守護騎士は英雄~王女様襲来~
「守護騎士は英雄」の続編です。やはり軽い読み物だと思ってお読みください。
異臭が漂っていた。
王宮内の鍛練所。その一画から、なんとも形容しがたい臭いがどこまでも広がっている。
報告を受けた近衛騎士のサフィル・ジョットは、しっかりと湿らせた塵紙を鼻に詰め込みつつ、その異臭の発生源を確認してげんなりと肩を落とした。
「……エリオ。またお前か」
「サフィル様」
サフィルの姿に気づいた美貌の男はさっと立ち上がり、上官に対する礼を取った。
エリオ・トワフェスト。この世界を救った勇者であり、英雄である。
そして主の生活のため城に所属する騎士でもあった。主のそばに控えない守護騎士は珍しい。守護できていないではないか。しかしレタランテ子爵令嬢の経済状況は大丈夫なのだろうか。
「今度は誰に騙された。ジオ殿か、ミーシャ様か、それとも他のロクデナシか?」
「ロクデナシとは失礼な。グレゴリオ男爵です」
「最悪だな。何故よりにもよって実験狂いの霊草師を選ぶんだ」
「騙されたとも限りませんよ。……それで、どうでしょうか」
エリオの緊張感を帯びた眼差しを受け、サフィルは無言で顎で回廊を指し示した。
先ほどまでこの異臭に顔を顰め、華やかな王宮を汚した発生源を駆逐せんと息巻いていた女中達が、エリオの姿を見て顔を赤らめ目を潤ませている。それにエリオは目に見えて落ち込むと、芝生の上に膝と手をついて大いに嘆き悲しんだ。その姿すら女達には魅力的に見えるらしく、各所から黄色い声が上がった。
「……また失敗ですか。そうですか……」
「結果が分かったのならとっとと風呂に入って臭いを落とせ。後宮にまで広がってるぞ。だから女中たちがここにいるんだ」
「はい……失礼します……」
エリオはのろのろと立ち上がると、そのままよたよたとした足取りで去っていった。
煤けた背中と称するべき状況でも白金の髪は陽光を受けて輝き、エリオを美しく演出している。どんな状況でも輝きが褪せない男と言うのもまた困ったものだとサフィルは目を細め。
「……む、しまった。ひとつ報告があったというのに」
サフィル・ジョットは近衛騎士だ。第三王子に仕える身である。
そして第三王子は第一王女ととても仲がいい。第一王女のお転婆を諌められるのは第三王子だけとも言われている。
なので第一王女がなにか問題を起こすと、第一王女の使用人はまず第三王子に報告するのだ。
そして本日、それは早々に報告された。
第三王子は「グマイ アトデ ブッコロス」という笑顔だけですませたが――エリオにとっては、果たしてそれだけで済ませられる事柄だったのか。
ほのかに赤みのある、くるくるとした金髪。ぱっちりとした紫色の瞳。紅色のふっくらとした唇。王立学院の廊下にズラリと並ぶ、直系王族の肖像画でよく見る顔だった。
「アトル、どうしたの?」
まあこの場合、肖像画じゃなくて実物だから紅茶も飲むし話すのだけれど。
麗らかな昼下がり。
何故か私は、この国の第一王女にして英雄のひとりであるリリアーチェ・メル・アナスタシア殿下と一緒に、優雅にティータイムと洒落こんでいた。うむ、中々意味が分からない。
庭園に持ち込まれたテーブルとイスと茶器とスコーンはそれはそれは見事なもの立った。先程から遠慮なく紅茶を浴びるように飲んでいるはずなのに、何故かのどの渇きが収まらない。……緊張してるのだろうか、私は。珍しいな。
「……意見具申」
「差し許す。……あらいけない、癖が。もっと軽くていいのよアトル。わたくしがあなたに会いに来たのだから」
そんなことをしたら、そこで冷たい光を目にビンビンに宿している侍女にきっとぶっころされてしまう。女中服を着ているけれど、まるで暗殺者のような目の色だ。昔狙われたことがあるから分かる。
「……リリアーチェ殿下。御用とは、一体なんなのでしょうか」
「言ったでしょうアトル。あなたに会いに来たのよ」
リリアーチェ殿下は両肘をつき手を組んで、その上に顎を置いてにっこり笑う。
「エリオ様の主人である、あなたにお願いがあって」
スピーディに話を纏めれば、要点は三つだった。
一、エリオの身を正式に王宮預かりにすることに了承すること。
二、エリオと殿下の婚姻を許可すること。
三、エリオとの守護騎士契約を解呪すること。
つまりエリオのことだけだった。なんて分かりやすい王女様だ。守護騎士契約を後ろに持ってきたのは、それまでエリオの意見をコントロールするためだろう。
守護騎士契約とは厄介なもので、騎士は守護対象である主の命令に基本的には逆らえない。自由意思はあるけれど、主が本当に「そう」と決めてしまえば「そう」なるしかないのだ。
その代わり、メリットもそれなりにある。主人の身に迫る危機は例えどれほど離れていても察知できるし、「護り抜く」という宣誓によって、女神様の眷属である騎士の聖霊の加護を得られるのだ。
……しかし「お願い」って、これは命令となんの変わりがあるのだろうか。本人は「お願い」しているつもりでも、臣民である私にとっては残念ながら「命令」としか受け取れない。
あとやっぱり侍女さんこわい。
「どう?お願いできるかしら?」
「……一番目まではなんとかできると思いますけど、二番目と三番目は無理ですね」
「ええ?どうして?」
「――恐れながらリリアーチェ殿下。レタランテ血族の呪いは御存知で?」
ほんのすこし、場の空気が変わった。「呪い」とはいつの時代においても忌むべきものだ。誰だって関わり合いたくない。
けれど、リリアーチェ殿下は変わらない表情で頷いた。
「ええ、知ってるわ。個人ではなくてレタランテという血族を蝕む呪い。一族ではなく血族への怨恨。婚姻には苦労しているようね」
お陰さまで呪いを受けてざっと100年、レタランテでは近親婚が主流となっている。
「レタランテの呪いは精神面で発現します。……私の父は『憎悪』を欠いて生きてます」
母は五年前、血族の誰かに殺された。父はとても悲しそうに――そう、悲しみしかない瞳で泣いていた。
殺した犯人への、救えなかったすべてのものに対する苛烈な感情なんて、どこにもなかった。
「……アトル。あなたは?」
「……私は、どうも『感情の揺れ幅』というものがひとよりも大分小さいみたいで……」
母が死んで、泣き崩れる父の背中を見ていた私は――鼻をすするだけだった。
悲しかった。犯人への怒りもあった。……でも、翌日にはそれがすっかり沈静化して、すぐに庭で遊び始めた。そんな私を見る使用人達のあの目を、私はまだ覚えている。
得体の知れない化け物を見る目だ。
「エリオは婚姻に関してはかなり反発すると思います。私の騎士でいられなくなりますから。三番目は言わずもがなです」
「……」
「私は、その反発を抑えこんで命令するだけの『やる気』がありません。途中で諦めるって自分でもわかります。……面倒だから」
「……どうして、エリオ様はあなたにそこまでこだわるの……?」
先程までの王族としての品格と誇りと優美さに溢れた顔は、そこにはなかった。まるで親に置いていかれた童女のような表情のリリアーチェ殿下に、私は死を覚悟した。
侍女さんの顔が魔族よりもおっかないことになっている。
なんとかフォローしなくてはならない。惨殺される予感が満載だ。ほんとになんなんだ、この侍女さん。主人命にもほどがある。
「……エリオにお訊ね下さい。話はしておきますから」
「っえぇ、えぇえぇそうねっ!」
パッと殿下の顔が華やいだ。恋する乙女の顔だ。猪突猛進とも言うかもしれないけれど、美少女のこんな表情は素直に好ましいと思う。
「じゃ、じゃあそろそろわたくしは王宮に帰るわ。長々とごめんなさいねアトル。御機嫌よう」
「はい。お気を付けて」
そわそわと、けれど素敵な笑みを浮かべてリリアーチェ第一王女は足早に去っていく。それを少数の護衛と女中が追って、
何故か侍女が残った。
「……あの」
「エリオはあなたのどこがいいのでしょうか」
開口一番辛辣な言葉だった。
「エリオ・トワフェストは、リリアーチェ様に誰よりも相応しい。身分は確かに低いですが、彼は英雄です。凱旋後の陛下との謁見で王女との婚姻を――いいえ、せめて身分を褒美として求めていれば……何故、あなたへの不干渉を約束させたのか……」
「……」
なんだそれ、初耳だ。
けれど確かに、考えてみればおかしい。英雄の主として社交界に呼ばれたこともなければ、子爵令嬢として求められたそれすらも最近はない。エリオとの繋がりが欲しい人間なんて、それこそ星の数ほどいるのに。
「……リリアーチェ様と結ばれるのなら、私とて諦めがつきましたのに……」
……はい?
なにやらぼそりと呟いた侍女さんはきつく私を睨み付け、けれどしっかりと頭を下げて身を翻した。残った侍女が、茶器やら何やらを片付ける。
「……ええっと……」
石畳に直に座り込んで、腕を組んで考える。つまり、どういうこと?
「……ああ、なるほど」
厄介なのは、三人じゃなかったと。そういうわけか。
「――話が違う、エリオ」
どうしろっていうの、本当に。