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紅蓮華の追憶 -風逸物語1-  作者: オザキ
紅蓮華の追憶(ぐれんげのついおく)
2/9

紅蓮華の追憶 (2)

 野兎は、州作がさばいてくれた。臓腑と毛皮の分け方もうまい。山菜や薬草にもくわしく、木の芽と乾した香草とで、臭い肉を極上の珍味に焼きあげた。

 温もる炉ばたで、紫乃女は久しぶりに鍋を囲む。味のうすい雑炊を分けあい、あぶられた肉を頬ばりながら、狩や旅の話を州作にせがんだ。

 夕餉の後は、囲炉裏を灯りに、御城に納める縄をなう。

 御城では十年も前から、大がかりな堀普請が続いている。縄は、国中から狩り集められた人足達が、土や石を運び出すかごに使う。人手を出せない百姓家は、縄をない、かごを編んだ。

 紫乃女の縄ないを手伝いながら、州作は暗い小屋の中を見渡した。

 みのもござも一枚きり。しん張り棒を立てた戸口には、出入りの人影の気配もない。

「一人か」

「うん」

 親兄弟は、と、問われる前に、

「みんな、お堀の普請しごとに連れて行かれた。ここにはあたしだけ」

 声を落として打ち明ける。

「州作は」

「俺も一人だ。もうずっと……“あの冬”以来」

 吹雪におびえ、凍えるような声でつぶやいた。 

 紫乃女は「一人」の言葉に気を取られ、州作の表情には気づかない。

 炉火の照りかえしに頬を染め、火箸で炭を寄せながら問うた。

「急ぐ旅なの?」

「いや、別に」

 行き先はない。草木を採り、獣を狩り、日銭を得ながら今日をつなぐ。その繰り返しだ。

「じゃあ、山のこと教えて。あたし、もっと一人で生きなきゃならない。かてが欲しいの」

「ああ、いいよ」

 流れ者にとって、屋根のある暮らしはありがたい。居候の間は、薪割りでも野良仕事でも存分に使ってくれ、と、笑った。

 快い返事が、かえって紫乃女の体を熱くする。引きとどめた心をじ、紫乃女は縄ないの手を急がせた。

 と、

「俺も頼みがある」

 州作は縄を腿に置き、向き直って切り出した。

「市立ての日でいい、城下まちを案内してくれ」

「それだけ?」

「堀普請が見たい」

「もの好きだね、気味悪い“噂”しかないのに」

 堀には杭の代わりに人柱を立て、石垣には目を開けたままの生首が埋められているという。病臥の御殿様の平癒を祈願し、疫神の出入りを見張るためだ、と、町人達は肩をすぼめて噂する。

「いいよ、一緒に行ってあげる。あたしも父さん達に会いたいし」

 堀普請の現場には、人足狩に引き立てられたきり、家に戻らぬ父や兄達がいる。怖い足軽が見張っているから、つきそって、と、条件をつけた。

 やがて夜も更け、交わす言葉も絶えた頃。

 紫乃女は炭火を灰に埋め、せまい炉端で寝床を分ける。ふとんと枕を譲ろうとすると、州作は「転寝ごろねでいい」と足をのばし、腕を枕にして横になった。 

 男と女が囲炉裏をはさみ、背中合わせに夜を越す。

 州作の安らいだ寝息を聞きながら、紫乃女は眠れぬ時間をやり過ごす。

 体がじんとしびれ、目が冴えて寝つけない。寝入りばなに、背中に寄りそう浅い夢を見ては、醒めるたびに夢と知り、夢の続きをと目を閉じる。

 夢うつつを繰り返しているうちに、ふと甘美な風になでられ、紫乃女はようやく眠りに落ちた。



 かつて村だったその場所は、“阿鼻集落”と呼ばれるようになった。

 阿鼻叫喚の大殺戮が、一夜のうちに、村を血塗れた廃墟と化した。

 


 働き盛りの男達は、ほとんど堀普請にかり立てられ、牛馬のあつかいを受けながら死んだ。

 枯れた老人と女子供だけが、村に残され、痩せた田圃たんぼを耕し続けていた。

 蓮華れんげの花咲く、田起こしの頃。

 人足狩りの足軽衆が、村を訪れ、稼ぎ手を出せと刀で命じた。

 村の長老が、先頭に立って徴集を拒む。

 ――働ける男はいない

 ――では女を出せ

 ――乳飲み子を抱えている

 ――棄てよ

 ――それでは村が滅ぶ

 押し問答の果て。

 ――ならば、死ね。せめてお堀の礎石いしずえとなり、御家のために奉公せよ

 その夜。

 押し寄せた足軽衆に、村人は残らず首斬られ、屍骸を田圃に敷きつめた。春がめぐるたびに咲く紅蓮華は、今も村人達の血を吸う色だ。

 非業の死をとげた魂は、無念に囚われて屍骸に宿り、不浄にまみれて『屍魂しこん』と化した。

 阿鼻叫喚の夜から五年――。

 屍骸が朽ち、つる草が荒屋をのみこんだ後も、屍魂は殺戮の記憶に宿り、夜ごと慟哭こえをあげさまよい続けていた。

 谷間に満ちる慟哭は、屍魂を餌とする邪妖を集める。

 『邪妖』とは、人世の邪念を喰らった邪精が、こり固まって形態かたちを得たもの。ゆえに強い怨念をはらんだ屍魂は、邪妖を肥らす極上の餌となる。

 餌を争う邪妖の怒声と、喰われる屍魂の悲鳴とが、闇夜のるつぼに響きあう。餌が尽きれば互いを喰らう。さらに物怪や悪霊のたぐいが、重くよどんだ妖気に誘われ、異界の裂け目よりにじみ出す。

 廃墟は夜ごと、不浄のやからの溜まり場となり、狂騒の宴をくり広げていた。

 と――。

 ひょう、と、梢に風が鳴る。

 何処より現われいでたのか。

 天色あまいろにたなびく清らかな光が、闇黒によどむ廃墟に舞い降りた。

 「人」である。

 豊かな黒髪を風にからませ、素足で瓦礫を踏み歩く。風貌は香りたつ青葉のごとく、四肢は鍛えられし玉鋼のごとく、若く凛々しく、麗しい。

 身にまとう装束は、さらに人界のものにあらず――青海色の狩衣かりぎぬは瑠璃の光彩を織り、広い袖や身ごろには、銀沙の風紋を千変万化に吹き流す。白練りの単衣ひとえに、白八ツ藤の紫苑の指貫袴さしぬき。肩には青紗の風衣かざぎぬを重ね、胸と袖露の珠飾りには、五大気輪「風」の印をかたどる。

 青海色の衣の主は、足や裾がすれるのもかまわず、尖った瓦礫のはざまに分け入る。袖が大きくなびくたび、りん、と、珠飾りが玻璃のを奏で、群がる魔どもの咆哮をしずめた。

 招かざる者を噛みちぎろうと、邪妖が威嚇の牙をむく。しかし天色にたなびく光に触れるや、邪妖は清浄の気を浴びて、邪精を失い微塵みじんに砕けてかき消えた。

 強い神気に畏れをなして、邪妖や魔どもは陰に尻ごみ、歯ぎしり、うなり、地べたにうごめく。

 天色にたなびく光に護られ、青海色の衣の主は、殺戮の記憶を塗りつけたままの、崩れた荒屋へと踏み入った。

 やぶれた戸板に、黒く腐蝕した血の痕が、かきむしる指先を写している。

 かたわらにはかすりの切れはしをまとい、朽ちて砕けた白骨の残余。

 青海色の衣の主は、屍骸の前に膝を下ろし、両の手のひらをさしのべる。

「いいんだ、お休み……」

 蒼く震える屍魂に語らい、あふれる天色の光をうつした。

 するや――。

 安寧の光が屍骸を包み、闇をおしのけて花ひらく。屍魂は清浄の光の波間に洗われ、不浄の業から解き放たれて、煌めくひとそよぎの「風」と化す。

 柔らかな光彩いろの風がそよぎ、荒屋は春色のあかりに満ちた。

 青海色の衣の主は、路地の荒屋を渡りながら、さまよえる屍魂を「風」へと浄化する。生まれたばかりの風達は、懐かしい日々の彩りに輝き、嬉しそうにくるくると舞った。

 と――その時である。

 おぞましいうめきと怒号とが鳴り、夜気を震わせ、木々の葉を散らす。

《我が宴を邪魔するは誰ぞ》

 あぶく立つ邪精のよどみに沸き、廃虚に粘りつく巨大な陰影。

 穢れ場に根づいた「巣守すもりの邪妖」である。意思を宿して凶大化し、下郎の邪妖や魔どもを使わしめ、人心を惑わし凶禍わざわいをもたらす。

《去れ、卑小な蛆神ウジガミめ。それとも我が肥やしとなるか》

 邪精のとぐろを路地に波打たせ、羽虫を焼き払うごとく、黒くただれる火息でないだ。

 青海色の衣の主は、しかし裾を焦がすこともなく、袖をひるがえして猛火を散らす。

 巣守の邪妖は憎々しげに身をよじり、

《そのしたり顔、気に食わぬ》

 どす黒い邪精のしたたる爪を、青海色の衣の主の、みずみずしい頬に突きつけた。

 青海色の衣の主は、冴えた黒曜石のような眼で、身じろぎもせず言いはなつ。

かえれ、貴様のむべき闇に」

《笑止。我は、人の邪念に応じたまで》

 邪妖は屍魂をしゃぶりながら、人の世が生んだ闇を嘲笑あざわらう。

 が、

「それは貴様の声、巣穴にこもるこだまにすぎない」

 澄んだ声音が、邪妖の高揚に水をさした。

《うぬれ、我を愚弄するか》

 わしづかんだ屍魂を喰らい、慟哭もろとも呑みこむと、胎内に邪精をみなぎらせた。するや黒光る鱗は九重の鎧となり、九対の脚は鉤爪をうねらす。蜘蛛とも百足ムカデともつかぬ、巣守の邪妖の本態である。

《我が生餌となれ》

 大あごを裂き、牙を剥いて喰らいついた。

 ひるがえる袖を爪が裂き、白練りの単衣をかすかな血色に染める。

 青海色の衣の主は、風を巻いて虚空へと馳せ、木々を渡り岩峰を翔けた。

 千年杉が尾根にそびえ、十六夜の月をかかげている。

 月明かりを吸い、杉の葉に結んだ夜露を、手のひらにすくって一握り集めた。

「請う、汝らの力を」

 夜露に「風」の気を吹きこみ、足下に追いすがる邪妖へとまいた。

 月の神気と千年の霊気を含んだ雫が、青海色の衣の主の、清浄な「風」の気に感応する。するや萌芽の歓喜がみなぎり、はじけ、白銀色に輝く杉の針葉を生い茂らせた。

 針葉の鋭い光輝が、虚空にあふれる邪精を射き、邪妖の鎧を砕き割る。

《こしゃくな真似を……ッ》

 邪体を削られ、どす黒い憤怒を傷口に噴きながら、邪妖は漆黒の谷間へと退いた。

 巣穴にひそみ、闇にうごめく邪精を喰らい、崩れた体の修復を急ぐ。その周りに、太く脈打つ「根」が見えた。

 地に張りめぐらせた邪妖の根は、不浄の気を吸い、邪妖を肥らす。ゆえに気脈の根を断てば、邪妖は気が涸れてたやすく滅びる。

 青海色の衣の主は、木々の梢を馳せ渡り、邪妖が隠れた谷へと舞う。

 虚空に「風」のしるしを描き、両の手に天地を包みこむと、

「我が神名かむなに依りて――浄めよ、まがつやからをかえらしめよ」

 神咒を唱え、手のひらで風門を開け放った。

 清浄の嵐気が地上へと降り、天色に輝く波がしらを立てて、谷間を根こそぎなでさらう。

 すさまじい浄化の気を浴びて、邪精は煌めく塵と浄められ、魔どもは本性を焼かれて灰と散る。地にこびりついた穢れは祓われ、屍魂は悲業から解き放たれて、あまたの新しい風を巻き上げた。

 巣守の邪妖は、地にめぐらせた脈根を砕かれ、根元から石化し崩れ落ちていく。

《この風……この……神ならぬ、人ならぬ力……》

 亀裂の中で身悶え、うめいた。

《うぬか、『風魂かざみたま』の宿主――》

 憎悪と共にその名を吐く。 

《おのれッ……風逸かざはやァっ》

 残る邪精を奮い、身をよじりながら喰らいついた。

 するや天色の光がほむら立ち、青海色の衣の主を護るべく、疾風はやての矢となり邪精を射ぬいて雲と散らす。

 邪妖はなおも負け惜しみを灯し、細く揺らぎながらつぶやいた。

《浅はかよの……風逸かざはや。うぬが弱き身で、人界の守護に耐えられるか……》

 あざ笑う声が崩れ落ちる。

《神ならぬ身の苦業を負え……愚かなる風の主よ――風逸よ……――》

 最後のつぶやきも虚空に溶けた。

 根こそぎ浄化を受けた邪妖は、虚無の塵へと砕け散り、吹きそよぐ風に吸われて消えた。

 青海色の衣の主――風逸かざはやは、乾いたため息を小さくつき、見すえた“闇”に言い渡す。

「人のなりわいは、人が導く。神でも、まして貴様らでもない」

 衣をっとひるがえし、不浄を祓った廃墟に舞い降りた。

 梁の崩れた荒屋では、途方に暮れた風達が、寂しそうに塵を巻いている。破れた屋根の下には、炭を焚く炉端も、懐かしい生業なりわいの跡もない。

 風逸は、しょげて吹きだまる風達に、かぎりなく優しい微笑みを向けた。

「おいで。ここは寒すぎる」

 手をさしのべて袖に抱き寄せた。

「行こう、一緒に」

 ささやくと、風達は喜びに舞い踊り、風逸の肩を愛おしげになでた。

 風逸は袖に風達を遊ばせながら、肩に重ねた青紗の風衣を、指先にからめて空へと放つ。

 風衣はほどけて「風」に還り、薫りたつ清明の気で谷間を満たす。二十四節気が歳月をめぐらせ、廃墟は止めていた息を吹き返し、久しい春の萌芽に煌めいた。

 ――ひょう、と、梢に風が鳴る。

 青海色の衣をたなびかせ、一陣の青い風が、森を揺らして尾根へと翔けた。

 木々のさざめきが遠ざかると、谷は静寂を敷いて眠りにつく。

 銀の夜露をちりばめた草野に、杉の梢の十六夜月が、乳色の灯影を降りそそいでいた。


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