第一節・一連:白と黒の物語
ここは地上から遠く離れた空の世界、天界。そこでは今、白と黒の二つの勢力がぶつかり合い、圧倒的優勢で黒が押していた。
天界の美しかった建造は跡形もなく崩れ落ち、咲き誇っていた草花は朽ち果てている。
爆炎が大地を砕く音が、それに飲み込まれる同胞の叫び声が私の鼓膜を震わせる。
大地に頭を垂らし、以前は美しい白金だった翼は重力を無視したように折れ曲り赤く染まっていた。
私は苦しむ同胞を助けに行くことも許されず、止むことのない喧騒をただ聞くことしか出来ない。
未だに空で蹂躙を続ける奴らは、勢いを休めることなく次元の切れ目から次々にやってきている。
しかし意識も朦朧としてきて、視界もぼやけてきた。この喧騒をあと僅かばかり我慢すれば聞かないで済むかと思えば、もう少し我慢しようと思う。消えつつある意識の中で己の力不足を恨むしかない。
そんな中、上空から私に近づいてくる気配を感じる。
「……っ! そんな……! エーテリウス様! すぐに治癒を施します!!」
「…………リルフェイか……私はいい……。それよりも早くここを離れさない……。もうすぐここは奴らに占領されるだろう。可能な限り子供達と動ける者を連れて地上に降りるんだ」
喉を焼かれるような痛みを必死に堪え、今にも泣き出しそうな顔をした少女に伝える。
彼女も今しがたまで戦っていたのであろう。肩まで伸びる美しかった黒真珠のような黒髪は煤けて汚れ、海を固めたような澄んだ碧眼には薄く涙を滲ませている。まだどこか幼さの残る顔の所々には傷が目立っていた。
「エーテリウス様を置いていくなど出来ません! 貴方様がいなくなってしまわれたら誰が我々を導くのですか! 王よ!」
「……なら。私の王としての役目を今ここで降りよう。リルフェイ、其方が次の王だ。受け取りなさい」
私は右手を伸ばし、リルフェイの額にそっと触れる。
すると、指先から眩い閃光が走り、彼女の額に王の刻印が刻まれていく。彼女の額に刻印が刻み終えると、今まで私にあった額の刻印は役目を終えたとばかりに静かに消えていった。
「なんで。なんで私などに刻印を譲ったのですか!? 私では……私などでは……王は務まらない……」
「それは……違います。王の刻印は私が認めた者でなければ継承はされません。私が貴女を認めている。大丈夫、リルフェイ。自信を持ちなさい」
「エーテリウス様……」
「さあ、お行きない。……どうやら奴等は我々を一人たりとも逃がすつもりがないようですから」
私は瞬時に魔力を高める。私の変化に気がいたのか、リルフェイもすぐに気がつき、自分の背後を振り返る。
そこには奴等の指揮官と思われる一人の男が近づいてくるのが見えた。
黒い全身甲冑で覆い、頭部は何も付けていない。鈍色の髪を後ろに撫で付け、浅黒い肌に紅の瞳を宿し、そのままスッと通った鼻は薄い唇を通り、軽い笑みを貼り付けてこちらを見つめていた。どこか見た者を魅了する色気がある。しかしなんといっても目を引くのはその端整な顔立ちよりも、額から覗く歪な形状をした一角だった。そして我々とは違う漆黒の翼を生やしていた。
「ほう? まだ生きていたのか? とっくに眷属共によって滅んでいると思ったが……今にも力尽きそうよな? カカッ」
どこか貫禄のある男の態度は軽く、恐らく我々を何の脅威とも思っていないということが分かる。腰に据えた二振りの刀を抜いていないことからもそれが窺えた。
私は軋む体に鞭を打ち、悲鳴を上げる膝に力を込めて立ち上がる。立っているのが必死なのを相手に気取られないように私は男へと声を張り上げて質問をした。
「なぜ、こんなことをする? 貴方達は何者で、どこから来たのです?」
「……何? 主は我々のことを知らぬのか……? ハッ! これは傑作だな!! アレが上手くいっていたのか……? フフッまあいいだろう。なら教えてやる。我はリーゲルによって追放されたお前達の同胞よ。なぜこんなことをするかだったか?それはこの天界を我々の新たな住まいとする為に帰ったのよ。そして我を追放したお前達天人への復讐を果たすが為に」
最初の態度とは打って変わり、言葉に怒気が乗る。同時に奴の魔力量も莫大に増大していた。
しかし奴の話を聞き、私は新たに一つの疑問が生まれた。
「……リーゲル様はとうに引退し精霊となられた。我々天人の寿命は一万年……それからは肉体の消滅と共に精神体となり精霊に生まれ変わる。だが貴方は若い。今の話では貴方は一万年以上の時を生きていることになるが?」
リーゲルは天界を総ていた初代の王の名前である。
奴が今尚肉体を保っている事は可笑しなことなのだ。天人は一万年の時と共に肉体を捨て精霊となるのが当たり前。
しかし私の目の前にいる奴はどうみても私と同じか少し下……約三千年程しか生きていないように見える。だから男が言っていることが虚言としか思えないでいた。
それが顔に出ていたのか、私の疑問に男が答える。
「主は死した者は全て精霊になると思っておるのだろう?だがそれは間違っている。精霊になるというのはただの伝承、老害の作り話に過ぎぬのよ。死した者は輪廻の輪の中に加わり、新たに転生をする仕組みが作られている。我がそうだからな」
「……」
「そんな話し、信じられない! 虚言もそれくらいにしなさい!」
私が黙っていると、今まで口を閉ざしていたリルフェイが怒鳴りを上げる。
それくらいに今の男の話が信じられないのであろう。
私達は幼い頃から死した者は精霊になると教えられてきた。しかしだ。私もこれについては以前から疑問に思っていたこともあったのだ。なぜ生きている者が死した世界のことを語れるのか、と。ならば目の前にいる死した者の虚言は真実なのではないか、と思ってしまう私がいる。
「虚言と思うのであればそれでも良い。どうせ貴様では確かめるすべを持たぬがな。さあ、ではそろそろ終わりにしよう」
脇に刺した二振りの刀に手をかける。空気を切り裂くように一瞬で抜き取ると、男の周りだけ空間が歪んだように魔力が渦巻き始める。
今まで露わにしていた頭部にも一角の部分を避けるように装甲に包まれ、全身板金鎧となった。
私は右手に虚無の空間から身の丈程ある一振りの杖を顕現させる。白金の輝きを放ち、辺り一面を照らす。
先端が地面に着けばそこから生命の息吹が弾け、大地からは草花が芽吹く。
英知の天杖。
先代から受け継がれた王たる証。
折れた翼を大きく広げ、リルフェイをその陰に隠すように一歩前へと歩み出る。
「エーテリウス様、私も一緒にッ……!」
「先程も言ったであろう。貴女は残った子供達を連れて地上へ降りなさい。私達は地上での力を制限されるが、それでも地上に住まう者達よりも魔力は高い。私達の新たな住処として過ごせるように精進なさい。……これからはリルフェイ、其方が天人を導くのだよ」
最後は出来る限りの優しい笑顔を彼女に向ける。
少しでも彼女の不安を和らげるように。
そしてこんな大役を勝手に押し付けてしまった事を詫びるように。
「……エーテリウス様……」
逃がさないとばかりに地面を裂くような勢いで男はこちらに突進をしかけて来た。
それに直ぐに私は対応し、杖に魔力を収束させ特大の魔力弾を突進してくる男へと放つ。
私の特大魔力弾を男は右手の刀に魔力を通し、突進の勢いに乗せた刀を縦に一線振り下ろし、魔力弾を真っ二つに裂く。
しかし裂いた次の瞬間には次々と魔力弾の雨が降り注ぐ。間髪を容れずに容赦なく杖を振るう。
それにも男は左手の刀にも魔力を込めて対応をしてくるが足止めには成功していた。
「リルフェイ! 今のうちにお行きなさい!」
「っ! ……エーテリウス様……ご武運をッ!」
彼女は涙のかけらを残し、全力で私の後ろを駆けて行った。
「ずっと……なた……す……でした」
駆け出す直前、彼女は何かを言っていたが戦闘に集中していた私は聞き取ることが出来なかった。
一度も振り返ること無く彼女は視界の外へと姿を消した。
リルフェイが一度もこちらを振り返らなかったのは、彼女は新しい王としての覚悟からであろう。私も安心して彼女に後任を任せることが出来るというものだ。
「さて、これでもう何も心配はなくなった。守れなかった天界、同胞の犠牲、私が彼等の分まで闘うと誓おう」
「ハッ。そんなボロボロな身体でよく言ったものよな。今回も主を滅ぼしてからゆっくり女を追いかけて始末しよう」
両者の魔力がこれまでと比較にならないくらいに膨れ上がる。互いの魔力がぶつかり大気を震わす。
上空の雲は蒸発し、太陽が顔を覗かせた。きっと太陽は月を恨んでいることだろう。
何故なら今日この日、後の未来にまで語り継がれる死闘を見続けなればいけなかったのだから。
留まることを知らない魔力の上昇は辺りを吹き飛ばし粉砕する。最早建物があったことすら窺えない。地面は砕け、足場は私と男を中心に残し徐々に砕け落ちていく。
最高潮まで昂ぶった力と力がやっと解放する時を迎えた。
私は杖を両手で眼前に構え、目の前の黒い者を見据える。
男は握る両刀を上段下段に構え、目の前にいる白い者を見据えた。
互いの視線が交差し、そして。
「私はエーテリウス・リーゲル! 天界を汚し同胞を殺めた罪!!! 死をもって償うがいい!!!!!」
「ははははははは!!! 我はザルバート・フリューゲル!!! 消えるのはお主の方よ! さらばだ、真実を知らぬ今世の王だった者よ!!!!!」
白の魔力と黒の魔力がぶつかり、絡み合い、そして白は黒に呑まれる。男の口元が歪に吊り上がり、私を嗤う。
死を直感した私は杖の先端で己の心臓を突き刺し、禁忌魔法を発動させた。
私の潰れた心臓から鎖が現れ、男の心臓を目掛けて勢いよく突き進む。
歪な笑みは驚きの表情へと変わり、咄嗟に両腕を胸の前で交差する様に庇った。寸での所で心臓に絡みつく事なく、両腕に絡みつくまでで済んだ。
「なんだ! この鎖はッ!! 離れろ!!!」
「……ざ、残念……道連れとは、いかぬ、ようだ。しかし……腕は貰っていくぞ」
男の黒い魔力が私を搔き消す。肉体の消滅に伴って、鎖伝いに男の腕も一緒に消滅させていく。
「ばかなぁぁぁぁぁぁあ!!!! ふざけるなぁぁぁあああああ!!! 覚えておけよぉぉぉ……リー……ゲ…………」
後半は意識が途絶え始めた為聞こえなかったが男は怒り狂って絶叫していた。私が見た最後の光景は、怨嗟の瞳でこちら見る悪鬼のような形相だった。それに対して私は薄い笑みで奴に返した。
美しかった天空の世界は砕け落ち、空中で光の粒子へと変わり霧散する様をリルフェイは地上からただ見つめていた。
そこには数百人の子供達と僅かばかり生き残った者達もいる。
リルフェイと手を繋いでいた女の子がある方角を指差してリルフェイの手を引っ張る。
「リルフェイ様。なにかこっちに飛んでくる」
「え?」
粒子へと変わりつつある天界の一部からこちらに向かって飛んでくる何かが確かに見える。
そしてリルフェイがそれが何かを理解したのだった。
英知の天杖。先代から引き継がれる王たる証の杖。
そして、先程までエーテリウス様が握っていたものだった。音もなく、静かにリルフェイの眼前で停止する。
リルフェイは察した。これが私のところに来たということは、完全に私に王位継承がされたということを。
そして、エーテリウス様がもうこの世にいないという事を。
「…………っ……ぅ……っ」
「……大丈夫?……リルフェイ様……?」
リルフェイを心配そうに覗く女の子。後ろの同胞達も同じく心配そうに私を見つめていた。
私は涙を必死に押し殺し、零れ落ちないように堪えた。目頭が熱いし、喉も熱い。だけどここで私が弱みを見せたらエーテリウス様に怒られてしまう。必死に今出来る笑顔を作って彼女を振り向いた。
「大丈夫。……ありがとう」
「……はいっ!」
そう、私は彼らを導く王。泣くことは許されない。
決意を心で誓うと、待っていたとばかりに英知の天杖は私の右手へと収まった。
そしてリルフェイはここで宣言をする。
「私はリルフェイ・リーゲル!! ここにリーゲルの名を継ぎ、新たなる王として君臨する! 皆んな、正直私じゃまだ力不足な部分が沢山ある。だから、力を貸して欲しい……!」
初代王リーゲルの名称は王になったものに継がれていく。しかしリーゲルの名を継いだが私の弱さは私自身が理解している。エーテリウス様のようにはまだなれない。だから、私は皆んなにお願いする。これが今出来る精一杯だから。
静寂が辺りを包む。誰も声を出す事が出来なかった中で一人だけ私に声を発する者がいた。
私が一番嫌いで、ライバルな彼女。ルーリラだった。
「バッカじゃないの? あんたがエーテリウス様より力不足なんてこと、とっくに知ってるわよ。……だから、私も手伝ってあげるわ……。勘違いしないでよ!? エーテリウス様の為だから!」
緋色の髪を揺らし、濁りない翡翠色の瞳で私を鋭く見据える。
しかし彼女の瞼の下が薄っすらと赤くなっていた事を私は見逃さなかった。私に声をかける直前まできっと泣いていたのだろう。私に弱みを見せない様にと必死に隠している所が彼女らしく、そして彼女のそんなどこか不器用な所が好きでもあった。
「……知ってるわよ!……ありがと、ルーリラ」
すると、これを聞いていた周りの者達からも声が上がり始めた。
「もちろんですよ! 私達に出来ることがあったらいってください! リルフェイ様!」
「私は貴女について行きます。どうか、我々を導いてください!」
多くの声援が私の鼓膜を震わせる。
……エーテリウス様……あとはお任せ下さい。そして私は貴方を滅ぼした奴らを決して許すことはない…なぜなら私はエーテリウス様のことを……
さっき咄嗟に想いを漏らしてしまったが、恐らく聴こえていなかったであろう。それで良い。これ以上想ってはいけない。何故ならもう決して実る事が叶わない夢なのだから……だから、私は別の夢を新たに誓う。
「…天界を、天界の皆んなを、そしてエーテリウス様を貶めた奴等を決して許さない。力を蓄え、いつの日か、必ずや復讐を成し遂げるとここに誓う!!!!!」
地上世界の名をアークリーティア。
これはのちに《女神リルフェイの宣誓》として語り継がれることになる。
その宣誓から約千五百年後、リルフェイとルーリラ含める天人の生き残りは天界の奴等(名称を魔人と定めた)を殲滅する。エーテリウスによって両腕を失った魔人ザルバート・フリューゲルはリルフェイ等によって討たれた。
天界は再び天人達の元へ戻ったのだった。
そして、地上ではこの闘いを《白と黒の神闘》と呼ばれた。魔人達の脅威は地上へも及ぼしており、魔人を打ち取ったリルフェイとルーリラは地上では神として拝められるようになる。だから地上の彼等は天人達を天神と言う。リルフェイは女神リルフェイとして、ルーリラは戦乙女ルーリラとして長く崇められるのだった。
……ドクン……ドクン。
鼓動の音がやけに近く煩い。
だがここはどこなのだろう?
私は確かザルバート・フリューゲルに破れて……
しかしここは暖かく、何故だか心地良いと思えた。目を開こうと思い力を入れても開くことはなく、手足も一切動かない。唯一耳のみが機能しているようだった。耳に集中すると、僅かに何か聞こえてくるのが分かった。
「さぁ、私の坊や。元気に生まれて来てね。名前は……そうね。……エーテリウス。エーテリウスしましょう。何故かしっくり来るのよね。……ふふっ。エーテリウス、私は貴方が生まれてくるのを心待ちにしているわ」
ただただ私は困惑するのみだった。次第に私の意識は薄れはじめ、ゆっくりと深い深い眠りの底へと沈んでいった。