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紅蓮華の追憶 -風逸物語1-  作者: オザキ
紅蓮華の追憶(ぐれんげのついおく)
5/9

紅蓮華の追憶 (5)

 夜という鏡に映された城は、昼とは違う、奇怪な姿をさらけだす。

 九層の天守は骨と鉛のやぐらを築き、生白い壁には塗りこめた屍骸の影がうごめく。城壁は乱世の矢傷や弾痕をとどめ、鋭くそり返る石垣は、異界の“闇”より染み出す穢気ケガレで、邪精や魔どもの巣穴となった。

 堀普請は、眠ることなく続けられている。

 屍魂を焼き、蒼い炎をつらねる篝火。

 深く底しれぬ闇黒の堀は、水ならぬ邪精を満たして横たわる。

 篝火に照らされた足場では、土石を運ぶ人夫の列に、首のない屍骸も混じっている。殺した人柱を掘り起こし、足らぬ人手に充てたのだろう。骨皮だけの人夫の列に、鞭を振るう足軽の「影」は、人ならぬ魔物のおぞましい姿だ。

 忌まわしい光景を見下ろし、青い風が城壁を越えていく。

むごい……)

 胸にたぎる憤りをおさえ、珠飾りをきんと鋭く鳴らして、風逸は曲輪の棟瓦を翔けた。

 蒼い妖気をまとい、九層の天守が夜を突く。邪雲に巻かれた望楼には、凶禍わざわいの因――邪妖に憑かれた城主が伏す。

 天守に張りつく邪精のやからが、蜘蛛の巣を吐いて風逸を阻む。

かえれ!」

 からみつく巣網を一刀に裂き、邪精を浄めて無に帰しながら、一足飛びに天守望楼のいらかへと舞った。

 招かざる客の到来を拒み、地響きが城全体を震わせる。

 地を裂き、壁を破り、どす黒い邪精のとぐろが噴く。太く脈打つ根をのばし、棟や高欄にのたうちながら、たちまち天守を巻きあげていく。

 城に根づいた「城守しろもりの邪妖」である。血色の妖光を帯びた脈根が、盛んに波打ちうごめき回り、穢気にまみれた邪精を吸いあげる。

 風逸は、忌まわしげに舌を打った。

(根が“闇”へとつないだか……)

 邪妖の脈根が、人界の境を破り、異界の“闇”へともぐりこむ。為に、邪妖の根を通り道にして、人界を脅かす穢気の毒が、不浄の“闇”より湧き出している。

 異界の“闇”を人界へと導く、最も忌むべき邪妖の形。

《ここを見抜いたか、風逸》

 城守の邪妖は、青海色の衣を血眼に映すや、おもむろに本態を現した。

《あな憎らしき、うるさき風よ》 

 百足ムカデの頭にいばらの背骨、腐乱した四肢に鉛の鎧をつけ、手には邪骨を磨いた九尺の巨剣。城主の華々しい記憶を喰らい、天晴れ武者ぶりをまねた姿か。

 風逸は天守望楼の鬼瓦に立ち、穢気の毒を風で払いながら、向き合う邪妖に言い放つ。

「去れ。さもなくばあだと散れ」

《分をわきまえぬ下郎めが》

 鎧武者の邪妖は、空を震わせて高笑った。

《神ならぬ身の、卑賤なうぬが、まことの“闇”のあるじにかなうか》

 威嚇の巨剣をなぎ払う。うなる太刀風が瓦を砕き、青海色の衣を幾筋もかすめ、麗しい頬に紅色を引いた。

 風逸は動じるふうもなく、指先で軽く頬をぬぐう。

「誰が事だ、貴様らが唱える『闇主』とは」

 異界の“闇”へと根を張る邪妖が、しきりに奉じる忌まわしき名だ。

 鎧武者の邪妖は、下郎の無知なるさまを嘲笑う。

《知りたくば、我が生き餌となれ。風逸よ、神ならぬ身の愚かな風よ。うぬが弱き身の神名かむなを棄て、その身に余る『風魂かざみたま』を砕いて、まことの“闇”の下僕しもべとなれ》

 呪詛のろいを吐き、邪毒のしたたる牙を寄せた。

れ言はすんだか」

 風逸は、冷めた声音でつき返す。

 前口上は聞きあきた。

「去るか、散るかだ。“風”に答えろ」

 天色の清浄な光が燃え、疾風はやての乱舞を巻きあげて、青海色の衣を強くたなびかせた。

れ者が!》

 怒号と共に、邪気の燃え盛る巨剣をないだ。

 風逸は剣鉈に嵐気を巻き、火柱を裂きながら空へとひるがえる。

 青海色の袖を真面まおもてにかざし、「風」の印を大きく描くと、

いましめよ!」

 珠飾りを鳴らしてうち払った。

 袖に吹きそよぐ銀沙の風紋が、空に解き放たれて結界を編み、邪精のとぐろを縛りあげる――が。

《効かぬわッ》

 鎧の邪妖は怒気を発し、身を震わせて結界縛を引きちぎる。暴れるとぐろが土を剥ぎ、隠れた根元が地上にむき出した。

 根を砕けば致命傷となる。

 風逸の狙いを察し、邪妖は憤怒をとどろかせた。

《こしゃくな風め!》

 根を隠そうと身をよじり、空一面に巨剣を奮う。

 風逸は邪妖のとぐろを翻弄しながら、人界と異界の気脈がよりあう、「気」の境界点を見定めた。

(そこか)

 おぞましく脈打つコブを境に、底深い闇黒へと根が突き刺さる。

 異界の“闇”へとつないだ邪妖は、しかし、脈根を砕くだけでは滅びぬ。根が一毛でも“闇”に残れば、無限に満ちる穢気を餌に、幾度でもよみがえり“闇”を導く。

 ゆえに神火で根こそぎ焼き払い、穢気にまみれた大地をみそぐ――神に等しい「力」が要る。

 風逸は、気を整えて虚空に踏み立ち、剣鉈を天地に祓いたてた。

 まがつやからの因果を見極め、“闇”を導く物実ものざねを断たん。

「我が神名に依り……」

 唱えかけた――時だ。

 背後に凶大な邪気を覚えた。

 虚空をねじ切り、緋色の鉤爪かぎつめが風を裂く。

「――!」

 風逸は剣鉈を引いてひるがえり、風の結界を盾に、大鎌のような鉤爪を避ける。一撃はまぬがれたが、結界を編む風がちぎれ、破片が衣を細かく削いだ。 

 そこへ巨剣が連撃を突く。

 剣鉈でしのぎ、かわしながら天守望楼の甍へと退く――と、獲物を待ちわびた鉤爪が、風逸の行く手を横殴りに裂いた。

 避けきれず「風」の気脈を断たれ、肩を焼く激痛もろとも空に投げ出された。

 疾風に護られ、長屋門の屋根へと逃れる。緋色の鉤爪に裂かれた肉は、邪毒に焼かれ、蒼黒い壊死の色を帯びている。風逸は剣鉈を傷に押しあて、染みこんだ邪毒を浄化しながら、天守望楼の空を仰ぎ見た。

(二体……?)

 鎧の邪妖の背後に、もう一体、別の思念の影が張りついている。

 邪雲に映しだされた緋色の影は、一対の巨大な鎌手と、九十九対の鉤爪を持つ大百足ムカデである。

《手ヲコマネクナ、卑シキ下僕シモベヨ。今コソ憎キ風ヲ葬リ、マコトノ“闇”ノ御座所ヲ築ケ――》

 、と、乾いた笑いを残し、大百足をかたどる思念の影は、妖火に照らされた夜を走り、邪雲の渦へと姿をくらました。

 風逸はハッとして、地護神が語っていた、城守の邪妖の甘言を思い出す。


――我が忠実な下僕しもべとなり、まことの“闇”の御座所を築け。されば永遠不滅の現身うつしみを授けん――


 援護に現れた大百足こそ、城守の邪妖の本態だ。鎧の邪妖は、根を分けた忠実な下僕にすぎぬ。

 見極めの甘さを悔やむ間もない。

《何処を見ている、風逸》

 傷ついた「風」の結界を砕き、九尺の刃が風逸の正面に押し入った。

「――ッ」

 わずか八寸の刃で、邪気の燃え盛る巨剣を防ぐ。邪毒を吸って疲弊した体は、しのぎ合う力に捕われて動けない。しかし逃れようと剣鉈を引けば、鎧の邪妖の剛力が、風逸を薪のように割るだろう。

《弱い――弱いわ……!》

 あざ笑い、剣にしがみつく“羽虫”を払った。

 風逸は背中から石垣に叩きつけられ、砕け散る衝撃にもてあそばれる。

 無防備をさらした体を、鎧の邪妖は見逃さない。

にえとなれ》

 邪精の結晶を研ぎ、封殺のくさびとなして射放った。

 血潮。

 楔が腕、腿、肩を貫き、四肢を封じてはりつけにする。

「……ァ」

 あふれ出る鮮血が、石垣を真紅に塗りあげた。

 血の香りを嗅ぎ、邪精のやからが陰より沸き出す。高貴な餌ににじり寄り、美味なる血をなめ、麗しい肉にしゃぶりつく。

《逆らえまい、風逸》

 惨酷な運命を嘲笑う。

《我が生き餌となり、共に闇主の御下みもとに仕えよ》

 丸ごと胎内に飲みこもうと、腹まで口開き、餓えた絨毛を剥きだした。

 風逸は四肢を楔に封じられたまま、力弱き指先で「風」の印を描く。

「……くすしきむすびの……神魂みたまに依り……て……」

 あえぐ息の中で唱えた。

出座いでませ、“風”よ……――!」

 召喚に応じ、五大気輪「風」の神威が、風逸に依坐よりまし解き放たれる。

 まばゆい銀鱗の光輝をはらみ、神気の嵐が四方を天翔ける。浄めの大風に煽られ、しろがねの神火が地上をなめた。

《ぐ……ぬぅッ》

 鎧の邪妖は、とぐろを溶かされ、脈根を焼かれ、青くただれて崩れ落ちる。

 封殺の楔が砕け、風逸は石垣を転げ落ちていく。青い風達が駆けつけ、力なき体を受け止めると、中庭の磐座いわくらへと投げ渡した。

 鎧の邪妖は焼かれた根を修復しようと、堀に隠れ、邪精をむさぼり喰っている。ちぎれた根元には、新しい肉芽が生え、醜くおぞましくうごめいている。

 根がよみがえれば、邪妖は息を吹き返す。

(させる……か……)

 気の遠くなるような激痛に突かれ、幾筋もの鮮血を引きずりながら、風逸は磐座の頂きへと這った。

 紅色に浸る指先で、岩面いわもに五大気輪「地」の印を描く。

「汝の力……我が血にあがなわしめよ……――」

 貴い血を磐座に捧げ、あまねく大地に加護を請うた。

 百億の夜を刻む磐座が、犠牲に応じ、大地に眠る記憶を呼び覚ます。

 地脈に咲く「地」の結晶華が、剣峰を突き立ててうねり、岩を砕き邪精を引きちぎる。鎧の邪妖は、かけらも残さずすりつぶされ、幾つもの断末魔を夜天へととどろかせた。

 力尽き、風逸は自らの血海にうずくまる。五大気輪の召喚は、依坐よります肉体を激しく損ない、貴い血の代償を強いる。

《風……逸……ァッ》

 鎧の邪妖が、溶け落ちる牙で食らいつく。

 今度こそ、あと一かきで、苦悶にあえぐ喉を噛みちぎる――邪妖の狂喜を、しかし、吹きすさぶ風が打ち砕いた。

 青い風達が馳せ、風逸を包んで彼方へと連れ去る。

 歯ぎしり、呪詛のろいを唱える間もない。鎧の邪妖は、怒る疾風に塵と砕かれ、虚無の闇へと吹き消されていった。



 はるか奥山の聖泉のほとりに、投げ出だされるようにたどりついた。

 深い傷口から流れる血を、水辺に転げ洗い落とす。邪毒が潜りこんだ傷は、餌となるため血が止まらない。清水で禊ぎ、早く血肉を浄化しなければ。

 だが流れる血が多すぎた。

 寒さを覚え、力を奪われ、意識が底知れぬ闇へと沈んでいく。

 死ねない……俺は、どうあっても生きねばならない。『風魂かざみたま』を宿した体で、宿業転生の理が尽きるまで……――。

 風達が不安そうに風逸をなで、救いを求めて風笛を奏で、水面にさざ波をたてて舞った。 

 と――。

「風逸殿」

 聖泉を護る女神が、山葡萄とよもぎをたずさえ、血塗れた水辺に歩み寄る。

「すまない……貴女の〈庭〉を汚した……」

 血色に身を浸し、うつろに見上げながら詫びた。

「いいえ、力弱き地護神われらの代わりに、また貴方様に血をあがなわせた。人ならぬ地護神われらにできることは、〈庭〉に貴方様をかくまうことのみ」

 聖泉の女神は、山葡萄とよもぎで血止めを施すと、水辺に指先をひたして唱えた。

「わらわが眷属よ、母なる水宮となり、貴き御方の神魂みたまを癒やせ」

 水柱が踊り、聖水を編み、繭のごとき水宮をして、傷つきうずくまる風逸を包む。

 聖水が、血肉にもぐりこんだ邪毒を浄化し、傷つき疲弊した気脈を癒やす。風逸は水宮に身をゆだね、つかの間の安らぎに埋もれて眠った。

「わらわの〈庭〉は霊峰の裾ゆえ、いかな魔どもも踏み入れぬ。気が癒えるまで、わらわが揺り籠で休まれよ」

 聖泉の女神は水宮にささやくと、乳霧の結界で〈庭〉を閉ざした。


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