2.エレクトラ
本日2話目。
エルピス王国は古い文明を持つ国だ。正確には、その文明を元に国ができたのだが、長いエルピス王国史は省く。
地域にもよるが、この国では白い壁に青、もしくは赤などの屋根が一般的だ。実際、現在の宮廷であるキシリア宮も白亜の城だ。屋根は青。国土の八割が山岳地帯であるエルピス王国だ。宮殿も王都キシリアの小高い丘の上にあった。そこから段々に街が広がっているのである。
夏が近づき暑くなってきた日差しの中、アルキスは近衛隊の訓練を行っていた。隊長であるアルキスが必ずいる必要はないのだが、彼はできるだけ訓練に参加することにしていた。
「アールキース」
間延びした声で名を呼ばれ、アルキスはそちらを見た。淡い色合いのドレスを着たサフィラが笑顔で手を振っていた。アルキスも笑みを浮かべ、彼女のいる日陰の方へと向かった。
「おひとりですか?」
「ええ。ちょっと休憩休憩」
「言っておきますけど、訓練には混ぜませんからね」
「それは残念」
一回りも年が違う二人であるが、こういう掛け合いができるくらいに気心が知れていた。サフィラにとってアルキスはもう一人の兄のような存在であり、アルキスにとってもサフィラは手のかかる妹のようだった。
親しそうな二人を、近衛兵たちがちらちらと気にしている。
「ああ。見ているだけだから気にせずに訓練を続けてちょうだい」
サフィラはそう言って手を振るが、そう簡単にはいかない。本人にはいまいち自覚がない様子だが、彼女はかなりの美少女だ。何故本人にその自覚が欠けているのかはよくわからないが、そんな少女に見られながら訓練を行うなど難しい。しかも、今回訓練を行っている兵士は年若い者ばかりだった。
琥珀姫の異名を持つ彼女。エレクトラは、エルピスの神話に出てくる神の娘の名だ。決して名前負けしていないのだが、それを言うとサフィラは唇をとがらせて本物の琥珀姫に怒られてしまう、などと言うのである。それがすこしおかしかったりするアルキスだった。
とりあえず兵士たちに続けるように命じ、アルキスはサフィラに向き直った。
「さて、政務を抜けてこられたのですか?」
「んー、まあね。見つかる前に戻らないと」
と、彼女は建物に寄りかかったまま言った。十六歳の少女であるが、彼女はその才能をいかんなく発揮していた。
国王ハリラオスと妹姫サフィラはたった二人の家族である。先代の王と王妃は十一年前に馬車事故で亡くなり、叔母にあたる先王の妹は国外に嫁いでいる。叔父にあたる人もいたが、先王が亡くなったあとに若い後継ぎから王位を簒奪しようとしてハリラオス直々に手を下していた。彼には子がいたが、さすがに幼かったので身分を剥奪して追放にとどめた。
今から考えると甘かった、と言うハリラオスであるが、妹姫サフィラは前向きだった。過去の判断を悔いても仕方がない。過ぎ去った時間は戻ってくることはなく、目の前にあるのは現在だけ。未来に何が起こるのかはわからない。起こったらその時に対処すればよいのだ、と十代の娘とは思えない理論を展開して見せたのだった。
そういうわけで、この二人は本当に二人きりの家族なのだ。両親亡きあと、国王としての責務に追われながらも育ててくれたハリラオスにサフィラは感謝と尊敬の念を持っており、今のところこの二人はうまくやっている。ハリラオスの方は妹を目に入れても痛くないほどかわいがり、シスコンを大いにこじらせているが、根本的なところで二人とも現実主義者であった。
国王とその妹姫は、たった二人しかいないことをわかっている。そして、どちらか一方がいなくなってしまった場合に備え、その権力を二分しているのだ。
主に内政、経済に関してはサフィラが、軍事、外交に関してはハリラオスが権限を持っている。とはいえ、そればかりではなく、ちゃんとお互いが何をしているか把握している。もしサフィラが不慮の事故などで亡くなれば、ハリラオスが再び全権を担うこともできるし、もしハリラオスに何かあれば、サフィラが軍を率いることも可能だった。それを見越してのサフィラの武芸の訓練でもあるのだ。思った以上にのめりこんでしまったが。
どちらかと言うと、ハリラオスに何かあった時のための決まりだった。ハリラオスは国王だから、全権を担うのが当然。だが、彼は思い知ったのだろう。唐突に権力を受け継ぐことになった場合、戸惑うことばかりだと。だから、彼は最愛の妹に今から自分に何かあった時のための訓練をさせているのだ。
サフィラもその辺は理解しており、国王代理を務められるほどになっている。実際問題、ハリラオスは独身で子供もいないため、彼に何かあれば本当にサフィラが国王になってしまう可能性もあるのだ。
もし、ハリラオスからサフィラに国王の座が移ることがあっても、民衆は反感をもったりはしないだろう。エルピスでは今まで女王がいなかったわけではないし(珍しいが)、サフィラにはすでに実力がある。
三年前、サフィラの政治への参入を決定づけた事件があった。
三年前の春のことである。ハリラオスは王都キシリアを留守にしていた。隣国の王に狩猟に誘われ、出かけていたのだ。たまたまアルキスも自分の領地に戻っており、王都にはサフィラだけとなった。それを見逃さず、彼女らの叔父……つまり、先王の弟が王都に攻め入ったのである。この叔父とは、先ほど少し述べた子が追放された叔父と同じ人物を指す。
キシリア宮には高い城壁がある。急襲に気付いたサフィラがすぐに堀を渡るための橋をあげ、城門をすべて閉じてしまったので先王の弟は城壁の前で急停止することとなった。彼は呼びかけた。
『我が兄の娘、サフィラよ! 幼い娘が一人で宮殿を守るのは苦しかろう。私がともに宮殿を守ってやるゆえに、城門を開けておくれ』
その言葉に、城壁上に姿を現したサフィラは反論した。
『我が叔父上よ。なんと見苦しいこと。十三の娘一人の時にしか、攻め入る勇気がなかったか! それほどに玉座を欲するのであれば、我が兄上、偉大なるハリラオス王と真正面から戦い、その地位を手に入れて見せよ!』
この言葉に叔父は真っ赤になったらしいが、さらに駄目押しとばかりにサフィラは続けたそうだ。
『わたくしをただの小娘と侮ることなかれ! 今ここで宮殿を落としたとしても、我が兄上が必ずや卑怯な簒奪者を冥府へと送って下さるだろう! わたくしを交渉に仕えるとは思うなよ!』
後で聞いたところによると、万が一のときは自害する覚悟もあったそうだ。十三の娘には過ぎた覚悟である。結局、サフィラは叔父の部隊が王都に入る前に気付いていたので、ハリラオスの元へ伝令を走らせていた。そのため、三日ほどの城壁をはさんだ攻防ですんだのだが、このサフィラの啖呵は急速に広まった。琥珀姫の愛称が生まれたのもこのころだ。
叔父の部隊は、駆けつけたハリラオスの軍と、呼応したサフィラが城内から差し向けた軍とで蹴散らされ、叔父はハリラオスの手にかかり命を落とした。サフィラの言葉は事実となったのである。
この事件をきっかけとして、ハリラオスは悩んでいたサフィラの政治への参入を決めた。彼女に才覚があるのは間違いがなかったし、今後もこのようなことがないとも限らない。今回は越権行為となってしまったが、今後はそうならないようにしよう、とハリラオスは思ったのである。
分担すれば、ハリラオスにも少し余裕が出てくる。すべてを自分でやる必要が無くなったからだ。そのため、より兄妹の交流を行えるようになり、ハリラオスのシスコンはより重症化していくのである。
ちなみに、この事件だが、先ほども言ったようにアルキスは自分の、というか、父の領地にいたため、あとから聞いた話になる。聞いたときは驚いたとともに、誇らしくもなったものだ。妹のように思っていたサフィラの成長が喜ばしくないはずがない。
後からハリラオスに「何故お前までいなかったんだ」などと恨み言を言われたが、そう言われても困る。そもそも、休暇申請に許可を出したのはハリラオスであるし。
とはいえ、普段のサフィラはまだどこか子供っぽい。冷酷な為政者の顔を見せるのは、本当に差し迫った時だけなのだ。今も頬を膨らませたりして子供っぽいが、これで、本当に邪魔をしてはいけないときなどがちゃんとわかっている。だから、本当に忙しいときなどに彼女に話しかけられたことはなかった。そのギャップがかわいらしくも、怖い、と思うこともある。
「でねぇ、アルキス。今日、午後から時間ある?」
「午後、ですか。ええ、まあ、特に用事はありませんが」
正確には書類の提出などはあるが、それ以外は特に用はない。サフィラはぽん、と手をたたいて言った。
「なら、午後から付き合ってよ。市場調査に行きたいんだぁ」
「……構いませんが、何故私を?」
何故アルキスを選んだのか、と尋ねると、サフィラは小首を傾げて笑った。
「フィリスがアルキスと一緒ならいいと言ったの」
「……さようですか」
何となく微笑ましい気持ちになり、アルキスは笑みを浮かべて応じた。フィリスとはサフィラの家庭教師でもあった未亡人の女性だ。今、サフィラの侍女でもあり、母親代わりでもあった彼女の言うことは、サフィラは割とよく聞く。
「私でよろしければ、お供いたしましょう。ただし、撒くのはなしです」
実際に何度か撒かれそうになったことがあるのでそう言うと、サフィラは「わかってるわよ」と笑う。本当にわかっているのかちょっと怪しい。
「姫様は私でよろしいのですか?」
「ええ。もちろん」
間髪入れずにうなずかれて、悪い気はしない。アルキスも微笑んだ。
「姫様! いずこですか!」
「あ、やばっ」
宮廷の官吏の誰かだろう。サフィラを探す声が聞こえて、彼女はびくっとした。
「政務を抜けてきてるんだった。ごめんね、邪魔しちゃって」
身をひるがえしつつサフィラが謝った。アルキスは目を細めて微笑む。
「いいえ。私は構いませんよ。ただ、休憩はほどほどに」
休憩するな、働け、とは言わない。まだ十六歳の少女にとってそれは酷な話であるし、息抜きと言うものも必要である。市場調査に行く、と言うのもサフィラなりの息抜きなのだろう。
「うん。じゃあ、午後に! 約束だからね!」
そう言って大きく手を振るサフィラは、やはりまだ子供っぽいのかもしれない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
作者もたまにわからなくなりますが、サフィラは16歳。ハリラオスとアルキスは28歳。