1.国王と王妹
新連載です。よろしくお願いいたします。
エルピス王国の国王ハリラオスの妹、サフィラは当年十六歳。つややかな琥珀色の髪と瞳をした美しい姫君だ。すらりとした体形で優雅な面差し。聡明で雅楽に秀で、彼女は国の自慢だと民衆は口々に語る。
だが、宮廷につかえる者の意見は少し違った。少しどころか百八十度位違った。外見が美しく、聡明なのは確かだ。だが……彼女は変人であった。
噴水のある中庭。白い宮殿の一角だ。空は抜けるように青い。
そして、その下には死屍累々の山。何も本当に死んでいるわけではない。倒れているだけだ。そして、その中心に立っているのが民衆の言うところの自慢の姫君、宮廷人の言うところの変人サフィラだ。片手には木刀を持っている。
「よーし、すっきりした!」
そう言って木刀を持った手を空高く掲げる。それを噴水の縁に腰かけ、眺めている男性が二人いる。二人とも二十代後半と見え、なかなかの美丈夫である。
一人はサフィラの兄、国王ハリラオス。今一人はその友人にして側近のアルキスだ。ハリラオスもアルキスも目が死んでいた。
「どうして……こうなった……」
絞り出すようなハリラオスの言葉に、アルキスはこう返すしかない。
「さあ……?」
△
エルピス国王ハリラオスは十七歳で王位を継承し、在位十一年目となる。
琥珀色の髪に同色の切れ長の瞳。秀麗な面差しで女性に良くモテるが、未婚で今のところ婚約者も恋人もいない。目下のところ、彼の意識はたった一人の家族である妹サフィラに向いていた。
一回り年下の妹は、ハリラオスが王位を継いだときまだ五歳だった。両親であった先代の王と王妃を事故で亡くし、やむを得ず王位を継いだハリラオスは、幼い妹を守ることに全力を注いだ。ハリラオスにとって幼いサフィラは弱みになりかねなかったが、事故で両親を失った若き王は、幼い妹までをも手放したくなかったのだ。
そして、ハリラオスは立派なシスコンと化した。そして、さすがに十七歳の若い男に幼い娘の教育は無理だったのだろうか。サフィラは立派な変人となってしまった。二人とも造作だけ見れば絵画から抜け出してきたかのような美貌であるのに、残念な話である。
そんな感想を抱くのは国王ハリラオスの友人(腐れ縁ともいう)で側近(近衛隊長という職名)であるアルキス・ネストルである。国王の『友人』を名乗れるだけあり、公爵家出身であるが、本人にはあまりその意識はなかった。これでは国王兄妹のことをとやかく言えない。
黒髪は日に焼け、グレーの瞳が鋭い。端正な顔立ちをした、国王と同じくらい体格の良い男である。アルキスは、ハリラオスの友人と言う立場上、サフィラのことも彼女が子供のころから知っていた。彼にとっても妹のような存在だ。その彼女が琥珀色の髪を束ね、何故か中庭で雄叫びをあげている。
本当に、どうしてこうなった。
「お兄様、お兄様」
サフィラは人を呼ぶ時に、よく二度名を呼ぶ。駆け寄ってきたサフィラを見て、今まで目が死んでいたハリラオスに生気が戻った。妹を出迎えるために彼は立ち上がる。
「サフィラ。また腕をあげたな」
「うん。姫君らしくないからやめろって言われるんだけどね」
と天真爛漫を絵にかいたような彼女は言った。着ているのもこの国の女性が着るようなドレスではなく、ズボンにガウンを羽織っている。それでも、隠しきれない体の曲線が彼女が女性であると物語っている。
こうして並んでいると、この二人はよく似ていると思う。年は離れているし、性別も違うのだが、醸し出す雰囲気と言うか、何となく似ている気がするのだ。
「……まあ、姫君も多少は自分で身を守れた方が安全ではあるが」
ハリラオスはさすがに苦笑気味だ。サフィラの武芸の腕が、『多少』の域をとうに越えていることをわかっているのだ。特に、弓の腕は武人であるはずのアルキスやハリラオスを上回る正確さだ。
「そうでしょー? 実際に自分の身を守ったことだってあるし! それに、いつまでもお兄様たちに迷惑をかけっぱなしなわけにはいかないもの」
ニコニコと言ったサフィラに、ハリラオスはぐっと目元を押さえて震えた。
「……そこまで兄を思ってくれているとは……!」
シスコンも大概にしろと言いたい。ハリラオスは基本的に優秀な王であるのだが、妹に関しては目が曇っている。とりあえずアルキスはハリラオスの後頭部を叩いた。
「落ち着け」
国王に対しての不遜な対応にサフィラに倒された兵士たちが蒼ざめた。起き上がれるようになったのに、再び地面に突っ伏す者もいた。はたかれたハリラオスははっとした。
「……気が済んだか、サフィラ」
「ええ。すっきりしたわ」
力強くうなずいたサフィラに、ハリラオスは「うむ」とうなずいた。
「相談したいことがあってな。お前を呼びに来たのだった」
「それで、忙しいのに私の稽古を見ていてくださったのね」
前向きな解釈もここまで来るとすごい。そして、おおむね間違っていないと言うことは、サフィラはハリラオスを正しく理解していると言うことだろうか。
王妹サフィラは国王の執務を手伝う書記官長の地位を持っていた。有事には王の代理も預かることがある。たった二人の家族だ。協力し合うのが当然、とサフィラは笑っていた。そこだけ見れば、兵士たちをなぎ倒す変人には見えないのに。
実際、彼女は兄に負けず劣らず優秀であった。内政に関しては兄を上回る才能かもしれない。十六歳の姫君と言えば、婚約者がいてもおかしくない年齢であるが、彼女にはそう言ったものもいない。恋人もいない。ハリラオス王は公私ともにサフィラを手放せないのだ。おそらく、私的な部分がほとんどを占めているのだろうが。
「それで、相談したいことって何?」
サフィラが着替え、通常の姫らしい装いになってからハリラオスの執務室でその相談は行われた。
淡い水色のドレスを着た彼女は、ただ黙っていればとても美しい。それは誰もが認めるところである。琥珀色の髪と目を持つ彼女は琥珀姫とも呼ばれ、民衆に親しまれている。
「ああ……アルドラ地方のことなんだが」
「治水工事ね? 何か問題が? 資金足りなかった?」
「いや……いや、資金も足りないかもしれないが、どうやら地形の問題で、うまく河川が引けないらしい」
「あー……」
サフィラがハリラオスと似たような表情になった。ハリラオスの背後に控えているアルキスからもそれが良く見えた。
「ほらぁ。やっぱり現地に直接行けばよかった」
サフィラが唇をとがらせて言った。過保護なハリラオスは「そんなことできるかっ」と声を荒げる。
「お前に万が一のことがあったらどうする!」
「大丈夫よぉ。お兄様、ちょっと過保護」
「過保……っ。まあ、事実だが!」
認めるのかよ。アルキスは心の中でつっこんだ。ここで声に出せば、話の腰を折ってしまう。
「そもそも土木業も私は初心者なのよ。知識は一応あるけど」
「俺よりはましだろう。どうしようか?」
「うーん。専門家の意見を聞くしかないんじゃない? それか、ルートを変えるか」
アルドラ地方から王都に向けての用水路を引いているのだ。この時代、輸送は陸路より水路の方が速い。
「ルートを変えるなら、どう変更することになる?」
「えーっと、アルキス、アルキス。地図地図」
「はいはい」
何となく二度同じことを繰り返すサフィラにつられ、アルキスも二度返事をしてしまう。ハリラオスに睨まれたが、慣れているアルキスは肩をすくめただけで受け流した。
「地図です」
アルキスが広げた地図に、サフィラが止め石を置いたが、反対側には手が届かない。アルキスがサフィラの手から石をとって置いた。
「ありがと。ついでに地形図」
「……わかりましたよ」
さらに地形図を出してくる。それも広げ、サフィラが双方を眺めながら首をかしげて考えている。
「ルートを変えるなら、ジナラの領主にも許可をもらわないと」
と、サフィラは判断したらしい。ハリラオスも地図をのぞきこんで言った。
「もしもそのまま進めるなら?」
「報告書を読んだかぎりだと、地盤が軟らかいのよね。そのまま引くなら用水路用の石が倍は必要になるわ」
つまり、費用もその分増えると言うことだ。エルピス王国は貧乏ではないが、金が有り余っているわけでもない。無駄な費用はできれば使いたくない、と言うのが国王兄妹の考えだろう。
「ズバリ聞くが、サフィラ。我が国にその余裕はあるか?」
「ない」
こちらもズバッと返答したサフィラである。
「まあ、今は平時だし、出そうと思えば費用は出せるけど、でも、今、隣国の動きが怪しいんでしょ。軍事費にかなり取られる。以上」
そこまで言われると、ハリラオスとしても返す言葉がないようだった。黙り込んだ兄に対し、妹は「でも」と言葉を続けた。
「ここで工事を止めると、それはそれで洪水が起きるかもしれないしねぇ」
そうなのだ。もともとは、アルドラの洪水対策で行われることになった工事なのだ。そう簡単に「やめた」とはできない。
「やはり、予定を変えて、ジナラを経由しましょ。その方が費用も時間もかからないわ」
「ジナラの領主を説得できるか?」
ハリラオスが尋ねると、サフィラはじっと上目づかいに兄を見た。
「私が直接行っていいなら、すぐに片付くと思うけど」
「ならん」
一蹴されたサフィラは「過保護!」と唇を尖らせたが、それ以上は反論しなかった。
「なら、誰か代理人を立てるわ。でも、どーしても交渉がうまく行かなかったら私が行くからね」
「それは止むを得まい」
ハリラオスから許可をもらい、サフィラはにっこりと笑みを浮かべた。
「そうと決まったら、計画修正案を持って行くから目を通してね……」
「……っ。頼む……」
優秀な妹に対し、兄王は引きつった笑みを浮かべるのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ハリラオスをどこまでシスコンにできるか挑戦です(笑)