6.候補たち 1
翌朝。ハリラオスの側で護衛をしていたアルキスは、国王のまとう気配が陰鬱すぎてちょっと引き気味だった。
「……陛下。何がそんなにショックだったのですか」
「いや……これからあの四人との生活が続くと思うと、気が重いだけだ……」
「……それは……なんと言いますか」
重々しい声にアルキスも返す言葉が見つからない。アルキスも大変そうだと思っているからだ。さすがに度が過ぎれば宰相やサフィラが止めに入るだろうが、それ以外は少なくともサフィラは放っておくつもりだろう。
「大体! 俺は、サフィラがいればそれでよいのだ!」
だん! と拳を机にたたきつけてハリラオスが憤慨した。言葉と雰囲気だけなら情熱的であるが、悲しいかな。サフィラは彼の王妃ではなく妹だ。ハリラオスが結婚しなくても、彼女は必ず誰かに嫁いでいく。ずっとこのまま、と言うわけにもいかない。ハリラオスもそれを理解しているだろう。
「陛下。とりあえず落ち着きましょう。仕事が滞っては宰相閣下に怒られますよ」
国王が怒られると言うのも面白い話であるが、ヴァイオスは国王だろうが姫君だろうが容赦なく怒る。それこそ、彼はハリラオスが生まれた時から彼のこと知っているのだから、遠慮がない。ついでに言うならアルキスもだが。
「むう……そもそもヴァイオスが妙な気をまわすからだ……」
とりあえず手を動かしはじめたので、アルキスはハリラオスの愚痴に付き合うことにした。
「確かに、俺もいつまでも独り身でいるのはまずいとわかってはいる。だが、実際の選べと言われても……」
そこでハリラオスがはっとした表情になった。
「アルキス。ついでにお前の嫁選びもしないか?」
とばっちりである。アルキスは一刀両断した。
「いえ。私は陛下と違い、そこまでせっつかれていませんので」
実を言うと、実家の公爵家の方から縁談を持ってこられてはいるのだが、アルキスは国王ハリラオスよりまだ余裕がある。アルキスには結婚した姉がいるので、最悪の場合は彼女の子を養子にもらう、と言う手がある。
「くそぉ。お前なんてサフィラに嫌われてしまえ」
苦々しげにハリラオスが言うが、その呪いの言葉がハリラオス基準なのでいまいち締まらない。ハリラオスにとって、サフィラに嫌われるのは耐えられないことなのだろう。ちなみに、そう言うアルキスも彼女に嫌われるのは嫌だ。
ハリラオスの護衛を交代し、アルキスが自分の馬の世話をしに厩舎に行くと、何故かそこにサフィラと王妃候補のエレニがいた。
「あ、アルキスだ」
サフィラがにこにことアルキスに向かって手を振る。疑問符を浮かべながらも、アルキスは挨拶を述べた。
「これは姫様……何をしておいでなのです?」
「うん。エレニが馬に触ってみたいって言うから、連れてきたの」
「そうですか……」
脈絡が不明であるが、サフィラの様子を見るに、エレニと結構仲良くなったのだろう。アルキスはそばにいたリダに尋ねた。
「どうなってるんだ?」
「んー、まあ、姫様が言った通りだよね。馬を見たことがないっていうから、連れてきたんだよ」
「その前後関係がわからないんだが。そもそもどこで出会った」
「中庭。エレニ様がずっこけているところに遭遇した」
「ああ……それで彼女、ちょっと服が汚れてるのか……」
妙に納得したアルキスだった。放っておけず、サフィラが声をかけたのだろう。そして、どういう話の流れかは不明だが、厩舎に来ることになったと。
何となく謎が解明したし、エレニは浮世離れしているがサフィラを害するような少女ではないと判断し、アルキスは当初の目的である馬の世話を始めた。馬に餌をやり、ブラシをかけてやる。
「え、乗りたい? うーん、それは私の一存では決められないから、お兄様に聞いてみないと」
どうやら、エレニは乗馬をしたかったらしい。確かに、エレニはハリラオスの王妃候補なのだから、馬に乗ろうと思うのならハリラオスの許可がいる。サフィラ的には、馬に触るところまでは許容範囲であるらしい。
「……そこまで乗りたいわけではないから。馬の肉体構造ってどうなってるんだろう……調べてみたい……」
なんだかとても不穏な言葉が聞こえた気がして、アルキスとリダがエレニの方を見た。二人とも呆然としていたが、サフィラだけがにこにこ笑っていた。
「さすがに解剖はできないかなぁ。解剖図とか剥製ならあると思うけど」
むしろなんであるんだ。エレニが何それ見たい、と言う雰囲気だったので、次の行先が決まったらしい。大図書館だ。
「じゃあね、アルキス。今度剣の稽古付けてね」
「ええ……」
半ば呆然としながらアルキスは女性陣を見送る。何なのだろうか。浮世離れしていると思ったエレニは、実は変人なのだろうか。そして、サフィラとは変人同士波長が合ったのだろうか。
アルキスは馬の世話を終えると、厩舎を出た。練兵所に向かっていると、その途中でハリラオスの王妃候補との本日二度目の邂逅を果たした。と言っても、今度はエレニではなくフィロメナである。赤みがかった茶髪にあう赤いドレスを纏っていて、妖艶な雰囲気を醸し出していた。
「アルキス様」
唇に笑みを浮かべて、フィロメナが愛想よく挨拶をした。
「こちらで何をしておられましたの?」
「練兵所に向かっていたのですよ、フィロメナ殿」
まだ王妃は決まっていないので、公爵子息であるアルキスがフィロメナに敬語を使う必要はないのだが、アルキスは気にしていなかった。話し方は東夷映しておいた方が面倒がない。丁寧に接して損することはないだろう。
「まあ。お邪魔してしまいましたか?」
「いえ。さほど急いでいませんので」
これは社交辞令も含んでいるが、事実である。アルキスは別に急いでいるわけではない。かといってフィロメナの相手をする気にもなれないが。
「フィロメナ様こそ、こちらで何を?」
ここは王族の居室がある場所からは遠い。王妃候補たちは王族の住居区にあるゲストルームをあてがわれているので、ここに来ることがあるとすれば、宮殿を探検するときぐらいだ。幼いサフィラが探検に乗りだし、途中で疲れて帰れなくなったことがあるくらいの敷地はある。
彼女はなぜこんなところにいたのか。そう思って尋ねたのだが、動揺した様子もなくフィロメナは妖艶に微笑んだ。
「アルキス様にお会いしたいと思いまして」
「……そうですか」
反応に困るアルキスである。素っ気ない反応に、フィロメナは驚いたようだった。だが、それも一瞬ですぐに驚きは笑みに覆い隠される。
「本当ですのよ? 陛下が一番信頼されている騎士様ですもの」
そう言ってフィロメナはすすっと体を寄せてくるが、アルキスはするりと逃げた。この場にいてはいけない、と強く思った。
「申し訳ありませんがフィロメナ様。私はそろそろ訓練に行こうかと」
「そう……ですね。お時間をとらせてしまって、すみません」
「いえ。ここからの帰り道はわかりますか?」
しまった何を言っている自分! と思った。と言うか、サフィラならともかく王妃候補に過ぎない娘が一人で出歩いているってどういうことだ。先ほどのエレニだって、一人女官を連れていた。まさか、巻いてきたのだろうか。
フィロメナは満面の笑みを浮かべて言った。
「わかりませんわ! 女官とははぐれてしまいましたの」
アルキスは唇の端をひくひくさせた。差し当たって、無視するわけにもいかない。
「……では、お部屋まで案内いたしましょう」
「ええ!」
フィロメナが手を差し出したが気づかないふりをして先導して歩き出す。そのままフィロメナを途中で出会った女官に引き渡し、やっと練兵所に向かった。
「お前、今日、フィロメナと二人で歩いていたらしいな」
夜、ハリラオスの晩酌に付き合っていると、そんなことを言われた。アルキスは「ええ」とうなずく。
「妙なところで遭遇し、帰り道がわからないと言うので送ったのです」
「気に入ったのなら、俺に遠慮はいらんぞ」
「別に気に入ったわけではありません」
どちらかと言うと、アルキスはフィロメナのような妖艶な女性は恋愛対象として好みではない。言ってしまえば、サフィラのような快活な女性の方が好みだ。シスコンのハリラオスに言ったら斬られる気がするので、絶対に言わないけど。
「それと、エレニ様にも会いましたよ」
「ああ。サフィラがそう言っていた。どうだった? フィロメナとエレニは」
意見を求めるようにハリラオスが尋ねた。アルキスはふと思い出す。サフィラが、『自分の意見で偏見を持たせたくない』と言っていたことを。
「……そうですね。フィロメナ様は見た目通り妖艶な印象、エレニ様は……姫様系の変人ですかね」
「何だそれは。適当すぎないか? というか、サフィラ系の変人って……彼女も剣を使うとか?」
ハリラオスが首をかしげたが、三十近い男がやっても別に可愛かったりはしない。
「良くはわかりませんが、姫様と波長が合うようですね」
「それは……そうか」
さすがにシスコンであるハリラオスも、妹と波長が合うと言う異常さは理解しているようだ。別に害はないので放っておいてもいいのだが。
「アルキス。サフィラと王妃候補たちの間でいさかいが起こらないように気を配ってくれ。まあ、めったなことはないと思うが」
「わかりました」
サフィラは己の立場をきちんと理解しているし、少なくとも彼女の方から問題を起こすはずがない。起こるとすれば、王妃候補側から何か仕掛けてくるときだけだ。
その場合……あまり考えたくはないが、売られた喧嘩を買ってしまうかもしれない。サフィラが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エレニは普通だと会話が成立しない系の変人です。