく思う。
兄に連れ立って私達は直ぐに裏門へと向かった。植木によって遮られた隙間を掻き分けて行くと、そこにはひっそりと隠れるように門があり、どうやら兄の予想は正しかったらしく裏門は施錠されておらず私達は屋敷へと戻ることが出来たのだった。
私、ヘクト、サーニアが帰還すると不安そうにしていた屋敷の者達や父、母に出迎えられた。私達が無事なことを伝えてから、まずは状況を確認する為に父に何があったのか尋ねる。
「先程リーテンバーグ西の駐屯砦からの情報が入ったのだ。それによると……リーテンバーグに向かって魔獣の群れが迫ってきているとのことだ。偵察の者の話では数は五十前後……。そしてそれ率いている悪魔が一体確認されたそうだ」
「えっ、悪魔だってッ……!?」
驚きの声を上げたのはいつも冷静なヘクトだった。こんなに動揺する兄を今まで見たことがなかった。
魔獣はアークリーティアに生息する危険な生物として知られている。一体でも五名以上の練兵で相手をしてければならないのが五十も近づいているのだが、それよりも一体の悪魔の存在の方がどうやら兄をここまで驚かせているようだった。
「それは本当に悪魔だったのですか……?」
「背中から黒い翼が生えている人だったそうだ。それに頭部には異様に伸びた角が伸びていたという情報だ……悪魔で間違いないであろう」
「……そんな。しかし……ならば英雄様のお力でもなければどうすることも出来ないではないですか……」
英雄。神の生まれ変わりと言われ、天使、またを半神とも呼ばれている。彼等を示す定義は莫大な魔力と白い翼を秘めて生まれ持った強者を示す、と以前見つけた文献にはあった。
そしてその英雄と対に載っているのが悪魔、またを半魔と呼ばれる存在であった。半魔は人の姿をしているが人ならざる者として認知されている。なので一般的に悪魔と呼ばれる。それはその残虐性と非道さ、そして人を喰らう特性にあった。魔神の生まれ変わりと言われており、産まれてきた子は忌み子して疎まれすぐに処分されるのがアークリーティアでは常だった。なので悪魔の数は極端に少ないのだが……悪魔と言えど愛しい我が子。罪を背負って育てる親がいるのも頷けてしまう。子供になんの罪はないのだから。
文献によって私が所謂この世界での英雄であることは認知していた。しかし英雄として囃し立てられることを避けたかった私としては天人の力を常に隠して生活している。
だが悪魔がリーテンバーグを襲いに来ると分かった以上、隠しておくのも限界なのかも知れないと思い始めている。まずは時間が許す限りやらなくて行けないことがあった。
「父様、まずは市民の非難を優先させなくてはいけないのでは?」
「そうなのだが……いきなり悪魔が現れたから避難しろと言ってもパニックに陥ってしまうだけであろう。……まぁ既に情報が漏れてしまって鐘が鳴らされてしまったのだが。それに……皆を避難させる場所が無いのだ。東にも駐屯砦はあるのが小さい上に食料も足りない。獣や魔獣がいる街の外に大勢を連れてむざむざ出る訳にはいかないからな」
言われてみれば確かにそうだが、かといってこのままリーテンバーグに居ては危険なのは変わりない。もし悪魔が魔人の転生者だとしたら正直リーテンバーグでの籠城戦は成功しないだろう。市民全員を一時的に避難出来る先が必要という訳で……そこで私はあるそとを思い出した。
「ファルボッサ国は如何ですか?今ウィンテンス様が居られることですし……護衛の方達もいるのでは? 今はどちらに?」
「彼は悪魔が攻めてくると知って少し前に帰られたよ。うちが破られれば、方角的に次は彼等ファルボッサ国だからな……」
なんとも厳禁なことこの上ない話だった。しかし彼も市民を預かる一国の主人である。うちに構ってる余裕などなかったのであろう。しかしリーテンバーグが落ちることは彼等としても不味く、退けられれば然りということなのは間違いないはず。ならば……
「帰られて時間が経ってないならまだ西門辺りでしょう。私が市民の受け入れをお願いして参ります」
ウィンテンスを追いかけようと再び裏門へ向かおうとするが、直ぐに父と兄から私を止める声が掛けられる。
「それは無理な話だよエーテリウス。彼は彼の国がある。それに正直に言うと……私と彼は余り……その仲が良くない。受け入れてもらえるとは到底思えない。それに既に国王陛下に伝令を放った。時間は掛からず救援が来てくださるだろう。神聖王国パリオンには大勢の英雄殿がいるからな」
「父様の言う通りだ。ここは市民を無闇に動かすよりも籠城してリーテンバーグの兵で迎え撃ちつつ、王国の救援が来るのを待つ方がいいと私も思う」
二人は籠城をして救援を待つことを決めているようだった。確かに普通なら間違った判断ではないと思う。受け入れが見込めないなら案に外へ出るよりも篭った方がいいのかも知らない。
しかしそれは私がいなかったらの話だ。前世では多くの者を失ってしまった私だが、次は守ってみせると心に誓っている。今後は普通の生活に戻れなくなってしまう恐れはあるが、それは終わってから考えればいいことであった。
「大丈夫です、父様。兄様。私には考えがあります。確実にウィンテンス様は受けれて下さりますので、少々お待ち下さい。では言って参ります!」
私は父と兄に有無を言わせる隙もなく、脚に魔力強化を施し素早く行動に移した。突然の私の行動に全員が目を丸くし、私を見送ることしか出来なかった。
既に隠すつもりもない私は全力で裏門を抜けた辺りで、ふと後ろの存在に気がつき驚きを隠せずに足を止めてしまった。
そこにはサーニアが当たり前のように私に付いて来ていたからだ。魔力強化をした私は決してリーテンバーグの熟練の兵士だとしても着いて来ることは不可能でだろう。それを涼しい顔をして私の直ぐ後ろに彼女はいた。
私が止めると彼女も急停止し、なぜ止まったのだろう?と言った様子で疑問を顔に浮かべていた。
「……? エーテ様、どうかされたのですか? 急いだ方が宜しいと思うのですが?」
「勿論それはそうなんだけど……サーニア、よくついて来られたね?」
「……………ぁ……」
やってしまった! とばかりに盛大に後悔を滲ませ、何かを考え込むように必死に思考を巡らせているのがよく分かる。
私が移動した為、咄嗟に普段通り私の後を追ったつもりだったようだが、私は魔力を纏ってそれなりの速さで走っていたのに着いて来れてしまったのだ。人のことを言えないが彼女にも色々と秘密があるのだろう。
「………えっと……その。……わ、私……き、鍛えてますのでッッ!!! こう見えて!!!」
散々考えた結末がこれであった。必死に思いついた言い訳もどこか残念過ぎる返答であり、思わず我慢出来ずに笑ってしまったのだった。
「なっ! なんで笑うんですかぁ!」
「いやっ……だってっ……余りに下手な言い訳だったものでっ……ふっふふっ」
再び込み上げまでくる笑いが止まらず目に涙が浮かぶ。咄嗟とはいえ、自分でも余りに酷い言い訳だったと思い始めて羞恥で顔を赤くしている。
サーニアの華奢で可愛らしい体で鍛えてるいるからこれくらいは出来るというのであれば、リーテンバーグの兵士達の筋骨隆々な肉体であれば一足飛びで光の速さに到達するのではないか?と想像してしまった。魔獣の五十や悪魔の一体などなんとか出来てしまいそうだな。
そんな下らないことは置いておくとしてまずは目の前のサーニアだ。
「サーニア」
私の声に一度ピクリと体を跳ねらせ、不安と恐れが混ざり合った瞳でチラリと顔を窺ってくる。イタズラがバレてしまった子供が叱られている時みたいで何だか可愛らしいと思ってしまう。
「着いて来られるね?」
詮索はしない。彼女の口から言ってくれるのであれば私は真摯に受け止めようと思っているのだから。それにそんな不安そうに見つめられては聞くことなど出来ないというものだ。
私の言葉が予想外だったようで目を丸くしていたが、直ぐに私の配慮を察して大きく頷いた。
「はいっ大丈夫ですっ!」
「もう少し急ぐから頑張って着いてきてね」
今はただ、一刻も早く街を救う為に相手よりも早く行動に移さなければならない。私の計画では街に一体も迎えるつもりは毛頭ないのであるが、念には念を入れることは大切だろう。いつだって不測の事態に備えるに越したことはないのだから。
私とサーニアは街の屋根伝いに急いで西門へと向かい、そこにはウィンテンスやエクタークを含める護衛達が馬に乗り今にも駆け出して行ける状態で集まっていた。
準備が整い、いざ西門を抜けるといったところで突如上空から私とサーニアが地上に降り立って現れたものだから驚き、動かしたばかりの足を止める羽目になってしまった。もう敵が襲来したのかと護衛達は警戒するが、私とサーニアの顔を知っていたウィンテンスは手を振って待てと制止を掛ける。エスタークも驚きはしているものの警戒はしていなかった。
「ウィンテンス様、驚かせてしまい申し訳ありません。一つあるお願いがありここへ参った次第なのです」
私の纏う雰囲気の違いに訝しむが、そこは一国の主人。余裕ある態度は崩すことなく、しっかり耳を傾けて聞いていた。私は話を続ける。
「現在リーテンバーグに魔獣の群れと悪魔の脅威が迫りつつあるのはご存知かと思います。そこで、リーテンバーグの市民を一時ファルボッサ国に避難をさせて頂きたいのです」
要件を伝える終えると、ウィンテンスは少し考え込む様子で黙り、静かに私を見つめる。永遠とも思える一瞬が私達と彼等を通り過ぎていく中、その重々しい口は一言、出来ない、と零したのだった。
「そちらを迎えるメリットがない上に余裕もない。最悪を述べればこの戦でリーテンバーグは堕ちるとさえ思っているのだ。パリオンから山一つ越えなければならないリーテンバーグへの早急な救援は難しいだろう。ならば次は我々の国が狙われる。限られた時間は少ないが少ないなりに私にはやらなければならないことがある。……なんせ相手は悪魔なのだからな」
人は窮地に立たされると本性が露わになるという。彼が今市民を守る為に行動するのか、自分の地位を守る為なのかは定かではないが国を守るという決意は確かなものらしい。決して信用はしていないが信頼には値できるだろう。
「……では。私が悪魔を屠ると申したら?」
「なんだと?」
私が言葉を零したと同時に、纏う隠蔽の魔術を解除する。すると、迸る閃光と共に私の背中からは白金に煌めく二翼の翼が顕現し、大地に旋風を巻き起こす。莫大な魔力の塊が私を中心に大地を押し潰し、地面が徐々に陥没していく。
周囲にいた全ての者は私を前に膝を落とす他なかった。立つことを許されない絶対的魔力の支配者。王たる器だった。瞳は翼と同じ白金に輝き、その眼に映るウィンテンスの表情は驚愕で目を見開き、口を間抜けに開けることしか出来なかった。
隣にいたサーニアへは魔力の重力を掛からないようにしていた為立ってはいたが、その表情はウィンテンスと然程変わらないものだった。しかし、その瞳には憂いを滲ませていたのだが。
「貴方が先ほど申したメリットは、後の英雄に貸しを一つ作れた、というのは如何ですか?」
魔力を沈めた私は目の前のウィンテンス達に話しかける。全員呼吸をすることを忘れてしまっていたかのように、動けるようになると浅く細かく呼吸を暫し繰り返していた。
「…………これは……驚いた……初めて見たが……これが、英雄と呼ばれる存在なのか……?」
「それで避難の方は受け入れて貰えますか?」
「……わかった。市民全員の避難を受けれよう……。ただ、先程の言葉、忘れないで頂きたい」
「ええ、勿論ですよ」
ウィンテンスとの交渉に成功した私は市民全員を隣国ファルボッサへ避難させることに成功する。悪魔共にリーテンバーグを落とさせるつもりはないものの、後ろを守りながらとそうでないのとでは闘い方も違ってくる。後顧の憂い無く眼前の悪魔だけに集中することが出来るのだった。
目の前にいる白金の少年を目撃してサーニアは確信してしまった。そして、いつもの声が私の鼓膜を震わせる。普段よりも慈愛に満ちた愛しい人に向ける想いを乗せて。
「……見つけました。愛しいエーテリウス様」
私は胸がキュッと締め付けられ、表情を曇らせる。胸元のペンダントを握り締め、エーテリウスを見つめるのだった。