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紅蓮華の追憶 -風逸物語1-  作者: オザキ
紅蓮華の追憶(ぐれんげのついおく)
3/9

紅蓮華の追憶 (3)

 二夜、三夜と日を重ねるうちに、州作はすっかり紫乃女との暮らしになじんでいた。

 この日は紫乃女の駄賃稼ぎで、州作が老馬の手綱をとり、朝東風あさごちたなびく谷を越える。

 木もれ日の重なる山道で、紫乃女がスミレを見つけると、州作は、風恋うる花の唄を口ずさんだ。春の遅い故郷・須田村で、陽だまりに揺れるスミレの唄だと、懐かしげに、どこか寂しげに微笑わらった。

 谷越えの道の途中には、五年前、殺戮に血塗られた“阿鼻集落”があった。

 この先は嫌いな道だ……――紫乃女は州作の背中に隠れ、顔を伏せて注連縄しめなわをくぐりぬけた。

 老馬は州作に引かれ、おびえる風もなく廃虚を過ぎる。

 崩れた荒屋が道なりに並び、日当たりの良い道ばたには、ハハコグサが小さな黄金こがねの粒を散らす。路地は漏れさす光であふれ、破れた壁をつる草が飾り、なよ風に触れて若葉が揺れる。

 朝霧に洗われたばかりの廃虚は、澄んだ清涼の気で満ちている。

 紫乃女は、道の真ん中で足を止めた。

「何か変……」

「どうした」

 歩をゆるめ、州作が振り返る。

「前と違う。うじゃうじゃいた奴、いない……どうして」

「盗賊でも隠れていたのか」

「ううん、もっと嫌な奴ら。あたしを引きずりこもうとしてた」

 陰影かげにうごめいていた邪精のやからが、残らずかき消されている。ねっとりとからみつく邪悪な気配も感じない。

 紫乃女は思い出したように路地へと踏み入る。

 かたむいた軒をくぐり、紫の花咲くアケビのつるをかき分けて、裏手の荒屋の戸口にたどり着いた。

 屋根の落ちた青天井から、澄みわたる陽光ひかりがふりそそぐ。黒くこびりついた血の痕は消え、なぎ倒された戸板の上を、若いつる草が柔らかく覆う。

 土間に入ると、陽だまりにほこりが舞い踊った。

 囲炉裏に転がる、かすりをまとった白骨の枝を、名も知らぬ白い花々が飾る。まるで墓標に手向ける香華のようだ――紫乃女は陽だまりを背に、炉端の前でぼんやりとたたずんだ。

 静かに見守っていた州作が、紫乃女の隣に歩み寄り、膝を下ろして片合掌を捧げる。隣で紫乃女も、そっと手を合わせた。

「戻ろう」

 州作の声にうながされ、紫乃女は、囲炉裏を振り返りながら荒屋を後にした。

 通りに戻ると、馬がいない。

 固くつないだのに、と、あわてて周りを見渡すと、裏手に広がる田圃たんぼの跡で、あぜの草をむ背中が見えた。

 老馬に走り寄り、手綱をつかんで、州作はほっと胸をなでおろす。

 後を追ってきた紫乃女が、田圃の手前ではたと立ち止まった。

 燃えさかるような一面の花野。

紅蓮華ぐれんげ……」

 血色を吸い、紅緋色の蓮華が波を打つ。

「ここだけは変わらないんだ」

 染みついた殺戮の記憶を禊ぎ、清浄の気に満たしてもなお、廃虚まわりでは血色の蓮華野が花揺らす。

 紫乃女は紅蓮華の波間に足を入れ、漕いで渡るように踏み分けた。

「血が染みついちゃったのかな」

 ため息まじりに独りごつ。

おもい――だろうな」

 州作が、紫乃女の後ろで言葉を返した。

「オモイ?」

「強い憶いが宿り、この地をいろどり続けている」

 風が馳せ、蓮華野を燎原のように燃え上がらせた。

 州作と紫乃女は、紅蓮華の炎に包まれながら、さざめく草音に耳をすます。

「大切なものがあったんだろう。遺していけないような」

「……」

「強くて優しい憶いだ」

「うん」

 紫乃女の胸が熱くなる。 

 州作の言葉は、春の陽のように暖かく優しい。

 木もれ日に抱かれるスミレのように、州作のぬくもりに埋もれたい――蓮華野を後にする背中を追い、袖をつかもうと手をのばした。

 その時である。

 蓮華野がいっせいに騒ぎ立てた。

 妖気が地走り、空気が怖気おぞけだつ。

 凶風がすさび、吹き千切られた花々の間で、泥のような蒼黒の影が牙をむいた。

 紫乃女は粘りつく影に腕をつかまれ、悲鳴ごと蓮華野に引き倒される。

 蒼黒の影は、前脚で捕えた紫乃女を埋めようと、後脚で蓮華野を掘り返す。

「紫乃女ッ」

 州作が剣鉈を抜きざまに、紫乃女にからみつく影をぐ。しろがねの閃光に触れるや、蒼黒の影は金切り声を残し、形を失い霧と散った。

(残っていたか)

 低く舌打ち、州作は剣鉈を鞘に戻す。

 茫然自失したままの紫乃女を、膝に抱き起こし、竹筒の水と香草を含ませた。

「怪我、ないか」

「ん……平気」

 声は気丈をふるまうが、州作の腕にすがりつく手は、恐怖に侵され石のように固まっている。州作は紫乃女の肩をさすり、こわばる体を解きほぐしながら、土にまみれた裾をはらった。

 紫乃女は州作の腕を支えに、おぼつかぬ膝で立ち上がる。

「見た? 今の奴……あいつらだ」

「ああ、まだ隠れているかもしれん。しばらく蓮華野には近づくな」

「大丈夫、州作がいるし」

 つい口走り、頬を赤らめる。

「いいよね……ずっと、あたしを守って」

 ねだる声には、このまま一緒に、との願いがこもる。

 州作は何も答えず、ただ紫乃女の腰を強く抱き、思案の吐息を深くついた。

 再び馬を引き、二人は足早に廃虚を後にする。

 州作の背中を追いながら、紫乃女は、ふと手のひらに違和感を覚えた。 

 小指の付け根に、針先ほどの噛み傷があった。が、痛みも出血もない。まぁいいや、と、紫乃女は小さな傷跡を吸った。



 思えば、その日の夜からであった。

 浅い夢の底で、黒くよどむ何ものかが、しきりに紫乃女の意識に命じる。

《殺せ――》

 誰を?

《うぬが隣に、うかつにも眠っておろうが――》

 州作? どうして?

《うぬは我が下僕。ただ我に従い、そこな男をればよい――》

 どす黒いよどみは、日ごとに紫乃女の奥底で、悶え、うごめき、百足ムカデのごとく育ち続けた。

 夢の中で紫乃女が拒むと、赤黒い百足は腹を食い破り、外に這い出して州作をしめ殺す。

 うなされ、悪夢から目覚めると、紫乃女の両手が州作の首に触れている。

(もう嫌……)

 今夜は眠ることすら怖く、州作の枕元に座り込み、長く不安な夜に脅えていた。

「紫乃女……」

 州作はぼんやりと眠りから覚め、暗闇の中で紫乃女の輪郭を見上げる。

「眠れないのか」

「ううん……大丈夫」

 涙声だけがこぼれ落ちる。

 州作は紫乃女の方に寝返りをうった。

「まだ夜が寒いな」

「ん……」

 寒さがほのめかす意味を悟り、ためらわず州作の懐にもぐりこんだ。

 悪夢から護るように、州作の腕が紫乃女をかき寄せる。

 温かい……春の陽だまりに抱かれるように。紫乃女の胸に灯る、州作へのよこしまな情、つなぎ留めようとする身勝手な想い。それすら溶かして消してしまうほど、熱く優しく、甘美な――。

 気の遠くなるような至福に溺れ、紫乃女は深い眠りについた。


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