7
夕食を終え、私は簡単に荷造りをすると結城さんの部屋へ向かった。
部屋は、左右対称になっているくらいで、殆ど変わったところがない。ベッドは私の部屋と同様、ひとつしかなかったが、キングサイズなので二人で寝ても問題はないように感じられた。
「じゃあ、よろしくね?」
結城さんはそう言って、ぎこちなく笑う。私もつられて笑んだ。
先にシャワーを浴びると言って、結城さんはバスルームに姿を消した。どうしていいか分からず、私は幽かに聞こえる水音をただ聞き続けていた。
暫くして結城さんがバスルームから戻ってくる。次に私が簡単にシャワーを浴びて、二人揃ってベッドに潜り込んだ。電気は、何かのことを考えて、あえて点けたままにしておく。
「なんだか……たいへんなことになっちゃったわね」
布団に包まって向き合うと、結城さんはぽつりと呟くように言った。
「はい」
「……わたしね、どんなことしてでも今回のショウに参加したかったの。噂は、聞いているでしょう?どんなショウかは分からなかったけれど、これに出て、絶対に違う人生歩むんだって、意気込んでた」
「……」
「なんでって、聞かないのね。……田舎から上京して、女優目指してたけど、現実ってそんなに甘くないでしょう。結局、ドラマみたいな話だけど、水商売に嵌まり込んで、で、今は大きな会社の社長の愛人、なんて……。惨めな気分だけれど、田舎から出てきて間もない頃の、食べるのにも困るって言う生活じゃないから……その頃に戻りたくないから、それに必死でしがみついてる。でもね、ふと思い出すのよ。わたし、なんでここにいるんだろう。こんなに良い服着て、良い部屋にいて、美味しいもの食べられて、それで幸福?って。本当は、何がしたかったの、今、何をしてるの。これからは……?」
蹲った格好のまま、結城さんは、ふふ、と笑った。悲しい笑顔だった。
「馬鹿だよね。でもね、やっと手に入れた、幸福への切符だった。そう思った。このショウに参加して、それで絶対、本当の夢を取り戻すんだって、決めたの。でもまさか……こんなことになるなんて、ね」
「……」
「……寝ちゃった?」
「いえ…起きてます」
「そう?眠かったら、寝ても良いのよ。多分、たった数日の間で色々ありすぎて、少し愚痴を零したくなっただけ」
「……その気持ち、少し、分かります」
「ありがとう。でもね、初めてここに来た時、嬉しかったんだ。クルーザーに乗って、素敵なお邸に招かれて。しかも、同行しているのは、かっこいい人たちばかりでしょう?もしこのまま、ちゃんとした……って、言うのかしらね、ショウが始まって、自分の本当の夢に限りない新しい人生が始められたら、なんて素敵だろう。そう、夢見てた」
また、悲しみを含んだ笑みを浮かべる。
そういえば、結城さんは二度目の自己紹介の時に、日向さんの隣に席を移したんだっけ。そんなことを思い出す。
「でも。なかなかうまくはいかないね」
やっぱり、現実なんて、こんなものなのかな。そう呟いた声は、少し諦めが混じっていた。
「でも……いくらショウだからといって、こんなこと、酷すぎます。もし、この殺人事件すらが、ショウの一環だとしたら……ショウの一環なら尚更、こんなに酷いことはないです。でも、実は……本当は、別のことも考えています」
「どんなこと?」
「王扇寺氏は、本当はきちんとしたショウを用意していたのではないかって、思うんです。それを誰かが悪用して、殺人事件を起こしているんじゃないか……」
「なんでそんなこと」
「さっき、言いましたよね。『殺されたのは宛名付きで招待状を貰った人たちだけ』だって。それを聞いて、感じたんです。何か、意味することが、本当はあるんじゃないかって。そうしたら、色々説明が付きそうな感じがするんです」
「塚田君……」
結城さんは突然呟いた。
「少年も、宛名入りだったはずよ。お父様のだって、いっていたけど」
「それなら、日向さんも……そうだったはずです」
「知らせにいきましょう」
言って結城さんは起き上がる。上に一枚、カーディガンを羽織って、私と共に部屋を出た。
階下へ行って、男性陣のいる部屋を探す。男性陣は、日向さんの部屋にまとまっていた。立花氏の部屋は夫人が休まれているから、使えなかったのだろう。
ドアをノックして、呼びかける。すぐにドアが開かれる。顔をのぞかせたのは、塚田君だった。
「話が、あるんです」
そう切り出すと、顔だけを部屋の中へ向ける。二言三言、応答があって、塚田君は扉を大きく開いた。「どうぞ」
――部屋は狭く感じられた。
構造は、私たちのものと同じなのに、狭く感じる。それはきっと、身長のある大人の男性二人の所為だ。背が高いから、天井が低く感じて見える。だから狭いように錯覚するんだ。そんなことを考えながら、かばんをテーブルに見立てただけの、簡単な設えのテーブルを囲むようにして座る。
キッチンセットを使って沸かしたお湯で作ったインスタントコーヒー――そういえば、ホテルに似ていると思ったのは、この簡単な飲み物までついていた所為なのかもしれない――が配られる。全員に配られたところで、立花氏が「どうしたのですか」と問い掛けてきた。
「気になることがあって、できれば全員に聞いていただきたいと思って」
そう言って、私は全員を見渡す。
「先程、結城さんと話をしていてふと気づいたのですけれど、もしこのショウが本来のショウとは違ったものだったらどうなっていたのだろう。そう考えたら気になることが出てきたんです」
「本来のショウ……」
日向さんが呟く。
「はい。王扇寺氏は、本当はきちんとしたショウを用意していたのではないかと、思うんです。それを誰かが悪用して、殺人事件を起こしているんじゃないか……。それが、今の私の考えです。もしこの仮説が正しいのならば、あの2枚組の絵にも説明がつきます。あの絵を元に、ショウは行われるはずだったのではないか」
「なるほど……」立花氏が呟く。
「そして本当に大事なのは……」
言って、少し間を置く。そして塚田君を、日向さんを見る。ここに、犯人がいないことを祈りながら、私は言葉を続けた。
「もしこれが、ショウの一環などではなく、王扇寺氏が興したショウを悪用した殺人事件ならば、塚田君と日向さんが危険ではないかと、そう考えました。これは、結城さんの指摘ですけれど」
ちらと結城さんを見ると、結城さんは軽く頷いた。
「彼女が気づいたのだけれど、私が言った『招待状に宛名がある人間が死んでいる』という私の言葉が、殺人予告になっているのではないかって」
「すると、次に危険なのは……塚田君と日向さんなんです。ふたりの持っていた招待状にも宛名があった。塚田君のものはもとはお父様宛てに届いたものだとはいっても、殺された鈴木さんは〈小池悟〉さんという方の振りをしてここに来て、そして殺されたのだから、宛名のある招待状を持つ人は、危険な目に遇うのではないかって」
「……確かに、一理あるな」
「私は、この中にこんな酷いことをした人がいないと思っています。信じているといった方が、いいかもしれません。だからこうして今、それを伝えたくてここまできました」
私の言葉に、誰もが黙り込んだ。それが何を意味しているかなんてことはどうでも良かった。たったの2日。それを感じさせない長い時間の中で、殆ど面識もなかったけれど、3人も人が死んでいる。その犯人がこの島の中にはいる。それがこの中にいるとは、それでも信じたくない。
だからこれは告発。そして挑発。見えない犯人への……私からの挑戦状。
「……仮に、宛名のある招待状を貰った人物が殺されるように仕組まれているとしよう。すると塚田少年と日向くんが危険だというのはとてもわかりやすい。そしてもうひとつの仮説だが、私が犯人でさえなければ、二人は取敢えず安心できる状況におかれる、そうだね、お嬢さん」
「そうです。ただ、私はここには犯人はいないと信じています。それでも、何かの節に危険な目に遇わないとは限りません。なぜなら鈴木さんも、橋本さんも、早乙女さんも、いつ、どうやって、どのように殺されたのか、私たちは知る術がないからです」
ほう、と溜息を吐いたのは、日向さんだ。
「きみは……すごいね。この状況で、そこまで考えていたなんて、すごい」
「すごくなんて、ありません。私は、もうこれ以上人が死ぬのを…殺されていくのを見たくはないんです」
「そうだな」
「ここには、この中には犯人がいない。そしてこの島の中には犯人がいないと仮定するのは簡単です。でもそれで安心できるほど、私は強い人間じゃありません。だから、最悪のケースを考えて、伝えなきゃいけないと」
話しているうちに、声が震えてくるのが分かった。怖さが身に染みていく。頭の中で考えれば考えるほど、楽観的な思考から遠のいていく。
「大丈夫。わたしがついてるから、ね」
結城さんがそう優しく言いながら、わたしの頭をなでてくれる。それで始めてわたしは泣いた。久し振りに、声を上げて泣いた。
私が泣き止むまでの間、皆黙って見守ってくれていた。ようやく泣くのに一段落し、しゃくりあげるまでにおさまると、立花氏が
「あとは、私がなんとか頑張ってみるから、お嬢さんたちは寝なさい」
そう言ってくれた。それを合図に、私と結城さんは部屋に戻った。
何も言わず、二人で大きなベッドに潜ると、すぐに睡魔に包み込まれた。
夢すら見なかった。
# # #
朝が訪れ、身支度を整えると取敢えず2階の日向さんの部屋へ行った。
3人は一睡もしていなかったようだ。
目の下にクマを作っている立花氏と、意識朦朧とした感じの日向さん、そして黙々と医学書を読んでいる塚田君の、それぞれの特徴が現れていてなんだか少しおかしかった。
「おはようございます」
挨拶すると、気怠そうな声で「おはよう」と呟いた姿が、初めて会った時のきりりとした印象からかけ離れていて、ますます面白い。そうは思っていても、流石にそれを口にすることはできなかった。
「食事、どうします?」
結城さんが笑みを堪えてそう言うと、「適当にお願いします」と返事があった。
「じゃあ、わたしたち、食堂まで行って取りに行ってくるわ。行きましょ」
「はい」
部屋を後にし、サロンを通って食堂へ向かう。(食堂と厨房で命を落とした鈴木さんと橋本さんの遺体は、その場所柄と時期の関係もあったので、邸の裏に簡単に埋葬された)
数人のメイドが厨房で食事を用意してくれていた。
ト―ストとサラダ、フルーツ、ヨーグルトに、コーヒーと紅茶、オレンジジュース。それらを適当にワゴンに積んで2階へ戻る。そこでまた、かばんを囲んでの簡素な食事が始まった。
「せっかくこんないいお邸に泊まれているのに、なんだかもの淋しい感じだな」
「そんな呑気なこと、言っていられる状況じゃないのが残念だ」
「その言い方も、かなり呑気ですよ」
などと、気を紛らわせるための軽口が頻繁に飛ぶ。
その所為もあって、和やかな雰囲気で朝食を終え、ワゴンを食堂に返しに行くと、いよいよすることがなくなった。
ひとりで使うには広い部屋も、5人の大人――と形容しても大丈夫だろう――がいれば狭い。
テレビはなく、そしてすることもない。持ってきていた本は、とうに読み終えていたし、何かを話そうとしても、やはり口に出てきそうなのは、今回の事件のことと、これからどうなるのかという疑問だけ。
気まずい沈黙の中、誰もが所在なげに床に座り込んでいる。
その沈黙を破ったのは、立花氏だった。
「すみません。シャワーを浴びて着替えたいのですけれど、いいですか」
言って立ち上がる。すると、のろのろと日向さんも立ち上がった。
「俺もそうさせてもらっていいですか。いくらなんでも、こんな格好のままで女性の前にいるのは悪いでしょうから」
その言葉に立花氏は軽く笑い声を立てる。笑いながら
「せっかくの美男子が形無しだ」
「そういう立花さんこそ」言って、日向さんも少し笑った。
「……ということで、お嬢さん方。申し訳ないが少し外してもらえないでしょうか」
少しおどけた感じで立花さんが言った言葉に、私たちは頷く。
「そうね。……じゃあ、一度部屋に戻ります。2時間後くらいにまたここに戻ってきますけれど、それでいいですか?」
「あ。それなら私、夫人の様子を覗いに行きたいのですけれど」
「わたしも行くわ。あれから全然、お姿見かけてないんだもの」
私と結城さんの言葉に、立花氏は頷いた。「お願いできますか」
「はい」
二人で声を揃えてそう言って、私たちは部屋を後にした。
♯ ♯ ♯
立花氏にあてがわれた、いまは王扇寺夫人の寝室に、結城さんと一緒に訪れる。
食堂で用意してもらった簡単な食事を持って、扉をノックすると、奥からかすかな応えの声が聞こえた。
扉を開き、中に入る。
間取りは、私の使っている部屋とまったく同じだった。
僅かな違和感は、窓の風景。そして、部屋の雰囲気。
――殺風景な部屋だからこそ、病室を思わせる。
「お加減いかがですか?」
結城さんの言葉に、弱々しい声が返ってきた。
「ご心配おかけしてすみません・・・・・・」
目を向けると、ベッドに横たわったままの夫人が、それでも頭を下げる動作をしていた。
「このたびは本当に、みなさまにはいろいろとご迷惑をおかけして・・・・・・」
その顔は青白く、一目見て衰弱した様子だった。
「お食事、どうされていますか」
尋ねると、軽く首を振る。
「少しでも、召し上がっていただきたくて、作ってもらったのですが・・・こちらに置きますね」
「すみません」
「私たちのことは、お気になさらず・・・って、私たちが言う言葉でもないですが」
と、結城さんが明るめの声で言う。
確かに、今までのことを思えば、そうとしか言いようがない言葉のように思えた。
ご主人である王扇寺氏は、謎の?手紙を残し行方をくらませている。
その間に起きた、無残な事件。
誰もが、氏を疑っている。いや、氏が犯人であるということに、したがっている。
氏が犯人なら、これ以上被害者は出ない。
だから・・・夫人にはお気の毒だけれど、氏が犯人であって欲しい。
きっと誰もがそう思っている。
そして、夫人もそれに気付いている。
そうであって欲しくない、という気持ちと、これ以上の被害が出ないためにも犯人であって欲しい。そういった相容れない感情が、複雑な色になって瞳に表れている。
夫人の姿を改めてよく見る。
・・・もともと、線の細いイメージだった彼女は、もっと細く見えた。
目も落ち窪み、頬はこけ、顔色は驚くほど白い。
首筋から、鎖骨にかけて、骨が透けるような薄さ。
――もしかしたら、なにか病気を持っているのかもしれない。
立花氏も、夫人が病弱だといっていたし・・・。
そんなことを考えた。
「あと2日で、すべてわかるそうです。それまではお大事になさってくださいね」
結城さんの言葉に、夫人は「ありがとう」と答える。か細く、今にも消えてしまいそうな儚い声だった。
「では、私たちはこれくらいで」
長居ができない雰囲気に、私はそう言う。結城さんも頷いて
「また、来ますね」
そう言って、頭を下げて部屋を出た。
静かに扉を閉め
「どう思う?」
結城さんはそう尋ねる。その意味がわからず、私は首を傾げた。
「実はね、わたし・・・大変失礼なんだけれど。・・・・・・ここに、王扇寺さんがいるんじゃないかって考えてた」
「・・・・・・・・・・・・」
「夫人も、臥せっていて姿を現さない、と言っていたから、二人で共謀して・・・なんて」
言って、苦笑した。
「本当に、失礼なこと考えちゃった」
ぺろりと舌を出す、愛嬌のある仕草をした。
「・・・わたしも」
「え?」
「実は、わたしも考えていました。いえ、もっと酷いこと、考えていました。・・・・・・もしかしたら、夫人が犯人なのでは、なんて」
呟くように言って、私も笑んだ。
「あのご様子で、本当に失礼なことを考えてしまったなと、後悔してます」
「大丈夫かしら?」
「えぇ・・・・・・」
夫人の姿を想像する。
儚くて今にも消えそうな雰囲気をもっていた。
早く5日になればいい。
王扇寺氏が戻ってきて、すべてが明らかになって。
そうしたら夫人も少しはよくなるだろうか?
「まだ長いわね」
結城さんも同じことを考えていたようだった。私は頷く。
「これから時間まで・・・どうしますか?」
「そうね・・・サロンに行って、お茶でももらおうかしら。それとも・・・」
「それとも?」
私の問いに、結城さんは微笑む。
「ちょっと、探検してみない?」