第一節・ニ連:私は人間へと転生したのだった
お天道様がまだ東の空から顔を覗かせること僅かばかり。窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえ始め、まだ虚ろな頭の私に朝がやって来たことを優しく教えてくれる。
欠伸を一つ零し、ゆっくりとベッドから立ち上がり窓を開ける。早朝の冷たいながらも心地よい風が部屋中を駆け巡り、部屋の空気を入れ替える。大きく息を吸って肺の中を新鮮な空気で私は満たした。実に良い朝である。
気分も良くなった所でクローゼットから清潔な白いシャツと所々に装飾が施された少しゆったりとした紺色のパンツに着替える。脱いだものはクローゼット脇にある籠へ畳んで入れておくことを忘れない。
小さめの丸テーブルの上に置いてある水瓶を手に取り、グラスに注ぐ。水瓶に入っているオレンの皮によって柑橘系の爽やかな香りが鼻孔を擽る。喉を潤した所で朝の一連の動作を終えた私の所へ部屋の扉をノックする者が現れた。
「やあ、おはようエーテ。少し早いけど十五歳の誕生日おめでとう。無事に成人を迎えられて僕は嬉しいよ。今日は朝食を済ませたら直ぐに教会へ行く予定だから、いつもみたいに直ぐに出かけないようにね」
扉を開けて入ってきた彼はこの家の長男ヘクト・リーテルバーグ。今年で十八歳になる。どこか女性のような中世的な顔立ちをしており、眠たそうな垂れ目に亜麻色の髪は軽くパーマをかけたようにフワフワし、髪の隙間から獣の耳が覗いている。子犬のような外見をしており、性格も温厚で家族思いの私の良き兄である。
「おはようございます、ヘクト兄さん。わかっていますよ。……全くヘクト兄さんは心配性なのですから……。何日前から同じことを聞いてると思っているのですか?もう子供ではないのですから」
「まぁ確かにエーテは昔からどこか大人びてはいたけどね。でもエーテってば、直ぐに図書館やら森へ出かけちゃうものだから……。口にはしないけど、父様や母様も心配しているんだよ。それはわかってあげてね」
シュンと垂れ下がった耳を見てしまうと私は彼の言葉に頷くことしか出来なくなってしまう。これをもし計画的にやっているのだとしたらなんと策士か、いやその見た目なら小悪魔と言ったら良いのだろうか…。
「…肝に命じて起きます」
「うん、そうしてね」
この兄には力ではともかく、言葉では勝てないだろうと、心から思う私であった。
さて、ここでそろそろ説明をしなければならないことがある。そう、私についてだ。名前はエーテリウス・リーテンバーグ。今日で十五歳を迎えた少年である。しかし、魂は少年などではなく、実際は今から約数万年前にザルバート・フリューゲルとの死闘で敗れた天人エーテリウス・リーゲルその人であった。あの闘いの後、次に気がついた時には人間の胎盤の中で人間として生まれ変わっていたのだった。以前のエーテリウス・リーゲルとしての人格もはっきりと残っている。つまりザルバート・フリューゲルが言っていた輪廻転生という虚言は正しかったと、身を持って証明させられたということになる。私が人間として生まれてから五年程は身体が機能しなかった為、自由に行動をすることが許されず、苦悩の日々を過ごしていた。しかし五年もすれば言語もはっきりし、一人で歩けるようになった。それからはこの世界や私が転生するまでの歴史について学ぶことにしたのだった。そこでいくつか分かったことがある。
ここは地上世界アークリーティア。元は一つの大陸だったのだが、数万年前に神々の闘いの影響によって東西に分けた列島となった。東の大陸をパルキニア大陸。西の大陸をカーティス大陸という。東のパルキニア大陸は神聖王国パリオンによって統治され、西のカーティス大陸は法廷王国ダンペルによって統治されている。多くは両国により東西の大陸は管理されているものの、その大半は連合を結んだ小中規模の他国に任せ管理をしている。たったの両国のみで広大な大陸を管理する事は不可能ということだ。
しかし両大陸間には深い蟠りがあり協力し合う事は少ない。また簡単に国境を渡ることも許されていないのであった。その蟠りというのがパリオンとダンペルでは信仰する神が異なり、パリオンはリルフェイ教徒であり、ダンペルはルーリラ教徒であった為である。
リルフェイとルーリラは昔から対立する事が多かったのをよく覚えている。しかも何故か二人揃って私の方を向いて…。私、何かしましたでしょうか?
東と西が仲が悪いのも納得してしまう私だった。
ここまででまず、神々の闘いによる大陸分断とは、間違いなく我々が原因であろうと推測出来る。毎日図書館に詰め寄り、受付のお姉さんには変な目で見られていたものの、蔵書されてある古代文献を手当たり次第に読み漁った結果色々と分かった。そこには私とザルバート・フリューゲルの死闘も記されていた。私が敗れて約千五百年後に、女神リルフェイと戦乙女ルーリラ含む眷属によって魔人ザルバート・フリューゲルを滅ぼしたと書かれていたのだった。これより古い文献は無かったが、リルフェイ達のことを見つけた時、私の目から涙が溢れ落ちていたのを知るのは受付のお姉さんのみである。そっとハンカチを渡してくれたことを今でも鮮明に覚えている。
そして今私がどこにいるのかも把握することが出来た。場所は東大陸パルキニアの神聖王国パリオンから大きく南下した所にあるリーテンバーグというパリオン傘下の小規模の街だった。人口は約千二百人。主な産業は麦や芋による農業に偏ってはいたものの、近くに小さな鉱山もあり僅かだが鉱業もこの街の収入源のようだった。
街の名前がリーテンバーグということから分かるように、私の父リーテンバーグ準男爵家によって統治されている。父グリムス・リーテンバーグの祖父は冒険者として優れていたらしく、未開拓地を一から開拓し国王から爵位と領地を貰ったそうだ。元は平民出の成り上がり貴族であったため相当苦労したそうだが、少しずつ移民を集い開拓を広げて行き、現在の父の代までこの土地を管理して来たのである。父の息子である私はリーテンバーグ準男爵家の次男に値する。
どうやらこの地上では爵位という階級が存在しているらしく、まず産業によって一般的な収入を得ているものを平民。一般収入以下を下民と称する。一般収入以上で国王から爵位を受けたものを階位低いものから順に騎士爵、準男爵、男爵、子爵、伯爵、辺境伯、侯爵、公爵となる。国王が階位の一番上に君臨し、神聖王国パリオンを管理している。これは西大陸でも同じことが言えた。領地持ちは与えられた土地を管理することを義務付けられ、その家系の長男が存続していく。その為長男であるヘクトが次の当主となりリーテンバーグを繁栄させて行かねばならないのであった。ヘクトが何らかの不幸に見舞われない限り私に継承権はなく、正直なところ助かったと思っている。前世で同胞達を守れなかった私にこの街の民を守ることなど出来るはずもないのだから…なので私は全力でヘクトを支援しようと心に決めていた。
そう、ヘクトと言えば。先程頭から耳がピョコンと可愛らしく出ていたと思うが、これは輪廻帰りという現象らしい事も図書館で調べはついていた。
輪廻帰りとは、前世の特性を引き継いで産まれてくることらしい。つまりヘクトの場合だと頭部に獣耳が生えていたことから、ヘクトの前世は何らかの獣だったと窺える。獣だった前世が今世人に生まれ変わったことでヘクトは獣人として新しく生を受けたのだ。ちなみに父と母も獣の特徴を持っているので、前世は獣だったと推測される。この現象は全ての生物に共通するらしく、魚が人に転生すれば魚人。鳥から転生すれば鳥人といった具合になる。逆に人から獣に転生をした場合は獣となるそうだ。これは輪廻帰りの特性として記憶が抹消されることからそうなるらしく、知恵ある者だったとしても抹消され無くなってしまう為に獣人とは成れず、再び獣に戻るらしい。知恵という概念を持つ人に生まれ変わった時のみ獣人、魚人、鳥人と称されるようだ。
また前世の個体によって見た目や特性、魔力量などもそれぞれ違うらしく、例えば前世が小鳥だったものと前世がグリフォンだったものとでは見た目も特性も魔力量も全く変わってくるという。但し名称はどちらも鳥人という括りになる為、前世がグリフォンの様に個体値の高いものが個体値の低い小鳥と一緒にされるのを嫌うらしい。ここら辺は知恵あるものの業の深さというべきか…。
輪廻帰りという現象を知った私はしかし疑問が生まれる。輪廻帰りの特性として前世の記憶が抹消されるとあることだ。しかし前世の私は天人であり、記憶もこうして残っている。つまり記憶の抹消が成されていないのだ。これについてはいくらリーテンバーグの図書館で調べても分からなかった為、既に諦めている。今後神聖王国パリオンなど大きな都市に行く事があったら調べてみようと思っている。
……そういえばザルバート・フリューゲルも記憶を保持していましたよね?
もしかすれば記憶保持に関しては天人・魔人のみに言えるのことなのかもしれない。
しかし輪廻転生の仕組みを越えて記憶を保持していた私ですが、前世のエーテリウス・リーゲルよりも更に前世の記憶が無いのは何故なのか…
私が知らないだけでまだ色々と仕組みがあるのかもしれないと、頭を捻らす私だった。現状は分かることだけで憶測を立てることしか出来ずにいた。
朝食を終えた私は、早速兄ヘクトと母マーベル・リーテンバーグと一緒に黒塗りの馬車に揺られながらリーテンバーグ内にある教会へと向かっていた。
今回私が教会へ赴くのは無事に成人を迎えられたことを女神リルフェイへ感謝し、祈る為である。パルキニア大陸では人は十五歳で成人と定めがある。これは教会の聖書に女神リルフェイが十五歳と記されてることからと言われている。
確かにリルフェイはまだ幼さの残る少女にしか見えなかったが、実際の彼女は二千年近く生きている。真実を知るのは私だけであろうな。だが誰がリルフェイを十五歳と地上で言ったのだろうか? お陰で聖書に十五歳と記載されてしまうことになった訳で……。こんなことを言うのはきっと彼女と仲の悪かったルーリラ辺りだろうな、きっと…。
ザルバートを討つまでの間、天人は数千年程地上でひっそりと暮らしていただろうから、その間に人の中に紛れて有ること無いこと言いふらしていたのであろう。私はそう推測していた。
馬車が教会の前に到着すると、外から静かに扉が開かれる。私達が馬車から降りるとそこには教会の司祭であろう、白い祭服に身を包み、柔和な表情を浮かべた老齢の男性が待っていた。
「ようこそ、マーベル様。心よりお待ちしておりました。ヘクト殿も以前お越し頂いた頃よりも随分と立派になられましたな。さて、ではそちらにおられるのが……」
「初めまして。私はリーテンバーグ家次男、エーテリウス・リーテンバーグと申します。この度は無事に成人を迎えることを女神リルフェイ様へ感謝致したく参った所存でございます」
綺麗な所作で軽く一例をする。余り得意ではないのだが、貴族家として生まれてから幼い日より必要な所作を学ぶこともあり、加え中身は数千年も生きた天人である。多少はそれらしい所作は心得ている。
「ふむぅ……流石はリーテンバーグ家の次男様ですね。まだ幼いのにしっかりとされておられる。これもきっと、マーベル様の教養の賜物なのでしょうね」
感嘆の声を漏らしてマーベルを称える司祭。
「ふふっそんなことないですよ。お上手なんですから司祭様ったら。エーテリウスは昔からしっかりした子でしたので」
機嫌を良くしたマーベルは用意していた寄付金に後から少し足していたのを私は見逃さなかった。
上手く乗せられてしまいましたね、母様は…。
私は微笑を浮かべながら「さあ中へどうぞ」と言う司祭を先頭に扉を潜る。後ろをヘクト、マーベルも続く。
教会の中は白を基調としており、信徒が座る椅子がいくつも横並びで配置されている。床は大理石が敷き詰められ、椅子を左右に分けて祭壇へ続く一本道には高価そうな赤い絨毯が敷かれていた。
私達は真ん中の絨毯を通り、祭壇前へとやって来る。祭壇には女神リルフェイと思わしき美しい女性の像が鎮座している。その後ろには荘厳としか言いようのない立派なステンドグラスが構える。天神と魔神の闘いを描いたもののようで、天神を率いた女神リルフェイが魔人を討ってる姿がそこにはあった。残念ながらルーリラがいないのはここが東大陸パルキニアだからであろう。きっと西大陸ではルーリラが描かれ、リルフェイは描かれていないのであろうと私は思った。
「ではエーテリウス殿。女神リルフェイ様にこの日を迎えられた事に感謝をお祈り下さいませ」
私達が祭壇へ向け片膝を着くと、ミサが始まり司祭は聖書を開き説教を行う。手を交差し私は祈りを捧げた。
まさかリルフェイに祈る日が来ようとは思いもしませんでしたね。しかし私が転生してからもう数万年経っているのですよね。彼女と再会が出来ないと言うのは寂しいものですね……もし貴女も転生しているのならいつかまた会える日を楽しみにしていますよ、リルフェイ……
説教を終え典礼へと移り、パンやぶどう酒、水が奉納される。司祭が献金箱を抱えてやって来るので、マーベルが用意してくれた寄付金を入れ、最後に女神リルフェイへ一礼をし閉祭となった。
ミサを終えた私達は司祭の見送りを受け教会を後にした。そういえば帰り際私に一言、
「体質のことで思うところがあると思います。でも大丈夫です。貴方には女神リルフェイ様が付いていますよ」
「……お心遣い、ありがとうございます。私は気にしておりませんので」
司祭は優しさの中に僅かな憐れみが混じった表情をして軽く私の頭を撫出ていた。隣にいた母と兄も司祭と同じような表情を私をして見つめてるのだった。
憐れまれる理由はわかっていた。輪廻帰りの事であろう。私には外見的特質が現れてないように敢えて見せている。つまり、他人から見たらただの人間であった。
ここアークリーティアでは輪廻帰りの影響が大きい者程優遇される傾向にある。それは一重に魔力量も大きくなり、人間以外の特性を得れるために常人離れした力を行使することが出来るからだ。なので竜の輪廻帰りの者はアークリーティアでは特別優遇されている。桁外れの魔力量に加え、唯一竜とまともに戦闘を行えるからである。逆に前世が人間からの輪廻帰りは人間である。つまり魔力量は常人であり特性も持っていない。これはアークリーティアでは一番忌避される者であった。例え前世が小型の昆虫だったとしても剛体など体が丈夫な特性を得れる為、工事現場の労働力として役に立つのである。
先程も言ったが私は側から見たらただの人間である。しかしこれは前世がこの世界では天神とまで言われてしまっている天人であるからに他ならない。文献を見る限り英雄の類いの人物を確認できたが、もし私が英雄などと持て囃されることになってはかなわないからだ。多くの者を守れなかった私に英雄など務まるはずがないのだから……
なので今は甘んじて憐れみを受け入れている。まぁ別にそこまで気にしている訳ではないので全く問題はなかったのだけど。
そんな内情を知るはずもない母と兄は帰りの馬車の中でさり気無く私の手を握ってくれていた。そんな所がこの家族の良い所だと、私はそっと口元を綻ばせるのだった。
また長文になってしまいました……ごめんなさい。引き続きお付き合い頂ければ幸いです。