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紅蓮華の追憶 -風逸物語1-  作者: オザキ
紅蓮華の追憶(ぐれんげのついおく)
9/9

紅蓮華の追憶 (9)

「いやぁ、おったまげた話だ」

 茶屋の亭主が、旅人の噂を女房に告げる。

「お城の天守やぐらが、すとん、と、崩れ落ちたっ、てよ」

 一夜のうちに変わり果てた姿に、城下はすわいくさか物怪のしわざかと、大八で逃げ出す騒動となった。

「人柱どもの祟りなんだか、御殿様はお隠れに、お堀の普請こうじも取りやめ。めでたいやら気味悪いやら、分けがわからねえ」

 朝もやを分け、首をかしげながら幡を立てた。

 と、そこへ。

「おい、亭主」

 聞き覚えのある声に振り向くと、先日、だましそこねた山人の若者が、身軽な旅装束でたたずんでいる。茶屋の亭主は、ばつが悪そうに横目でうかがったきり、忙しいそぶりで桶の水をまいた。

 州作は縁台を寄せて腰を下ろし、手招きで亭主をつかまえる。

「珊瑚のかんざしは、まだあるか」

「あんな小汚ぇシロモノ、一文にもなりゃしねえから、女房の耳かきになっちまったよ」

「持ってこい」

 ぶっきらぼうに言葉を投げ、

「買い戻す」

 柴を売って手にした銀子を、縁台の毛氈に手のひらで置いた。

 朝日に輝く銀色を前に、亭主の態度が一変する。 

「へい、こりゃ、恐れ入りやす」

 腰を低くし、銀子を拾い集めると、売り物を取りに寝屋へと戻った。

「贈り物だからな、洗ってよこせよ」

 亭主の背中に念を押し、夫婦のかけあいを奥に聞きながら、州作は朝の陽だまりに体をあずけた。



 朝露に濡れる蓮華野で、老馬が草をんでいる。

 三十年前――紫乃女の祖父に助けられ、お礼に譲り渡した馬だ。

 あの馬だと気づいた時、州作は、紫乃女の「魂」の在処ありかを知った。風が届けた魂の嘆きは、大殺戮で死んだ祖父の、孫娘の魂を案じる声であった。

 州作は老馬の首をなで、引く者のない手綱を取り外す。老馬は蓮華野を離れない。紫乃女の追憶を弔いながら、命尽きるまでとどまるのだろう。

 懐に温めていた珊瑚のかんざしを、取り出し、軽く唇をあてて蓮華野に置いた。

(すまん……)

 あのまま契れば、強い神気が紫乃女を浄化し、虚無の塵へと焼き滅ぼしただろう。されば紫乃女を案じる風達が悲しむ。想いを確かめ合いながら、応えてやれぬ身上を詫びた。

 淡い紅色の風が、愛おしげに州作をなで、恥ずかしそうに春風と踊る。

「もう、いいか」

 頬をまさぐる風にささやいた。

 淡い紅色の風は、名残り惜しげに老馬をなで、村の跡を駆けめぐると、待ちわびていた風達と一つになった。

 至福の夢から覚めたように、州作もまた、風そよぐ蓮華野にたたずんでいる。

 紫乃女と過ごしたわずかな日々は、紅蓮華の追憶がみた夢――ではない。

 木もれ日の下で穏やかに暮らした光景は、州作自身のかなわぬ願い。“幾百年”を経てもなお、忘れがたき故郷への追憶でもあった。

 だが俺に、安寧の日々は許されぬ。

 父を殺し、その肉を喰ろうて生きのびた――この穢れた血、穢れた体で生きながらえる限り。

 須田村ただ一人の生き残りとして、村の血と、“あの冬”の記憶とを背負いながら。

 贖罪あがないの旅に、たどり着くべき場所など無かった。

「……風が呼んでいる」

 ふと我に返り、風達のささやきに耳を寄せた。

 遠い北奥の空から、さまよえる魂の嘆きが届く。野辺に埋もれるあまたのおもいが、州作の風を待ちわびている。

くすしきむすびの、神魂みたまに依りて……――」

 さやけき朝の光をまとい、己が備えし神名を唱えた。

出座いでませ、風逸奥津久瓊かざはやおきつくにの神」

 神名に宿る言霊が、風魂かざみたまに響き神威を解き放つ。

 天色にたなびく清浄の光が、俗塵に塗れた衣を剥ぎ、人界の穢れにまみれた身を禊ぐ。浄められた肉体を青海色の衣が包み、霊気を結んだ玻璃の神珠が、清涼の音色で風達を呼ぶ。

 風せる奥羽のうるわしき故郷くに――神名に刻まれた追憶を抱き、青海色の袖を吹きなびかせて、一陣の風が、再び孤独の旅路へと翔けた。

 りん、と、澄みわたる珠飾りのが、梢の彼方へと遠ざかる。

 南風が名残りを惜しみ、萌えいづる若葉の木もれ日を揺らす。

 朝露にかがやく蓮華野では、娘の遺した大切な老馬が、ゆるやかに草をみ続けていた。

 

 

   『紅蓮華の追憶』 ――了―― 2015.1.17(9/3修正)

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