第一話
夏のホラー2017用の短期連載です
錆びついたフェンスの音が、寂しげな夜の空気を揺らしていた。
その音は人が一人通れるぐらいのフェンスの穴を彰吾が潜り抜けた時のものだった。悲鳴を上げるフェンスを手で押さえながら、なるべく音の出ないように後ろで彰吾を見ていた三人も同じように穴を抜けていく。
「やっぱり、いざ入ってみると雰囲気あるな」
そう口を開いたのは最後にフェンスを通りぬけて膝の土を掃っていた啓太だった。
「雰囲気は確かにあるけど、変な噂がいくつもあるって本当なのか? ただの廃園じゃねぇか」
一つも灯りの無い暗闇の中に、スマートフォンのライトを点けて辺りを照らしながら、聡は文句を垂れた。
「まぁ、それで確かめるために来たんだし。肝試しだと思えばいいだろ?」
「それで、私たちはどこに行けばいいわけ?」
彰吾が微笑しながら聡に話しかけている横で、少し不満そうに腕を組みながら瑞希は彰吾に問いかけた。
啓太、彰吾、聡、瑞希の四人がいるこの廃園は、かつては『裏野ドリームランド』と呼ばれていた場所である。高校生の彼らが物心のつく前には人気のある遊園地だったらしいのだが、たび重なる事故で信用が無くなり瞬く間に営業不振となり十年前に廃園となった。
それからこの地を買収するような物好きも現れることなく、元『裏野ドリームランド』は放置されて今に至る。
「えっと……。確か『ミラーハウス』って所だな。ネットにはここのフェンスを抜けたらそのまま真っすぐ歩くと見えてくるって書いてあるけど」
「ならさっさと行きましょ。単純に気味が悪いわ」
瑞希の言葉を聞いて、スマートフォンの画面を見つめながら彰吾は前へと歩き始める。
「そういえば、『ミラーハウス』の噂ってどんなやつなんだっけ? なんか条件があるとかなんとか」
歩いている横で聡が目的地までの経路をスマートフォンで眺めている彰吾に問いかけた。
「なんだよ。俺に調べろってのかよ。……ほら。後は自分で見てくれ」
「お。サンキュー」
お気楽な返事をしながら聡は彰吾のスマートフォンに書かれた噂を読み上げ始めた。
「『ミラーハウスの入れ替わり』裏野ドリームランドにあるミラーハウスの中である条件を満たすと起こる不思議な現象。
条件、その一。性別は関係なく四人一組であること。
その二。ミラーハウスの一番奥の行き止まりにある大きな鏡に全員が同時に手を当てて、十秒間目を閉じること。
その条件が満たされたら、ミラーハウスから帰ってくる人はたったの一人だけ。それも、その人に他の三人のことを問いかけても返事は無愛想に「そんな奴等は知らない」と口にするようだ。まるで、何者かがとり憑いてしまったかのようにその人の中身が別人になってしまう。
……なるほどねぇ」
「人がミラーハウス行っただけで別人のように変わるなんてありえるかよ。胡散臭いにもほどがあるだろ」
聡の説明を聞いて、啓太が気だるそうに声を上げる。
「それじゃあ、その胡散臭さを確かめてみるとしますか」
そういって翔吾が足を止めたその正面には廃墟のような建物が一つ。薄暗くて細かく観察はできないが、大きな入り口の上には確かに『ミラーハウス』とかろうじて読める看板が備え付けてあった。
一見はただの廃虚なのだが、破損の度合いが酷く、廃園の薄気味悪さと相まってこのあたりの空気そのものが重く感じた。
「うわ。前に立ってみると普通に怖いわね。しかもボロボロじゃない」
『ミラーハウス』にスマートフォンのライトを当てながら、瑞希は率直な感想を述べた。
「そりゃあ随分前に廃園になっちまったんだからな。整備されているほうが逆に怖いさ」
「ははっ。違いねぇや」
翔吾の軽い冗談に、聡はお気楽に笑い声を上げた。
「じゃあ。行きますか」
フェンスを通った時と同じく、翔吾が先頭を切って歩き出す。
この廃園に噂を確かめるといって肝試しを他の三人に勧めてきたのも翔吾だった。高校でもよく遊んでいた三人は、なんとなく面白そうということでここまでやってきたのだった。
ふざけ半分でこの廃園にやってきたが、重い雰囲気と暗さが生む素直な恐怖と緊張に四人は言葉を発さずに歩く。
建物の中は過去にここが遊園地であったことなど感じさせないほど静寂に染まっており、聞こえるのは四人の足音と、たまに踏みつけるガラスの破片がさらに砕ける音だけ。
少し歩いてその緊張感に慣れ始めた聡が最初に口を開いた。
「思ってたよりも広いな。音も響くし」
聡の声も少しエコーがかかったように聞こえるほど声が反響する。
「ミラーハウスっていったら鏡で反射してどれが本物の道か分からなくなるだけだからな。他に何にもないから響きやすいのもそのせいだろうな」
聡の言葉に冷静に返事をした啓太とは違い、瑞希はスマートフォンのライトを地面に当てながら右頬に皮肉ったらしく口を開く。
「何がミラーハウスよ。鏡が全部割れてるじゃない。ミラーの要素が消滅してるけど本当に大丈夫なの?」
右頬にあるホクロをかく癖のある瑞希は話しながらも手を右頬に当てていた。
改めて見ると、確かにミラーハウス、というにはいささか鏡が割れてしまっていて、ただの小規模な迷路のような状態になっていた。四人の足元にも元々は壁にあったであろう鏡の破片がそこら中に転がっていた。
「確かに。一番奥の鏡が割れちまってたら噂も確かめようがないな」
噂を確かめる条件の一つである。『一番奥の鏡に手を当てて目を十秒閉じる』というのも実際に鏡があるから可能なのであってこのように壊れてしまっては条件が足りずに噂の検証が不可能になってしまう。
そんな不安を抱えながら四人は最深部を目指してゆっくりと足を進め、ついに最深部に辿り着いた。しかし、その行き止まりの壁は自分たち四人のライトが綺麗にまっすぐに反射していた。
「うわ。ここの鏡だけひびの一つも入ってないぞ」
ここまで歩いてきて壁に残っている鏡もあるにはあったが、それは全てどこかに傷や亀裂が入っており、無傷の鏡は一つとしてなかった。
しかし、この鏡だけは遊園地が賑わっていた頃と変わっていないのではないかと思うほどに状態が良く、逆にその鏡は異様な雰囲気を醸し出していた。
廃墟の中に真新しい建物があると逆に不気味さを感じるように、この鏡にも同様の不気味さを四人は感じていた。
「……本当にやるの?」
想像以上に目の前の鏡が気色悪く見えたのか、瑞希が躊躇いを露わにした。
「ここまできたらやるしかないだろ」
「なんか怖くなってきたな」
瑞希の動揺に啓太の恐怖心も煽られ、少し呼吸が速くなる。
「ただ手を当ててちょっと目をつぶればいいだけだろ? すぐ終わるじゃねぇかよ」
こんな空気にも聡は動揺せず、三人に話しかけながら早速鏡に手を当てる。
「はぁ。気味悪いし、さっさとやって帰りましょう」
聡に続いて瑞希も鏡に手を当て、少しだけ深く呼吸をした。
「よし。じゃあ、やるか」
決意を口にして翔吾も鏡に触れ、それを見た啓太も最後に鏡に掌を押し付けた。
「それじゃあ。せーので目を瞑るぞ」
鏡に触れている自分の手に汗が滲んでいたのを啓太はこの時感じていた。何か、嫌な予感する。胸の奥で、何かが囁く続けているようなむず痒さが焦燥感され覚えさせていた。
「せーのッ!」
翔吾の声が響くと共に、四人は一斉に目を瞑る。
「……」
啓太が感じるのは、掌に触れる鏡の冷たさだけ。外界からの音は何も聞こえない。ただ、自分の心臓の脈打つ音が耳に響くだけだった。
「何も、起こらない?」
やっぱり何もないじゃないか、と皆と笑い合うために振り返った瞬間だった。
「……あれ?」
誰も、いない。
「彰吾? 聡? 瑞希?」
辺りを照らしてみる。ひび割れた鏡たち。闇に包まれた空間。そしてたった一つだけの無傷の鏡。目を瞑る前とは何も変わっていなかった。
周囲を見続けていると、どこからか声が響いてきた。
―――誰から殺してやろうか。
それは、密閉され、何年も流れることのなかった腐った水が流れ出したような、そんな濁った声だった。