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紅蓮華の追憶 -風逸物語1-  作者: オザキ
紅蓮華の追憶(ぐれんげのついおく)
7/9

紅蓮華の追憶 (7)

 夜が更けても、紫乃女は眠れずにいた。

 浅い眠りにつかぬうちから、夢でもないのにあの“声”が響く。目が冴えても、体を起こしても、胎内にもる赤黒い百足ムカデが、紫乃女の意識に呼びかけてくる。

《求めよ》

 何を?

《うぬがかたわらに眠る男を。芯が濡れるほど、愛おしい胸を》

 情を見透かされるのが怖く、紫乃女は耳をふさぐ――が。

《心はふさげぬぞ》

 百足は嘲笑いながら奥へと潜り、赤裸々な情念にからみつく。

《今宵限りだ。城下を訪ねてしまえば、そこな男の用はすむ。されば明日にも、うぬを捨て、別の女性にょしょうの元へと帰る》

(イヤ……)

 紫乃女は百足の告げを拒む。

 だが、とうに気づいていた。州作は紫乃女が眠りにつくと、夜半に小屋を出、丑三つ頃まで行方をくらます。隠れた逢瀬か、秘め事なのか。外から戻った州作は、疲れた体を横たえるや、深い眠りに落ちてしまう。

 今夜も、きっと――。

 猜疑と嫉妬で渦巻く情を、百足はむさぼり喰いながら、紫乃女の胎内でさらに大きく膨らんでいく。

《明日を迎えてはならぬ》

 迷いを解きほぐすように、強く優しく、紫乃女の情念おもいにささやきかけた。

《血を交え、一つとなれ。されば男は、お主の元を永遠に離れぬ》

(永遠に……州作と一つに……)

 何と甘美な響きだろう。

 このまま月日をやり過ごしていれば、やがて夫婦めおとに――そんな情念を募らせていた。だが明くる朝を迎えてしまえば、紫乃女は甘美な夢から醒め、州作は見知らぬ土地へと旅立ってしまう。

 紫乃女はふらりと炉端にたたずみ、州作の寝息を確かめ、四つに這いながら腿を寄せた。

 よほど疲れているのか、州作は、紫乃女の両手が頬を包んでも応えない。 

《恐れるな、愛おしき下僕よ。そこな男を、永遠に、うぬが女淫の虜囚とりこにせよ――》

 闇黒の指先に導かれ、紫乃女の奥底から、泥のような情念が噴き上がった。

 州作の唇を強く吸い、熱い舌をおし入れる。

「……?!」 

 舌が苦いものに痺れ、州作は驚き目を覚ます。が―― すでに紫乃女の舌は、黒く生臭い邪毒の粘液を、喉の奥へと送りこんでいた。

 邪毒を吸った体は、気脈が衰え、筋肉が萎えて動かない。もてあそばれ、喰われるだけの餌になる。

 紫乃女は自らの衣をとき、白い輪郭を露わにすると、州作の衣もときほどく。

「だめだ……」

「お願い」

 紫乃女の肌が、州作の胸を這う。指先で官能の芯を探り、こたえを確かめ、邪淫の糸でからめ捕る。つらそうにあえぐ州作を、唇で愛撫し従えながら、快楽の門をゆっくりと押し開けた。

 うつろに潤む目が見つめ合う。

「紫乃……女……」 

 愁いと憐れみとを吐息に混ぜ、州作はわずかに自由のきく指先で、カモシカの着皮キガワをたぐりよせる。

「あぁ、州作……――」

 愛しい名を唱えながら、しかし、紫乃女の手は、見る間に邪妖の爪をむき出した。

「お願い……死んで……! あたしと暮らして……!」

 涙を流し、叫んだ。

 張り裂けると同時、黒くよどんだ邪精のとぐろが、宿主の紫乃女を食い破る。根を一面に張り巡らせ、紫乃女と溶け合い、醜悪な邪妖が産声をあげた。

 激情に身悶えながら、紫乃女が邪妖の爪を振りかざす。

「……ッ」 

 州作はかきむしる様に、着皮に隠した剣鉈をつかんだ。

 天色の光が指先に走り、肉体を冒す邪毒をすすぐ。

 心臓をえぐらんと襲う鉤爪を、清白の光輝がはじき飛ばし、目をくらませた紫乃女の喉笛を、銀色にひらめく剣鉈が裂いた。

 血潮を噴き、崩れ落ちながら、邪妖の声が最後に笑った。

《愚かなり……》



 柔らかい、木もれ日のような光が満ちている。

 ふと目をさますと、紫乃女は、春色の光の波間にあった。

 誰かが紫乃女を見下ろしている。見慣れた顔……でも、様子が違う。紫乃女の瞳に映る姿は、天色の風に髪をからめ、青海色の衣を身にまとう――。

「ごめん、州作……」

 うまく声が出ない。

 紫乃女は、喉を裂かれたことを思い出す。

 当然の報いだ。邪妖に従い、州作を欲情の餌食とし、殺そうとした。

 きっと、邪妖に噛まれた傷のせいだ。紫乃女に巣食った邪妖が、よこしまな情を餌に育ち、州作を殺せと命じていたのだ。

「あたし、死ぬの……?」

「――」

 州作は頭を横に振ると、まなざしを光の波間にうつした。

「紫乃女……もう、気づけ」

 ここは廃墟、紅蓮華の野。

「お前は、ずっと蓮華野ここにいた」

「ずっと……」

「ああ、五年前から」 

 州作の哀しげな顔に、紫乃女は、はっと気づいて見つめ返した。

 そうか、あたしはとっくに、あの夜の殺戮で死んでいたんだ。

 あたしが見ていた風景は、生きていた日々への追憶。

「州作も、あたしの“夢”なの……?」

 哀しげに問う。

「いや、俺は紫乃女と暮らしていた。一緒に兎を食っただろ」

 州作は、限りなく優しい微笑をこぼした。

 強いおもいは、時に「魂」の記憶をうつし世にもたらし、死者と生者との境界をかき消す。

 数え切れぬほどの「魂」に州作は出会い、請われれば共に暮らした。憶いの主が、魂の在処ありかに気づくまで。

「州作……何なの? どうしてあたしを見つけたの」

「みんな、紫乃女を心配していたんだ」

 春の色に染まる風達が、青海色の袖口で舞う。堀普請で死んだ父と兄弟、殺戮で埋められた祖父と母、眠れぬ魂の叫びが、風をつたい、州作に届いた。

「紫乃女一人だけ、馬が心配で、ここを離れられずにいたから」

 大殺戮の夜――紫乃女は、足軽に斬られながら、馬を逃がそうと蓮華野で息絶えた。

 廃墟を浄化しても、変わることのなかった紅蓮華は、紫乃女の追憶を宿すからだ。

 五年もの間、「魂」の在処ありかを知る由もなく、紫乃女は遺された老馬に寄りそい、紅蓮華の追憶に暮らし続けた。

 だが、

「もう一人きり、居ることはない」

 心細さを覚えたならば、待ちわびた風達が迎えてくれる。

「行こう、一緒に」

 紫乃女の髪をなで、濡れる目元を指先でぬぐい、静かに背中を抱き起こした。

 耳元にそよぐ風音が、炉端を囲んだ懐かしい声となり、紫乃女の周りで誘うように舞う。

 喜びに煌めく風達になでられ、紫乃女はまぶしそうに目を細めた。

「そうなの……? 州作が、そうだったの?」

 紅蓮華が咲く頃になると、いつも木霊達がささやいた噂。


 ――麗し風のみことさまは、たくさんの風を連れて歩きなさっている……。 

 ――風逸様の風になれば、どんな空へも連れて行ってくださる……。


 州作は、はにかんだ微笑だけを返した。

「お願い、州作……抱いて……抱きしめて、一緒に連れていって」

「ああ」

 紫乃女は青海色の袖に包まれ、恋い焦がれた胸に抱き寄せられた。州作のぬくもりに溺れ、一つに溶け合いながら、紫乃女の意識は、永遠にめぐる甘美な夢へと吸われていった。

 光がはじけ、淡い紅色の新しい風が、空虚となった胸元に巻く。

 紫乃女の風を抱きあげ、州作――風逸は蓮華野を見渡した。

 天色の風に吹かれ、清白の蓮華が一面に揺れた。


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