第三話
その言葉の衝撃に、啓太は滑らかに言葉を発することができない。
「……何、言ってんだよ」
「聞こえねぇよ。はっきり言えよ!」
彰吾は依然として突き刺すような怒りを啓太にぶつけ続ける。
彰吾の怒りが、啓太の奥に煮える怒りをさらに熱し上げる。そして、その溶けるような熱が啓太の口から勢いよく溢れ出す。
「瑞希を殺したのは、お前じゃねぇかよ!」
「……は?」
先ほどの啓太と同じ表情を彰吾は見せた。
「俺は見たんだよ! お前が鏡の破片で瑞希を殺す所を! はっきりとこの目で見たんだ! お前以外ありえねぇんだよ!」
感情のまま、啓太は声を張り上げた。この言葉に、彰吾は真っ向からぶつかる。
「……冗談も大概にしろよ! そんな嘘が通じるわけがねぇだろうが! もっとまともな嘘つけねぇのかよ!?」
「嘘なわけねぇだろうが! なんでこんな状況で嘘なんか言ってる暇があるんだよ!」
一瞬彰吾は言葉に詰まるが、啓太の体を見て何かに気づいたように再び怒鳴りつける。
「じゃあ……その体にべったり付いた血はどう説明すんだよ! そんな血まみれなのに瑞希を殺してないなんて信じられるかよ!」
彰吾のライトに照らされて露わになる、瑞希の血液。啓太が瑞希を殺していないとしても、これが瑞希の血であることは事実である。
「こ、これは……瑞希を抱きかかえた時に付いたんだ」
動揺しながらも、啓太はありのままを説明した。しかし、この状態で、彰吾はこの言葉を素直に飲み込むことができない。
「出まかせにしか聞こえねぇんだよ! なんで殺したんだよ!? なんで瑞希を殺した!」
「俺じゃねぇ! 俺は誓って瑞希を殺してなんかいない!」
激しくなる口論の中、彰吾の心で蓋をされていた感情たちが溢れ出す。
「嘘だ!嘘嘘嘘嘘嘘!!! 見たんだよ! お前だったんだよ! お前が瑞希を殺してたんだよ!」
彰吾の膝は震えていた。理解のできない状況と、友人の死が重なり、正常な決断はできない。自分が一番納得できる、安心できる選択しか彰吾にはできないのだ。
「俺だってお前を見たんだ! 嘘をついてるのはお前のほうじゃねぇかよ!」
百聞は一見にしかず。二人は、自分の見たものしか信じられない。互いの言葉は、思考の要素にはならない。
混乱に支配された彰吾は頭を掻き毟り始める。自分の体を傷つけ、髪を毟り取りながら、彰吾は口を開く。
「なんなんだよ……ずっと、友達だと思ってたのに」
先ほどとは別の感情を、啓太は肌で感じた。
「何を、言ってんだ……? 彰吾」
一転して静かになった彰吾は、手を頭から離してその場にしゃがみ、下に落ちているものを拾い上げる。
「……瑞希。今、仇を取ってやるからな」
鏡の破片が、彰吾の右手の中で輝いていた。
自分の手が傷つくことを気にかけず、彰吾はその凶器を強く握りしめ、一歩づつ啓太へと近づいていく。
「おい! 何してんだ! そんなことしても何の解決にも―――」
「うるせぇ! 死ね!」
啓太の言葉が終わらぬ内に、彰吾は啓太へと飛びかかった。
「止めろ! 落ちつけ! 彰吾!」
啓太は彰吾の手首を抑え、鏡による攻撃を何とか食い止める。二人は互いの手を抑えあったまま、鍔迫り合いが続く。
「人殺し! 人殺し!」
目を見開いて、彰吾は啓太へと吐き捨てる。
「違う! 俺じゃないんだ!」
「うるさいッ! お前だッ! お前が殺したんだッ!」
啓太の声も、今の彰吾には届かない。全ての意見を、思考を、彰吾は拒否していた。
話し合いではどうにもならない。啓太はそう考えて体にさらに力を入れる。
「止めろって言ってんだろ!」
力で固まった腕の力の方向を変えて、啓太は彰吾の腕を思い切り引っ張り、自分の背後へ彰吾を投げ飛ばした。
「ッ!!」
「こんなことしても意味がねぇだろ! バカ野郎!」
倒れる彰吾に啓太は声を張り上げた。しかし、彰吾の思考は停止したまま、感情に身を任せ続ける。
「うあぁぁぁあああ!!」
叫び声を上げながら、再び彰吾は啓太へと襲いかかる。その凶徒の目を見て、啓太の心に衝撃が走る。
―――本気だ。本気で、彰吾は俺を殺そうとしている。
ついさっきまで仲良く話していた相手が、本気で自分を殺そうとしていた。
突進してくる彰吾を、啓太は間一髪で躱す。彰吾は振り返り様に破片で啓太に切りつけるが、力任せに振った腕は空を切った。
啓太はバランスを崩す彰吾の腕を掴み、腕に握る凶器を引き離そうとする。しかし、自分の手に血が滲むほど握り締められた彰吾の手を、啓太は開かせることができない。
そこで啓太は再び距離を取るために彰吾の手を引っ張って投げ飛ばそうとするが、二度目はない。
彰吾は自分に引き付けるように腕を曲げる。それにつられて、彰吾を掴む自分の腕も引っ張られる。
「うらぁ!」
「がッ!」
綱引きのようにもう一度腕を自分の元へ引き返した、その時だった。彰吾の手を掴む自分の掌に『柔らかい』という感覚が生じた。
「……彰吾?」
いつの間にか、目の前で彰吾は倒れていた。
「……」
言葉はない。ただ、わかるのは彰吾の喉元に大きな切れ込みが入っているのみ。
「彰吾!」
啓太は倒れる彰吾の元に駆け寄り、その容態を確認しようとしたが、瞬間、彰吾は目を見開き、小さく呟く。
「死、ね。人……ゴロし」
彰吾の右手に握られた鏡の破片が啓太の左肩に突き刺さった。
「がぁあ!!」
激痛。しかし、喉からの大量出血で彰吾の体にはほとんど力が入っていないため、傷は浅く、致命傷には程遠い。
そして、啓太の腕に押し付けた彰吾の右腕がからゆっくりと力が抜けていき、それは力なく地面へと落ちる。
「……ぁ」
『死』が、再び啓太の前に姿を現した。
床に手をつく啓太の指に、生暖かい液体が触れる。何かは暗くて視覚ではわからない。しかし、嗅覚と触覚はそれをはっきりと認識した。
瑞希を抱きかかえた時にも感じた、鉄の匂い。
彰吾だった血液たちが、怨みを塗りつけるかのように啓太の両手を紅く染め上げていた。
啓太は、彰吾を殺した。
「ぁあ……。ぁぁああ……」
啓太は自分の手を見つめる。肌色の場所はほとんどないほど血にまみれた手の中に、あの『柔らかい』という感覚も同様に染み付いていた。
それは彰吾を殺した、肉を切る感覚だった。
そして自分が彰吾を殺したと自覚した瞬間に、啓太は重力が増えたかのような錯覚に陥る。
その重みの原因を、啓太はすぐに理解する。
啓太は『命』の重みを、抱え込んだのだ。彰吾の血液が、魂が、怨みが、殺意が、全て啓太に乗りかかる。
『死』は死体を重くする。そして、そこから抜け出た『命』は、生者の身体を重くするのだ。
「ごめん……ごめん……。こんな、こんなつもりじゃ、なかったんだ。違う。違うんだ」
腕に付いた切り傷を手で押さえながら、啓太は壁に寄りかかる。
そして、啓太は哀れに転がる死体から逃げ出すように歩き出した。
全てから、逃げてしまいたい。こんなこと、誰が望んでいただろうか。軽い気持ちで、噂を確かめに来ただけだったのに。
啓太はゆっくりと足を進める。どこを目指すわけでもなく。無意味に歩き続ける。
絶望に押しつぶされそうになり足を止めようとした、その時だった。
「……?」
光が、見えた。
希望のようなその光の先にいる人物は、目を丸くして口を開く。
「……啓太、か?」
その声で、その人物が聡であることに啓太は気づいた。心に安堵が広がる。
そして、啓太は声を出す。自分の犯した罪を、友人をこの手で殺した悪行を、その全てを告白するために。
「さ、聡。俺、俺……」
しかし、その告白を口にする前に、聡が声を上書きする。
「啓太。言いたいことがあるんだ」
「……え?」
訳がわからない啓太の前で、聡は苦しそうに話し出す。まるで、自分も啓太と同じ罪を犯したかのように。
「こんなつもりじゃなかった。仕方がなかったんだよ」
「……?」
理解ができず固まる啓太に、聡は続ける。
「俺、殺しちまったんだよ」
「……なに、を?」
突然の告白。しかし、わからないことが多すぎる。
瑞希も彰吾も、みんな死んでしまった。なのに、何故聡が誰かを殺すことができるのか。
一体、何が―――
「――俺、彰吾のことを殺しちまったんだ」
「……ぁ?」
微かに響くその声によって、空間が捻じ曲がるような感覚に啓太は襲われていた。