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「ようこそいらっしゃいました」
優雅な声が、広々とした建物内に響く。声の主は私たちの目の前に、声と同様に優雅に立っていた。南向きの、大きな窓から差し込む光で、幻想的なまでに美しい声の主は、
「お忙しいところ、よくおいで下さいました」
言って、深く頭を下げる。それから、私たちから見て右方を示した。
「お茶の準備ができておりますの」
動作までが流れるように、女主人は歩き出した。
ホール(ホールと呼ぶには大きすぎる感があるが、多分そうなのだろう)右手にある部屋は、応接室を兼ねたサロン遊戯場と言うようなものだろう。
これもホールと同じ様に、そう呼ぶにはいささか広すぎる気がする。窓に面した場所にテーブルと、飾り物の暖炉の側にはビリヤード台、そして部屋の中央にはソファーが置かれている。
そのソファーを、女主人は示す。
「どうぞ、お好きなところへ」
言うと、めいめいに座り出す。私は窓を背に、一番左端に座る。右隣には一番最後にやってきた、私より幾つか年が上だと思われる綺麗な女性。向かいは眼鏡を掛けている、おどおどした感じの男性だった。
全員が腰を掛けたところで紅茶が供され、それを一口飲んだタイミングで声が掛かる。
「遠い所を、わざわざ起こし下さり恐縮です」
先程私たちが入ってきたそこから、いかにも紳士然とした男の人が現れた。
「遅れてすみません。なにせ今日のショウの最終打ち合わせに手惑いましてな。……紹介が遅れました。わたしが主催者の王扇寺忠宗です」
言って、彼は威風堂々たる態度で私たちの前へやってくると女主人(王扇寺夫人と言ったほうが正しいのだろうか)の隣に腰掛けた。
「あなた。まだ皆様お疲れのご様子ですのに」
困ったように言う夫人に、子供のような笑みを浮かべ、主人は「これは失礼」と謝る。
「まだ着いたばかりでしたな。では自己紹介などもまだでしょう。ここはついでにひとつ……どうでしょうか皆さん」
主催者の言葉に、逆らうものはいない。なぜならばこの人はあの噂に名高い「ミステリー・ショウ」の主催者なのだから。このショウが終わった後には、今までとは違う人生が歩ませてくれるという張本人でもあるのだから。
皆一同に頷く。すると愛想のいい笑みを浮かべ、彼、王扇寺氏は隣の女性を示した。
「妻の、瑞江です」
「瑞江でございます」
たおやかに、頭を下げる。いかにも大和撫子といった感じの、上品で優雅な女性といった印象を受ける。
主人に促され、彼の右隣……というよりは向かいに近い場所……に座っている男性が軽く頭を下げる。
「日向、靜です」
褐色の肌の、ワイルドな雰囲気を持つ男性だ。金髪に近いほどの茶色い髪で(多分染めているのだろう)、肩の近くまである。一見、東京の繁華街に居る「お兄さん」と言った感じだ。続けて、右回りで自己紹介が始まった。
「塚田……尚斗、です」
ぺこりと頭を下げて言うのは、私と同年代くらいの、まだ少年といったほうがぴったりくる男性。随分とおとなしそうな感じがする。体育が苦手で……クラスに一人くらいいる、女子生徒にからかわれるタイプの少年。
「立花真樹」
テレビに出てきそうな位、格好のいい男性。俳優でもやっているのではと思うくらい。ただ、愛想良く口元に笑みを浮かべていても、瞳の奥で、何か企んでいるような、そんな輝きを見せる。
「こ、小池…悟、です」
私の向かいの、さっきからずっとどおどした感じの男性。始終、何かに怯えているように、視線を色々さ迷わせて、上目遣いで物を見る感じが、どうも気に掛る。
「あ……、大城……黎奈です」
言って、私は頭を下げる。続いて、隣の女性が紹介を始める。
「結城彩よ」
抜群のプロポーションを惜しげもなくさらけ出したようなスーツを身に付けた、腰近くまである栗色の髪の美人。艶めかしいほどの赤い唇と、鼻につく甘ったるい香水、大仰なアクセサリーが自分を固辞しているかのよう。
「早乙女京子と申します」
いかにも成金夫人といった体の、和服の女性。10本すべての指に、嫌味なほど大きい、イミテーションと見間違うばかりの宝石の付いている指輪をしている。
「これで全員……のようですな。さて、自己紹介も終わったことですし、皆様まだお疲れでしょうからお部屋へ案内させましょう。夕食は午後7時より、この奥の食堂で。それまではご自由にお過ごし下さい。何か不明な点などございましたら、近くの者にでもお尋ね下さい。また、滞在中はこの島の中でしたら、すべてご自由に。我が家同然にご使用下さって結構です」
言って、王扇寺氏は立ち上がる。
「わたしは準備がありますので、これで。……ショウはもう、始まっています」
そう言い置いて、氏はこの場を後にした。夫人も立ち上がる。
「では、わたくしも失礼させていただきますね。お部屋割りはこちらで勝手に決めさせていただきました。あとは家の者がご案内致しますが、何か不都合等ございましたら遠慮なくおっしゃって下さいませ」
しなりと頭を下げ、夫人は食堂があると言われた奥の部屋へ姿を消す。と同時に4人の家の者らしき人たちが入ってきた。
「では、ご案内致します」
# # #
部屋割りは、大まかに男性が2階、女性が3階を使用するということだった。
2階は、奥から立花さん、塚田君、日向さん。それから後から来るもう一人(名前はまだ知らない)小池さんとなったと聞いた。3階は、同じく奥から早乙女さん、結城さん、私という順だ。
部屋はとても広く、こざっぱりとしていた。構造はホテルとほぼ同様。
ドアを入って目の前が、一人で使うには大きすぎる感じがするほどの規模のキッチン。電気コンロと流し、その下に冷蔵庫が付いている。キッチンの右手はバス・トイレ。クローゼットはその反対側。部屋の奥にベッド。サイドボードが付いているところがホテルを感じさせる。それとドレッサー。ホテルと違うのは、ただひとつ。テレビがない、ということ。ベランダも、思ったより広い。そこからは、海が見える。
一人でこんなにも広い空間を使っていいというのに少し戸惑ったが、それでも贅沢な感じがしていいとも思う。
時計を見ればまだ4時を少し回ったところ。夕食の時間まではまだだいぶある。これからどうしようか……そう考えていると、ノックがした。
「はい」
返事と同時に、ドアは開く。
「さっきの場所で、皆でもう少し自己紹介することになったみたいだけど……行く?」
そう言ったのは、結城さん。さっきとはまた違う服――それでも体のラインの良く出た――で、顔を覗かせて言う。
「行きます」
そう言うと、少し笑んだ。思っていたイメージより、柔らかい表情。
「じゃ、一緒しましょう。早乙女さんは後から行くって」
私たちが先程の場所へ着いた頃には、男性陣はすべて揃っていた。席はさっきと同様。一度座った場所が居心地がよかったのかも知れない。私も同じようにさっきの場所に座ろうとしたが、結城さんに強引に王扇寺夫人が座っていた場所に座らされてしまう。その隣、王扇寺氏が座っていた場所には彼女が座る。
「早乙女さんは、後からくるそうですわ」
言うと、近くを通り掛かった使用人らしき人物(そういえば彼等が何人いて、どこにいるかはまだ知らない)に飲みものを頼む。それが届いた頃、誰ともなく会話が始まった。
彼等が一番気に掛かっているのは、今回のショウのこと全般だった。もちろんそれは私も同感だったのだけれど、彼等……とりわけ私が第一印象で「お金持ち」そうだと判断した人達は、その中でも特に招待状の入手方法にやたらと拘っていた。
「私はこの招待状を100万で買ったんですよ」言ったのは、小池さんだった。
「僕は……父の代理で。父宛てに、届いたんです」
塚田君はそう言って、招待状を見せる。淡い緑地の封筒に、金のエンボス。その形は扇。
「私のと、違う」思わず声に出る。
「どういう事だ?」
小池さんの言葉に、私は慌てて自分の持っている招待状を皆の前に出す。白い、何もない、只の封筒。
「他の方は、どうです?」
日向氏は内ポケットから自分宛ての招待状を出しながら尋ねる。つられたように皆、招待状をテーブルの上へ並べる。――違う。殆ど全員の封筒が違っていた。
「これは一体、どういう事なのかしら……」
「早乙女さんのは、どうなのでしょうね」立花氏が言葉を漏らす。
「確認してみましょう」
言って、日向氏が腰を浮かせたとき、
「遅れて失礼しました」
早乙女さんがやってきた。
――私たちは今までの経緯を簡単に彼女に説明し、彼女の招待状を見せてもらうように頼んだ。すると彼女は手持ちのハンドバックからそれを取り出す。やはり……違う。
「どういう事だ……これは」
「『ショウはもう、始まっている』と言うことか?」
「そうか……謎を解け、と言う事か。我々は、傍観者ではない。参加者なのだから!」
「夕食までにこの謎を解くのが、ショウの序章と言う事だろう」
テーブルに並べられた、それぞれの招待状。それを囲む私たち。
緑地に、扇形のエンボスが入っているのは、うち2通。塚田君のと、小池さんのもの。これは封筒に宛名がある。小池さんは、では偽名なのだろうか。
残り5通のうち、白地は私と日向さんだ。しかし日向さんのものは宛名が書かれている。エンジ地に、扇形のエンボスが入っているのは、早乙女さん。これもやはり宛名がある。私と同様に宛名がないのは結城さんと立花氏。ただし彼女の持っている招待状は、やはり白地でも、細かく扇の模様が入っているため、一目見ただけでは赤に見える。それとよく似たのを持つのは立花氏だった。彼のは草色で細かく扇の模様が入っていた。
「宛名が書かれているということは、正式に招待されたものだ、ということだろうな」
「すると、小池さん、日向さん、塚田君、わたくしの4名ということですわね」
「それと……扇の形は王扇寺氏のシンボルだから、それに準ずるものだろう」
その言葉の後、私に視線が注がれる。
「ということは……この招待状は」
誰かがその言葉の続きを言おうと口を開き掛け。
「それも、本物ですよ」と言う声がした。
紅茶のお替わりを持ってきていた使用人の声だった。
「正式にご招待申し上げたのが、塚田様の持つ形のものでございます。地色は男性が緑、女性がエンジ色となっていて、金で扇形のエンボスを入れたものがそれでございます。地色に扇模様の描かれた封筒は、宛名は入っておりませんがその他関係者に配布したもの。こちらは確か去年は50枚ほどございました。……そしてこの方の持っていらっしゃる招待状こそが主本人の直筆の招待状でございます。こちらは毎年1枚だけ。とても珍しい招待状ですが、宛名がないためか、滅多にショウに参加されることはありません。ですからこの招待状を持ち、ショウに参加されたお方はまさに『選ばれたもの』でございます」
使用人の言葉に、一同驚きを隠し得ない。謎だと思っていたものが簡単に解明したからなのか、それとも私の持っている招待状の性格故か。
「あらかじめ申し上げておきますが、主は招待状の経緯を楽しんでいらっしゃいます。宛名のない招待状を出し、その日を待ち望むのです。招待状をどうやって手にいれたのか、そして、招待状を手にした人間が、どういったいきさつでこの場所へ訪れるのか。それを想像することがお好きなのです。ですから普段は宛名をお書きにならない。ただ、人伝に流れつくのをまるで、風船がどこまで飛ぶかを楽しむ感覚で行ってらっしゃる。そういう方なのです」
「いかにもあの人らしい」
言って笑ったのは、立花さんだった。
「実はね、正式な招待状がきていたんだ、本当は。でも、それで行くのをやめた。やはり正解だったな。流れ付いた別の招待状を手にいれたとき、してやったと、そう思った。そう言う人だよあの人は」
さっぱり訳が分からない。すると立花氏は親切にも説明してくれた。彼は王扇寺氏とは旧知の仲で、実は道楽仲間なのだそうだ。どちらがより奇抜なことを考え付くかを競うほどの仲の良さで、周りから見ればキテレツな関係だったとか。
「島を買って、ショウを開いたときはびっくりしたよ。まさかそこまでするか……てね。でも、招待状がきても、行くことは絶対にしなかった。なんだか負けた気がするからね。だけれど今回は特別。別ルートで招待状を手に入れたから、そういった意味では彼と同一線を張れる」
説明のあと、彼はそう言う。
「と言う事で……謎は解けてしまったけど。多分これはまだ、序章にもならないものだと思う。楽しみは後まで取っておく人だ。夕食が……今から楽しみだ」
言って、残りの紅茶を一気に飲み干すと、彼はまだ笑いながらこの部屋を後にした。
「ということは……どうすればいいのかしら?」
「夕食まで……待ちましょう」
塚田君はそう言うと立ち上がる。それにつられて日向氏も立ち上がり。後を追って結城さんが部屋を出ていく。結局、何が起こったのか分からないといった顔をしている早乙女さんと、私の2人が部屋に残された。
「今……何時ですか?」
ポットを持ったまま、皆が部屋を出ていく様を見届けた使用人に尋ねると、彼は私のカップに冷めかけの紅茶を注いでから答えた。
「5時半を回った頃です」
まだ少し、時間がある。けれど……。
「もうそろそろ日が落ち始めます。ここから眺める夕日はとても美しいですよ」
その言葉を聞き、私はここに残ることにした。