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紅蓮華の追憶 -風逸物語1-  作者: オザキ
紅蓮華の追憶(ぐれんげのついおく)
6/9

紅蓮華の追憶 (6)

 紫乃女は朝からぼんやりしている。昨夜は州作の懐に抱かれ、久しぶりに深く眠ったせいだ。

 州作も気だるいらしく、日が高くなってもまだ横になっている。

 おかげで紫乃女も、起きたり寝転がったり、ゆるんだ時間を過ごしていた。

「ね、今日は、このままでいようか」

 添い寝し、紫乃女がつぶやいた。 

 州作は目を閉じたまま、含み笑いで何も返さない。

 紫乃女は州作の肩にじゃれ、応えを待つが、一向に返る気配がない。焦らされ、体の芯は熱くなる一方である。

 と――州作の胸元に目をやり、紫乃女は顔色を変えた。

「怪我してるの?」

「え」

「血、ついてる」

 襟を押し広げ、現れた胸筋むねに、すぐに顔を赤らめた。

「傷……ない」

 癒えた傷跡だけが重なる。

「兎の血だろ」

 襟を戻しながら州作は笑った。

「うん」

 たくましい胸が目に焼きつき、紫乃女は熱い頬をふとんに隠した。

 小窓から差し込む光がまぶしい……州作は覚めたばかりの眼を細め、えた体をのばして寝返りをうった。

「そろそろ起きるか」

 紫乃女の頬をつつく。

「嫌」

「でも腹へったし」

「じゃ、すぐ用意する」

 紫乃女は衾を這い出し、夜着のまま帯をしめなおすと、囲炉裏の火を起こして土間へと下りた。

 後から起き出した州作が、桶を手に、小屋の下の沢へと向かう。清水で顔を洗い、血の痕を拭って身を浄めると、桶に水を満たして戻った。

 甕に水を足す州作の横で、紫乃女は竈に薪をくべながら、揺らぐ炎をぼんやりと見つめている。

 こんな二人きりの朝が、いつまでも続けば。

 だけど州作は、いずれここから出て行ってしまう。

「州作、いつまで居るの」

 思わず聞いた。

 桶を置いて答えが返る。

「あと少し、居てもいいか」

「どれくらい?」

城下まちを見るまで、かな」

「ふうん……」

 聞き流しながら、心は針につかれて痛む。

 あと少し。その「少し」が過ぎれば、州作は行ってしまう。紫乃女はまた一人。

 どうして行ってしまうの。行かなきゃだめな理由があるの? ここの暮らしよりも大切な暮らし?

「薪割りしてくれるなら、ずっと居てもいいよ」

 冗談めかして願いをつぶやいた。

「いや、遠からずつ。居心地がよくなる前に」

「変なの、気に入ったなら居ればいいのに」

 紫乃女は、かいま見えた心にすがりつく。

 しかし州作は、小さく首を横に振り、

「俺は、安らぎに居とどまれない」

 不思議な言葉をつぶやき、凍える記憶を温めるように、陽だまりを求めて薪割りに出た。



 遅い朝餉の後、州作は紫乃女を連れて、萌緑の山へと踏み入った。

 明るい薮を刈り分け、落ち葉に隠れた山菜や、丸薬を作る木の皮を探す。

黄檗キハダを採るのは、梅雨明けがいい。皮を剥ぎやすいし、よく乾く」

 紫乃女一人でも見分けられるよう、幹に目印を結びつけた。

 山肌を滑るように降り、渓流のほとりで、白い結晶片岩を拾い上げる。炎症に効く薬石だ。辺りには幾つも露岩がのぞいている。石を砕き、市場で売れば、紫乃女の駄賃稼ぎにもなる。

「紫乃女」

 木陰でうつむいている紫乃女を呼んだ。

「どうした」

 州作の声に、紫乃女はハッとして顔を上げる。今日は何一つ、耳に入らない。紫乃女を案じ、山の恵みを伝える州作の言葉を、うつろに聞き流しているだけだった。

 心は、よこしまな想いで満たされるばかり。

 州作をつなぎとめたい。

 永遠に、紫乃女の中に……。

「疲れたなら休んでいいぞ。もう少し、上を見てくる」

 上流を指し、州作が声を投げた。

「大丈夫、あたしも行く」

 紫乃女は叫び返すと、一人きりが怖くて、岩肌から急いで飛び下りる。

 が――足を着いた瞬間、険しい石を踏みはずし、膝から崩れて水辺に転げた。取り乱し、打ち身も忘れて起き上がろうとするが、踏んばる足に力が入らない。

 すぐさま州作が岩場を駆け下りてきた。

「動くな、そのままでいろ」

 紫乃女を楽に座らせ、具合を問う。足をくじいたらしく、くるぶしが痛むという。

 患部に手ぬぐいを巻きつけながら、顔をのぞきこんで語りかける。

小屋うちに戻ろう」

「ん……」

 目を潤ませ、小さくうなずく紫乃女の髪を、州作の指がそっときあげた。

 紫乃女を背負い、積み重なる岩場を踏み下る。

「ごめんね」

 州作の温かい背中に、紫乃女は胸をあずけてつぶやく。

「鹿より軽い」

 優しい声が耳にそよいだ。

 深い渓谷の底では、日差しが早くも翳りをみせる。稜線に湧き立つ雲も、縁に茜色を帯びてきた。

 州作は、水飛沫みずしぶきに洗われる急峻な岩場を、カモシカのように踏み下りていく。まるで風の道を知っているかの様だ。背中に乗る紫乃女は、空を翔けるような感覚にとらわれる。

 風を切る心地よさに、背中でうとうとしかけた時だ。

 州作が、思い出したように紫乃女に告げた。

「明日、城下まちに行ってくる」

「明日?」

 紫乃女は、夢見心地から一気に冷めた。

「ああ、六斎市が立つ。人の噂話も集まるしな」

「……」

「紫乃女も、父御や兄者に会いたいだろ」

「うん」

 堀普請が見たいという州作を、城下に案内する約束だった。つらい作業場には、長く顔を見ぬ父や兄達もいる。だが城下まちを訪ねてしまえば、州作は紫乃女と居るべき理由がなくなる。

「じゃ、明日……」

 心乱れるまま、紫乃女はうつろにつぶやいた。

 その時である。

「……ッ」

 紫乃女の奥で、得体のしれぬ“むし”がうごめいた。

 赤黒い百脚の蟲が、悶え、のたうち回る。不協和音の耳鳴りにまぎれ、《やめろ、やめろ》と、悪夢と同じ声がわめく。

「紫乃女?」

 背中から強くしめつけられ、州作はいぶかしげに足を止めた。

「痛むのか」

「……大丈夫」

 息が浅く荒い。

「水がある、少し休もう」

 岩棚のはざまを縫い、川砂を集める水辺へと下りた。

 平らな石に紫乃女を座らせ、清流にけた手ぬぐいで、熱をおびた足首を冷やす。

「腫れちまったな」

 二、三日は動かせまい。

「明日は俺一人で行く、紫乃女は小屋うちで休んでいろ」

「大丈夫、あたしも行く」

「無理だ、この足じゃ」

 真顔でとがめる州作に、紫乃女は逆に問いかけた。

「ね、次の市日じゃダメなの」

 六斎市は月に六度立つ。少し待てば、紫乃女の足も治る。

 が、

「明日しかない」

 州作はかたくなに返した。

「二十三夜の月を逃せば、また次の月を待たねばならない」

「?」

「明日は月待の夜だ。浄めの祈りに満ち、魑魅魍魎ちみもうりょうの気が衰える」

 不思議な咒文のようにつぶやき、

「人柱の噂が本当なら、疫神の逃げ出す明日がいいだろ」

 などと涼風のように笑いかわした。

 揺るがぬ州作の心に、紫乃女は少し黙りこくった後、

「膝が痛い……」

 かすかに苦しげにつぶやいた。

 裾を腿までまくり、膝をさすって心配を誘う。

「ひねったか」

「わかんない。こっちも変、ってる感じ……」

 紫乃女の指す膝の内側に、州作は手をあて、熱や痛みの具合を確かめる。何処だ、そこじゃない、と、交わし合ううち、いつしか言葉も絶えて、火照ほてる場所だけを繰り返しなぞった。

「いいよ……州作」

 その手をつかみ、腿へと導く。

 想いを探りあうように、瞳の色を見つめ合う。

 指先が、付け根をくすぐり、奥へとすべりこんだような気がした。

 が――。

「……やめよう」

 目をそらし、立ち上がる。

「どうして」

「お前のあだになる」

「どこかに行っちゃうから?」

 州作は答えない。

「急ぐぞ、日が暮れる」

 断ち切るように告げ、

「乗れ」

 と、かがんで背中を向けた。

「いい……もう、一人で歩ける」

「無茶いうな」

 つかみ寄せようとした手を、紫乃女が払いのける。

「ほっといて、歩きたいんだから」

「意地はるんじゃない」

 州作は力づくで背負いあげた。

 無言で歩き出した背中に、紫乃女は回した両腕で強くすがりつく。今が最後なら、精一杯、永遠に忘れないよう、州作のぬくもりを抱きしめていよう。せめて一人きりの夜を越せるだけの、甘美な記憶を刻みつけるために。

「州作」

 すがりついた手に力をこめ、肩につぶやいた。

「あたしも城下まちに行く」

「紫乃女」

「一緒にいきたい……」

 心をつぶし、しぼり出すような願いであった。

「分かった、行こう」

 足取りがゆるみ、優しい声が返った。

 重なり合い、帰路を急ぐ二つの陰影かげを、赤銅あかがね色の夕暮れが追いかける。

 紫乃女は温かい背中に揺られながら、州作に告げた強い願いを、幾度も胸にめぐらせていた。

 一緒にいきたい。

 一緒に生きたい……――。


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