第一節・三連:幸せの時間
馬車が正門を潜りリーテンバーグ家の敷地内に入る。準男爵家とあって屋敷もかなり大きい。一ヘクタール程の敷地面積に白を基調とした主屋と雇いのメイドや執事が数名住んでいる離れが並ぶ。屋敷と離れを繋ぐ道の外は綺麗に整えられた芝生が広がっており、敷地の中心には見事な噴水が水を踊らせている。所々に咲き誇る色鮮やかな花は母マーベルがとても大事に育てていた。
庭の脇にある一本のオレンの木は兄ヘクトが生まれた時に植えられたそうだ。今では立派に育ち、果実が沢山の実っている。
幼少期ヘクトが木に登って落ちて怪我をしてしまったことがあり、父から酷く叱られていたのを覚えている。元々は私が地上の果実に興味を持ち、屋敷になっていたオレンを食べたいと言ったのが原因だったが、兄は私のことを一言も言わずに黙ってくれていた。私が兄に謝ると黙って私の頭を撫でるだけだった。私まで怒られる必要はないと庇ってくれた兄をとても尊敬し慕っている。
馬車が屋敷の前に到着し表に出ると、老齢の執事と数名のメイドに迎えられる。
「皆さま、お帰りなさいませ。エーテ坊っちゃま、成人の儀、お疲れ様で御座いました。本日はこの後お屋敷の方でお客様をお招きした誕生日会が御座いますので、ご準備の方宜しくお願い致します。サーニアめがお手伝いしますので何かありました彼女に申し付け下さい。……不肖ながら我が娘で御座いまして。何卒新人なもので多少の不備は多目に見て頂ければ幸いで御座います。さあサーニア、ご挨拶を」
「ほ、本日エーテリウス様の身の周りのお世話をさせて頂きます、サ、サーニアです! 至らぬ点もあるかと思いますが宜しくお願い致しますっ!」
サーニアと名乗った少女の歳は私より少し下(魂は除く)だろうか。可愛らしいメイド服に身を包み、肩口まで切り揃えられた黒髪は前髪も眉が見えるくらいにパッツンに揃えられている。クリクリとした大きな碧眼は緊張の為か左右落ち着き無く泳いではいたが、私の目を見て話そうという必死さが窺える。
サーニアを始めて見たこの時、どこか懐かしさを覚える感覚に包まれていた。
「そんな緊張しないで大丈夫だよ。サーニアだったね。今日は宜しくお願いしますね」
サーニアの頭を優しく撫でて少しでも緊張を和らげようと笑顔で答える。頭を撫でられていることに初めはポカンとした表情を浮かべていたサーニアだったが、思考が追いついたのか、途端に顔を真っ赤に染め上げた。
「……は、はぃ」
どうやら照れてしまっているようだ。なんとも可愛らしいことですね。笑顔を貼り付けて、照れているサーニアをまだ撫で続ける。
見かねたのか、ついに隣にいたヘクトが私を止めに入った。
「はいはい、エーテ。それくらいにしてあげようね。このまま撫でていたら彼女は茹で上がってしまうよ」
「ふむ…それもそうですね」
ヘクトに言われサーニアの頭から手を離す。離れた私の手を少し名残惜しそうに見つめていた彼女の瞳は潤んでおり、再び手を戻したくなる衝動に駆られる。
しかしこれ以上は彼女の仕事の邪魔になってしまうため思い留まった。どうやら既に緊張は無くなっている様子なので良かったと安心する。ただ、今度は恍惚とした表情を私へと向けているのだったが。
「全く……エーテはもう少し距離感ってものを覚えた方がいい。私の勘だが、いつか痛い目を見ると思う」
「ヘクト兄さんの勘って当たりますからね。……気をつけます」
玄関前でのやり取りののち、ヘクトは買い物があると出かけ、マーベルはこれからやって来るお客人達を迎える支度を始めに掛かる。私も誕生日会用に身支度を整える為にサーニアを連れて自室へと戻った。
「さっきは失礼しました。もう落ち着きましたか?」
自室に戻った私は水瓶を手に取り、グラスに水を注ぐ。一つを彼女に手渡し、先程の謝罪をする。
「ぁ、ごめんなさいッ! ほんとは私がしないといけないのに……。はぃ、こちらこそお恥ずかしい所をお見せしてしまいました。申し訳ございません……」
「なに、可愛い姿を見られて私としてはお礼が言いたいくらいです。これからは余り緊張しないでいいからね。私としては貴族として振舞われるの得意ではないのですよ……あはは……」
飲むようにサーニアに促すと彼女はオロオロしながらグラスに小さな口をつけて喉を潤した。私も自分のグラスに口をつけて一気に飲み干す。ミサが思いの他長かったので喉が渇いてしまっていた。サーニアも喉が渇いていたのか直ぐにグラスを空にして、そのグラスを私は受け取る。もう一杯飲むか聞いて見ると、彼女は首をブンブン横に振って大丈夫ですと遠慮された。
「……エーテリウス様は……なんというか……貴族らしくない? 変わって御られますよね」
「そうかい? まぁ私は何かされるよりもする方が性に合ってると思うからね。この家では全てやってくれてしまうから……変かな?」
「はい……でも、そんなエーテリウス様は……素敵でございます」
頬を朱に染め、伏し目がちに床へ視線を落とし手をクネクネと遊ばせながら私を称えてくれるサーニア。さすが執事長を務めるレイヒムの娘だけあって良い子であった。
「私のことはエーテで構わないよ。歳も近いだろう?」
実を言うと同年代の者と余り関わりがない私としてはサーニアが来てくれたことは喜ばしかった。こうして仲良くなれたのだから、もっと親しみやすく呼んでもらいたいと思うのが私の心情である。しかしそこは彼女の立場というものもあるらしく、
「そ、そんな! 出来ませんよっ! 私などがそんな気安くなど……お父様にも怒られてしまいます……」
とのことだった。なんとも貴族と平民との壁は厚いらしい。天界でもリルフェイ等にもっと気軽に接してほしいとお願いしても拒否されてしまったからな……どうも私は過去も現在でも気軽に接してくれる者は少ないらしい。
「仕方ない。じゃあ様はつけて良いからエーテって呼んでほしい。……ダメですか?」
駄目元でサーニアに問いかける。寂しそうな笑顔がサーニアを射抜く。
「…………努力、致します」
「ほんとに? ありがとうサーニア」
兄が小悪魔ならば、きっとこの弟は大悪魔であろうと、この光景を見ている者がいたらきっと呟いていたことだろう。
しかしこの後本当の悪魔が訪れることなど今のエーテリウスは知る由も無いのだが。
誕生日会に向けてサーニアに服を選んで貰い、しっかりと粧し込んだ私は父に呼ばれ応接室にやってきていた。そこには華美な衣装を着込んだ中年の男と同じく華美な格好をした私と同じ歳程の少年がテーブルを挟む形で父と対面側のソファーへ腰掛けていた。
「エーテリウス、こちらは隣国ファルボッサ国のウィンテンス・ファルボッサ殿と御子息のエスターク殿だ。是非エーテリウスに会いたいと申されたのでここへ呼んだのだ」
隣国ファルボッサ国はここリーテンバーグから四十キロメートルほど東に行った所にある。規模はリーテンバーグとほぼ変わらず、人口は約千五百人ほどの小国であった。ファルボッサ家は元々豪商の家系だったらしく、華美な身なりから分かるようにお金に固執した所があった。その結果ファルボッサでは市民の税金も物価もリーテンバーグより遥かに高い。その為ファルボッサからリーテンバーグへの移住をする者も少なくなかった。リーテンバーグ側は移住してきた者を素直に受け入れている為、ファルボッサ側とは余り仲が良くないと聞いていたのだ。
「私はリーテンバーグ家次男、エーテリウス・リーテンバーグです。本日は遠いなか御足労頂きまして、感謝致します」
左手を軽く胸に添え、右手を後ろに回して軽く会釈する。するとファルボッサ親子も立ち上がり私に挨拶を交わしてきた。
「これはしっかりとした御子息殿なことだ。私はウィンテンス・ファルボッサ。こっちが息子のエスタークだ」
「エスターク・ファルボッサです。本日エーテリウス殿は成人を迎えられたとのことでお祝いに参った次第です。歳も私のが一つばかり上ですが、近い者同士仲良く致しましょう、エスターク殿」
エスタークは気さくな笑顔で左手を前に出し握手を求める。それに答えて私も左手で握手を交わした。父は子供だからと思っているようだったが、エスタークの口角が僅かばかり上がったていたことに気付かない私ではなかった。
「そうだ、エスターク。なんならエーテリウス殿に街を案内して貰ったらどうだね? 観光したいと言っていたではないか?」
ウィンテンスがエスタークの街案内を私にして欲しいと言ってくる。左手は既に離し、父の方に顔を向けてどうするか訴える。
「そう言うことならばエーテリウス、エスターク殿に街を案内してあげなさい」
「わかりました。私などで宜しいですか? エスターク殿」
「ええ、勿論。宜しくお願いしますね」
「もうっ! ほんっっと最低ですよ! あの方!!!」
太陽も地平線の彼方に半分ほど隠し、私と二人夕暮れの街を歩くサーニアの顔は太陽も真っ青なほどに赤く染まり怒っていた。
「まぁまぁ落ち着きなよ、サーニア。私は何とも思っていないのだからさ」
「ですけどぉ……エーテリウス様をあんな風に言うなんて……私は許せません……」
遡ること数時間前。
私はサーニアを連れて父に言われた通りエスタークに街を案内して回った。そこで彼は本性を露わにしたのだった。挨拶時の笑顔など何処へやら。ここはつまらない、あれが食べたい、これが欲しいなどの暴言暴挙に加え、挙げ句の果てにはサーニアを口説く始末……。
流石にナンパには黙っていられなくなった私が止めに入ると、
「僕は君を祝いに来てあげたのだから、当然お礼はするものだろう? というか、僕は彼女に案内して貰いたいから君は帰ってくれると助かるな」
と、この有様である。今まで私が黙っていたものだからサーニアも我慢していたものの、私が愚弄されたことで我慢の糸が切れてしまい、エスタークを思いっきり平手打ちしてしまったのだった。
倒れ伏したエスタークをまるで道端のゴミを見るような冷めた瞳で見下すサーニアの何と恐ろしいことか……。
泣きべそをかいてそのまま屋敷へと一人で走って行ってしまった。流石にこのまま返してウィンテンスに報告されてはサーニアが危険と感じた私は、サーニアをその場に残してエスタークを追いかける。
足に魔力強化を施してすぐに追いついた私はエスタークを軽く引っ張り裏路地へと連れ込む。手を離すとその場に尻餅をついて直ぐに怒りを露わにする。
「貴様ッ! 僕を誰だと思っているんだ!? こんな事をして許されると思うなよ! 父様に言いつけてやるからなッ!!!」
「それは困るのですよ、エスターク殿。何とか寛容なお心でお許し願えませんか?」
「知ったことかッ! あの女はクビだ! 僕に歯向かったのだからな!!」
怒りが収まらないエスタークは鬼の形相で私を睨む。仕方ないと私は諦め、右手を彼へ向けて前に突き出した。
「な、何だ…? 僕に何かしたら只じゃ……」
「大丈夫ですよ。まず、何があったかを忘れてしまうのですからね」
「……へっ?」
右手をエスタークの頭に乗せて、魔力を込めて魔法を発動させる。
「汝を忘却の彼方へと誘う言の葉よ、遍く一切は無に帰し、偽りの仕変を与えよう」
エスタークを包み込む程の閃光が周囲を満たし裏路地を明るく照らす。閃光が収まり周囲が再び暗く静寂を取り戻すと、何ら変わった様子も見受けられないエスタークがポカンとした表情をしていた。
「今日は楽しい時間をありがとうございました、エスターク殿。リーテンバーグの街は如何でしたか?」
私はエスタークに声をかけると、ハッと我に返る。しかし表情は今しがたまでの怒りは何処へやらといった様子だった。
「ぁ、ああ。そうだな、とても充実した良い時間を過ごせたな……。エーテリウス殿、では戻るとしようか」
「ええ」
理改変魔法。私が扱う魔法の中でも余り使いたくないものの一つであった。これは他人の脳に干渉し、あったことを無かったことにし、無かったことをあったことにする魔法である。
この魔法は相手の尊厳を大きく汚す行為になるため殆ど使用した事はなかったのだが、今回ばかりは仕方ないと思うことにした。サーニアを守るためでもあるし元はエスタークの頂けない言動の数々が招いた結果として諦めてもらおうと私は思うしかなかった。
私とエスタークがサーニアの共へ戻ると、さっきまでの言動が嘘だったかのようなエスタークにサーニアは目を丸くしていたが、私が彼を窘めた(物理)と説明して納得して貰った。
渋々といった様子だったが、サーニアは平手打ちのことをエスタークに謝っていた。一切の感情の無い瞳で……。
屋敷に戻った私達はメイドさんにエスタークを任せ、再びサーニアを連れて外出していた。サーニアに迷惑をかけてしまったので何かお詫びをしようと思ったからだった。
そして現在に至る。
サーニアがぷっくり膨れてしまったので慰めようと頭を撫でる。
「ほらほら、機嫌を直して。ね?」
「…………わかりました」
しばらく撫でていると膨れていた頬も次第に萎み、元に戻る。ぷっくり膨れているのも正直可愛いらしいかったからもう少しそのままでも良かった、と思ってしまうのは傲慢というものか。
「そういえば、これからどこへ向かわれるのですか? 余り遅くなると誕生日会に遅れてしまいますよ?」
「大丈夫だよ。もう着いたから」
そこは街で人気の宝石店だった。値段は平民でも購入出来るものから裕福な者が購入するものなど幅広く扱っているお店である。店内に入ると若い人や恋人が多く、ショーケースの中身を覗いて和気藹々に談笑している。
私達もショーケースに近づくとそれに気がついた店員が私達に話しかけて来た。
「おや、これはエーテリウス様ではございませんか。実は今朝方、ヘクト様もお見えに成られたのですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ご購入はされていかれなかったのですが、とても真剣な表情で見ておられましたよ。それで……エーテリウス様は本日はどういった御用向きで? もしや其方のお嬢様にプレゼントでしょうか?」
「ええ、何か彼女に似合う物はありますか?」
すぐに返答すると、私の服の裾をピョコピョコ引っ張り何か伝えたそうに訴えてくるサーニア。一体どうしたのだろうと軽く屈み、彼女に耳を傾ける。
「あのっ……! なぜ私にこのような物を……!?」
「今日は迷惑をかけてしまったからそのお詫びにと思ったのだけれど……もしかして嫌だった?」
すると物凄い勢いで首を横に降るサーニアは嬉しいような困ったような顔を向ける。
「嬉しいに決まっています!! 女の子がプレゼントを貰って嬉しくないなんてこと、絶対に無いですから……何よりエーテ……様からなら尚更……。ですが……」
段々と小さくなってしまって後半は聞き取れなかったが、どうやら嬉しいらしいことは伝わった。だがそれと同じくらいに遠慮してるようだった。それは私とサーニアでは身分が違うからだろう。とことんこの制度には頭が痛くなる。
「私があげたいからあげる。それでは駄目かい?」
「……お父様になんと言われてしまうか……」
「……ふむ。ではこうしよう。これは前払いだ。サーニアにはこれから私の専属メイドとして働いて貰うこととする。レイヒムにもその旨はちゃんと伝えておこう。これならば受け取ってくれるだろう?」
このプレゼントはサーニアを専属メイドとして雇う前払いという名目で渡すことにしようと考えた。実際一人や二人、専属のものをつける貴族は当たり前にいる。担当を決めた方が相手のことを深く知れるようになり、身の回りの世話がずっと効率良くなりミスも減るからだ。私は基本身の回りのことは自分で行いたい性分だったので専属など付けていなかったのだが。サーニアなら話し相手にもなってくれると考えこの提案をしたのだった。
「私が……エーテ様の専属メイド、ですか?」
「うん、これからは私に尽くしてくれるかい? サーニア」
軽くプロポーズのような台詞を笑顔で告げると、サーニアは茹で上がったタコの様に様変わりをして薄っすら瞳を潤ませながら、
「…………ふつつかものですが……よろしくお願いしましゅ」
最後微妙に噛んでしまったようだが聞こえなかったフリをして私は頷いた。
「こちらこそ宜しくね」
二人の光景を見ていた店員さんと周りのお客人達は微笑ましい光景で私達を見つめていた。
沢山の視線に見つめられていたものの、サーニアはそんなことどうでもいいといった様子で緩みきった幼い笑顔を私に向けてくれるのだった。
店員さんのおすすめで少々値の張る、サーニアの瞳と同じ蒼色の宝石が一粒嵌められたリングに純銀の細いチェーンを通したネックレスを彼女にプレゼントした。
店を出ると日は完全に沈み、冷たい空気が頬を撫でるが心はどこかポカポカと暖かな気持ちでいた。
「エーテ様、ありがとうございます。一生私の宝物にします」
「そこまで喜んで貰えると私の方が嬉しくなるよ。……サーニア、こっちへおいで」
私は今購入したばかりのネックレスを彼女の細い首に腕を回し、抱きしめるように着けてあげる。お互いの距離が拳一つほど近づいた時、そっと私の胸に彼女は頭を預けてくる。
「……なんだろう……すごく……安心する。……私ってすっごい幸せ者ですね」
私の胸に頭を預けているので少し篭った声音になり、服ごしから微かに掛かる吐息が温かく、少しばかり擽ったい。
「幸せなら良いことじゃないか。はい、付けたよ」
私に預けていた頭を持ち上げ、胸元で輝くネックレスを見つめ、そっと触れる。
「……キレイ……」
リングに嵌められた蒼い宝石が夜空の星々に勝るとも劣らない輝きを秘めていた。しかしそれを見つめる彼女の方が美しいと思ってしまうのは男ならば仕方のないことであろう。
「…………き」
「ん?」
彼女はキュッとネックレスを握り、溢れ落ちるように何を呟いてたが、余りに小さかったので空に掻き消えてしまう。思わず私は聞き返していた。
すると、何かを決意したかのような力強い瞳を潤ませ、口元を真一文字結び、頬を朱色に染めて私を見つめる。お互いの視線が交差し彼女が口を開いた、と瞬間。
カンカンカンカンカンカン
リーテンバーグに危険を告げるけたたましい鐘の音が鳴り響いたのだった。
文字数が多いのは目をつむって頂ければ……何卒…何卒…。