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紅蓮華の追憶 -風逸物語1-  作者: オザキ
紅蓮華の追憶(ぐれんげのついおく)
1/9

紅蓮華の追憶 (1)

 この道は嫌いだ。

 廃墟に殺戮の記憶をぬりつけ、五年前から息を止めている。

 敏感な馬は“阿鼻あび集落”の境を前に、邪妖の吐息をたてがみに覚え、歩を乱して逃げ出そうとする。

 そのたびに娘は、手綱をわきに強くしめ、老いた相棒の首をなだめた。

 廃墟やケガレ場には、魔どもが巣くう。

 土や石に染みついた血痕が、邪精を生じる苗床となり、それを餌とするモノノ怪や悪霊が、ケガレ場を巣として棲みつくからからだ。

 やがて邪精はこり固まって、人の世の邪念や怨恨を喰らい、『邪妖』と呼ばれる魔どもと化す。飢饉、厄災、殺戮、乱世――あらゆる凶禍わざわいの種が、邪妖を根として人界にまき散らされている。 

 村境の注連縄をくぐり、娘と老馬は、妖気のただよう廃墟を過ぎた。

 陰にまぎれた邪精のやからが、足をなめるようにからみつく。恐怖で心が折れたらダメだ。邪精は人の念にく。人を邪念の(とりこ)にする。

 廃墟まわりの荒れ野には、おぼろに春がめぐるたび、真紅の蓮華(れんげ)が一面に咲いた。

 血色に透ける花びらは、殺され、埋められた村人達の血を吸うからだ。首なき屍骸(しがい)が、紅蓮華(ぐれんげ)の根元にしきつめられている。

 ざわめき立つものを足元に覚え、娘は、老馬をせかして小走りに逃げた。

 紅蓮華に宿る屍骸の記憶が、娘の魂をからめとり、土の中へと引きずりこもうとする。

 だから、嫌いだ。この村を通り過ぎるのは。

 と――。

 ひん、と、老馬が高く鳴いた。

 恐怖に鞭打たれ、あわを吹きひづめを蹴りあげる。

 老馬は蓮華野をふみ散らし、村境をこえ、峡谷の道へと猛然と駆けた。

 娘は手綱ごと、けわしい山道を引きずられていく。離すわけにはいかない。馬は宝だ。駄賃だちん稼ぎも、貧しい野良仕事も、娘が生きるために担ってくれる。

(お願い、止まって)

 峡谷の道の片側は、鋭くささくれた鮫肌の断崖。足をふみはずせば、娘は老馬共々、岩壁に肉をがれ、骨を砕かれ、哀れな肉塊を谷底に投げ落とすことになる。

 老馬のひづめが、崖のへりをふみ砕いた――時である。

 ひょう、と、風が岩峰に鳴る。

 青い風が馳せ、老馬の鼻先に吹きすさぶ。

 すると老馬は、毒気をぬかれたように気を静め、転落を避けてふみとどまった。

 娘は安堵のため息をつき、崖から離れた木陰へと、疲れた老馬を歩かせる。

 つむじ風など、この山道では初めてだ。狐のいたずらか、それとも山の神の助け舟なのか。

 春の風が、萌緑色の木もれ日を吸い、清明の気をはらんで吹きそよぐ。

(鈴……?)

 りん、と、涼やかな玻璃のが、こずえのかなたに飛び去った。

 アカゲラの聞き違いか、と、笑い、娘は昼下がりの山道を下っていった。

 

 

 山と川との街道が、谷の出口で一つに交わり、たばねられて城下へと続く。

 人も、物も、木の葉のように流れこむ辻では、茶屋と旅籠が軒をならべ、日に焼けたはたをたなびかせていた。

 春の気が陽炎だつ午後。

 若者が一人、茶屋の軒先で菅笠を脱いだ。

 年齢は二十歳くらいか。瞳は澄んで優しく、凛として端整なおもざしには、まだ少年のあどけなさを残す。笹色の衣にカモシカの着皮キガワ、野袴に毛皮の足袋をはき、腰には刃渡り八寸の両刃の剣鉈なた。身の丈高く腰がひきしまり、山人か猟師のいで立ちで、柴と野兎を背中にかつぐ。

 市場で日銭に替える道すがら、渇きを覚え、茶屋に立ち寄った次第である。

 のれんの奥に声をかけると、昼寝から起きた女房が、薪割りの亭主に代わって顔を出した。若い客を前に、乱れたびんをなおし、媚びを売る笑みで隠れた縁台へと案内する。

 脱いだ背荷を足もとに置き、茶ときび餅を注文すると、若者はようやく腰をおろした。

 日陰にそよぐ風が涼しい。

 壁に背をあずけ、大きく息をついて、歩きづくめの体から力をぬいた。

 と、

「よぉ、山の若いの」

 昼間から酔いつぶれた先客が、のれんの奥からよろめき出す。

「一人じゃ酒がすすまねえ、何かの縁だ、呑もうぜ兄弟ぇ」

 ぐにゃりと肩にのしかかり、タコのような顔でねばりつきながら、若者の鼻先に盃を突きつけた。

「いや、真ッ昼間からは……」

「かたぇこというなや、放っといても御天道様は沈むんでぇ」

「勘弁してくれ、こちとら三杯と持たないんだ」

益荒男ますらおが、酒ごときに負けてんじゃねえ。まず呑め、呑んで“男”をきたえろ」

「……」 

 若者は困惑の表情をそむけ、縁台で腰をずらしながら、男の酒臭い息から逃れる。茶はまだか、と、店の奥をのぞきこむが、足音ひとつ聞こえてこない。

 男は悪酔いの度を増して、「呑め、呑まねえとこうだ」とわめき、壁を殴りすだれを引きちぎる。

 やむをえまいと観念し、ほんの一口を頂戴した。

 若者の記憶は、そこで途切れた。



 午後の陽も山のに隠れ、夕影が、足もとに吹きだまる風を冷やす。

 茶屋の亭主が揺り起こすまで、若者は壁に背もたれたまま、重苦しい眠りの底にあった。

 気だるい寝覚めの中、とぎれた記憶をたぐり寄せる。と、酒一口を思い出し、ハッと我に返った。

 まさか、と、懐を探る。案の定、銀子を貯めた財布がない。あわてて腰をたしかめる。剣鉈なたは――大丈夫、盗られていない。

 呑んだ酒に、眠り薬が盛られていたのだろう。

 こうべを垂れてため息をつき、後の祭りのおのれを恨んだ。

 そこへ、

「お客さん、お勘定」

 非情の声。

 若者はきょとんとして、亭主の手のひらを見つめ返す。たしかに茶と餅を注文したが、運ばれてきたことも、口にした覚えもなく、日が落ちるまで眠りこんでいた。

 酔っぱらいを装った客に、薬を盛られ、財布を盗られたと訴える――が。

「無一文、だと」

 亭主は態度を一変、

「食い逃げの言い訳たぁ、たいした度胸じゃねえかよ、おい」

 乱暴に吐きつけ、若者の胸ぐらをつかみよせた。

「客を泥棒呼ばわりして、しらを切る魂胆か。さてはてめえ、街道荒らしの盗賊か」

 言いがかりをまくし立てられ、若者はあっさり押し切られてしまう。

「分かった、金は払う。この柴を売れば……」

「うちの茶は、御用達と同じモノなんでぇ。四百文だ、四百文。てめえの棒きれとは違うんじゃい」

 ここぞとばかり法外な値段をふっかけた。

「さあ払え、払えねえなら、今すぐ御同心様に突き出してやる」

 亭主の声を合図に、奥から出てきたごろつきが、とまどう若者をはがいじめにする。

 と、そこへ。

「あ、兄さん、久しぶり」

 通りがかりの駄賃稼ぎが、若者を指して声をかけた。

 娘は老馬を店先に待たせ、こぜりあいに割って入るや、若者をごろつきから引きはがす。

 事の次第を聞き出すと、

「もーう、また盗られたの。本っ当、だまされやすいんだから」

 若者の懐をからかいながら、じろり、と、亭主とごろつきをにらみつけた。

「じゃ、兄さんのお茶代、払えばすむわけ?」

「お、おう、だったら、二百文はんぶんでかまわねえ」 

「あー……残念、手持ちがないから、これで」

 娘は、珊瑚のかんざしを髻から取り、渋る亭主に押しつけて、むりやり勘定にあててしまう。

 輪の外で、 

「あ、あの……」

 若者は呆然と娘を見下ろした。

 赤の他人である。

 娘は若者の肩に、聞こえよがしにささやいた。

「この店は常習。客を眠らせて金品を巻き上げる」

 さらに食い逃げでしばりあげれば、懇意の御同心様の手柄が増える。

 亭主とごろつきは、獲物カモを逃す忌々しさで、唾を吐きつけ奥へと引き下がった。

 娘は嫌悪の舌を出すと、

「行くよ、顔を覚えられないうちに」

 若者の腕と手綱とを引き、夕映えの残る通りに連れだす。

 人波にまぎれながら、 

「ありがとう、助かった」

 若者が娘の後姿に声をかけた。

 娘は歩みをゆるめ、影法師を並べると、つかんだ腕から手をはなす。

「あの店、前からしゃくだったんだ。気にしないで」

「だが珊瑚のかんざし……いいのか」

 安い品ではあるまい。

 娘は黙って笑いかわす。

「すまない」

 柴を売ったら、必ず代わりの品を、と、若者は真顔で申し出た。

「いいよ、使い古しだったし。困った時はお互い様、次はあんたが、あたしを助けて」

「しかし……」

 安い茶代と釣り合わない。せめてこれを、と、束ねた野兎を差し出した。

 娘は憮然と若者を見上げ、

「あんた、人がよすぎるでしょ。だまされやすいでしょ」

 そのまま押し返す。

「すまないな、本当に」

 若者は野兎に苦笑し、再び背荷にくくりつけた。

 その目がふと老馬にうつる。

「この馬……」

「どうかした?」

「いや、珍しい毛色だなって」

「爺さんが、若い頃にもらったんだ。よく働いてくれたよ、父さんの田んぼでも」

 手綱を寄せると、老馬が若者に鼻を押しつける。

「あんたを気に入ったみたい、他人にはなつかないのに」

 娘は、頬を赤くして馬をなでた。

 茶屋の幡が見えなくなるまで、二人は親しげなふうに連れ立つ。

 聞けば、若者は土地の者ではなく、日銭を稼ぎながら渡り歩いているという。

「宿はどこ」

 若者の横顔に問う。

「八瀬の河原に」

「野宿? まだ夜は冷えるよ」

「もう慣れた」

 と、笑う若者に、

「うち……来る? もっ、もちろん、気が向いたらだけど……そうだ、あんたの兎、宿代ってことで、どう」

 浮きたつ声をおさえながら、娘は今宵の宿を申し出る。

「いいのか、こんな得体の知れない――」

「馬がなついた」

 ためらう返事を手のひらで封じ、馬の首を寄せてはにかんだ。

「ありがとう、じゃ、遠慮なく」

 若者は、照れくさそうに嬉しそうに笑みをこぼす。

 その初夏の風のような笑顔に見とれ、はたと我に返るや、娘は熱い頬を隠すように、手綱を強く引いて先を急いだ。

 街道から間道、小道へとたどり、山ひだに隠れた小屋をめざす。  

「あたし、紫乃女しのめ。あんたは」

 二人きりになると、ようやく娘から切り出した。

「須田村の州作しゅうさく

「聞かない村だね」

「ずっと北、奥州のはずれにある」

「むちゃくちゃ遠いじゃん」

 奥州は、国境くにざかいを幾つも超えた最北の地だ。紫乃女が暮らす西の国では、古来、奥州は鬼の末裔が棲む地と語られ、蔑まれ、恐れられてきた。 

「奥州ってどんな所? 黄金の館に鬼が住むの? ね、もしかして州作も鬼の仲間?」

 じゃれ、なついた声で肩を寄せた。

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