日本人が宗教に寛容なのは多分
あるなろうの小説を読んでいて、そして感想を書いて、よそ様の感想を読んで生まれた独り言の様な考察の様なモノ。
相手様の掲示板に書くには不穏なような長いような気がするので&横レスにしちゃちょっと……ッという感じなのでこちらにエッセイとして書きました。
部分的にそちらの掲示板に書いた感想が前提になっている部分があるかもしれません。
(嵐→神様!の処とか……分かっていてもちょっと書き足せない、なぜなら)
思考があちらからまだ切り離せないで書いたから。
(つまりこのエッセイはあちらへの感想の続きで横レスなのです。…すみません…)
それでいてこちら単独で読めるように書いた(つもりです△)ので、横レスらしくない文章になっていると思います。
(……伝え間違えないでいたい部分を間違った書き方になってしまってませんように……!)
△=「つもり」で終わっているか「ちゃんと伝わる」かは相手の読解力やら何やらとの相性によるかもしれませんので断言しません。
※この文章は、横おいて置いて的に、脱線的に〔{()}〕多用します。
※これはあくまで個人の考えの一つです。
貴方の心の多様化の一つ一滴に、
「ああ、こういう考えの人もいるんだな」ぐらいでよんで下さい。
日本人が宗教に寛容なのは多分
「八百万・どんなものにも神(いのち、心)宿る」という考えの他に、
元々ものすごく「自由」だというのがあるんだと思います。
「やっちゃいけないこと」以外に関しては何の制約も見当たりませんし。
一神教の場合、
有名な
「肉(人間)を食べることもある汚れた動物である豚は食べるな・
鱗のない魚ダメ・
酒は(酔っぱらって暴力振るうから)アウト(月が大好き予言者教)」
や
「牛は神のみ使いだから食べるな(仏教&多神教だけどヒンズー)」
「むしろ肉を食べるな(仏教)」
など、
「やるな・食べるな」以外にも 意外に各宗教ごとに
食べるパンは無発酵のみなどの他にも調理方法や捌き方が細かく決まっている方法の物を食べろ(ユダヤ)、とか
春に断食終われば謝肉祭、
水曜金曜(☆)は肉食を禁じる、ミサには必ず(薄めてもいいから)ワインを飲め、
(救世主教)とか、
秋に貧乏人と妊婦と病人など理由があるもの以外は昼断食、
断食できなかった金持ちは断食が終わると同時に
近所の貧しきものに施し(すぐに使える毛布や料理、物品が良い)して
感謝祭には羊の肉をご近所の貧しきものににおすそ分け
(十字架で十字軍思い出して嫌だから救急車は月がマークの一神教)、
など、
「やれ・しろ」決まりがあります。(◎)
国(水事情)によっても、
日曜ミサだから毎週土曜は風呂に入り御美麗に←毎週!?なんて贅沢だ!
とかもありますし……
{アンリ―アントワネット(別名「旧教の守護国」出身))が毎週風呂に入ったことに
フランス(別名「旧教の長姉国」)人が激怒したという話を聞いたことがあります。
なまじっか「同じ宗派=同じ文化のはず」という考えが溝を深くしたようです。
フランスの水は高いです。
(水質も風呂向きではありませんので飲み水を使っていたのだと思います)
(ローマ帝国が水道引いてくれなければ、そしてトルコが水源壊していたら、
中世のフランスとスペインはもっと困っていた。)
(砂煙が多いのでブルカ(西端っこ)や口髭をという一部地域文化が
なぜか他の土地発祥教に取り込まれてそのまま同宗教全てにルール化されたり……)
日本はその点
「(同じ国の同じ村でも)隣の家でも
家が違えば味噌の味が違う」という考えがあります。
実際各家ごとに生活が違うので土壌や湿気や冷温が違うので味が変わります。
ちがうと言う事を認識しているから押し付けない(*)んだと思います。
(「ああ、それもあるよね」という…)
(*=嫁入りした嫁に姑が細かく家のことを教えるのは
「家を継ぐ=その家(土地風習近所づきあい親戚づきあいその中での立場)に合った文化を継ぐ」
という事の為だと思います。)
これはもう、自由っぷりの土台になっている日本の土地に感謝するしかありません!
……あまりに災害が多くてひもじくてそれがものすごく神話から読み取れますが!
(死にたくない生きたい食べたいが詰まってますよね!黄泉平坂の追いかけ部分!!)
災害と言えば
嵐が来ると翌朝打ち上げられた漂流物に感謝→嵐は神様!
というのはフィンランドにも見られます。
(ムーミンママの「私の嵐!!」は民族性と気持ちがよく出ている台詞ですね!
嵐大好き!!DNAに刻まれていますね!
また、
フィンランドでは嵐の漂流物は貰い物、という考えが昔からあります。
しかし、
『嵐の日に救助より「何かいいもの落ちてるかもしれない(ムーミンパパ)」』が発想のあたり、
古代日本より古代フィンランドはひもじかったんだろうなって土台がありそうな台詞……
日本の場合点在して住むしかない地形で
人が減ると滅びるっていうのもあったのだと思いますが……
{ あ!「何か良い物=人間」もあるかもしれない!!
「ひゃっほう新しい住民(血筋)(=遠まわしに救援思考)」かもしれない!!希望的観測だけど!
…現代人の都合や理想で考え(偶像化し)ちゃいけないってわかっていますがまあそういう可能性だって無い訳じゃないよね!?アイドル化を忌むあまりダークアイドル化しなくたって良いよね!?っていうか何がダークで何がライトかなんて人によって違うよね!ならばそれらの境界線だって自由でいいよね!! }
そして
オーディン(嵐)が北欧で主神になって行ったのは良いのですが……、
北方ゲルマン(フィン国では無い)が
{その行動(他から奪って自分たちの物に)を真似たのか(真実は不明)}
海賊になって行ったのはいただけませんが……
{神(自然)にやってもらったら救いだけど、人間にやってもらっても罪悪感半端ないというか、
自然にされても諦めつくけど人間がやったら恨むっていうか…
{ギリシャ神話ではエウロパ(EUの化身と見られる)を浚われたのを
「諦めろ」と神託下りる神話がありますが……}
……植民地にされたことが無くて、
挙句に宗教勘違いor利用されて広められなかったことがすごいラッキー、
今の自由につながっている、としか言いようが無いと思います……。
☆=金曜日は救世主受難の日として肉食を避けるべき日とされ、魚を食べる習慣があった。
と表向き宗教理由説明されていますが、
もともと処刑された日をあのゴタゴタ&その後も続く迫害受難できちんと記録を採れて保存出来ていたとは思えません。
(ローマ帝政府がとっていたかもしれませんが、救世主と一緒に処刑されたのがただの強盗だったりと、ローマ帝国側からはふつーに日常扱いで処刑していますので記録保存も特別ではなかったでしょう。救世主教が正式に認められ、主教となって行った頃までに記録がなくされていないとは限りません(鈴中毒でローマの街に火を放った皇帝とかその工程が嫌いで街大改造した皇帝とかいますし……)
なので「金曜」にこだわったのは
元々「金曜は異界とつながり易い日とされていたから」かもしれません。
〔救世主教の広がる前の妖精信仰の方の考えなのですが、
金曜は世界の境があやふやになります。
そのため異界から妖精{(シー)=生まれる前の魂、死んだ魂}が遊びに来くることがあります。
たまに妖精界と人間界の境にいるような魂を連れて帰ってしまいます。
(ハーフエルフは人間に生まれていながら半分妖精、
かなり体の弱い人、何かちゃんと人間として生きていきにくい人、で
連れていかれる率が高いと考えられていました。)
昔は肉を食べるのに自分の家でさばきます。
薫製などの保存のできない場合(技術・道具・材料・腹減り具合)、
さばいた日に食べます、
肉を食べる=仕留める・捌く=魂があの世へ=境の扉が開く=向こうから来ちゃうかも!!〕
まあ根性で信者や身内が
「金曜日に処刑された!哀しい!!」と記録保存又は口伝していたのかもしれませんが!
水曜に禁じる理由は良く分かりませんが、
そういった決まりが生まれたからには多分理由があると思います。
だれかご存知でしょうか?
(宗教上は「裏切られた日」
「金曜に処刑されたたから逆算して水曜に裏切られた」のかもしれませんが)
とりあえず、毎週二日禁肉食ならば「森の動物食べつくしちゃう」
ってこともないでしょうから(個人的には)良いと思います。
えーと……魚アレルギーでタンパク源は肉のみ、とかいう人いませんよね……?
(あ、困るのは海川の無い大陸内陸の人か!
豆も採れなかったりアレルギーだったらかなりアウトだ!)
◎={それだけなら別に不自由化しないと思いますが、
「やるな・食べるな」と「やれ・しろ」の理由を忘れたり混ぜたりまでは良いですが
拡大解釈して必要な処を枝葉末節したり心の中で「それが絶対」と偶ぞkゲフンゲフン……
各時代各地域ごとにどうしてもしょうがないところはありますので
「するなやるな」を破らざるを得ない人のために
救済思考を足したら悪用されてそれを禁じるために余計に不自由になったり……
(日本にも浄財・禊という考えはあるけれど、
『それでそれさえやれば悪事をやっていい』とは考えない方が多数派だったのに…)
禁じればいいことする人しか残らない、同じ考えなら悪いことが分かる、同じ文化なら嫌に感じることも分かり合える、同じ宗教なら同じ文化に…
と、禁止事項が増えたり、「他人なのに自分と同じにしようとする」たびに
当時の苦労がにじんでいるんでしょうね……
要は弱い人の為に用意されたモノ(考え)を悪用する悪人や
他人の嫌がることを無視してやる奴が悪いんですね!
(ただ、その、「嫌がること」がかち合っちゃう場合、お互いに「押し付けない」を選び合えない、選び合ってもらえない場合もありますが……
(クジラ(食・イサキ・救済、ダカラ食べるの邪魔する嫌がらせ嫌)信仰とクジラ(保護!だから食べる人がいるの嫌)信仰……))
でも同じ宗教なら同じ考えになるとはまったくならないのでその点は押し付けたり切り捨てる前に話し合いか「そういうモン」「違うんだ」「違ってもそれでいいんだ」と理解とあきらめと寛容が必要だと思います!}
あ、日本人が宗教に寛容なのって、
「そういうモン」「違うんだ」「違ってもそれでいいんだ」という
「よそはよそ、うちはうち」という考えが染みついているからだと思います!!
多分、元々日本って個々人が多様過ぎるんだ……。
うん、多神教のおかげですね!
ユダヤは無発酵パン、
古い救世主教では水金禁肉食、とは最近まで知りませんでした。
月が大好き予言者教では「もともと酔っ払い(の暴力)対策+みんな平等=酔わなくてもアルコール一切ダメ・料理に入っていても調理途中でアルコール跳んで無くなっててもダメ」な宗派もあったりするので
何かとみりんを使う料理の日本で住むのは大変だと思います。
でも自分がその宗派じゃなくても求められたなら(可能な範囲で)考慮して作る人がいる。
『食べられないもの』を押し付けない。
(「ああ、そういう物なんだな」の考え)
それが(今の処国規模でも)宗教(文化・同じルール)を押し付けられないでいられるキーワードな気もします。
自他どちらともの為に、失くしたくない気持ちですね、
「自分は自分、他人は他人、(仲良くやれれば)それでいい」
(……受止め間違えないでほしい部分を間違った書き方になってしまってませんように……!)
いま(本文)読み返してみたらまた脱線している…!!